テネブー教徒内の乱れ

 自らの神を不完全な形で復活させて勇者に討ち取られてしまったヘルゲは、ウッツ達によって拠点まで連れ戻されるとそのまま床に伏した。


 この間、ヘルゲの派閥の結束は大きく揺らぐ。計画が失敗したという話が周囲に漏れるとすぐに派閥の切り崩しが始まった。


 そのため、ヘルゲが正気に戻った頃の一派は勢力を大きく削がれていた。


 とりあえず事態を把握したヘルゲは歯噛みする。


「おのれ、偉業を理解できぬ愚か者どもめ!」


「お怒りはごもっともですが、我らは主の御魂を失ってしまいました。これからどうなさるおつもりですか?」


 部下の一人に問われたヘルゲは言葉に詰まった。最大の切り札を失ってしまったので、実際のところ次の手が思いつかない。


 焦りは禁物と理解しつつも、切り崩されていく自派を目の当たりにしたヘルゲは落ち着かない日々を過ごした。


 現在のヘルゲ派に必要なのは求心力となる方針だ。あるいは当面の目標である。だが、そのどちらもヘルゲは示せない。


 ある暑い夏の日、ヘルゲは所用で本拠地へと向かう。邪神討伐隊に一度滅ぼされて新たに築いたテネブー教徒の総本山だ。


 そこでヘルゲは最も会いたくない人物と出会ってしまった。痩せ細りながらも眼光が鋭いその人物は数人の部下に囲まれながら廊下の向こうからやって来る。


「これはこれはヘルゲ殿、お元気そう、ではありませんな」


「ふん。アルノー殿か」


 わざとらしい言葉にヘルゲは表情を厳しくした。最もヘルゲの派閥を切り崩そうと活発に動いている中心人物だ。

 早く立ち去りたい気配のヘルゲの態度を無視して、アルノーが嫌みな笑みを浮かべる。


「先日の会議は散々でしたな。もっとも、我らが神をルーメン教徒に滅ぼされてはねぇ」


「聖なる御魂がすべて揃っていれば、あのようなことにはなりませんでした」


「そうなりますと、揃えられなかったことに問題がありますな。不完全だったのなら中止するという選択肢もあったはず」


 邪神討伐隊に敗北したヘルゲの処遇について話し合う会議が以前あった。その会議の一部をなぞるような会話を再現されたことにヘルゲは苛立つ。


 ただ、強く反論できないのも確かだった。自らの神を滅ぼされ、敵対宗教に弾圧されるきっかけを作ったのは事実だからだ。


 今更何を言っても遅いのだが、結果を見てからあのときこうしていればと糾弾されるのも腹が立つ。


「この話は、前の会議で既に結論が出ております」


「ルーメン教徒の理不尽な迫害に徹底的に抵抗する、ですな。結局は相手が落ち着くのを待つだけですが」


「私も責任を取りました。今は内部でいがみ合っている場合ではないでしょう」


 重大な失敗を犯したヘルゲに対する罰はそこまで厳しくなかった。幹部としての地位を剥奪されたのみだ。今も処罰が軽いという声も一部には聞こえる。


 この程度の罰で済んだのはルーメン教徒の弾圧の激しさが原因だ。人員は常に不足しているので、処刑するよりも使い潰してしまえということである。


 もちろんヘルゲも周囲の意図は理解して奮闘しているところだ。しかし、派閥に所属する者達がどう思うかはまた別の話である。現状では離反者を引き留めることは難しい。


 そんなヘルゲの返答にアルノーは嫌らしく笑った。小馬鹿にしたように問いかける。


「原因を作った方が言うことではありませんな。それにしても、勇者を騙る者をつけあがらせたのは困ったものです。我々はあの者のせいで手痛い損失を被っている」


「ルーメン教徒に祭り上げられた勇者を騙る者への恨みは私も強く感じています。ただ、今は手出しできる状態ではありません。何かしら対策を講じる必要はありますが」


「では、このまま黙って迫害され続けろということですかな?」


 質問の裏にある意図を察したヘルゲは顔をこわばらせた。いずれ思い知らせる必要はあるにしても今は無理である。しかし、何らかの対策は必要だ。


 どう答えるべきかヘルゲが考えていると、アルノーが先に口を開く。


「ま、ここで結論を出す必要もありますまい。ごゆっくり考えるとよろしいでしょう」


「ではこれで」


 ヘルゲが一礼すると、鷹揚にうなずいたアルノーが部下を引き連れて去った。そして、頭を上げたヘルゲも不機嫌そうに鼻を鳴らすと反対側へと歩く。


 自室に戻ったヘルゲは側近達を集めた。


「悔しいが、これからしばらくは雌伏の時を迎えることになる。我が一派はこれから結束を固め、これ以上の切り崩しを防がねばならん」


「おっしゃるとおりですが、我らが主の復活が失敗したのは手痛い失点でした。失望して自発的に離れていく者も少なくありません」


「勇者を討ち取れば皆思いとどまるのだろうが、ああも周囲を固められては手を出せん」


 功績の大きい勇者は聖教団もしっかりと守っていた。ユッタを使った暗殺は可能とはいえ、このやり方ではヘルゲの汚名は返上できない。ここが難しかった。


 顔をしかめたヘルゲが呻く。


「何か、何か良い手はないものか」


「何でも良いのでしたら、とりあえず勇者の周囲から手を付けてはいかがでしょう?」


「どういうことだ?」


「勇者自身に手を出せないのであれば、勇者と共に功績を挙げ、なおかつあまり守られていない人物を狙えば良いかと思います」


「そんな都合の良い者など」


 沈黙してヘルゲは考えた。片腕となった傭兵は難しい。今も勇者の手先となって働いているので必ず聖教団の邪魔が入る。狙うと結構な損害を受けるのは避けられない。


 ならば他に誰かいないかと思案したとき、ふと一人の人物に思い至った。勇者と共に功績を挙げ、現在はルーメン教徒と関係ないであろう女だ。


「そうか、あいつならばこの条件に合うわけか」


 ほぼ誰にも知られていないのが難点だが、聖なる御魂の一部破壊と神の復活の妨害と二度に渡って邪魔をした人物だ。生け贄としては最適に思える。


 ようやく目標を見いだせたヘルゲは口元を歪ませた。派閥を復活させるだけの効果はなくてもそのきっかけにはなる。何より、アルノーにいつまでも嫌みを言われたくない。


 活路を見いだせたヘルゲは早速側近に指示を出し始めた。


-----


 ルーメン教徒の勇者によって復活したばかりの神が倒された後、ラウラは仲間と共に拠点の一つへと逃げ帰った。


 当初は意気軒昂だったヘルゲ派はテネブー教徒内ですっかり劣勢となっており、以前のような勢いはまったくない。


「ちっ、なんだいあのザマは。あれじゃ話になんないね」


 儲かると信じてテネブー教徒側に寝返ったラウラは期待外れと知って不機嫌だった。


 次の仕事先を探すべく拠点から立ち去ろうとしたラウラだったが、外へ出ようとしたところでウッツに呼び止められる。


「どこ行くんだよ?」


「次のところに行くのさ。いつまでもシケたところにいてもしゃーねぇだろ。てめぇはまだここにいるのかい?」


「当分はな」


「はっ、もの好きだね」


 肩をすくめたラウラが笑った。テネブー教徒内では一番気の合う男だが、意外な返答を聞いて内心驚く。


 その短いやり取りを見かけたユッタも近づいて来た。


「二人して何してるのよ?」


「こいつが出て行くのを見かけて声をかけたんですよ、ユッタさん」


「出て行く? ヘルゲの元を離れるわけ?」


「そうさ。なんか文句あんのかよ?」


「別にないけど」


「てめぇも早くあんなヤツから離れた方がいいぜ」


「ご忠告ありがとう。でも、助けてもらった恩があるから、もうしばらくいるわ」


「ちっ、律儀なことだね」


 面白くなさそうに言い捨てるとラウラは踵を返して拠点を去った。それから再び旅に出たのだが、すぐにとんでもないことになっていることに気付く。


 とある町に着いたとき、町の門で人の出入りを確認していた門兵に取り押さえられそうになったのだ。


「てめぇら、いきなり何しやがんだ!」


「貴様、背教者のラウラだな! 聖教団から指名手配されている! おとなしく捕まれ!」


 考えもしなかった事態に陥っていることを知ったラウラは愕然とした。大陸全体に広がる聖教団に目を付けられてはまともに生きていけない。


 とりあえずこの場を切り抜けるべきと即断したラウラは急いで町から離れた。とにかく生き延びる必要がある。


 こうなると真っ当な形で旅をするのは難しい。更には路銀も豊富にあるわけではないので選択肢も限られた。


 考え抜いた末、ラウラは再びテネブー教徒の拠点に戻ることにする。


「ちっ、あんなヤツに頼んなきゃいけないのかよ」


 心底面白くなさそうにラウラはヘルゲの部屋に向かった。しかし、中に入るとそこはもぬけの殻である。


