ご注進?ご相談?
ユッタについて更に理解した翌日、ティアナとアルマは何事もなかったかのように二年生の学舎へと向かった。しかし、これからやることを考えるとティアナは気が重たい。
学舎の玄関前まで来るとティアナはため息をつく。
「テレーゼ様とお目にかかれなかったわね。何でもないときはすぐに会えますのに」
「そうおっしゃらないでください。あたしが三年生の学舎へ言づてにいきます」
「そんな簡単に会えるの?」
「大したことないですよ。テレーゼ様に直接お伝えするのなら教室まで参ればいいだけですから。そこまでしなくても、恐らく学舎の玄関口に侍女かメイドが待機しているでしょうからなんとかなります」
「知り合いがいるのね」
「ふふふ、貸しのあるメイドが一人いるんで、どうにかなりますよ」
「そのメイドに心から同情します」
微笑むアルマが悪く見えるティアナであった。
昼からのことを考えながらもんもんと過ごしていたせいで授業に集中できなかったティアナだったが、もうそれは仕方ないと諦める。
ユッタの話は簡単に終わらないとティアナは考えているので、テレーゼへの相談は授業後にするつもりだった。どこで話すかは特に決めていなかったが、通常ならばテレーゼの部屋のはずである。お茶会の招待ではないのなら上位者の元へ赴くのが一般的だからだ。
色々考えつつも、ティアナは頭を切り替えてこれからに備える。
授業が終わるとすぐに教室を出た。学舎の玄関口でアルマと合流する。
「アルマ、どうでした?」
「了承していただきました。一度部屋に戻って準備してから、お伺いしましょう」
「直接行かないの? 何も用意するものなんてないわよ?」
「あちら側にも準備というものがありますから、こちらも身なりを整えてから参ります」
「こういうところは面倒ね」
「そうでもありませんよ。こちらにもやるべきことはありますから」
「帰ってから聞きましょう」
ティアナはため息をつきつつも承知した。
部屋に戻ってからはアルマに身なりを整えてもらいつつ、話す内容を再度吟味する。アルマの知恵も借りながら慎重に話す内容を整えた。
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身なりも話の内容もこれで良しとアルマの許可が出てから、ティアナはアルマを伴ってテレーゼの部屋へと赴く。
室内に入ると、二人は内心その瀟洒な様子に驚いた。そもそも財力が違うので仕方がないのだが、ティアナはかつて自分が想像していたものに近い部屋を見て圧倒される。
しかし、今日はお茶会のために訪問したわけではない。呆けるのは一瞬だけにして部屋の主に挨拶する。
「本日は急な面会に応じていただきありがとうございます」
「ごきげんよう。あなたから相談があるとは珍しいですわね。こちらへどうぞ」
テレーゼが座る正面の椅子にテーブルを挟んでティアナが座る。アルマはその背後に控えた。控えていたレテーゼのメイドがお茶を用意して差し出す。
「それで、相談とはどのようなことなのでしょうか」
「実は、六日前にパウルから妹のユッタの友人になってほしいと頼まれて、その二日後に会いました。しかし、そのときはまったく相手にされず、パウルも動揺するほどけんもほろろな対応をされて終わりました」
「それはまた」
兄に対する迷惑も顧みないユッタの態度にテレーゼが眉を寄せた。
「ユッタが私にまったく興味を示さなかったので、私はこれでお終いと思いました。ところが、その更に二日後、突然カミル様が私を詰問しにいらっしゃったのです」
「一昨日あったあの騒ぎですわね。あれは大変でした」
テレーゼが小さくうなずく。あれは今や学院内でも格好の話題だ。
「最初は何のことをおっしゃっているのかまったくわかりませんでした。幸いテレーゼ様とパウルに助けられましたが、もし二人がいらっしゃらなければどうなっていたことか」
「カミルはユッタに頼まれてあなたを詰問しようとしたのですか?」
「それがはっきりとわからないのです。直接ユッタと会ったときには何も問われませんでしたが、寄宿舎の近くでテオフィル王子とカミル様がユッタと会っていたかもしれないとパウルに教えていただきまして」
「はっきりしない物言いですね」
「どうも、お二人がユッタに会いに行く途中を見かけただけで、実際に会っているところを見たわけではないようなのです」
「なるほど。かなり怪しいものの、断言はできないというわけですね」
