怨嗟と憤怒の行き先

 アルベルト・レーラーはここ最近機嫌が非常に悪い。何もかもがうまくいかないという事態に陥っているからだ。


 機嫌が悪い一つ目の理由が、領地の問題だ。


 広大な領地を持つレーラー侯爵は代官に実務を任せているが、毎年精霊祭の翌月に税収の報告聞くことになっている。もちろん今年もその報告がなされたのだが、去年を大きく下回る結果であることが判明したのだ。


 執務室にて机を不機嫌そうに指で叩きながら、レーラー侯爵が代官を詰問する。


「王国内でも指折りの豊かな我が領地で、一体に何が起きているのだ?」


「はい、それが、税の重さに耐えきれなかった領民の逃亡、天候不順による小麦の収穫量の減少、そして、治安悪化を嫌った商人の退去により流通の停滞などが原因です」


 言いにくそうに代官が理由を並べていった。それを聞いたレーラー侯爵が激高する。


「そういった問題をどうにかするのが貴様の役目だろう! 逃亡した領民は連れ戻せ! 逃げようとする者は捕らえて厳罰だ! 小麦の収穫量が減ったのなら、領民に足りない分を納めさせろ! 治安悪化の原因となっている者は全員処刑だ!」


「恐れながら、領外へ出た者達はもはや手出しできません。逃亡した領民は今も捕らえておりますが、厳罰に処すと耐えきれずに大半が死んでしまいます。また、既に領民は来年の春まで食いつなげる食料もありません。治安悪化は逃亡した領民が盗賊となったことが主な原因です。現在も必死に討伐していますが、数が多くて対処しきれておりません」


 恐縮しつつ、代官もやれることはやっていると主張する。既に搾取する旨味もなく、自分自身も逃亡を視野に入れているくらいにひどい有様なのだ。唯々諾々と従うわけにはいかなかった。


 機嫌が悪い二つ目の理由が、不正の問題だ。


 最初は、十一月上旬にアプト商会の不正が司法の部署に訴えられた。提訴したのはエルネスティーネと聞いてレーラー侯爵は驚く。もちろんアプトに泣き付かれたが、自分には関係ないことだったので放置していた。


 ところが、エルネスティーネは初めて訴えた一週間後に追加の証拠を司法の部署に提出した。しかもその不正はレーラー侯爵絡みのものばかりだ。更にダメ押しとして連日王都の商売人からいくつもの証拠が司法の部署に届けられる事態となる。


 この流れるような一連の動きに、レーラー侯爵はハルトヴィンを叱責する。


「ハルトヴィン! アプトだけでなく、なぜ私まで捜査されなければならんのだ! 貴様、証拠を残すような失態でも演じていたのか!?」


「滅相もございません。お館様にご迷惑がかかることなど、このハルトヴィン、何一つしておりません」


「では、なぜこんなことになっている!」


「どうもアプトめが、お館様のご威光を手当たり次第に振り回していたようなのです」


 レーラー侯爵家の窓口担当でもあるハルトヴィンが証拠になるような物は残していないが、アプトがレーラー侯爵の介入を露骨に示唆するようなことを繰り返していたのだ。ハルトヴィンは何度も諫めていたのだが、アプトの態度は最後まで直らなかった。


 とはいっても、既に起きていることを叱責していても仕方ないことはレーラー侯爵も理解している。問題はこれからだ。


「あいつはもう駄目だな。切り捨てよう。それで、司法への介入はどうなっている?」


「はい。当初は順調だったのですが、途中から他家の横やりが入りまして、それ以後は思うように進んでおりません」


「どこの家だ!」


 ハルトヴィンは判明している家名を告げる。いずれもレーラー侯爵に敵対しているところばかりだ。


 今はまだ司法の部署が裁きを下していないが、このままでは家名に大きな傷が付いてしまう。レーラー侯爵は次第に追い詰められてきていた。


 機嫌が悪い三つ目の理由が、婚約の問題だ。


 レーラー侯爵は現在独身だ。今まで散々遊んできたのだが、年齢は既に三十歳を越えていた。一般的な貴族の男子ならば二十歳を過ぎた辺りで結婚している。そしてようやく身を固めようと決心したわけだが、問題は誰を妻として迎えるかだった。


 相手の家格、派閥、権力、財力はもとより、本人の容姿や作法などを考慮した結果、レーラー侯爵が自分にふさわしいと考えたのはエルネスティーネ王女だった。もちろん、これはレーラー侯爵の一方的な判断である。


 最初は側室である姉経由で国王に打診したが断られた。姉に甘い国王が断るとは予想していなかったレーラー侯爵は驚いたが、次に直接申し出た。しかし、精霊石の巫女であることを理由にやはり断られた。


 内心の憤りを何とか押さえつけ、レーラー侯爵はならばとエルネスティーネに直接求婚した。自分ほどの男が求婚すれば小娘など即答するだとうとレーラー侯爵は考えていたが、拒否の返事がすぐに返ってきた。直接屋敷に乗り込んでも回答は同じだ。


