誘い出された先で
パウルが帰省して三日が過ぎた。夏休みに入って七日目ともなると寄宿舎の生徒はほぼ全員帰省している。残っているのは数名の生徒と学院を維持管理するための教員や衛兵だけだ。学院内の見た目は学期中と同じだが活気はまるで違う。
そんな例外的な生徒の一人がティアナだ。現在自分の部屋で完全にしおれている。
「う~、さすがに暑いなぁ」
「そりゃ初夏ですもんねぇ。この時期に涼しかったら異常気象よ」
日増しに強くなる暑さに対して根を上げているティアナに、涼しい顔のアルマが突っ込みを入れる。しかし、さすがにその顔には汗がにじみ出ていた。
「冷たい飲み物ってないの?」
「何度も言ってるけど、そんなのないわよ。冷蔵庫どころか氷すらないんだから」
「こういうときに文明の利器のありがたみって感じるよなぁ」
「その点は同意するわ。せめて扇風機があったらいいのにね」
「アルマ、団扇みたいなので俺を煽ってよ」
「バカなこと言わないで。あたしが暑いだけじゃないの。それに仕事だってあるんだから」
「あれぇ、夏休みになると仕事の量って減るんじゃなかったの?」
「あれは主人が帰省する場合よ。あんたは今ここにいるんだから、あたしの仕事量は先月からまったく変わってないの」
そこまで言われて、ティアナはようやく先日の話を思い出した。
「しかしこれじゃ、寝るにしたって暑すぎて眠れんぞ。そっちはまともに仕事なんてできんのか? 俺なら絶対無理だ」
「考える仕事は無理ね。惰性でやれる仕事はなんとか。それも怪しいけど」
学院内で涼しいところは日陰のところくらいだが、締め切った室内だとこもった熱で耐えられないほど暑い。意外に木陰は涼しかったりするのだが、貴族の子女が地べたに座るわけにもいかないので立ちっぱなしということになる。さすがにそれは過酷すぎた。
そんな理由で今は窓を全開に開けて日陰の部分に退避している。しかし、昼に近づくにつれてその努力も無意味になりつつあった。
「なんか去年より暑くないか?」
「今年は猛暑なんじゃない? 正確な温度なんて測ってないからわからないけど」
「これで毎日のご飯が固めのパンと水だけって、絶対体に悪いぞ。塩気がなさすぎる」
「夕方だけだったスープを昼にも出すようにしたでしょ。塩気も強めにしてあるわよ」
「泣けてくる話だな」
自分たちの貧乏物語を思い出してティアナは力なく笑う。
実家からの仕送りは最低限、それも貧しい実家基準での最低限しか送られてこない。こんな状態ではひたすら切り詰めるしかなかった。
「それじゃ洗濯してくるから、いい子で待ってるのよ」
「動ける気力が既にねぇ」
暑さのせいで無気力となっているティアナを放って、アルマが洗濯物と一緒に部屋を出た。この世界での洗濯は完全手洗い方式なので昼前までアルマは帰ってこない。
しかし、しばらくすると部屋の扉が再び開いた。入ってきたのは先ほど出て行ったアルマだ。難しい顔をしている。
「あれ? アルマ?」
「はい、手紙。さっきテオフィル王子の使用人に手渡されたの」
「テオフィル王子?」
手紙を受け取りつつもティアナは首をかしげた。去年散々告白してきた王子だが、あの騒動以来こちらとの縁は切れている。少なくとも手紙をやり取りするような間柄ではなくなった。
「この封筒、王族が使うような立派なやつじゃないぞ。しかも真っ白で何も書かれてないし。本当にテオフィル王子からなのか?」
「あたしに聞かれても知らないわよ。あんたごときこれで充分ってことじゃないの」
顔をしかめつつもティアナは封筒を開けて手紙を取り出す。
「本日の夕刻、日が沈む前に学舎裏に参上するべし」
「あら珍しい。久しぶりの告白?」
「そんな風には見えないなぁ。これどう見ても上司からの呼び出しって感じだろ」
去年の一時期、モテていたときにティアナは多数の手紙を受け取っていた。そのため、告白の手紙は散々見ている。それらと比べても、この文には命令的な雰囲気があった。
「それにしても、時計がないと不便よね。日が沈む前っていつよ?」
「その辺は感覚なんだろうな」
「で、行くの? 誰が何のために呼びつけているのかわからないけど」
「これ無視したときどうなると思う? 特にテオフィル王子が本当に呼び出してたら」
「しらばっくれるっていうのはできないかしら」
