どうやって身を守る?
カミルとの騒動から翌日、ティアナはいつも通り授業に出席した。私的には大事件であっても、学院内では単なる喧嘩のひとつでしかない。王族や上位の貴族同士ならばともかく、そうでないのならば授業に影響することはなかった。
「おはよう、ティアナ。ちゃんと体を動かしているかい? 今日もいい筋肉日和だ」
「パウル、おはよう。今朝も朝の運動はしてきたの?」
「はっはっはっ、もちろんさ! おかげで朝からすっきりさ!」
昨日あんなことがあったというのにパウルはいつも通りだった。その態度にティアナも安心する。嫌なことはいつまでも引きずっていたくないからだ。
「それは結構なこと。でも、毎朝私の相手をしていてもいいの? たまには男の人同士でお話をすることはないのかしら? 学院を卒業した後のことも考えると、おろそかにできないと思うけど」
「気遣ってくれるのかい? ありがとう! でも心配しなくても大丈夫だよ。実は早朝の運動は何人かの仲間と一緒にやってるんだ。もちろん今朝もね! 同好の士と語らいながら体を鍛えるのは楽しいよ! だから、朝のこのときくらいは平気さ!」
「そうですか。安心しました」
前々から気になっていたことが問題ないことを知ってティアナは安心した。たまには朝からでも男同士で話をすればいいのにと思っていたのだ。それが実は早朝に語り合っていたと聞いて驚く。
ティアナは思わず更に突っ込んで質問した。
「その早朝の運動って、学院に入ってからずっとやってるの?」
「最初は俺一人だったよ。でも続けていると少しずつ増えてきたんだ。他にも色んなところで話をしてると、参加したいって名乗り出てくる奴もいたな」
「今何人くらいでやってるんです?」
「十人くらいかな」
「そんなにいるの!? 五人くらいだと思ってました。意外に体を鍛えたがる男の人って多いのね」
驚いたティアナは思わず声を上げた。まさかこの世界でそんなことが流行るとは思っていなかったからだ。
「俺みたいに卒業後はどこかの騎士団に入りたいって奴が多いかな」
「必要に迫られて運動しているのね。それならまだ納得できるわ」
「もちろん、趣味と実益を兼ねている奴もいるぞ、俺みたいにね!」
苦笑いしたティアナは「知ってた」という言葉をかろうじて飲み込んだ。代わりに別の言葉を送る。
「途中で止めちゃう人っているのかしら? 病気やけがもそうだけど、飽きたって理由なんかで」
「今のところはいないなぁ。将来を見据えて体を鍛えてる奴はもちろんだけど、趣味でやってる奴も自分に合った運動量でやってるからな」
「そのあたりはちゃんと考えているんですね。強制しないのは良いことだと思います」
「自分の体に合った運動をしないと、体を壊してしまうからだよ」
意外に常識的な返答でティアナは感心した。てっきり精神論主体の集まりだと考えていたからだ。そこは内心でパウル達に謝る。
こうして始業までの時間は長くないが、その間二人で楽しく雑談を交わす。昨日あったことやこれからある授業のことなど、話題は飛び飛びだ。
「おっと、先生がいらっしゃったようだ。それじゃまた」
「ええ、また次の機会に」
授業が始まる直前になるとパウルは離れてゆく。最初の授業が始まった。
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日はもうすぐ沈もうかという頃合いにティアナは自室へ戻ってきた。室内に入ったティアナは大きくのびをして体の凝りをほぐす。
「ん~ただいまぁ!」
「はいおかえり。さぁ、椅子に座って」
アルマに言われるままにティアナは姿見鏡の前にある椅子に座った。横でアルマが化粧を落とすための用意を始める。
作業を続けながらアルマがティアナに話しかけた。
「今日も図書館に行ってたの?」
「うん。『誘惑の指輪』について調べたんだ。もしかしたら何かあるかもしれないって」
「随分と熱心ね。それで、何か見つかった?」
「おとぎ話が一つ。昔、悪い魔女が若い女に化けて、更に男を誘惑する指輪を使って金品を巻き上げる話だった」
「それはまたえらく現実的なものを盗るのね。何か魔法の道具とか神秘的な何かじゃなくて?」
「違うんだな、これが。それで、ついには貴族や王族をたらし込むんだけど、最後は真面目な騎士に退治されて終わるんだ」
