舞踏会
王立学院の夏休み明けの新学期は九月から始まる。しかし、初日からいきなり授業があるわけではない。入学したばかりの一年生が学院に慣れた頃合いに、全学年の生徒を集めて舞踏会が開かれるのだ。それが毎年九月の初日なのである。
前世の記憶を持つティアナからすると、学院主催なので生徒の親睦を深める程度だと去年は思っていた。あくまでも学院内のイベントという感覚だ。しかし、実際の舞踏会はそんな甘いものではなかった。
舞踏会は、貴族社会の序列を子弟子女に知らしめるための場なのだ。そのため、礼儀作法、衣装、舞踏、話術などを総動員してお互いの立ち位置を決めていくのである。この結果は下手をすると一生固定されてしまうので、参加する子弟子女は皆気合いを入れて臨む。
去年この感覚をティアナは見誤った。疎まれていた両親からは教えてもらえず、孤立化していたために友人から情報を得られなかったせいだ。その結果、参加者で随一の美貌を誇りながら壁の花となってしまった過去がある。
「去年はひどかった。流行遅れのドレスに及第点ぎりぎりのダンス、そして周囲の話題についていけない会話だったもんなぁ」
「直接は見てなかったけど、あたし達下っ端でも噂になってたわよ。あれだけきれいなのに他が残念だって」
「美人ってだけでどうにかなるもんじゃないことを思い知らされたよ。だから今年はもう出たくないんだけどな」
「そうもいかないでしょ。ユッタ達がどう出るかわからない上に、テレーゼ様からも参加するように求められてるんじゃ、どうしようもないわね」
「欠席裁判みたいになるのは避けないといけないもんなぁ」
夕方から舞踏会に参加するために今のティアナは自室で準備をしている。例によってアルマがひとつずつやってくれていた。
「どうせ誰も気にかけないでしょうから、壁際でご飯でも食べてたらいいんじゃない?」
「ユッタの方からわざわざやって来そうな気がして仕方ないんだ」
「嫌がらせ目的ね」
「去年のことはテオフィルやカミ様から聞いているだろうし、嫌みの一つでも言いに来そうな気がするんだよな」
「男の子に囲まれてそれどころじゃないような気もするけどね」
ティアナに比べてアルマは楽観的だ。当事者ではないからということもあるだろう。
その態度を姿見鏡越しに恨めしそうに睨むティアナだったが、何かを思い出したように口を開いた。
「そうだ、大切なことを忘れてた! もしかしたら、思ってるよりもまずいかも」
「どうしたのよ?」
「ユッタにとってこの世界はゲームを再現した世界だろ。そのゲームが乙女ゲームだとしたら、今日の舞踏会みたいなイベントって何が起きる?」
「どうしよう。多分正解を思いついちゃった。乙女ゲーム、舞踏会、王子、公爵令嬢、男爵令嬢、あと取り巻きで近衛騎士団の有望株ってなると」
「「婚約破棄!」」
二人の声が重なった。
もちろんすべての乙女ゲームがそういうわけではないにせよ、今まで集めたユッタの言動からしてこれを狙っている可能性がある。
「でも、テレーゼ様に落ち度なんてあった?」
「あったことをなかったことにできるんなら、逆だってできるだろ? あの王子様なら」
アルマはティアナに指摘されて夏休み中の襲撃事件を思い出した。皆が帰省していたせいで人目に触れなかったということもあり、今はまったく話題になっていない。カミルが詰問してきたときとは大違いだ。
「やりかねないのはわかったけど、まったくのでっち上げだとあっさり否定されない? 王族よりも劣るとはいえ、公爵家よ?」
「そこまではわからない。テレーゼ様は何かやっててもそう易々と尻尾は出さないだろうし」
ユッタ達が具体的にどうするかまではティアナにもわからない。だからこそ、二人は不安になる。
「少なくとも、カミルみたいなマネはしないでしょうね」
「さすがに一度やらかしてるしな」
「ユッタの標的がテレーゼ様なら、とりあえずあんたは大丈夫なのかしら?」
「俺もまとめて成敗する方法がなければな。まぁ、俺とテレーゼ様のつながりなんて表面上はあってないようなものだし、やるとしたら個別にだろう」
以前の話し合いでテレーゼの派閥内に通達が行き渡っているとなると、ユッタ達もティアナとテレーゼの間に何かあったことくらいは知っているかもしれない。しかし、表面上のつながりは以前同様ほぼないので、具体的なことは把握していないはずだった。
