時間稼ぎ

 差出人がはっきりとしない手紙を受け取ってから対策を講じようとしたティアナとアルマだったが、衛兵から協力を拒否されたときに危機感を強く持った。


 外部の協力が得られないとなると自衛の手段はできるだけ確保しておく必要がある。特に呼び出された時間と場所から、相手が何かを仕掛けてくる可能性が高いと二人は予想した。その結果、どちらも動きやすいズボンタイプの服を着て護身用の短剣を用意したのだ。


 しかし、戦うための訓練などしたことのない二人が、動きやすい服を着て武器を持ったからといって身を守れるとは限らない。テオフィルとカミルが訓練用の長剣を持って自分達に立ちはだかった時点で、二人は改めてそれを強く認識する。


 だからこそ、ティアナとアルマはこの事態を切り抜けるためにできる小細工を弄した。できるだけ学舎裏へ向かう時間を遅らせたり、会話も可能な限り引き延ばそうとしたりだ。


 太陽は稜線へ沈んだが、西の空はまだ明るい。そんな状態で集まった五人は大きく動く。


「アルマ!」


「はい!」


 頭上に浮かぶ光の球が照らす中、テオフィルとカミルが言葉を交わすためユッタに意識を向けた瞬間を狙い、ティアナ達が動いた。


 ティアナとアルマが何よりも注意を払ったのは退路の確保だ。切り札を使えるようになるまでは何としても逃げ切らなければならない。


 どちらも一斉にカミルへ向かって走り出す。大きく左右に分かれた。


「なに!? 舐めるな!」


 二人がかりならば戦えると判断されたカミルの顔が怒りの形相となった。同時に、より自分に近いアルマに視線を向けて一歩踏み込んで剣を振る。


 ところが、アルマはカミルが近づくと更に遠のき、そのまま通り過ぎた。予想外の動きにカミルが固まる。反対側のティアナも同じく走り去ろうとしていた。


 少し離れた場所からその様子を見ていたテオフィルとユッタが同時に叫ぶ。


「あいつら逃げるつもりか!」


「追って!」


 カミルが動き始めたときには、ティアナとアルマは光の球が照らす範囲外に到達していた。


「さぁ全力で逃げるわよ! 息切れしても足を動かしなさい!」


「わぁってる!」


 既に周囲の景色が薄ぼんやりとしか見えない中、二人は全力で駆けてゆく。後ろから三人が追いかけてくるが振り向きもしない。


 学舎裏から表へと回り、閉ざされた玄関前を通り過ぎる。学舎から離れていつもの通学路に出ると衛兵の待機所へ足を向けた。


「やっぱ誰もいねぇなぁ!」


「夜だかんね! しゃべってないで足を動かして!」


 普段働いているアルマに体力面での不安はない。何しろメイドは肉体労働者だ。侍女とは違う。しかし、ティアナは貴族の子女だ。前世が何であれ、現世の体はろくに運動していない肉体である。体力面では不安しかない。


 ティアナの息は早い段階で切れていた。危機感から体を無理に動かしているが身体能力は上がってくれない。


「ちょ、ちょっと、待ちなさい!」


 そして、体力不足はユッタも同じだった。普段運動していないという点を見れば、ユッタも平均的な貴族の子女だ。しかもユッタの服装は子女用の普段着である。足首まである丈の長いスカートの裾は走るのに邪魔だった。


 テオフィルとカミルはティアナとアルマを逃がすまいと追っていたが、同時にユッタを置いていくわけにもいかなかった。光の球を制御しているのはユッタであり、そもそも意中の人を放り出すなど論外だったからだ。