「私の何が気に入らないのだ!」


 エルネスティーネの屋敷から館へと戻る度に、レーラー侯爵は使用人やメイドを折檻する。最近ではその折檻が原因で務めを果たせなくなる者まで現れた。


 こういったことが重なり、レーラー侯爵はここ最近機嫌が非常に悪い。近頃は 執務室の中をうろうろと動き回ることが多くなった。その表情は険しく、髪の毛はわずかに乱れ、目の下にも薄いくまがわずかに見えている有様だ。


「なぜだ、どうしてこの私がこんな目に遭わねばならんのだ!」


 レーラー侯爵からしてみれば、今までと同じように生きてきたはずなのに、今月になってから急にすべてがうまくいかなくなった。端から見ると今までのしわ寄せがやって来ただけだが、本人にはそれがまったくわからない。


「どうすれば、一体どうすればこの事態を乗り切れる?」


 司法の部署での駆け引きは思わしくない。このままでは不利なまま決着がつきそうだ。そうなると、家名に傷が付いて今後に差し障りが出る。


「このままでは、私の計画が! いや、待てよ?」


 ふと立ち止まったレーラー侯爵が顎に手を添えた。これを打開するためには、もう王族の権威にすがるしかない。しかし、王子二人にひざまずくのは避けたかった。


 では、エルネスティーネはどうか。あの王女と結婚できれば、王族と精霊石の巫女という権威が手に入る。それさえあれば、司法の部署の駆け引きなど一気にひっくり返せるに違いない。問題なのは、王女がレーラー侯爵との結婚を拒否していることだ。


「これさえどうにかすれば、逆転できる」


 結婚、せめて婚姻だけでもできればなんとかなる。しかし相手は拒絶している。


 望むものが手に入らないとき自分はどうしていたか。レーラー侯爵は自分の原点に立ち返ってみた。


「そうだ、奪ってしまえばいい」


 今までの自分の行いを振り返ってみてレーラー侯爵は気付いた。わかってしまうとひどく簡単なことに見えてくる。


 では、どう奪うのか。もちろん自分自身でというわけにはいかない。自分はいつでも人を使う側なのだ。実際に動くのは配下の者の仕事である。問題なのは、王族相手だといつものように権力でねじ伏せることができないという点だ。ここをどうするのか。


「あと少しだ。これさえ解決したら元通りになる。いや、それ以上だ!」


 再び執務室の中を歩き始めたレーラー侯爵は最後の詰めを考える。追い詰められている中でも希望が見えてきたせいで、目に異様な迫力を宿し始めていた。


 そして、にやりと笑って立ち止まる。


「アプトに王女をアプト商会へ連れ出させる。そこへ私の兵を派遣して王女を救出させる。このとき、兵がアプトを誘拐の主犯として捕らえようとするが、抵抗したので始末する。そして、王女が助けた私に恋をして、二人は結婚する」


 声に出してつぶやいたレーラー侯爵はこれでいけると確信する。相手の意思など今まで考慮しなかったのだから、今回も無視してしまえばいい。


 ようやく光明を見いだせたレーラー侯爵は上機嫌な声を上げる。


「ハルトヴィン! アプトを呼べ! 至急にだ! 急げ!」


 レーラー侯爵の叫びに、壁際で目立たないように控えていたハルトヴィンが一礼してすぐに退室する。その後ろ姿を眺めながら、レーラー侯爵はにやにやと笑っていた。


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 ベンノ・アプトは窮地に陥っていた。不正を訴えられるとことは日常茶飯事だったが、二週間前にアプトを訴えたのがエルネスティーネだということで事態が一変する。これが平民ならばすぐにもみ消せたのだが、王族相手となるとそうもいかなかった。


 慌てたアプトはレーラー侯爵に相談する。こういうときのための後ろ盾だからだ。しかし、最初こそ司法の部署への介入をするそぶりを見せたがたが、その動きもすぐに止まってしまう。


 不審に思ったアプトがレーラー侯爵に尋ねる。


「侯爵様、お急ぎください。このままでは我が商会が大変なことになってしまいます!」


「ハルトヴィンに調べさせてみれば、どれも貴様の不正ばかりではないか。言わば身から出た錆だろう。なぜ私がそこまで骨を折らねばならんのだ?」


 興味なさそうに言い放ったレーラー侯爵にアプトは愕然とした。同時にこのままでは切り捨てられるともアプトは直感する。


 このままでは破滅を待つばかりとアプトは自分でできることに手を伸ばしていく。伝手を使い、金品もばらまきながらどうにか裁きを防ごうとした。だが、その目論見はうまくいかない。


 不正を訴えられてから一週間後、更にエルネスティーネから司法の部署へ証拠が追加で届けられた。今度はレーラー侯爵も必死になって介入し始めたことをアプトはすぐに知る。侯爵絡みだからということにすぐ気がついた。