「そこは出たとこ勝負ね。はい、できたわよ」
「ありがとう。壁際でおいしいもの食べておくよ」
準備が整ったティアナが立ち上がった。姿見鏡には、ベージュを基調色にした質素なドレス姿が映っている。前世の美的感覚ではこれでも充分なように見えるのだが貴族社会の採点は厳しい。
次第に気が重くなりつつもティアナは舞踏会へ参加するために部屋を出た。
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西日が大きく傾く中、ティアナがアルマと共に舞踏会の会場へと足を向ける。道すがら何人もの着飾った子弟子女が同じ場所を目指して歩いていた。誰もがこの日のために念入りに準備していただけに皆きらびやかだ。
会場となる会館は舞踏会のために建設された建物だ。大ホールが中心にあり、その周囲に休憩室や給仕の作業場などが敷設されている。やって来た子弟子女は次々に大ホールへと入っていった。
「どうせならずっと休憩室にいようかしら」
「お気持ちはわかりますが、ダメなときはどこにいてもダメだと思いますよ」
現実逃避しようとするティアナをアルマが逃がさない。恨めしそうな目を向けられつつも主人の意識を即座に現実へ引き戻した。
「アルマも一緒にどうかしら?」
「門前払いを受けますよ。ここからはお嬢様が独力でお立ち回りください」
その場で立ち止まったアルマが一礼する。がっくりとうなだれたティアナはアルマに笑顔で見送られながら大ホールへと入った。
大ホールでまず目立つのは中央の天井にある巨大なシャンデリアだ。まるで大ホール内すべてを睥睨するかのように存在するそれは、同時に内部を明るく照らすために燦然と輝いている。内部の壁と天井は白を基調に金箔で装飾が施されていた。
皆が憧れる大ホールだが、良い思い出のないティアナにとっては気後れする場所だった。
「やぁ、ティアナ!」
「パウル、こんばんは」
早速壁際へ寄ろうとしていたティアナに、背後からパウルが声をかけてきた。今のところ一人らしい。すぐに一礼する。
「去年大変な目に遭ってたから今年はどうか心配してたけど、やっぱり参加したんだ」
「よっぽど見合わせようかと思いましたけどね」
「せっかくなんだから参加した方がいいとは思うんだけど、君の場合はね」
去年の顛末を知っているだけにパウルは苦笑いする。
きっかけができた二人はしばらく談笑する。疎外感のある場所だけに、知り合いと話をして気を紛らわせられるのはティアナにとってありがたい。
「そろそろ始まりますね」
大ホールへ入場する子弟子女の流れが落ち着いた頃、最奥に設置された壇上に学院長が登って挨拶を始めた。それが終わるとテオフィルが王族として一言述べる。いずれも遠目では立派に見えるのがティアナには面白かった。
最後に再度学院長が登壇して舞踏会の開催を宣言すると、大ホール内に拍手が鳴り響く。
拍手が終わると演奏が始まった。あらかじめ示し合わせている者達はすぐに舞い始める。
「ティアナは誰か相手はいるのかい?」
「まさか、お願いしても断られるだけです。今は男の人から嫌われてますから」
「そうだったね、すまない」
独り身の子弟子女があちこちで相手を探してつばぜり合いをしていた。思惑はそれぞれだが、自分にふさわしい相手を望んでいることだけは一致している。
「パウル、あちらのお嬢さんがあなたのことを見つめていらっしゃるわよ。あら、あっちもね」
完全に部外者として周囲を眺めていたティアナは、こちらに視線を注いでいる子女を見つけてパウルに伝えた。舞踏会は誰かと踊るための会だ。ティアナは友人からその機会を取り上げるつもりはない。
「君は」
「普段お話をしてくれただけで充分よ。ほら、待たせてはいけないわ」
元々男になって美少女と仲良くなりたいと思っているティアナにとって舞踏会で男と踊るなど論外だった。端から見ると不幸な美少女だが本人にとっては望ましい状況だったりする。単に馬鹿するような視線を浴び続けるのが嫌なだけだ。
「わかった。それじゃ行ってくるよ」
「楽しんできて」
