起死回生の一策
ベンノ・アプトは、レーラー侯爵の執務室に呼び出されていた。いつもなら執務机の前で立ちっぱなしなのに、今は部屋の一角にあるソファに座っている。上質な布で汗を拭きながら、一体どんな話をするのかとアプトは緊張していた。
向かいに座ったレーラー侯爵がアプトへと口を開く。
「アプト、不正追及の件、大分追い詰められているようだな」
「はい。私も手を尽くしておりますが、なかなか思うようには参りません」
何を今更と思いつつもアプトは慎重に言葉を選んで返す。
そんなアプトを見てレーラー侯爵がにやりと笑った。以前ならアプトにとって頼もしく思えた笑い方だが、今は嫌な感じがまとわりついて仕方ない。
ソファの背もたれから身を乗り出したレーラー侯爵が笑顔そのままで提案してきた。
「そうだろうな。しかし、お前が助かる方法があるぞ」
「それは本当ですか!?」
レーラー侯爵が自ら手を差し伸べてくれるとは思っていなかったアプトは、目大きく開いた。その意外な申し出にすぐさま飛び付こうと体を前のめりにさせる。
アプトの様子を満足そうに見ていたレーラー侯爵は、何度かうなずいて話を続けた。
「もちろん、貴様にも協力してもらわねばならぬが」
「それはもちろん! どのようなことでもお申し付けください!」
アプトは平身低頭して懇願する。完全に信用したわけではない。相手の機嫌を取っておく必要があるからだ。
満足そうにうなずいたレーラー侯爵はその方法を説明する。
「今回の危機は、私に逆らう他の諸侯が不当な介入をしているために、なかなか事が運ばんのが原因だ。そこで、その者共をすべて黙らせるために、急いで王家と精霊石の権威を手に入れることにした」
精霊石と聞いてアプトは首をひねった。王家の権威ならばまだわかるが、精霊石の権威などどうやって手に入れるのかがわからない。
「わかっておらんようだな。私と王女様が結婚すればよいということだ」
話が飛びすぎているように思えたアプトは眉をひそめる。現状の危機を脱するために、エルネスティーネと結婚して王家と精霊石の巫女の権威を手に入れるということは理解できた。しかし、それには大きな問題がある。
言いにくそうにアプトが口を開いた。
「あの、誠に申し上げにくいことですが、侯爵様と王女様のお話は、まだまとまっていないと記憶しておりますが」
「確かにその通りだ。よって、貴様が手を尽くして王女様を貴様の商会本店にお連れしろ。明日中にだ。司法での裁きが決まる前に手を打たねばならんから急ぐ必要がある。貴様から連絡があり次第、迎えの者をこちらから寄越す」
「恐れながら申し上げます。憚られますが、王女様は侯爵様とのご婚姻を渋っていらっしゃると聞いております。しかも、侯爵様のお誘いをことごとくお断りしているとも。そのようなお方を、どうやって私の商会へお連れするのですか?」
「それを考えるのが貴様の役目だ。このままだと、貴様は全財産没収の上に極刑だな。私なら貴様を救ってやれるのだが」
「しかし、お連れするとなると、手段を選べなく」
そこでアプトは気がついた。なるほど、そういうことかと。何もしなくても極刑、失敗しても極刑。生き残るためには成功させるしかない。
にやにやと笑いながらレーラー侯爵が告げる。
「心配ない。貴様が王女様をお連れさえできれば、もはや事は成ったも同然。お前の身は私が保証してやる」
「侯爵様、一つ疑問がございます。なぜ、王女様を直接このお館へお連れさせないのですか? 我が商会で明日いきなり王女様をお迎えするのは、準備が」
「私の館で迎えるために多少の用意をするためだ。貴様から連絡があり、こちらの準備が整い次第迎えの者を寄越す。貴様のところが準備不足なのは、この際大目に見てやる」
何かを隠しているのはアプトにもすぐわかった。しかし、何を隠しているのかまではわからなかった。だが、選択肢は既に一つしかない。
更に計画も実行もすべてアプトがしなければならない。しかもすぐにだ。
噴き出す汗を拭いながらアプトは必死に考える。今の自分が使える手段も手駒も限られていた。手段を選ばないのならやりようがあるかもしれない。しかし、部分的にいくつかの方法は思い浮かんでも、それを一つにまとめられないでいた。
アプトはちらりとレーラー侯爵の顔へと目を向けた。相変わらずいやらしい笑みを浮かべている。どうしたものかと悩んでいると、いつの間にかレーラー侯爵のそばに控えていたハルトヴィンが主人に言葉を投げてきた。
