ご主人様の決断

 エルネスティーネの屋敷に戻ったティアナは、外出していた間のことを報告しなければならない。通常、報告の相手は直属の上長だ。使用人、メイド、侍女ならそれぞれのまとめ役にあたる。


 しかし、ティアナの報告する相手はエルネスティーネだった。気に入った相手のことは何でも知りたいというわけである。


 ティアナが執務室へ向かうと、そばにローザを控えさせたエルネスティーネが執務机で仕事をしていた。机を挟んで対面には、精霊殿に務めを示す意匠をあしらった服を着ている男性が立っている。


「お帰りなさいませ、ティアナ姉様! あ、これをあなたはやっておいて」


 立ち上がってティアナに向かおうとしたエルネスティーネはローザに止められてしまう。一瞬悲しそうな表情でローザを見るが、すぐに男性へと書類を渡して指示を出した。


 男性が退出する中、ローザから解放されたエルネスティーネは嬉しそうにティアナへと向かった。


 ちらりとローザへと目を向けてから、ティアナは抱きついてきたエルネスティーネに口を開く。


「おはよう、エルネ。ただ今戻りました。仕事を途中で放り出すのは良くないと思います」


「ごめんなさい、ティアナ姉様。つい嬉しくて」


「一日会っていないだけではありませんか。いくら何でも大げさすぎます」


「そんなことありません! とても寂しかったです!」


 思い切り宣言してから、エルネスティーネはティアナの胸へと顔を埋めた。


 多少苦しい思いをしつつも、ティアナはエルネスティーネのするがままにしてしゃべる。


「昨日の報告と相談をしたいんですけど、よろしいでしょうか?」


「相談ですか?」


 抱きついていたエルネスティーネだけでなく、ローザも首をかしげる。相談する内容が想像できないからだ。


 そんな二人を見ながらティアナが言葉を続ける。


「最初に報告ですが、昨日ラムペ商会へと参りました。そのとき、ちょうど虚偽の密告により税務の役人が、商会を調査しようとしていたところに出くわしたのです」


 ティアナの話を聞き始めたエルネスティーネが目を大きく開くが、すぐに真剣な表情に変わる。それは近づいてきたローザも同じだった。


 こちらへと目を向ける二人に対してティアナは報告を続ける。


 同業者への妨害を厭わないアプト商会が、以前からラムペ商会へ直接的な妨害をしていること。更にレーラー侯爵経由で税務の部署を動かし、不正の濡れ衣を着せようとしたこと。その場に居合わせてティアナが、エルネスティーネの侍女を名乗って結果的に役人の調査を止めたことなどだ。特にティアナが関係したところは、その微妙な機微も含めて詳細に説明する。もちろん、推測である部分はその旨も伝えた。


 その報告を聞いてローザがため息をつく。


「我らには直接関係のないことですから、税務の部署から問い合わせが来た場合は、無関係と主張するべきだと思いますが」


「権力を使って民を苦しめるなどあってはなりません。しかも、虚偽と知りつつ摘発しようなど言語道断です。問い合わせが来たのなら、不正の根拠を示すように返答しなさい」


「エルネスティーネ様、いくらティアナが関係している商会とはいえ、そこまで肩入れしなくても良いではないですか」


「ティアナ姉様が商会に関係しているのはきっかけにすぎません。不正を見つけたのなら正すべきでしょう」


「何もエルネスティーネ様がなさらなくても良いではありませんか」


「では誰がやるのですか?」


「それはしかるべき方がです」


「そのしかるべき者であるはずの役人も貴族も、正しく働いていないではありませんか。このままでは誰も不正を正せません。ならば、王族であるわたくしが動くべきでしょう」


 エルネスティーネの意見はローザとは正反対だ。依然ティアナに抱きついたままなので、せっかくの真顔なのにかわいらしく見える。一方のローザは沈痛な表情を浮かべていた。できるだけ俗世には関わらないようにさせたいことが伺える。


 とりあえずお互いに言うべきことは言った二人が口を閉じたのを見計らい、ティアナは再びしゃべる。


「それと相談なのですが、エルネが告発をしてくれるのでしたら、ラムペ商会が持っているアプト商会の不正の証拠を提出する用意があるそうです。ちなみに、王都のちょっとした商売人ならば誰でも持っているそうですよ」


