憑依体質
ユッタ達にやや先行する形で浮遊する光の球は周囲を明るく照らしている。そのおかげで、寄宿舎へと近づいてくる三人の姿がはっきりと見えてきた。テオフィルとカミルはもちろん、ユッタもすっかり落ち着いた様子だ。
「やっと追いついきました。ほんっとうに面倒なことをしてくれるわね」
汗で濡れた髪の毛を鬱陶しそうに掻き上げながらユッタが告げる。その顔には疲労がにじみ出ていた。
「観念したか。しかしもう逃がさないぞ。ここでしっかりと躾けてやる」
「なんだお前ら、今度は何を持ってる? 棒?」
テオフィルがしゃべっている横からカミルが尋ねてくる。その視線はティアナとアルマの右手に向けられていた。
呆れたようにテオフィルとカミルが声をかけてくる。
「確かにあの刃物よりは長いが、君達は本当にそれでどうにかなると思っているのか?」
「馬鹿にされたものだな。訓練用とはいえこっちはちゃんとした剣なんだぞ? そんなので俺達切り結んだらそんなの一発で折れてしまうじゃないか」
「剣を握ったこともないから、そんなことも想像できなかったんだろう」
ティアナとアルマもそんなことはわかっていた。丸腰よりましだから手にしているのだ。前世の記憶を遡っても戦いの経験などないティアナにとって、ここからはもう運である。
けだるそうなユッタの声が合図となった。
「二人とも、早く済ませてください。帰って体を拭きたいです」
テオフィルがティアナに、カミルがアルマに、それぞれ向かってゆく。
「さぁ、お仕置きの時間だ!」
叫んだテオフィルの剣が打ち込まれる。
とりあえず形だけ棒を構えていたティアナは大きく後退した。見切って紙一重で避けるどころか、受け流したり受け止めたりすることなどできない。
それを見たテオフィルが、今度は体当たりをするような気迫を見せる。
対するティアナは右横に逃げる。格好など気にせず全力だ。見極めるそぶりさえない。
「素人には違いないが、こうも全力で逃げ回られると面倒だな」
せめて切り結べたならやり方はいくらでもあろうが、まともにやり合う気がない相手ではどうにもならない。まずは逃がさないところから考えないといけなかった。
一方、カミルに襲われたアルマは意外と善戦していた。
「こいつ、体術だけじゃないだと!?」
「そう簡単にやられないわよ!」
アルマはカミルの一撃を受け流すと同時に小手を狙う。カミルはそれを躱してアルマの頭部へ剣を突き入れようとした。しかし、アルマは右へ体を移して剣先を頭から逸らす。素人の反応ではない。
攻防が終わると二人は棒と剣を構えて対峙する。一歩踏み込めば間合いに入る距離だ。
「どこまでも鬱陶しい奴だな。剣術までやってやがるのか。お前一体何者だ? ただのメイドじゃないだろう」
「貧乏なご主人様に仕える健気でか弱いメイドよ」
「はっ! どこぞの女騎士見習いって言われた方がまだ納得できるぞ!」
再びカミルが動く。最初は顔に突きの一撃を放ってきたが、アルマが受け流そうとすると剣を引いて足下を狙う。アルマが避けるべく後退するものの、一瞬遅れてカミルも前進した。そして手首を狙って剣を切り上げる。
「わっ!?」
思わず両腕を引いて相手の剣を避けたアルマだったが同時に構えが大きく崩れた。
カミルはその隙を逃さなかった。更に踏み込んで連撃を加える。先ほどまでとは違い、速く重い。さすがに騎士として将来を嘱望されているだけあった。
これ以後、アルマは反撃すらできずに防戦一方となる。
アルマが苦戦し始めた頃、ティアナはもっとひどい状態だった。何しろまともに戦えないのだ。ひたすら逃げるしかない。
「ええい、ちょこまかと!」
学舎裏のときのようにどこかに逃げ去ろうとはしないものの、テオフィルの剣が攻撃圏内に入るかというときにティアナは圏外へ離れる。たまにテオフィルから剣を打ち込まれるときもあるが、ティアナは不格好ながらも避けたり受け流したりして躱した。
「貴様、僕と正々堂々と打ち合え!」
「できるわけないでしょう!」
ティアナが叫ぶ。かろうじて外向きの言葉遣いができたのは日頃の慣れだ。