そこまで聞いたアルマの手が一瞬止まる。しかしすぐに動かして、取り繕うようにティアナへと質問した。
「へぇそうなんだ。で、その真面目な騎士ってなんて名前なの?」
「書いてなかったんだ。単に真面目な騎士ってだけ。というか、あのおとぎ話、登場人物の名前が誰一人書いてなかったんだよな」
「何か都合が悪かったのかしらね」
「どうなんだろ。作者に聞いてみないとわからないな」
なんとなく煮え切らない思いを抱えながらもアルマはティアナの化粧を落とす。
その作業が終わると食事の用意をしてティアナに差し出した。ちなみに、食事の内容は、固めのパン、水、そして薄味スープだ。朝よりも一品多い。
「アルマ、今朝パウルから聞いたんだけど、あいつ、毎日早朝に十人くらいで運動しているらしいんだ。メイドとか使用人からそういう話って聞いてるか?」
「人数までは知らないけど、やってることは知ってたわよ。毎朝日の出よりかなり前に起きないといけないってぼやいてた知り合いがいるの」
「やっぱり主人が早起きすると下っ端は更に早く起きるんだ」
「当然じゃない。準備するのはこっちなんだから。でも、体を鍛えるのはいいことなんだから、非難するのは違うわよね」
「ありゃ、思ってた反応と違う」
「そりゃ洗濯物が増えるのは嫌よ? でも、毎日同じように繰り返してくれるんだったらいいのよ。最悪なのは、気分次第でやったりやらなかったりする場合ね」
「せっかく準備したのに不用になったり、いらないと思ってたら突然必要にななったりって、精神衛生上かなり悪いもんな」
「そういうこと。だからあんたも、何かするんならちゃんと続けてよね」
「はぁい」
いつの間にかアルマに諭されてしまい、ティアナはなんとなく居心地の悪くなる。しかしその間もティアナはパンとスープを少しずつ食べていた。
食事が済んだティアナは続いて体を拭く。木製のバケツから洗面器へ水を汲み、布を浸して絞る。水が汚れると洗面器から汚水入れのバケツへ捨てて、また新しい汲むのだ。
「冬は寒いだけだけど、夏が近くなると気持ちいいなぁ」
「じっとしてるだけでも汗が出てくるものね。お風呂やシャワーが懐かしいわ」
「そんなのあったら、俺、中から出てくる自信ないよ」
「のぼせるわよ」
上半身をあらわにしたティアナが、気持ちよさそうに自分の体を拭いてゆく。背中と髪の毛はアルマが丁寧に拭いた。
もちろん上半身が終われば次は下半身だ。こちらもアルマが丁寧に拭いてゆく。足の裏を拭くときはティアナが椅子に座る。
「あ~きもちい~」
「なんて声を出してんのよ。前は自分で拭きなさいよ」
ふくらはぎと足の裏を拭き終わったアルマは、布を洗ってからティアナに渡す。表情が崩れていたティアナはそこで我に返った。
体をすべて拭き終わると寝間着へと着替える。これで寝る準備は終わった。
「はぁ、すっきりした」
「そこはさっぱりしたって言いなさい。おっさんくさいわよ」
アルマに注意されるも、上機嫌なティアナは気にした様子もない。ベッドの上でごろごろと転がる。清潔な体で柔らかいベッドに寝そべるのは気持ちいい。
「こうしてるとだんだん眠くなってくるなぁ。あ、やばい、まぶたが」
「寝るならちゃんと上布団をかぶりなさいよ。風邪を引くでしょ」
「あ~でも、今日はエッカルトは来ないんだなぁ。いつも来るのに」
「いつもだってやって来る時間にずれはあるから、どこかを巡回しているんじゃないの? 気分転換にルートを変えてるとか」
「そんなもんかねぇ」
「あたし達が寝てからここに来ることもあるらしいから、毎回必ず話ができるとも限らないのは知ってるでしょうに」
エッカルトが学院内を見回っていることを二人は知っているが、具体的にいつどこを巡回しているのかまでは知らない。そのため、ティアナの部屋にやって来る時間というのは、実のところ一定していなかったりする。
「もう寝ようかなぁ」
「そうしたら? あたしが起きてる間にエッカルトさんが来たら、起こしてあげるわよ」
入浴の片付けをしているアルマが言葉を投げる。それを受け取ったティアナのまぶたが次第に下がっていった。睡魔が容赦なくティアナを夢の国へと誘う。
そのとき、窓際の壁から半透明な全身甲冑の騎士が音もなく入室してきた。