すまなさそうな表情をティアナに向けたパウルが離れてゆく。こちらを見ていた子女が一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに笑顔に切り替えてパウルへと目を向けた。
ティアナは今度こそ壁の花になった。
子弟子女はその大半が中央で舞っている。人気のある者は一定時間踊っては次々に相手を変えている。特に人気なのはテオフィルとユッタだ。待機列ができるほど盛況だった。テレーゼは最初にテオフィルと踊ったっきりで、以後は見物に徹している。
パウルが誰かと踊っているのがちらりと見えた。何度か舞踏の授業で相手をしてもらったことがあるが、上手だったことを思い出す。
「こんなところにいたのですか、ティアナ」
不意に横合いから声をかけられたティアナがそちらへ顔を向けると、テレーゼがたたずんでいた。紅を基調とした華麗な装飾が似合っている。
「テレーゼ様、先ほどはあちらにいらっしゃいませんでしたか?」
「ずっと同じ所へいては退屈してしまいますから、散歩しているのですよ。あなたはもう踊られ、ああごめんなさい」
テレーゼは問いかけようとして、ティアナが首を横に振ったのを見て去年のことを思い出した。
「パウルなら一度くらい相手をしてくれるでしょうに」
「私を相手にすると評判を落としてしまいます。友人を物笑いにする気はありません」
なんとも言えない表情でテレーゼは黙る。実際にその未来を予想できるので返答しにくかった。
そんなテレーゼを見てティアナが微笑む。
「テオフィル王子は多数の子女と舞っていらっしゃいますが、テレーゼ様は他の方と踊らないのでしょうか」
「本来でしたらそうするべきなのでしょうけど、そんな気分になれなくて」
「そうはおっしゃっても、さすがにテオフィル王子だけというのは」
パウルやティアナのような末端に近い子弟子女ならばまだしも、テレーゼのような公爵令嬢で未来の王妃ともなると行動のすべてが政治がかってくる。もちろん舞踏の相手もそうだ。さすがに誰とも舞わないというのはまずい。
テオフィルが多数の子女と踊っているが、あれも誰と踊る踊らない、手に取る順番などが暗黙で存在する。ひっきりなしに舞っているのは個人の嗜好だけではないのだ。
そのとき、人々から静かなどよめきがあがる。何事かと目を向けるとテオフィルとユッタが中央で手を取り合って舞っていた。
周囲の人々の視線は羨望と嫉妬、それに嫌悪が混じっているのにティアナは気づく。二人への好意的な視線はほとんど見当たらなかった。ただし、視線の先はユッタだと想像がつく。
「あの中でよくあんな笑顔で踊れますね。私ではとても無理です」
「同感ですね。もっとも、神経の太さだけは大いに認めるところですから、さもありなんと言ったところですが」
テレーゼの感想は手厳しい。この様子では舞踏の評価も同様だと考えたティアナは別のことを尋ねてみる。
「テオフィル王子とユッタが踊っていらっしゃいますけど、テレーゼ様と王子の仲の評判はどうなんですか? ユッタは色々と言われていますけど」
「悪いと言えば悪いですが、今更と言えば今更でもあります。テオフィル様は普段からユッタの側にいらっしゃいましたから」
改めて指摘されてティアナは思い出した。自分を襲撃したときも一緒にいたくらいなのだ。普段から側にいたことを噂されていないはずがない。
「では、テレーゼ様は?」
「ユッタの評判が悪いということもあって、幸いわたくしへの噂は同情的なものが多いです。しかしやはり、許嫁としての立場は傷つくのは避けられませんわ」
「不躾なのは承知でお伺いしますが、王家の方々はどのようにお考えなのでしょうか」
「一時的な気の迷いと見ているようです。それに、いざとなれば側室か妾に迎え入れれば良いですから、王家と公爵家は現在様子見です」
「普段の学院での様子をご覧になればと思うと、歯がゆいですね」
「女遊びは男の甲斐性とくらいにしか思っていないのでしょう」
二人が話をしている間に舞踏が終わる。テオフィルが踊った割に拍手はまばらだった。
この後すぐに演奏が終わる。ここで歓談のための中休みの時間が始まった。
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