なかなかまともに戦えないことに苛立つテオフィルだったが、ティアナの方もかなり焦っていた。何しろ戦うどころか試合すらしたことがないのにいきなり実戦だ。腰が引けて逃げ回ることしかできない。棒で受けたテオフィルの一撃で腕が痺れて仕方なかった。
「往生際が悪い。待っていても誰も助けに来ないぞ!」
「さてどうかしらね。白馬の騎士様が助けてくださるかもしれないですよ!」
「ははっ! 夢見る乙女みたいなことを言う! しかし、君が見るのは悪夢の方だろう!」
しゃべりながら戦う余裕があるのはティアナが徹底的に逃げ回っているからだ。しかし、状況にはまったく余裕はなかった。
いつまでも逃げられるとはティアナも思っていない。学舎裏から衛兵の待機所経由で寄宿舎まで全力疾走し、その後テオの攻撃を避けるため延々と動き回っている。体力の限界はそう遠くなかった。
「まだかな。えっ!?」
もう何度目か忘れた回避行動をとって止まった瞬間、ティアナは背中から体当たりされたかのような衝撃を受けた。何がと思う暇もなく、ティアナはテオフィルの前に突き出される形となる。
テオフィルは迷うことなく剣を振り上げ、ティアナめがけて振り下ろす。
考えるよりも先に体が動いていたのは奇跡だろう。テオフィルからの攻撃を延々と躱していたのが染みついたのかもしれない。ティアナはとっさに地面へ伏せつつ、横に転がる。
立ち上がったティアナが目を向けると、つまらなさそうな顔をしたユッタがいた。
「テオ、しっかりしてください。せっかくのチャンスだったのに!」
「すまない。合わせたつもりだったんだが、うまく逃げられた」
「さっきから見ていますと、逃げるのだけは得意みたいですね。次はうまくやって」
ティアナは焦る。今まではテオフィル一人の攻撃を避ければ何とかなると思っていたが、次からはユッタも気にしなければならない。
「今の攻撃が当たっていたら、私、死んでた?」
「死なないと終わらないというだったら、早く死んでよ」
本当にごみを見るかのような視線をユッタがティアナに向ける。
ティアナは背筋が凍る。ようやく、この二人は自分が死んでもいいと思っていることを実感したからだ。アルマの手助けも期待できない。八方塞がりになりつつあった。
「ティアナ、息災である。アルマ共々、何やら取り込み中のようだな」
テオフィルとユッタを睨みながらティアナが次はどうやって避けようかと考えていると、突然背後から聞き慣れた声が聞こえた。一瞬振り向こうとしたが、そんな隙は見せられないことを思い出して我慢する。
「もしかして私がぎりぎりまで追い詰められるのを待ってました!?」
「む、いやさすがにそれは穿ち過ぎだぞ。最近は巡回する場所を増やしたからだ」
テオフィルとユッタは突然全身甲冑の霊が現れて固まっていた。しかも、その霊が相手のティアナと親しげに話している。この状況をどう受け止めていいのかわからないでいた。
「時間ないんで手短に説明しますね。悪い人に襲われてるんで助けてください。具体的には私に取り憑いてやっつけてほしいんです」
「む、確かに追い詰められておるようだな。友を助けるのは騎士としての信条に適う。よろしい、助力しようではないか」
エッカルトは了承すると、ティアナの背後から重なる。
テオフィルとユッタはその様子を見て身震いした。どう見ても霊に取り憑かれたようにしか見ないからだ。もちろん、取り憑くという言葉の受け取り方はティアナとユッタ達でまったく異なるが、その差異など知りようがない。
「何今の!? なんか幽霊みたいなのがあいつの中に入らなかった!?」
「こいつ、悪霊に取り憑かれたのか!? これじゃまるで去年のようじゃないか!」
「悪霊とは失礼な。儂は確かに霊ではあるが、悪事を働いたことなど生前から一度もない。訂正を求める」
ユッタの口調が素に戻っていたが誰も気にしている余裕はなかった。
それよりも、ティアナの声色そのままにエッカルトの口調で話をするのだから、ティアナを知るものからすれば違和感しかなかった。しかし、変わったのは口調だけではない。目つきも棒を持った構えもそれまでとはまったく違った。文字通り別人だ。
「む、ただの棒きれか。それであの剣を相手にしていたとはやるではないか。訓練用の剣とはいえ、刃が潰してあるだけで作りは、なに、ははは! なるほど、逃げ回っていただけか。納得した。なに、それでも大したものよ」