「そんなにたくさんあるのですか!?」


 話を聞いたエルネスティーネが驚く。当たり前のように同業者に不正の証拠を握られている商売人など、普通では考えられないからだ。


 思わずローザも疑問を呈する。


「それほど多くの証拠があるのなら、司法の部署に届けて裁かせればよいではないですか。なぜ誰もしないのです?」


「有力な貴族の後ろ盾があるからです。握りつぶされると知っていては、誰も訴えることなどしないでしょう?」


「あのレーラー侯爵は、そんなひどい商会をかばい立てしているのですか」


 これにはローザも驚いた。


 尚もティアナに抱きついたままのエルネスティーネは眉をひそめる。


「これは、一度誰かがきちんと正さねば、秩序が保てないですわね」


「兄王子様のお二人にお願いすればよいのではないですか?」


「聞き届けてくださるのなら、そもそもこのようにはなっていないでしょう。お二人ともそれどころではないでしょうし」


 漏れ伝わる王位継承争いの話を思い出しながらエルネスティーネは話す。ローザは顔をしかめた。


 そこで更にティアナが話を加える。


「ラムペ氏の話では、エルネが告発してくれるのなら、その直後に王都の商売人が税務担当の役人へ一斉に不正の証拠を差し出す手はずを整えるそうです」


「なぜそんなことするのですか? まとめてエルネスティーネ様に渡せば良いではないですか」


「王都中の商売人がアプト商会の不正を知っているということを役人に知らしめるためです。これならば、エルネの提出した証拠をもみ消すことはできなくなるでしょう」


 アプト商会にはどの商売人も大なり小なり嫌な思いをさせられているので、きっかけさえあれば仕返しをしたいと思っている者が多い。だからこそ、公然の秘密を周知の事実として役人に圧力をかけようとティアナは説明した。


 話を聞いたエルネスティーネは喜び、ローザは渋い顔をする。


「素晴らしいですわ、ティアナ姉様! そのようにいたしましょう!」


「エルネスティーネ様、このようなことをすれば、レーラー侯爵にも累が及びかねません。いえ、別にそれはよろしいのですが、かのお方に報復される可能性があります」


「どうせこのまま婚姻の話を断れば、今後かの者は何かと嫌がらせをしてくるに違いありません。ちょうど良いではありませんか。こちらの意思をはっきりと見せてやりましょう」


 どんなものでも手に入れないと気が済まないというレーラー侯爵の気性は有名だ。同時に手に入らないのであれば徹底的に叩き潰すこともである。


 どう転んでも厄介な問題にぶつかってしまうことにローザは頭を抱えた。


「仕方ありません。今回はティアナの案を受け入れましょう。ただし、あくまでも不正の証拠を司法の部署に届けるのみです。それ以後は関わりません」


「ありがとうございます」


「うふふ。やりましたね、ティアナ姉様!」


 抱きついたままのエルネスティーネが、満面の笑みを浮かべてティアナの胸に再び顔を埋めた。圧迫感が少しきついと思ったティアナだったが、無理を通した手前拒否できない。ローザに視線を移すと、ティアナを半目で睨んでいた。


 結局、しばらくそのままエルネスティーネの好きにさせるしかなかった。


 散々反対していたローザだったが、いざ取り組むとなるとその行動は早かった。すぐさまラムペ商会へと急ぎの使者を出し、こちらの望むような結果を出してくれそうな人物の選定する。


 昼下がりになると、不正の証拠を携えたラムペがエルネスティーネの屋敷を来訪した。事前に戻ってきた使者から連絡を聞いていたエルネスティーネ達は、すぐにその内容を吟味する。


