公爵令嬢様にご相談

 夏休みが終わりつつあった。季節はまだ夏だが八月も後半になると暑さは峠を越えてわずかに涼しくなる。特に朝夕の気候は一段とましになった。


 そんな中、室内の清掃をするアルマの横で、ティアナはテレーゼから届けられた手紙を読んでため息をついていた。


「う~ん、やっぱり手紙じゃこんなもんかぁ」


「その様子じゃあんまりいい返事じゃなかったみたいね」


「予想はしてたんだけどな。いざその通りの内容が返ってくると、がっかりだ」


 机に手紙を投げ出してティアナは椅子の背もたれに寄りかかった。夏の暑さも相まって完全に弛緩した姿である。


 七月最初にユッタ達に襲われた件は今のところ表沙汰になっていない。あの事件の翌日、ティアナは衛兵に訴えた。しかし、相手にされなかったのだ。


 事件後の経緯を思い出しながらアルマがしゃべる。


「結局誰も見てないし、当人達が黙ってればなかったことになっちゃうわよねぇ」


「あの晩、俺達が衛兵の待機所に助けを求めに行ったこともなかったことにされてるのは、さすがに腹が立ったけどな」


「まぁね。扉すら開けずに追い返したんだから、見てないって言われたらそりゃ見てないんだけど、こういうとき権力のえげつなさが際立つわ」


「あのとき、テオフィルが自分で言ってたもんなぁ」


 あの事件で衛兵がティアナ達を相手にしないように手を回すことができるのならば、その後も相手にしないように押さえることも可能だろうと二人は推測する。


 掃除の手を止めたアルマがティアナに体の正面を向ける。


「でもあんた、証拠なら一応あったのに、どうして差し出さなかったのよ?」


「お前あの状況で差し出したら証拠を隠滅されるだろ」


 二人が指している証拠とはテオフィルとカミルの練習用の剣のことだ。作り自体は他の生徒のものと変わらないが、材質は良質な物が使われている上に家紋付きである。家紋は許可なく使うと重罪なので、身の証になることもあれば証拠にもなる。