テオフィルとユッタからすれば、突然笑顔のまま一人で喋り始めたティアナは異様に見えた。特に真正面から見据えられながら笑われたテオフィルなどは恐怖心を覚える。
「テオ、今取り憑いたやつって去年と同じやつなの!?」
「わからない。そこまでは聞いていなかった。ただ、もしかしたらそうかもしれない」
「む、去年も確かにティアナを暴漢から助けたぞ。いつの時代もどうしようもない者がいて困ったものだな」
「やはりそいつは危険だ! いつどんな悪霊に取り憑かれるかわからない! 学院から追い出すべきなんだ!」
「それはあんまりではないか」
「うるさい! 僕が成敗してやる!」
怒りの形相となったテオフィルがエッカルトに取り憑かれたティアナに斬りかかった。それまで一方的に逃げ回るだけだったティアナだが、今回は最小限の動きでテオフィルの剣を受け流し、棒で軽く王子の頭を叩く。流れるようなその動作は達人そのものだった。
「いたっ!?」
「ふむ、まだ荒さが目立つな。子供故、これからというところか」
「貴様、王族に手を出すとは無礼だぞ!」
「左様でしたか。事情はティアナから聞いております。それにしても、今までのあなた様の言動はとても品位ある者とは思えませぬ。王族であるならば、それにふさわしい言動をせねばならぬでしょう」
「悪霊ごときが、偉そうに!」
逆上したテオフィルが斬りかかる。だが、連撃してもすべて簡単にあしらわれてしまう。
「くそっ、こいつ!」
「力の差はもうおわかりでしょう。剣を引いてくだされ」
「うるさい! お前なんかに負けるもんか!」
「やむをえませんな。失礼」
尚も攻撃を繰り返すテオフィルに対して、エッカルトは本格的に返撃する。するとたちまち攻守が逆転した。ついには手首をしたたかに打ち付けられ、テオフィルは剣を手放してしまう。落ちた剣をティアナの足が蹴り飛ばした。
「おのれ、貴様!」
「まずは一人。もう片割れもいたな」
手を庇いながらユッタの側まで戻ったテオフィルが悔しそうにうめく。
エッカルトはそれを無視してカミルへと目を向けた。
「そんな、さっきまであいつ素人だったのに、なんで」
アルマを追い詰めるのに夢中だったカミルは、エッカルトがティアナに取り憑いたことを知らない。突然変貌したティアナの様子に動揺していた。
一方、その話し方から事情を察したアルマは、カミルの意識が自分から離れた隙にティアナの側へと寄る。
「相当苦労したようだな。しかし、メイド風情がよくやったと賞賛するべきだろう」
「ええそりゃもう苦労しましたよ。だからちゃっちゃと終わらせてください。もう手が痺れて限界なんです」
「承知した。今度はあの小童だな」
先ほどと目つきが異なるティアナに視線を向けられたカミルは顔をこわばらせる。雰囲気からしてまったく変わっているのがすぐに察せられた。
「お前、誰だよ!?」
「この体はティアナだが、取り憑いている儂のことならば、エッカルトと申す」
近づいてくるティアナに怖じ気づいたカミルが思わず後ずさる。しかし、すぐさま意を決して打ち込んできた。
「くそ、化け物め!」
「む、先ほどの王子よりも様になっているではないか。そなた、騎士見習いか?」
「うるさい、死ねぇ!」
必死の形相のカミルが何度も剣を打ち込んでくるが、エッカルトはまったく動揺しない。落ち着いた態度で受け流しながら冷静に分析している。
しかし、その状態も長くは続かなかった。テオフィルの場合とまったく同じように、カミルの剣撃を受け流してその手首をしたたかに打ち付ける。そして、地面に落ちた剣をティアナの足が蹴り飛ばした。
「これでお終いだな」
ティアナの口を使ってエッカルトが独りごちる。圧倒的な力の差に誰もが唖然とした。
「エッカルトさんって、こんなに強かったんですね。初めてしりました」
「む、アルマは儂の勇姿を初めて見たのだったか。その通り、これでも腕に覚えがあるからな。子供相手ならばこのくらい朝飯前だ」
快活に笑うティアナの声を周囲の者達は呆然と聞いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます