次の手

 ティアナがテレーゼに相談をしている頃、ユッタは自室にテオフィルとカミルを呼びつけていた。ユッタは以前から繰り返し子弟を自室に連れ込んでいたので、周囲から眉をひそめられることはあっても怪しまれることはなかった。


「はぁ、困ったことをしてくださいましたね」


 あからさまに失望しているユッタに対して二人は萎縮している。テオフィルは渋い表情をしているだけだったが、特にカミルは落ち着きがない。


「あたしのためにしてくださったことだとは承知しています。ですが、カミル、何も証拠を掴んでいないのに、どうやって断罪するつもりだったんですか?」


「それは、ユッタの悪い噂を広めたのはティアナに違いないから、皆の前で問い詰めてやれば自白すると思ったんだ」


「証拠がなければティアナがしらを切るとは思わなかったんですか?」


 ユッタが形を変えて再び質問するとカミルは沈黙した。


 本当にそこまで考えていなかったことをその態度から理解したユッタは、こめかみを押さえる。ウィンドウ画面に表示されたカミルのステータスをちらりと見たが、数値から推測した以上に無策な行動に出たとユッタは感じた。


 今度は横からテオフィルがカミルを問いただす。


「しかも君は、あろうことかユッタの名前を出したそうだな」


「違う、出してない!」


「テオ、それはどういうことですか?」


「テレーゼと言い争っているときに、ユッタが原因だとほのめかすことを漏らしたそうだ。慌てて取り繕ったそうだが、周囲の者達はみんな聞いていたぞ。もう学院中に広がってしまっている」


 自分に都合の悪い噂は無視していたユッタは、今になってそんなことがあったことを知った。テオフィルから教えてもらわなければずっと知らないままであっただろう。


 カミルがテオフィルを睨むが、当人は涼しい顔のままユッタに目を向けている。


「カミル、最初から正直にすべてを話してもらえませんか? さっきまでは大したことはないと思っていたけれど、一度確認しておいた方がいいみたいですね」


 他にも何か問題があるかもしれないと感じたユッタはカミルに迫る。渋い顔をするカミルだったが仕方なく当時のことを一つずつ話し始めた。


 テオフィルの補足も含めて話を聞いたユッタは、ようやく騒動の全容を知ることができた。もちろんその話は二人に沿った主張が混ざっていたが、噂よりははるかに信用できる。


「節操がないという噂は平気だけど、これではあたしがけしかけたみたいじゃないですか」


「面目ない」


「テオも何かするつもりだったと思うんだけど、カミルの件がなければどうするつもりだったんですか?」


「最初はティアナが噂を流している証拠掴んでから追求するつもりだったんだが、問題が二つあって断念した。それからはどうしようか考えていたところなんだ」


「二つの問題って?」


「一つはテレーゼだ。以前は互いに不干渉の立場だと聞いていたんだが、なぜかあとのときティアナを庇った。そうなると、これから事を起こせばあちら側に立つ可能性が高い。だからそれをどう防ごうか考えていたんだが、思うような案が思いつかなかった」


「カミルが暴力を振るおうとしたから止めに入っただけの可能性はないの? ほら、テレーゼさんって学院内の女の子をまとめるだけじゃなく、規範も守ろうとするんでしょう?」


「だったらいいが、今ははっきりとしないからな。それともう一つは、証拠を掴めなかったからなんだ」


 テオフィルの話を聞いてユッタは眉をひそめた。


「あの人にはパウル兄さん以外の友達がいなさそうだから、そもそも噂を流せないんじゃないかな? あたしもティアナについて調べさせてるけど、誰も接点がなくて困ってるのよ。孤立している人ってこういうとき厄介ね」