 それを見たローザは呆れる。


「私は商いには詳しくありませんが、普通もっと巧妙に隠そうとするのではありませんか? いくら貴族の後ろ盾があるとはいっても、これは」


「最初は私も偽の情報を掴まされているのではと疑っていましたが、単に脇が甘いようなんです」


 大量の不正の証拠を見せながら説明するラムペもため息をつく。司法が正常に機能していれば、これだけでも充分アプト商会は破滅するだろう。


 同じく不正の証拠を確認しているエルネスティーネもため息をついた。


「色々と知恵を絞らねばいけないと思っていましたが、これだけあれば証拠を突き出すだけで済みそうですね」


「一つ提案があるのですが、よろしいでしょうか?」


「ティアナ姉様、どのようなものですか?」


「最初に提出する不正の証拠から、レーラー侯爵が関係しそうな証拠だけ省いておきませんか?」


 ティアナの提案の意図がわからず、その場にいた三人が首をかしげる。


「最初にアプト商会の不正だけを問い質し、その不正が確実だと役人が強く思うようになってから、次にレーラー侯爵が関係している証拠を提出するんです」


「それにどんな意味があるのですか、ティアナ姉様?」


「自分も危ないとわかれば最初からレーラー侯爵が妨害してくるでしょう。でも、アプト商会だけだとわかったら、恐らく切り捨てて自分は知らんぷりを決め込むと思うんです」


 それを聞いたラムペがぴんと来た。感心したように言葉を継ぐ。


「なるほど、裁きへの妨害を遅らせるというわけですか。横やりが入る時期が遅いほど捜査は順調に進みますから、そこを狙うのですね」


「あなた結構辛辣なことを思いつくのですね、ティアナ」


 若干引き気味のローザが感想を漏らしたが、ティアナはにっこりと笑うだけだ。


 反対意見は出なかったのでティアナの案は採用された。


 内容の吟味と仕分けが終わると、すぐさまその証拠第一弾を司法の部署に提出しなければならない。これはローザが届けた。これに司法の役人が慌てる。何しろ、俗世との関連が薄い王女の侍女が、一商会の不正の証拠を持って来たのだ。


 早急に調べて裁くよう求められた司法の部署は、王女であり精霊石の巫女からの強い要求に最初から本腰を入れた。相手は叩けばいくらでも埃が出てくる相手でもあったので、張り切っていたという情報を後にローザ経由でティアナは聞いている。


 その後の捜査は順調に進み、アプト商会の悪事の証拠は次々に出てきた。何しろ普段からろくに隠さず悪さをしていたのだから当然である。


 これに対してレーラー侯爵は動きが鈍かった。エルネスティーネから提出された証拠はアプト商会のものだけだったからだ。当初、王都にはレーラー侯爵もアプト商会の不正には眉をひそめていたという噂が出回るようになる。


 しかし、一週間が過ぎた頃、エルネスティーネから再度司法の部署に不正の証拠が届けられた。しかも、今度はアプト商会とレーラー侯爵のつながりがあるものだ。同時に王都の商売人から次々と不正の証拠がもたらされる。


 今や王都の話題はアプト商会の不正で持ちきりだった。


-----


 最初の証拠を司法の部署へ提出してから二週間が経過した。


 既に晩秋を迎え肌寒くなってきたせいで誰もが厚着し始めている。


 ティアナはラムペ商会を訪れていた。最初にラムペとこれまでの経過とこれからのことについて確認した後、客室にてアルマと会う。


「久しぶり、あれから商会が襲撃されていないようで結構なことだな」


「まったくね。余計なちょっかいを出されなくなったから、こっちは大忙しよ」


「商売繁盛か。いいことじゃないか」


「あたしの懐に大金が入るわけじゃないけどね」


 沸かしたお湯をもらってきたアルマが木製のコップ二つに注いで一つを渡す。ティアナがそれを両手で持った。


「そっちは順調そうだな。司法の部署での裁きだけど、レーラー侯爵の動きが本格化しているらしい」


「有力な貴族様なんでしょ? もみ消されない?」


「それが、レーラー侯爵に敵対している貴族が何人か反対し始めたらしいんだ」


「あの王女様は何もしてないの?」


「うん、ローザとの約束だしね。ただ、最悪もみ消されたとしても、レーラー侯爵関連だけだろうっていう話だ。何十人っていう商売人から不正を突きつけられたアプト商会はもうだめだろうな」


「王都中が注目してるもんねぇ。これで裁けなきゃ王家の権威が地に落ちるだろうし」


 王都の平民の間では、アプト商会が有罪という前提で皆が話している。これだけの証拠が挙がって無罪になるとは誰も思っていないので、司法の部署としてはもう引けなくなっていた。


 一方、貴族の間では、レーラー侯爵がどのようになるのかが噂の的だった。何しろ今まで好き放題してきた人物なので好意的な噂はない。ただ、お咎め無しになる可能性はあっても、しばらくはおとなしくせざるを得ないだろうというのが大方の見方だった。


 一口湯を飲んだティアナは体の力を抜いてしゃべる。


「ラムペ商会はこれで一件落着だな。エルネの方もこれで求婚されずに済むって喜んでたなぁ」


「あー、レーラー侯爵に大きなけちがついちゃったもんねぇ。あれじゃ清廉潔白な王女様との結婚なんてありえないわね、確かに」


 体面をとても気にする王侯貴族にとって、不正の疑惑だけでも大きな傷になりかねない。特に格上の家から子女を迎え入れようとする場合、通常は婚約の取り消しになる。


「ということで、いよいよ精霊石の方に集中することになったわけだ」


「何か当てでもあるの?」


「全然」


 元気よく言い放ったティアナにアルマはがっくりした。


「どーすんのよ、あんた」


「いやほんと、どうしようかな」


 呆れるアルマに問いかけられたティアナであったが、今のところ良い知恵は湧いてこない。


 その後二人で延々と相談をしたものの、結局これといった案は出なかった。

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