「お館様、この際タクミをアプトに貸し与えてはいかがでしょうか?」
「なに、あいつを?」
「あの者は、王女様の侍女に知り合いがおります。あちらの屋敷でお館様が面会していたときに、控え室でその侍女と何度か会っておりました」
「その侍女とは?」
「確かティアナと申しておりました」
ちらりと目を向けてハルトヴィンを見たレーラー侯爵はしばらく考える。
ハルトヴィンの話を耳にしたアプトの脳裏にかつて調べた記憶が蘇った。それは、王女のお気に入りの侍女ではなかったか。
「侯爵様。タクミとは、あの細身の割にやたらと強いという話の者でしょうか?」
「その通りだ」
「では、そのタクミをお貸し願えますか?」
「ということは、引き受けるということでよいな」
「はい」
か細いながらもつながってしまった希望への可能性にすがるため、アプトは危険な端を渡ることにした。待っていても破滅しかないのなら動くべきだと考えて。
そんなアプトを眺めながら、レーラー侯爵の機嫌は珍しく良くなった。
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破滅を避けるため、レーラー侯爵の提案を受け入れたアプトはすぐに行動へ移った。
応接室にタクミを連れてきてくれるように頼んだアプトは、先に控え室へ向かって部下にウッツを呼んでくるよう指示する。その後、もう一人の部下と共に応接室へと急いだ。
汗を拭きながらアプトが応接室へと入ると、所在なさげにタクミが座っていた。アプトはそれを見てにんまりと笑う。
「侯爵様の護衛を務めてるタクミだな? 何度か見たことがある」
「えっと、確かアプト商会のアプトさん、ですよね?」
若干不審な顔つきのタクミの正面に座ったアプトは気にせずしゃべり続ける。
「実は侯爵様からご用を賜ってな、それを成し遂げるためにお前の協力が必要なのだ」
「え、僕ですか? 商売のことはまったくわからないですけど」
タクミが首をかしげた。
そんなタクミに対してアプトは首を横に振る。
「商売絡みで頼むのではない。今回はもっと役に立つことだ」
アプトの言葉に眉をひそめるタクミだったが、レーラー侯爵から会って協力しろと命じられているので逃げられない。
やがて小さくため息をついてタクミが尋ねる。
「それで、協力って僕は何をするんですか?」
「話が早いな。良いことだ。実は、手紙を一つ書いてもらいたいのだ」
「手紙、ですか? いやでも、僕、こっちの字は書けませんよ?」
「何?」
予想外の返答を聞いたアプトは目を見開いた。その可能性をまったく考慮していなかったのだ。レーラー侯爵がそばに置いておくくらいなので、その程度の教養はあると無条件に考えていたからである。
アプトは眉をひそめた。いきなり計画が出だしから挫かれた格好だ。難しい顔をして黙る。そのまましばらく黙考していたアプトだったが、対応策を思いついて表情を穏やかなものに戻した。
「タクミ、お前はまったく文字が書けないのか?」
「自分の国の言葉なら書けますけど」
「わかった。それでは、手紙の内容はこちらで用意するので、最後に署名だけするんだ。ところでお前は、王女様の侍女であるティアナを知っているか?」
「え? あ、はい」
「どの程度の仲なのだ? 好かれているとか、嫌われているとか、だが」
「えぇ? 向こうの屋敷で二回話した程度ですよ。嫌われてはないと思います」
何気ないタクミの返事を聞いたアプトは内心で安堵のため息をつく。
アプトは部下に便箋とペンを用意させ、タクミの目の前で記す。数行書いただけなので時間はかからなかった。
文章を書き終えたアプトは便箋とペンを差し出す。
「さぁ、下に署名をするんだ」
「これ何が書いてあるんです?」
「侯爵様が王女様へお伺いなさりたいので、都合の良い日を教えてほしいと書いてある」
多少不信感を表情に浮かべていたタクミだったが、それをアプトにぶつけることはなかった。ただし、疑問はあるようでタクミはアプトに質問してくる。
「どうして侯爵様が直接王女様に聞かないんです?」
「正直に言うと、避けられているからだ。そこで、私とお前の出番というわけだ」
エルネスティーネがレーラー侯爵を嫌っているという噂はタクミもよく耳にする。
なるほどと納得したタクミは、便箋の最後に自分の名前を日本語で記した。