「故意に紛失する可能性があるのはわかったけど、だったらあの剣どうするのよ?」


「ほんとどうしたもんかな。盗まれたって言われたら、それはそれで厄介なんだよな」


 何しろ相手は無茶なことができる権力を持っているのだ。証拠が証拠として機能してくれる保証がない。実に悩ましい剣だった。


「それであんた、すぐにテレーゼ様へ手紙を書いたのね。返ってきたのは今だけど」


「郵便制度が未発達なんだからしょうがないだろ。ちゃんと往復したってところは評価しないと。届かなかったり戻らなかったりするのなんてこの世界じゃ珍しくないし」


「結局なんて書いてあったのよ?」


「身に危険を感じるのなら実家へ避難するか、何もなければそのままテレーゼ様が学院に戻るまで外出を控えて過ごすように、だって」


「今更そんなこと言われても。これも郵便制度が未発達なせい?」


「速達できちんと届いていたとしても、結果は変わらなかったと思うぞ。結果論だけど、あれから何もなかったしな」


 あの事件の翌日、ユッタ達三人はそれぞれの実家へ帰省した。そのため、ティアナ達が直接危機に陥るようなことはあれから発生していない。


 掃除道具を片付けながらアルマが問いかける。


「テレーゼ様が学院に戻られたとして、何かできることってあるの?」


「とりあえずは相談だな。それ以外はさっぱりわからん」


「不安ねぇ」


 それはティアナも同じだった。しかし、今は待つことしかできない。


 手ぶらになったアルマはティアナの正面に立つと腰に両手を当てて顔を近づけてきた。


「さて、それじゃ今日も行きましょうか」


「うっ、もうそんな時間か。ほぼ毎日するのはきついんだけど。休みをもうちょっと増やさないか?」


「自分から言い出したことでしょ。きちんとやるの。ほら、着替えるわよ」


 アルマにせっつかれたティアナはのろのろと立ち上がった。そして、手伝ってもらいながら動きやすい服に着替える。


 今からティアナがするのは基礎体力作りだ。毎日朝夕の涼しい時間にやっている。これは事件で体力不足を痛感したティアナが次に備えるためと自ら提案したのだ。


 指導者はアルマだ。前世で柔道と剣道をしていた経験から練習メニューを作っている。更に日没後には、エッカルトが憑依して剣をはじめとした武術の訓練もしていた。


 ティアナは納得いかないといった様子でアルマに問いかける。


「早朝にたたき起こされて運動して、昼間は寝て、夕方に少し運動して、夜は武術の訓練。おかしいな、お嬢様らしいところが欠片もないぞ?」


「あたしもたまに、あんたがどこ目指しているのかわからなくなるけど、今は身を守れるようにならないとね」


「俺、これで強くなってんのかな?」


「やる前よりかはね。十回も出来なかった腕立て伏せが、今は何十回ももできるようになったじゃない」


「まぁ、以前よりも息切れしにくくなった自信はあるけどさ」


 なんとなく自信がないといった様子でティアナが首をかしげた。着替えが終わるとアルマが背中を押す。


「はいはい、今はとにかく体を動かすの! 悩むのはその後!」


「わかったって、行くから」


「新学期が始まったら大っぴらに練習できないんだから、今のうちに走り込みをしておくわよ! 子女が体を鍛えると醜聞になる面倒な世の中なんだからね!」


「ああもうめんどくさいなぁ」


 文句を言いながらもティアナはアルマの指示に従って部屋を出る。


 強くなってきた西日が誰もいなくなった部屋を明るく照らしていた。


-----


 九月の新学期に向けて一週間前から貴族の子弟子女が学院へと戻ってくる。この頃から再び学院は活況を呈するわけだが、今年のテレーゼは最も早く学院へ戻ってきた集団の中にいた。


 テレーゼから学院へ到着したという使者がティアナの元へとやって来た。同時に、翌日の昼にお茶へと誘われる。今後の相談だということはすぐにわかったのでティアナは承知した。もちろん、事前にアルマと話す内容について相談をしなければならない。


 そして当日、二人がテレーゼの部屋に向かうと本人に出迎えられた。


「ごきげんよう、ティアナ。それと、ごめんなさいね。あなたからいただいたお手紙は、わたくしの実家経由で王城へ届けられました。そのときに中を拝見したので、もしかしたらお手紙が遅れて届いたかもしれません」


「そう言えば、家族ぐるみで国王陛下に謁見なさったんでしたね」


「はい。ですから、今年の夏はあまり実家にいませんでしたの」


 帰省直前のテレーゼを見送りに行ったときのことをティアナは思い出す。確かにそんなことをテレーゼが漏らしていた。


 謝罪を受けたティアナはにこやかに言葉を返す。


「襲撃後すぐに三人が帰省して、その後に手紙を書きましたからお気になさらず」


「そう言ってもらえると助かります。今日お呼びしたのはお察しかと思われますが、あなたの今後についてお話しするためです。何か良い案でも出ると安心できるのですが」


 椅子を勧められたティアナはテレーゼの正面へと座ると、メイドが用意したお茶を差し出した。


「さて、ティアナ、いただいたお手紙である程度のことは知っていますが、改めてあのときに何があったのか詳しく教えていただけますか? まずは事実を確認いたします」


「そうですね。何があったのか最初からお話いたします」


 テレーゼの求めに応じて、ティアナはあの日に何があったのか説明を始めた。途中、アルマにも加わってもらってより正確に事実を述べていく。途中、エッカルトの話が出ると初めて知ったテレーゼが驚くが、できるだけ質問を抑えてもらって説明を優先した。


 説明が終わると、テレーゼは知らず入っていた肩の力を抜いた。


「直接語っていただきますと、手紙とは違って真に迫ってくるもがございますわ」


「まさかそこまでするとは思っていなかったのが悪いのかもしれませんが、ユッタ達があそこまで直接的な行動に出るとは私には予想外でした」


「わたくしも同じですわ。それに、衛兵がまったく動かないことは驚きです。なるほど、テオフィル様のご威光にはさすがに敵いませんわ」


 過去を振り返ったテレーゼがテオフィルの様子に納得した。


「それで、王城でこのことは問題になりませんでしたか?」


「テオフィル様が一切語っておりませんでしたから、話題にもなっておりませんでした。そう言えば、手を治療されていたようですが、それを指摘されると明らかにご機嫌が悪くなりましたね。その後はしばらく腫れ物扱いでしたわ」