 雇い主だったヘルゲがいなくなり、ラウラは自分の立場がかなり危うくなったことに気付いた。このままではテネブー教徒側にさえ居場所がなくなってしまう。


「ちっ、こんなことになら、やんなきゃよかった」


 やり場のない怒りにラウラは暴れたい衝動に駆られた。まとまった金を手に入れた一年前と比べてあまりの落差だ。


 近くのテネブー教徒に聞き回ってヘルゲ達が本拠地へ移動したことを知ったラウラも急いで向かった。しかし、やはりどこにも見当たらない。


 どうしたものかとラウラが当てもなく本拠地内をうろついていると、ラウラはある建物を横切ったときに突然怒鳴られる。


「お前、アルノー様の前を横切るとは無礼だろう!」


 いきなりのことで状況が掴めていないラウラは、訳がわからないという表情のまま怒鳴り声の方へ顔を向けた。


 怒る若い男の背後に数人の信者を従えるアルノーという男が立っている。従う者達よりも痩せ細っているが、逆に眼光は鋭い。


 かなりむかついたラウラだが、ここで事を荒立てるのはまずいとぎりぎり自重する。


「ちっ、悪かったね。ちょっと考え事をしていただけだよ」


「これだから異教徒はダメなんだ」


「ああ?」


 珍しく穏便に済ませようとしたラウラだったが自制心は低かった。吐き捨てるように嫌みを言われるとにらみ返す。


 怒鳴ってきた男が何か言い返そうとしたとき、アルノーが口を開いた。思わず全員がそちらへと目を向ける。


「待て、その者は見たことがあるぞ。確かヘルゲと共にここへ来た者達の中にいたな」


 余裕ぶった態度が実に嫌みったらしいアルノーは値踏みするようにラウラを見た。


 敵意を露わにしたラウラが腰の長剣の柄を弄びながら口を開く。


「アタシはてめぇなんぞ知らねぇよ。一体誰なんだい?」


「ふん、口の利き方がなっていないな。まぁいい。私はアルノー、偉大なる我らが主に仕える忠実な僕であり司教だ」


「司教? それじゃヘルゲと似たようなモンか」


「我らが主を復活させると大言壮語して失敗した者と一緒にするな。ところでお前、あの愚か者と一緒にここを去ったのではないのか?」


「はん、あんなヤツといつまでも一緒にいられるかってんだ。落ち目のヤツに関わると、こっちのツキまで落ちちまう」


「ははは! なかなか賢いではないか! しかしそれなら、さっさと次の場所へ行けばいいだろう。なぜここをうろついているのだ?」


 問われたラウラは言葉に詰まった。正直に行き先がないと言って良いのか迷う。


 しかし、顔に出ていた迷いに気付いたアルノーは口を歪めて嫌な笑い方をした。それに気付いたラウラは顔をしかめる。


「ちっ、なんだよ?」


「最近ルーメン教徒の横暴が激しくなっているからな。さてはお前、奴等に狙われてここから出るに出られなくなったな?」


「てめぇ!」


 図星を指されたラウラは目を見開いた。しかし、拳を握りしめて耐える。ここで暴発しては本当に居場所がなくなってしまうからだ。


 自分の予想が当たったと確信したアルノーが笑う。


「ははは! あんな愚か者に仕えた末路にふさわしいとも言えるな!」


「ケンカ売ってんのか、てめぇ!?」


「お前と喧嘩して何になるというのだ? せっかく助けてやろうとしているのに」


「ああ?」


 話が見えないラウラは苛立った。小馬鹿にしているようにしか見えない。


 そんなラウラの様子などまったく気にせずにアルノーはしゃべる。


「実は今、あのヘルゲの一派を懐柔しているところなのだが、お前も乗ってみるか?」


「あ? てめぇに?」


「契約が切れてここにはいられず、しかし外に出ればルーメン教徒に狙われるのだろう?」


 絡みつくようなアルノーの提案にラウラは相手をにらみ返した。実に腹立たしいことではあるが反論できない。


「ちっ、仕方ないねぇ。てめぇの案に乗ってやるよ」


「結構なことだ。ならば来るがいい」


 鷹揚にうなずくとアルノーは再び歩き出した。周囲の信者達もそれに続く。


 自分をまったく意に介することもない態度にラウラは怒り心頭だったが、小さく地面を蹴るとアルノー達の後に続いた。

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