その文字を見てアプトが眉をひそめる。
「変わった文字だな。見たこともない」
「僕の国の文字です」
読めないものの、文字だということはなんとなくわかったのでアプトは深く追求しなかった。二度折りたたんで封筒に入れる。
そうしてアプトは立ち上がる。
「ご苦労だった。もういいぞ」
「え? これだけですか?」
「そうだ。これでレーラー侯爵様もお喜びになられるだろう」
上機嫌のアプトを納得いかなげにタクミが見る。しかし、何も言わなかった。
そんなタクミをもう用はないと無視して、アプトは応接室を後にした。
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ウッツはいきなり至急と呼び出されて、急いでレーラー侯爵の館へと駆けつける。
案内されて控え室にたどり着いたときには、既に雇い主のアプトが汗を拭きながら待っていた。何か思い詰めた表情をしていたようだが、ウッツの姿を見ていつもの様子に戻る。
「アプトさん、言われたとおり来ましたぜ」
「やっとか。そこに座れ」
アプトの正面の席を指定されたウッツはそこに座る。そして、雇い主とは違って飄々とした顔で口を開いた。
「珍しいじゃないですか。いつもなら、倉庫で使用人に指示させるってのに。侯爵様はオレみたいな下賤な輩はお嫌いじゃなかったんですか?」
「そうも言っておられん状況なのだ。いつものように仕事をくれてやるぞ」
平静を装いながらウッツは内心で現在の状況について考える。アプト商会が不正で訴えられたと思ったらレーラー侯爵にも飛び火した。いつもなら簡単にもみ消しているというのに、今回はそれが上手くいっていない。かなり危ない状況だとはウッツでもわかる。
「どのようなことをすればよろしいんで?」
「お前の仕事は三つだ。一つ目は、この手紙を王女様の屋敷にいるティアナという侍女に直接手渡すこと。二つ目は、屋敷から出てきたティアナを捕らえて倉庫で監禁すること。三つ目は、王女様を私の商会の本店までお連れすることだ」
ウッツは眉をひそめた。二つ目までは良い。たまにやる誘拐と同じ手口だ。しかし、最後は一体どういうことなのか。
こちらへと指示するアプトに訝しげな視線を送りつけながら、ウッツは尋ねる。
「王女様を本店まで連れてくるってのはどういうことですかね? オレみたいなのが誘っても、はいそうですかなんてノコノコくるとは思えませんが」
「普通ならな。しかし、策は既に練ってある。それを聞けば、お前も納得するだろう」
前置きをしてから、アプトはウッツに今回の計画を説明した。
まず、タクミの署名入りの偽手紙でティアナをおびき出して誘拐する。次に、そのティアナを理由にエルネスティーネをアプト商会の本店に連れて行くというものだ。
話を聞いたウッツは呆れた。
「精霊石の巫女様を騙したとあったら後でどうなるか、アプトさんだってわかってるでしょう。それでもやるんですかい?」
「王女様を本店にお連れした後は、侯爵様が迎えの者を寄越してくださることになっている。そして、その後はすべて片を付けてくださることになっているのだ。だから後のことは気にしなくてもいい」
自信満々に言い切るアプトをウッツは胡散臭そうに見る。こんなことをしでかして、破滅する度合いが大きいのは貴族の方だ。余程の策があるのかもしれないが、ウッツは自分達がその恩恵にあずかれるとはどうしても思えなかった。
潮時だな、とウッツは思った。訴えられてからはアプト商会に先がないことは感じていたが、こんな大それたことを追い詰められてからやるようではもうダメだ。
しかし、ティアナに復讐できる機会が巡ってきたことは幸運だとも考える。倉庫で監禁できれば、アルマを誘き出すことも簡単だ。ウッツはこういうのを待っていた。
ついでに最後の一稼ぎをしてやろうとも思ったウッツがアプトに答える。
「承知しました。引き受けましょう。ただ、今回は特にヤバイ仕事なんで、前金をいただきたいですねぇ」
「ふん、まぁいいだろう。ただし、仕事はきっちりとこなすんだぞ」
座ったまま一礼するウッツの前に、アプトはまとまった額の入った小袋を投げて寄越した。ウッツはそれを嬉しそうに懐へとしまう。
そうして二人で細かい打ち合わせをしてから、ウッツはレーラー侯爵邸を辞去した。
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