「それはまた厄介な」


 王城内でのテオフィルの様子を聞いたティアナは苦笑した。本人にとっては鬱憤の溜まる日々であったろうことは容易に想像できる。


「それにしても、ティアナを襲ったことをなかったことにされたのは面倒ですわね」


「テレーゼ様、どういうことですか?」


「醜聞を隠すということが第一義なのでしょうが、こちらからはこの事件絡みで動けなくなってしまったことも意味します」


「動けないのはユッタ達も同じではありませんか?」


「あちらは衛兵を王族の権威で押さえ込むことをやってのけています。ですから、自分達の都合でこの件を持ち出すことも可能です」


「自分達の都合で? そのままなかったことにすると思っていましたが」


「何しろ、ティアナは棒きれでテオフィル王子とカミルを打ち付けたのですよ。王族や高位の貴族子弟を負傷させたのはまずいですわね」


 平民が貴族を傷つけるのは大罪だが、貴族同士でも特別な理由がない限り上下関係次第で問題は発生する。加害者のティアナは子爵家で被害者のテオフィルとカミルが王族と伯爵家となると、ティアナはかなり不利だ。


 しかし、そこで一つ疑問が湧き出たティアナがテレーゼに質問する。


「手紙でもお伝えしたように、こちらにはテオフィル王子とカミル様の剣を保管しています。あちらから何か主張されたときに、この証拠を使って反論できませんか?」


「テオフィル様とカミルが同じ物を作ってしまえば、偽物扱いで押し切る可能性があります。また、あなたにその剣を盗まれたということにした場合、その剣を持っていること自体が危険ですわ。その証拠は諸刃の剣ですから、余程うまく使わないと」


「そう簡単にはいきませんか」


「こうなりますと、ユッタ達に今回の件をティアナの仕業と告発された場合、覆すことが難しいですわね」


「どう転んでも何とかできる自信があるからこそ、あの剣を放っておいているのかもしれませんね」


 テレーゼの言葉にティアナは沈痛な表情を浮かべる。


 二人ともそのまましばらく無言でティーカップを傾けたが、ふと気になったことをティアナが質問する。


「もしこの件でユッタ達が私を告発した場合、テレーゼ様はどちらの側に立たれるのですか?」


「そうですわね。中立でしょうか」


 ユッタに関する問題でテレーゼの心情はティアナ寄りであっても、それ以前にテオフィルの許嫁であるのだ。原則としてはテオフィルを支持しなければならない。将来の王妃という立場は重いのである。心の赴くままに動くわけにはいかないのだ。


 そんな中、ティアナは以前の話し合いのときのことを思い出した。


「そういえば、以前ユッタの指輪についてお話をしたときに、何かお調べになるとおっしゃっていたと思うのですが、それはどうなりましたか?」


「ああ! 申し訳ありません。すっかり忘れていましたわ。誘惑の指輪の元の持ち主であるユッタの義母について調べておりました」


「何かわかったのですか?」


「ユッタの義母は元々占い師だったそうで、指輪はその家系に代々伝わっていたようです。ただ、その伝わり方も幸運のお守りという程度の認識らしく、特別な力を持っていたことは知らなかったようですわ」


 その話を聞いてティアナは考える。もし義母が指輪の能力を知ってユッタに贈ったのなら何かしらの思惑があってもおかしくないが、能力を知らないとなると義母は無関係だ。そして、パウルも当初はこの指輪について何も知らなかった。


 そうなると、たまたま現実の世界とゲームの設定が一致しただけという可能性が高い。


「テレーゼ様の調査結果が正しければ、キルヒナー家はユッタの行動とは無関係のようですね」


「そうですね。私もそう思います。しかしそうなると、ユッタはどうやって指輪の能力を知ったのでしょう?」


 前世でのゲームの知識があったからなどと素直には言えない。ティアナも一緒に首をかしげるのみだ。そして、ティアナが答えないとなるとテレーゼには知りようがなかった。


 やがてテレーゼがため息をつく。


「これ以上は考えても仕方ありませんわね。当面は相手の出方を待つだけです。夏休みの間は恐らく動かないでしょう。動くとすれば新学期に入ってからですわね」


「平穏無事が一番なのですが」


 ティアナも同じようにため息をついた。


 そのとき、テレーゼがが思い出したように声を出す。


「新学期と言えば、早々に舞踏会があるんでしたわね。皆さん、どのようなドレスを披露なさるのかしら」


 毎年九月の初日に学院の生徒を集めて舞踏会が開かれる。テレーゼはその催し物のことを言ったのだ。


 そういえば、そのためのドレス選びをしていなかったことをティアナは思い出した。

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