 結局のところ、追う者と追われる者の距離は徐々に開いていく。ユッタとティアナの体力差が原因だった。


「このまま、衛兵のところへ!」


 アルマがティアナへ声をかける。


 二人は衛兵の待機所まで行き、自分たちの窮状を訴えるつもりだった。争っている現場を見せれば、いくら王子の命令で静観しているといっても動かざるを得ないとの考えだ。


 既にティアナは声を出す余裕がない。手足は懸命に前後へ振っているが顎は完全に上がっている。


 それでもどうにか待機所へ着いた。間に合ったのだ。


 到着の勢いそのままにアルマがその閉ざされた門を叩く。


「開けてください! 追われてるんです!」


 壁に手をついて大きな息を繰り返しているティアナの横で、アルマも息を切らせながらしきりに叫ぶ。すぐに反応があった。


「そこにいるのは誰だ?」


「ベルネット子爵家の娘ティアナのメイド、アルマです! すぐに門を開けてください!」


 アルマが名乗ると、門の奥にいる人物はしばらく黙ってから返事をした。


「今晩は誰も助けられない。だから門は開けられない」


「テレーゼ様から、バッハ公爵令嬢様からお力添えしていただけると伺っておりましたが、それでもダメなんですか!」


「駄目だ。それでも開けられない」


「テオフィル王子に命じられたんですね!」


 中からの返答はなかった。しかし、二人は既に知っていることが確認できてしまう。


 すぐに三人の足音が聞こえてきた。もうここで問答している時間はない。


「アルマ、行こう」


 ある程度息が整ったティアナがアルマに声をかけた。お互い玉のような汗が流れ落ちているが気にしている余裕はない。化粧を落としてきて正解だったとティアナは思った。


 光の玉を先頭に走ってきている三人の姿がはっきりと見えた。ユッタの顎が上がりきっている。顔が苦痛でゆがんでいた。その姿を見てティアナはユッタに少しだけ親近感を覚えた。


「ムダだ! 衛兵は助けてくれないぞ! 観念して、おい、どこに行く!?」


「いい加減あきらめろ!」


 テオフィルとカミルはようやく追いついたと思ったが、ティアナとアルマが再び走り始めたのを見て怒る。一方、ユッタは口を開くことすらままならない。


「次は寄宿舎か。部屋に閉じこもる気か?」


「誰もいないのは都合がいいぞ。周りを気にせず、扉をぶち破ってとっちめてやれる!」


「も、もうむりぃ」


 体力に余裕のあるテオフィルとカミルが相手の行き先に見当をつけた。


 同時にユッタが足を動かすのを止める。体力の限界だ。テオフィルとカミルは慌ててユッタに寄り添った。どちらもユッタの様子を見て顔をゆがめる。


「ユッタ、すまない。君のことは心配していたんだが」


「大丈夫か? 水ならあるぞ」


 カミルから差し出された水袋を手に取ると、ユッタは口をつけて呷る。貴族の子女としてはしたない飲み方だが、そんなことを言っている余裕はなかった。


 水を飲んで一息ついたユッタだったがまだ呼吸は整っていない。


 返された水袋を腰に戻そうとしたカミルだったが、テオからの視線を感じてそちらに目を向ける。水筒に目を向けているのに気がついた。


「カミル、俺にも水をくれ」


「え? 自分の水袋があるじゃないですか」


 何をいきなり言い出すのかと不思議に思ったが、もう一度自分の水袋を見る。


 つい今し方、ユッタはこの水袋から水を飲んだ。口をつけて。つまり、次にこの水袋から水を飲む者はユッタと間接的に。


 そこまで思い至った瞬間、カミルは素早く口を開けて水を飲んだ。水を飲み干した後も、しばらく口をつけたままだった。


「あ、貴様!?」


 頬を緩ませながらカミルは満足そうに水袋をしまった。それをテオフィルが悔しそうに見る。カミルはテオフィルの恨めしそうな視線を受けても顔の緩みを止められなかった。


「ユッタ、もう一度水を飲むかい?」


「もういいわ。ありがとう、テオ」


 ようやく息が整ってきたユッタに周囲の様子を見る余裕が出てくる。最初に目に入ったのは幸せそうなカミルの顔と悔しそうな表情のテオフィルだった。二人に何があったのかよくわからないユッタだったが今優先すべきことを思い出す。


「ごめんなさい。あたしのせいであの二人を逃がしちゃったわね」


「仕方がないよ。まさかあんなに逃げ回るとは思わなかったからな」


「いい加減往生際が悪いよな。さっさと諦めたらいいものを」


 気持ちを切り替えたテオフィルとカミルはユッタを励ます。三人の頭上では光の玉が周囲を照らしていた。


「こっちって確か寄宿舎があった方向よね? 暗くてはっきりわからないけど」


「そうだ。自分の部屋に閉じこもるか、そのまま通り過ぎてどこかに隠れるつもりだろう」


「通り過ぎて隠れられると探すのが面倒だなぁ。テオ王子、探すあてはあるんですか?」


「どのみち最後は自分の部屋に戻ってくるから、慌てなくてもいいだろう。寄宿舎の前で待っておけばそのうち戻ってくる」


「テオ、まさか一晩外で明かす気なの?」


「そんなことにはならないよ。貴族の子女が野宿なんて耐えられるわけないんだ。どうせすぐ根を上げて戻ってくるに決まってる」


 自信ありげにテオフィルが言い切った。


 自分の経験からも、この時期に野宿はさすがに厳しいと思ったユッタはうなずく。


「そうね。なら、ここから寄宿舎までは歩きましょう。もう走りたくないの」


 ユッタの言葉にテオフィルとカミルが同意する。まずは息を整えておく必要があった。

 そして、光の玉を先頭に三人はゆっくりと歩き始めた。


-----


 息切れして口もきけないティアナとアルマが自室のある寄宿舎の前で地面に座り込んで休憩している。貴族どころかメイドとしても問題がある態度だが既に限界の二人は気にする余裕がなかった。