「ティアナ、アルマ、息災である。む、ティアナはもう寝ているのか?」
「こんばんは。まだ寝かかっているだけじゃないですか?」
「んぁ~、大丈夫、寝てない寝てない」
兜を脱いだエッカルトがアルマに声をかけている横で、ティアナがむくりと起きた。
「起こしてしまったか。悪いことをした」
「いいよ。明け方まで時間はかなりあるから。後で好きなだけ寝たらいいし」
「それを聞いて安心した。ユッタの件を話そうと思ってな」
「ユッタ? あいつが日没後に何かやってるのか?」
「何人か子弟を入れ替わり部屋に呼んでは、何やら指示を出しておったぞ。ここへ来る途中にたまたま見かけたので、部屋の近くで見ておった」
「あいつ何やってんだ。夜に男なんて呼んだらダメだろ。変な噂が立つぞ」
「今更なんじゃない? 既にその手の噂はあたし達使用人にも流れてるし」
「お前知ってんのか、その噂」
「有名よ? 誰憚ることなく好き勝手にやってるから、みんな知ってる話」
こういうとき孤立していると不利である。ティアナには全然情報が流れてこないので、噂に関しては何であれ知らないのだ。
「出てきた子弟達の会話をまとめると、ユッタが子弟に与えた指示は主に二種類だ。一つはティアナの悪い噂を広めるためで、もう一つはそなたのことを探るためだ」
「噂を広めるのはわかるけど、俺のことを探るためってなんだ?」
「あんたやっぱり狙われてるんじゃない? 情報を集めて何かをする機会を窺ってるように見えるわよ」
「俺なんて仕留めても何の影響もないだろ。一体何の目的で狙うんだ?」
「そこまではわからん。部屋の中に入って様子を窺えばわかるのだろうが、さすがに騎士としてそれはできん」
それが騎士としての矜恃なのはティアナとアルマにもすぐわかった。さすがにそこまでは頼めない。
「ありがとう、エッカルト。充分だよ。また何かわかったら教えてくれ」
「うむ、承知した。剣に関わることならば、いつでも頼ると良い」
エッカルトの頼もしい返事にティアナは安心する。しかし、もたらされた情報は頭を抱えたくなるものだった。
ティアナがアルマに顔を向けた。
「これ、どうしたもんかな? 嫌がらせ程度なのか、それとも本格的に攻撃する気なのか」
「どうなんでしょ。取り巻きの男の子に出した指示からはわからないわね。でも、本格的に攻撃なんてする気なら、テオフィル王子にお願いするはずよ」
「そうなると、今の段階じゃ嫌がらせ程度と見るべきか」
「こっちの願望がかなり入ってるけどね。その上でどうするかよ」
アルマ言葉を聞いてティアナはしばらく険しい表情で黙っていたが、何かを思いついて口を開いた。
「テレーゼ様に相談してみよう」
「テレーゼ様に? ユッタのことを?」
「ユッタに本命があるとすれば、俺じゃなくてテレーゼ様のはずだ。それに、あっちだってユッタの自分勝手な態度は良く思ってないだろうから、相談くらいならできるだろ」
「そりゃそうだけど、何をどう説明するのよ? ちゃんと整理しておかないと取り合ってもらえないわよ?」
「カミルに詰問されたことや『誘惑の指輪』のことを話すつもりだ」
「それだけ? 他にはない?」
「話の流れによってはエッカルトのことも話すかも」
「儂は別に構わんぞ。そもそも信じてもらえるかどうかわからんがな」
二人の視線を受けたエッカルトがうなずいた。
「去年の騒動のときに、老騎士に取り憑かれたってことはみんなに知られてるから、信じてもらうことはできると思う」
「そっか、そこまでは知られてたんだったわね。ただ、話の流れってのが気に入らないわね。あの骨の髄まで貴族なお嬢様と話をして、うまく流れを掴めるの?」
アルマに問われたティアナは無言で目を逸らす。
「そうよねぇ、そんな器用なことがあんたにできたら、苦労しないわよねぇ」
「ううっ、アルマぁ」
「はいはいわかったから泣かないの。ちゃんと頭の中を整理するわよ」
「ふむ、仲の良い姉妹みたいだな」
二人の様子を端で見るエッカルトがその様子を微笑ましく見守る。
そんな中、ティアナはアルマの指導の下、頭の中を整理し始めた。
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