「その通りです」
ティーカップを手に取るテレーゼにティアナがうなずく。
一方、ティアナの説明を聞いたテレーゼはお茶を飲みながら考え込む。
その間に、ティアナは今まで話したこととこれから話すべきことを頭の中で必死に整理していた。直前にアルマと相談しておいて良かったとティアナは内心で胸をなで下ろす。
しばらくどちらも無言だったが、ティーカップをソーサーに置いた再びテレーゼが口を開く。
「今までのお話を伺ったところ、あなたの今回の相談とは、今後ユッタの取り巻きの殿方に襲われないよう保護してほしいということでしょうか?」
「いいえ、実は本題はここからなんです。カミル様に公衆の面前で詰問された以上、私も身の危険を感じて色々と調べました。そして、ひとつ重要なことを発見してしまったのです。今日はそれをお話にきました」
「それは一体なんでしょう?」
テレーゼの目がわずかに細くなる。予想が外れたことでその眉はわずかに寄っていた。
「ユッタが子弟の皆さんにあれだけ好かれることを不思議に思ったことはありませんか?」
「そうですわね。あの好かれようは度が過ぎていると思いますわ」
「顔立ちは悪くないですし、自由奔放な子女を好かれる方もいらっしゃるでしょうから、人気が出ること自体はおかしくありません。しかし、お話をした方全員がユッタに惹かれるというのは、いくら何でも異常です」
「困ったことに、わたくしも何人かの子女が婚約破棄されたと聞いています」
声には出さなかったが、ティアナは顔をしかめる。
「それで、私が調べたところによりますと、男の方がユッタへ異常に惹かれるのは、指輪が原因だと突き止めました」
「指輪ですか?」
小首をかしげたテレーゼがつぶやいた。そして、そのままティアナに問いかける。
「つまり、その指輪が殿方を狂わせる原因というわけですか。しかし、ユッタはそのような指輪をどこで手に入れたというのかしら」
「母親からお守りとして譲り受けたものだそうです」
「幸運のお守りとわたくしは聞いておりましたが、単なる飾りではなかったということですか」
「テレーゼ様はこの指輪のことをご存じだったのですか?」
「実は、わたくしも一度、ユッタとお話をしたことがあるのです。結局、態度は改めていただけませんでしたが、そのときに指輪についてユッタから、幸運のお守りだと聞かされておりました」
テレーゼの言葉に驚いたティアナだったが説明を聞いて納得する。
「幸運のお守りですか、ある意味そうですね。それでこの指輪ですが、『誘惑の指輪』という名前です。相手の男の人の好意を何倍にも増幅するそうです」
「魔法の指輪ということですか。しかし、なぜそのようなものをユッタの母親が持っていたのでしょうか?」
「そこまではわかりません。ただ、ユッタの母親は義母だそうなので、キルヒナー家に代々伝わるものではないのかもしれません」
話せる範囲でほぼすべてのことをティアナは説明する。テレーゼはこれだけでもかなりの情報のはずだった。
「そうですか。それが本当のことでしたら、大変なことですね」
微笑みながらテレーゼがひとつうなずいた。そして、一旦間を空けてから言葉を続ける。
「お伺いしたいことがあります。身の危険を感じてユッタのことを調べようとしたのは良いとして、なぜ指輪が怪しいと思ったのですか? あの指輪は、見た目は落ち着いたものですから目立たないはず」
「ユッタがこの話をしているところを偶然聞きつけたパウルからお話を伺いました」
「パウルはその指輪のことを元々知っていたのですか?」
「いえ、最初はただの指輪だと思っていたそうです」
「ユッタはこの指輪のことを最初から知っていたのでしょうか?」
「さすがにそこまではわかりません」
「そうですか。これは少し調べておいた方がよろしいかもしれませんわね」
ティアナから視線を外したテレーゼが思案顔になる。
前世の知識があれば更に踏み込んだことも話せるのだが、さすがにそれは無理なのでティアナは黙っていた。話しても信じてもらえるかわからなかったという理由もある。
少ししてから再び目を合わせてきたテレーゼが話す。
「指輪のお話をしてくださって、ありがとうございます。とても貴重なお話でした。ユッタの行いにはわたくしも頭を痛めておりましたから、大変助かります。ただ、最後に一つ、どうしてもわからないことがありますの」
「なんでしょうか?」