「俺もそうしたいんだけどな。あっちの使用人がこっちのメイドに手紙を渡したって証言したら確実に負ける」
「もしテオフィル王子が呼び出したんじゃなかったら?」
「なんで王子様の使用人がそんなことするんだろうな。そんなことができるのは、ユッタくらいしか思いつかないけど」
二人は顔を見せる。以前テレーゼが危惧していたことがいよいよ現実味を帯びてきた。
「こんな状況で日没前に学舎裏に呼び出す奴と理由なんて、ろくでもないことに決まってるよなぁ」
「逃げる?」
「どこに? 行く当てもお金もないんだぞ。行きたくないけど、出来る準備はやって出向くか」
肺の中の空気を吐き出すようにティアナが言葉をひねり出す。アルマはそれを渋い表情のまま見つめていた。
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日が大きく傾き、太陽が稜線にさしかかり始めた頃、ティアナはアルマを伴って学舎裏に踏み入る。強い西日がさしかかる中、ティアナとアルマは三人の陰影を見つけた。
「遅いぞ! 格下が格上の貴族を待たせるとはどういう了見だ!」
この声はカミルだ。向かって右端の人物がティアナに向かって指を突きつけてきた。
しかし、その声を無視してティアナ達は前に進む。
「お前ら、俺を無視するとは! なんだその格好は?」
更に声を上げようとしたカミルがティアナ達の姿に眉をひそめる。
どちらも男の使用人が身につけるような長袖の服にズボン、それと丈夫な靴を履いている。さすがにティアナの服は貴人用の作業着らしくアルマの服よりも仕立ては良いが、何もないときに貴族の子女が着るものではない。
「差出人が書かれていなかったのでどなたなのかと思いましたが、お三方でしたか」
ティアナは正面のテオフィル、右側のカミル、そして左側のユッタを見据えて一礼した。
テオフィルがティアナの姿に呆れる。
「お前の家は貧しいと聞いていたが、いよいよ使用人のまねごとでもするほどになったのか? 最低限の身だしなみも整えないでやって来るとは、さすがに驚いたぞ」
「せっかくの夏休みですので、部屋の整理をしていたのです」
一瞬難しい顔をしたテオフィル以下三人だったが次の瞬間大笑いする。貴族の子女が自分で部屋の整理をするなど聞いたことがなかったからだ。
「ははは、君は本当に子爵家の子女か! 貧しいかどうかという以前の話ではないか!」
「おい、この話を他でしていないだろうな! 知られたら貴族の恥だぞ!」
「嘘みたいです! 男爵家より格上の子爵家でそんなことしてる人がいるなんて!」
三人とも好き放題に言っては笑っているが、それでもティアナとアルマは無言のままだ。
やがてひとしきり笑った三人はすっかり馬鹿にした様子でティアナを眺める。
「ユッタ、こんな奴を相手にしなくてもいいんじゃないのか? 君の品格に関わる」
「そうだ! あまりにも恥ずかしすぎるぞ!」
「ありがとうございます、二人とも。けれど、これからの学院生活のことを考えると、ここですっきりさせておいた方がいいでしょう?」
目元の涙を拭きながらユッタが笑顔でテオフィルとカミルに言葉を返す。二人を見る目はとても柔らかい。
「さて、こんな奴にいつまでも時間を取られていてもつまらないな。さっさと本題に入ろう。ティアナ、王立学院を去れ。今の話で確信した。君はここにふさわしくない」
「なぜいきなりそのようなことを命じられなければならないのですか? そのご様子ですと、私のこの身なりを見る以前に退学を決めておられたようですが」
「ユッタからパウルに悪い虫が付かないようにと相談されたんだ。その結果、君が退学すればすべて丸く収まることになった」
「どうせここにいても、嫌われ者のままで終わるだろう。だったら、別のところでやり直すがいい。ま、お前の憑依体質のことは貴族社会全体に知れ渡っているから、この国じゃ無理だろうけどな!」
テオフィルに続いてカミルの言葉を聞き、ティアナはユッタの思惑がようやくわかった。
更に侮蔑しきった表情のユッタがティアナに宣告する。
「あれから色々と考えたんですけれど、あなたがパウル兄さんの側にいるのは良くないと思ったんです。兄さんはキルヒナー家の嫡男ですから、いずれ誰かと結婚して家を継がなければいけません。そのためには、あなたみたいな化け物が側にいると都合が悪いんです」