「危なかった。くそっ、なんでこんな目に遭わされなきゃいけねーんだ! 腹立つ!」


「まったくよね。自分のことしか考えないじゃない、あのガキども」


 余裕のない二人の口調が悪くなっている。しかし、肩で息をしつつも会話が出来る程度には落ち着いてきていた。髪の毛を鬱陶しそうにかき分けながらティアナがしゃべる。


「考えていた中で一番悪い想定になったけど、まだ予想の範囲内だったのは救いか」


「その最悪のシナリオになるまでの課程を全部すっ飛ばされたのには驚いたけどね。あんなに喧嘩っ早いんだ。そりゃみんな怖がるわ」


「しっかし、やっぱり衛兵が動かなかったのはあの王子様が原因かぁ。そりゃ公爵令嬢様のご威光が通用しないわけだ。こっちにも王族が味方にいたらなぁ」


「王子様の権威に勝とうと思ったら、もう国王くらいしかいないんじゃないの?」


「最強の手札を持ってるのがあっちだもんな。やっぱり真正面からは勝てねぇ」


「革命でも起きない限りねぇ」


 アルマの言葉にティアナががっくりとうなだれる。


「そうだ、はいこれとこれ。今のうちに飲んでおきなさい」


「出るときに用意していたやつか。まさか本当に使うとは」


 手渡された棒きれと水袋を見て、ティアナはため息をついた。


 当初の大筋の予定では、最初は話し合いで解決を図り、無理なら衛兵を頼り、最後の手段として切り札を切ることになっていた。最後まで達してしまうことを考えてアルマが寄宿舎の玄関口に用意していたのだ。


「映画やドラマなら、ここで何か秘策を使って華麗に勝ったり、気の利いた道具で逆転したりするんだけど、そんな都合のいいもんなんてないよな。あぁ、棒きれかぁ」


「あるじゃない。そのために待ってるんでしょ、ここで」


「あーうん、まぁそうなんだけどな。どうにも他力本願な気がして」


「この際贅沢言わないの。あの連中にぼろ雑巾のように打ちのめされるわよ、物理的に」


 ティアナは身震いする。怒らせてしまった今ではもう手加減など期待できない。


「あの剣、当たったら痛そうだなぁ」


「あのバカ王子、ちゃんと加減できるのかしら。あんた顔面に打ち込まれるわよ、きっと」


「うっ、随分と他人事じゃないか。お前だって、カミルにボコられるぞ。投げ飛ばしたこと根に持ってたみたいだからな」


「男がそんな細かいことを気にするなんて気の小さい!」


「ということで、お互い逃げられそうにないってことなんだよな」


 アルマの顔が引きつった。力なく笑うティアナがその顔を見る。


「それにしても遅いわね。あの三人、何してるのかしら?」


「走って追いかけてきてたから、すぐに来ると思ってたんだけどな。もしかして諦めた?」


「そういう下手な期待はやめときなさい。肝心なときに心が折れるわよ」


「遅いと言ったらエッカルトも遅いよな。いつ来てもおかしくない時間なんだけど」


 今回はユッタ達に今日の昼間に呼び出されたので、事前に老騎士の霊へ相談できなかった。そこで、せめて遭遇場所だけでも運の要素をなくすため、決戦の地に寄宿舎の前を選んだのである。ここなら毎晩確実にエッカルトが寄ると知っているからだ。


「あ~来たわよ、あいつら」


 アルマの視線の先にティアナが顔を向けると、暗闇の中に一部明るくなっている場所があった。そして、それはこちらへと近づいてくる。


「あっちが先かぁ。やっぱり運に頼りすぎるのはダメだったかなぁ」


「もう一回逃げる?」


「もうそんな体力も気力もないよ。それに、次は追いつかれると思うぞ」


 ティアナの言葉にアルマがため息をつく。


 仕方なく二人は立ち上がってユッタ達を待つことにした。

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