「本題はこの指輪についてで、ユッタからの手出しに対する保護は不用と受け取れるような発言をされていましたよね? なぜ自分自身の安全よりも優先されたのですか?」
ここでティアナは一瞬返答を迷う。ほとんど言葉の綾で何も考えていなかったところを突かれたからだ。そのため、アルマとの事前の想定にこの質問がなかった。
しかし、それでも説明しないといけない。意を決してティアナは口を開いた。
「指輪のお話を優先したのは、学院内の子女の規範でもあるテレーゼ様があの言動を私よりも気にかけていると思ったからです。それに、ユッタに対して実際に何かをするのであれば、個人でしか動けない私よりも集団で動けるテレーゼ様の方が有利ですよね」
「確かにそうですわね」
「それと、テレーゼ様の保護を求めなかったのは、ユッタの本命は私ではなく、テレーゼ様と考えているからです」
「本命? どういうことですか?」
「本人に直接話を伺ったわけではありませんが、テオフィル王子をそばに置いている以上、いずれ必ずテレーゼ様と対決する日がやって来ます。そのとき、子女と子弟に分かれて対決する可能性が高いですよね」
テレーゼは眉を寄せた。それを無視してティアナは話を続ける。
「一方、私は去年の騒動もあって学院内で孤立しています。そのため、万が一大きな対決があったとしても、私が顧みられることはないでしょう」
「孤立しているが故に安全というわけですか」
「その通りです。今後しばらくはユッタから嫌がらせがあるかもしれませんが、恐らくそれ以上はないと考えています」
ティアナの説明は推測も混じっているので本当のところはわからない。しかし、可能性の一つとしては充分にあり得ると思った事柄をティアナは並べたつもりだった。
さてどうかとティアナがテレーゼを窺うと、その顔には苦笑いが浮かんでいた。
「ふふふ、確かにおっしゃることは理解できますが、正直すぎません?」
「駆け引きは苦手ですので」
「実はそう思わせておいて、というのでしたら大したものですけど」
大きなため息と共にテレーゼが肩の力を抜く。
「今回わたくしからご提案したいことがあります」
「なんでしょうか?」
「今後、わたくし達と手を携える気はございません?」
「それは」
「ユッタに対して共同して事に当たるときにのみ、という条件が付きますが」
今度はティアナが目を見開いた。
現在ティアナが抱えている問題はすべてユッタに関わるものばかりだ。つまりこれは、事実上の同盟の誘いである。
「なぜですか?」
「一人だけ安全なところで高みの見物をされるのは、面白くありませんの」
「はい?」
「ふふふ。それはともかく、あなたのおっしゃるとおり、ユッタとはいずれ対決するときが来るとわたくしも思います。そしてそのときのために、わたくしは備えておかなければなりません」
「私と手を携えることが備えることになるのですか?」
「ええ。正直なところ、子女との接触がほとんどないユッタの情報は噂以外ですとなかなか集まらないのです。殿方は皆さんあちら側ですし。しかしその点、あなたはユッタの兄パウルと親しいでしょう?」
ようやくティアナも納得がいった。なるほど、ユッタの直接の情報を手に入れるのにパウル以上の存在はない。
「あなたが正直答えてくださったので、わたくしも正直にお話をしました」
ティアナは思案する。テレーゼには先ほどあのように説明したが、実のところユッタ達の当面の嫌がらせを避けるためには公爵令嬢の威を借りた方が良い。それに、派閥に入らなければどうにかなる。
「そうですか。承知いたしました。では、ユッタとは共に当たりましょう」
「提案を受け入れていただいて嬉しいですわ」
お互い微笑んでうなずく。
「わたくしはユッタの義理の母親について調べます。指輪の出所をはっきりとさせておく必要があるでしょう」
「なら私は、パウルから伺えたお話があればお伝えいたします」
これでこの会談の目的は果たせた。ティアナは小さく息を吐く。そのとき、目の前にティーカップが置かれていることに気づいた。
「ふふふ、せっかくのお茶が冷めてしまいましたわね。もう一度入れ直させましょう」
「ありがとうございます」
笑い合う二人のお茶が差し替えられる。
ティアナはようやく目の前のお茶に手を出すことができた。
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