「しまったな。孤立していることはわかっていたが、そうか、誰とも接点がないのか」


「そ、それじゃ俺がやったことって」


 二人の会話を聞いていたカミルが青ざめる。単にユッタの立場を悪くしただけとようやく理解した顔だった。


 ため息をついたテオフィルがカミルに言葉を投げつける。


「どうしてユッタが頭を抱えているかやっと理解したか?」


「テオ王子だって、孤立することがどうかわかってなかったじゃないですか!」


「でも事前に調査して無理という結論を出していただろう。君は反省していないのか?」


「なぁ、ユッタ、俺に名誉挽回の機会をくれ。次は必ずティアナをとっちめてやる!」


「今度はどうするつもりなんだ? もう同じ手は使えないぞ」


「わかってる! 次は誰にも見られないところでやるんだ! いざとなれば、力尽くでも!」


「君はあいつのメイドに投げ飛ばされたそうじゃないか。それで力尽くでどうにかできるのか?」


「あれは油断していたからだ! 油断していなかったら、あんな下賤な女にやられるもんか! 次は思い知らせてやる!」


 テオフィルとカミルの話を聞いていたユッタは再度こめかみを押さえた。カミルが場所を変えただけで同じことをすると知ったからだ。


「カミル、そもそもどうやって人気のないところにおびき寄せるの?」


「人を遣って呼び出せばいいだろう。簡単だよ、ユッタ」


「あたしなら無視しますよ」


「下位の者が上位の者に逆らうなどありえない!」


「君は、先日ティアナとメイドに散々逆らわれたじゃないか」


 またしてもテオフィルに指摘されてカミルは悔しそうににらみ返す。


「ならばテオ王子は、あいつに対してどうするんですか!? 何も手がないんでしょう! このまま黙ってみているだけですか!?」


「もちろん黙っているつもりはない。ただ、あの女はずる賢くて、なかなか尻尾をつかめないだけだ。何か失態でもやってくれれば、すぐにでもやっつけてやるさ!」


「そんな悠長な! もうすぐ夏休みですよ! みんな実家に帰ってしまう! このまま秋や冬まで待つつもりですか!?」


 次第に二人の口調が熱を帯びてくる。それをぼんやりとユッタは眺めていた。


 ユッタとしては自分の邪魔さえしなければティアナなどどうでもいい。しかし、どうしても気になってしまうのだ。女性なのにウィンドウ画面が表示されるくせにステータスがすべて非表示なのが。


 記憶をたどってゲームの内容を反芻してみたものの、隠しキャラがいたという話はなかったはずだった。このゲーム的能力にバグがあるとなると大問題だが、あれから何度試してもティアナ以外には正常に動作しているようにユッタには見える。


 残る可能性としては、ティアナ自身が何らかのイレギュラーということになる。これはユッタにとって潜在的な脅威に思えた。


「ああもう、ほんと邪魔ですね。いっそいなくなってしまえばいいのに」


 既に口論の域に達しつつあるテオフィルとカミルの言い合いが室内に響く中、ユッタは何気なくつぶやいた自分の言葉に目を大きく開く。


「そっか、いなくなっちゃえばいいんだ」


「ユッタ? どうした?」


「なんて言ったんだ?」


 ユッタの言葉が耳に入った二人は、言い合いを止めて視線を向ける。


 ぼんやりとした顔から考え込む顔つきに変わったユッタは依然黙ったままだ。


 二人は顔を見合わせた。


「ねぇ二人とも、聞きたいことがあるの。去年のティアナって夏休みになると、いつ実家に帰省したのかしら?」


「去年の夏なら、実家に帰っていないと僕は聞いたことがある。何でも、例の憑依体質のせいで家族とも折り合いが悪いからということらしい」


「そうなると、今年の夏も実家には帰らないと思っていいの?」


「実家との折り合いが悪いままならば、そうなんじゃないのか」


 思惑がわからないまま、テオフィルは頭の片隅から記憶を引っ張り出した。去年の騒動が起きた後なのでティアナの話はほとんど耳に入れていないが、知り合いとの雑談でそんな話を聞いたことを覚えていたのだ。


「それじゃ次だけど、二人はこの夏休みって実家に帰るの?」


「僕はその予定だ。出席しないといけないパーティや会合があるしね」


「俺も帰るつもりだ。あ、もしかして一緒に来てくれるのか?」


「君は何を言っているんだ」


「その予定って少し遅らせることってできます? 実家に帰る予定を」


 再び二人は顔を見合わせた。ユッタの質問の意図がわからない。しかし、答えないわけにはいかなかった。


「それは、君の頼みならいくらかはできるけど」


「ユッタの頼みなら、いくらでも遅らせるよ! 一週間でも二週間でも!」


「なっ! 僕だって、頑張ったら二週間くらいは遅らせられる!」


 必死になってアピールする二人の声を聞きながら、ユッタはこの後の予定を立てる。


 王立学院の夏休みは七月と八月の二ヵ月間ある。ほとんどの子弟子女は実家に帰って過ごすのが慣例だ。大抵は夏休みに入って一週間以内に学院を出発する。そして九月の始業一週間前から前日の間に戻ってくるのだ。