「今までお話くらいしかしておりませんでしたが」
「一切接触しないでください。あなたの存在が邪魔なんです」
せいぜい嫌がらせ程度が関の山と考えていたティアナは、ユッタがここまで自分を敵視しているとは予想外だった。しかも理由がパウルである。ティアナが初めて聞いた理由だ。それで警告なしでいきなり退学しろとは無茶苦茶だった。
「それでいきなり退学ですか? 私の進路を大きく変えないといけないほどの」
「あなたの人生なんて、もう半分終わっているようなものでしょう。より明るい未来のある友人のために役に立とうとは思わないの?」
「お断りします。退学しなければいけないほどのこととは思えません」
「あなたのためにパウル兄さんの将来を犠牲にしろと言うの?」
ユッタを制してテオフィルがティアナを睨む。
「ティアナ、こちらは事を穏便に進めようとしている。当面の生活費が不安だというのなら、いくらか恵んでやってもいい。だからこのままおとなしく学院を去るんだ」
「こっちは最大限の譲歩をしてやってるんだ。いい加減それを理解しろよ」
カミルも睨みながら口を開く。その表情には不快さも混じっていた。
「念のために言っておくが、ここで何があっても衛兵は来ないぞ。僕の名において待機しておくように命じておいたからな」
テオフィルの言葉にティアナとアルマの眉が動く。しかし、それでも口を開かない。
太陽は既に三分の二が稜線へと沈んだ。周囲は急速に暗くなっていく。
「もしかして、もうすぐ日が沈むから、夜陰に紛れて逃げられるとでも思ってるのか? ははっ、残念だったな! ユッタがその対策をちゃんと打ってるんだ。お前の浅知恵なんてみんなお見通しさ!」
カミルが言い終えると、ユッタが短く呪文を唱える。すると五人の頭上に光の球が現れた。太陽とは異なる輝きが周囲を照らす。
ユッタ、テオフィル、カミルの三人は、嘲笑を浮かべながらティアナとアルマを眺める。
「さぁ、早く返事を聞かせてください。いい加減こんなくだらないことをいつまでも続けたくないんです」
「お断ります」
ティアナは短くはっきりと宣言する。この瞬間、一方的とは言え行っていた話し合いは決裂した。
「そうですか。テオ、カミル、どうするのが一番良いのか教えてあげてください」
緊張の糸が切れたように脱力すると、興味をなくしたかのような態度でユッタが二人に命じる。すると、テオフィルとカミルは腰に携えていた剣を鞘から抜く。
「刃を潰してある訓練用の剣だ。よほど打ち所が悪くない限りは死なんから、安心しろ」
「まぁ、どこに当たるかはお前ら次第だけどな。貴族の子弟に手を出すとどうなるか、そこのメイド共々思い知らせてやる!」
ユッタが下がり、テオフィルが構える。そして、カミルは光の球が照らすぎりぎりの外周に沿って半円状に動き、ティアナとアルマの退路を断つ。
その間に、ティアナとアルマは背中に隠す形で腰に差していた短い剣を後ろ手に引き抜く。そして構えるのだが、アルマは様になっているものの、ティアナはどう見ても素人だ。
「備えていたわけか。そうなるとその服もだな。ただ、扱う者が素人では、せっかくの武器も無駄になりそうだが」
「短剣、いやナイフか? ま、お前らの腕じゃ、どのみち丸腰なのと変わらないけどな」
最初こそティアナとアルマの武器に驚いたテオフィルとカミルだったが、すぐに余裕を取り戻す。
「ねぇ、テオ、カミル。これって正当防衛にならない? 話し合いをしているときにあの二人が逆上して斬りかかってきたので、やむを得ず戦ったって」
あくまでも抗うという意思を崩さない二人を見ていたユッタが、面白いことを思いついたとばかりに口を開いた。
「なるほど、正当防衛か。それなら仕方ない。ああそうだ、そもそも王族に武器を向けるなど無礼千万、不敬罪だな」
「正当防衛でも不敬罪でもどっちでもいい、仕方ないんならな!」
「ああ、不敬罪ね! それでもいいわよ」
まるで何でもないかのように答えるユッタの様子は散歩に行くような気楽さがあった。
そして、テオフィルとカミルがユッタに意識を向けた瞬間を狙い、ティアナ達が動く。
「アルマ!」
「はい!」
こうして学舎裏で、この夜の騒動が始まった。
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