「侯爵様が動かれたのならば、助かるかもしれない」


 自分の不正についてもまとめてもみ消してもらえるとアプトは希望を持った。アプトにとってレーラー侯爵との関係は一蓮托生なのだ。簡単に切り捨てられるわけにはいかないのである。


 ところがアプトの受難はまだ終わらなかった。今度は王都中の商売人から不正の証拠を突きつけられたからだ。今まで散々好き放題してきた報いが、ここに来て一気に吹き出したといえる。


「なぜ、なぜこんなことになったのだ!」


 自分の商会の執務室で、打つ手のなくなったアプトは頭を抱える。つい先日まで想像もしなかったことだ。


 最も信じられないのは、なぜ王女であるエルネスティーネがアプトの不正を訴えたのかだ。今まで王都内のことに関わろうとしなかったあの王女が、どうして今になって急に介入してきたのか。


 そのとき、アプトはある税務担当の役人からの報告を思い出す。レーラー侯爵が指示したラムペ商会へのねつ造不正調査のときに、ティアナという王女の侍女がそれを止めた。そのティアナは、元々ラムペ商会の客人だったらしいという話だ。


 事のからくりが見えたと思ったアプトは歯ぎしりする。


「おのれ、ラムペ! まさか王女に取り入っているとは! いつの間に」


 アプトの知る限りでは、ラムペは権力者とは深い付き合いをしない人物だ。更にエルネスティーネも俗世に関わることがあまりない少女である。


 一体どうやってつながったのかまではわからなかった。しかし、現につながりがあるということは、どうにかしたのだろう。


 悔しさのあまり、アプトは機能が麻痺しつつある情報網を使って、ティアナとはどんな人物なのかを調べる。つながりそうにない二人をつなげたこの侍女は一体何者なのか、もしかしたら何か役に立つ話が出てくるかもしれないと藁にもすがる思いで探った。


 しかし、結果は期待外れだった。先月初めに王都のラムペ商会へやって来て、あちこちを巡った後、エルネスティーネの屋敷に呼び出されてそのまま侍女になった。あとは、王女お気に入りの侍女であるということくらいがわかっただけだった。


「くそ、どうにかならんのか!」


 八方手を尽くしたものの、司法の部署での進展はなく、王都での評判はすっかり地に落ちた。


 そんな追い詰められたアプトにレーラー侯爵からの使者がやってきた。至急の呼び出しだ。あちらの工作も芳しくはないと聞いているが、自分と同様に追い詰められているのかとアプトは想像する。


 ただ、もはやすがれるものには何でもすがりたい心境のアプトは、その呼び出しに応じることにした。そこに一縷の望みを託して。


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 ウッツは、ここ一ヵ月くらい不運に見舞われていることに苛立っている。


 ラムペ商会を襲撃したときに女二人に仕事を仕事を邪魔され、なめられないようその片割れを襲えば失敗した。


 倉庫裏でラムペ商会の小娘を一緒に襲った体格の良い男とは、逃した原因を巡って喧嘩をしてしまう。その様子を見て笑った別の仲間とも殴り合いをした。この喧嘩のせいで一時仲間とぎくしゃくして仕事ができずに懐が寂しくなる。


「ああ、くそっ! ツイてねぇなぁ」


 アプト商会が保有する倉庫の奥で、ウッツは面白くなさそうに寝そべっていた。


 先月までは所狭しと荷が積まれていた倉庫内だが、今は何もなくなっている。貴族や他の商会などに資産を差し押さえられて、すべて運び出されてしまったのだ。採光窓から差し込む日の光が直接床を照らしていた。


 その光をぼんやりと見ながらウッツがつぶやく。


「やっぱナメられるとロクなことがねぇなぁ」


 他の仲間とは二週間前にやっと仲直りした。ウッツが酒と女を振る舞ったからだ。金の出所はアプトである。金を渡されてアプトを訴えた店を片っ端から襲えと命じられたのだ。


 数日は各地で暴れ回ったウッツだったが、当然そんなことをしていれば治安の部署に目を付けられる。レーラー侯爵の影響力が薄い今は、容赦なく取り締まられることになってしまい、ここ一週間はほとんど表に出られなくなってしまった。


 今は他の仲間も、倉庫内で所在なさげに座ったり寝そべったりしている。


 体格の良い男が他の男と話をしていた。


「ここもそろそろダメだな。よそに行くか」


「オレは一回王都を出よっかなぁ」


 その話をなんとなく聞いていたウッツも内心は同感だ。ただ、何にせよあの女二人には最後に一発食らわしてやらないと気が済まない。


「何とかして、もう一回会わねぇと」


 一人で襲おうにも相手は組織の人間だ。最近は警護もしっかりしていた。そうなると、落ち目とはいえアプト商会の伝手はまだ使えるとウッツは考える。だからこそ、もう少しこの沈みかけた泥船に乗り続けているのだった。


「さて、どうしたものかな」


 表面上は他の仲間と同じようにつまらなさそうにしていながらも、ウッツはもう一度あの二人に手を出せる機会を見つけ出そうと考え続けた。

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