「あと、テレーゼさんが学院を出発する日も知りたいわね」


 パウルの日程は自分が直接聞き出せばすぐにわかる。だからあとは、周辺の人物の予定が知りたかった。それさえわかれば計画は立てられるとユッタは考える。


「何をするつもりなんだ?」


「ティアナとお話よ。ただ、邪魔が入ると困るから、皆さんの予定を知っておきたいの」


 不思議そうに尋ねるテオフィルに対してユッタはにこやかに返事をした。


 しかし、まだ意図がわからないテオフィルは困惑しながらユッタに質問する。


「夏休みにティアナと話をするのか? しかもテレーゼも加えて?」


「話をするのはティアナ一人だけです。テレーゼさんの邪魔が入ってほしくないから予定を聞いたんです。調べることってできそうですか?」


「それなら問題ない。僕がすぐにでも聞き出してみせる!」


「お願いしますね。何をするかは後でお話しします」


 ちらりと見たウィンドウ画面に表示されているパラメーターを見て、ユッタは満足そうに微笑んだ。


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 パウルにとってユッタはとてもよくできた妹だ。幼い頃から才気煥発で、一体どこで覚えたというのか不思議なほどの知識を有し、書物も読めば一回で大体把握する。頭を使った作業はパウルから見て非の打ちどころがなかった。


 しかし、そんな妹のユッタも完全無欠ではない。


 最初に、体を動かすことはそれほど得意ではない。貴族の子女なのでそれは問題にはならなかったが、パウルはそれならと自分自身を鍛える。今では近衛騎士団に入団できそうなほど強くなった。


 次に、家の内と外で性格の落差が大きい。特に一人でいるときはまるで別人かと思うくらいに乱暴な言葉遣いになる。パウルからすると町娘や村娘のように思えた。外では一応平均的に丁寧な対応を出来るみたいだが、慇懃無礼な態度が見えてしまうのも問題だ。


 更に、身分を問わず男性とばかり話をしようとする。なぜ同性をそこまで嫌っているのかパウルにはわからないが、お付きのメイドとも最低限の言葉しか交わさない。女性には女性の社交というものがあるので、パウルはその点をとても心配している。


 最後に、意味のわからない独り言をよくつぶやく。パウルにとってこれが一番不可解だった。ユッタは頭が良いので、難しいことを考えているときにその中身が漏れ出るとパウルは思っているが、知らない人から見ると不気味だ。


 もちろんパウルは自分の妹をかわいがった。欠点なんて誰にでもあることなので、それも含めて妹をかわいがった。


「ただ、さすがに人前でそれを披露してしまってるのはよくないな」


 現在困っているのはユッタの慇懃無礼な言動だ。パウルも注意しているのだが一向に治る気配がない。そのせいで貴族の子女にはかなり嫌われている。


「パウル兄さん! 一緒に帰りましょう!」


 ある昼下がり、パウルは寄宿舎へと戻る最中にユッタと出会う。考え事をしていたパウルは気づくのに一瞬遅れたが、すぐに妹を笑顔で出迎えた。


 ユッタの周囲にはいつも誰かしらがいる。すべて男性だ。最近はテオフィルとカミルがよく一緒にいる。テオフィルにはテレーゼという許嫁がいることをパウルも知っているので、内心かなり心配していた。


「ああもちろんだとも。みんな一緒に帰ろう」


「はい! さぁ、行きましょう!」


 ユッタが笑顔で周囲に宣言すると、テオフィル達も笑顔でうなずく。一見すると和やかに見える下校風景だが、内情を知っているパウルは気が気でない。


「ねぇ、パウル兄さん。もうすぐ夏休みだけど、兄さんはいつ実家に戻るの?」


「そうだなぁ。こっちに残ってすることもないから、準備ができたら帰省するつもりでいるよ。ユッタも一緒に帰るんだろう?」


「えっと、あたしはしばらく残ろうかなぁって思ってるんです」


「どうしてまた? 何かすることでもあるのかい?」


「えへへ、ちょっと皆さんとお話をしてから帰るつもりなの」


 そう言って恥ずかしそうにユッタが目を背けた。その仕草自体はかわいらしいが発言の内容には首をかしげる。


「夏休みに入ってから、何日も話すことなんてあるのかい?」


「ほら、あたしってお友達が多いでしょう? だから一人ずつとお話をしていたら、結構時間が経っちゃうんです」


「どれくらい残るつもりだい?」


「うーん、よくわからないけど、一週間くらいかなぁ」


 さすがにパウルも眉をひそめた。それを見てユッタが慌てて取り繕う。


「ちゃんと信頼できる男の人にいてもらうから、変なことにはなりません!」


「パウル、安心するといい。この僕の名に誓って、ユッタの面倒はしっかりと見る」


「俺もだ! だから大丈夫だぞ!」


 テオフィルとカミルが即座に声を上げるがパウルの疑念は晴れない。


 しかしそれでも、言い返してどうにかなる子弟達ではなかったので、パウルは無言でため息をつくだけだった。

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