偽りの手紙
ラムペ商会でアルマと会った翌日、ティアナはエルネスティーネの屋敷に戻った。王都でアプト商会の裁きに関する情報やレーラー侯爵の動向についての話を集めたティアナは、それらをエルネスティーネへと報告する。
もちろん、動いているのはティアナだけではない。エルネスティーネも自分の伝手を使って手が届く範囲で情報を集めていた。
屋敷の執務室にてお互いの情報を交換し終えると、エルネスティーネはティアナを脇にある来客用のソファへと誘う。
「わたくしの伝手とラムペの情報網のどちらで確認しても、当面の危機は去ったようですわね。あの者もこれでおとなしくなるでしょう」
「アプト商会はもう終わりでしょうね。例え無罪になったとしても、同業者からこれほど嫌われていては商売ができないでしょうから」
お茶の用意をしながらティアナがエルネスティーネに応えた。
ティアナがお茶を差し出すと、上機嫌のエルネスティーネがティーカップを手に取る。
「レーラー侯爵の求婚から解放されたのが、余程嬉しいみたいですね」
「もちろんですわ。政略結婚は仕方ないにしろ、あの者はあり得ませんもの。できるだけ清廉潔白で誠実な方でないと」
「神聖な役目に就いていると、そういうところは特に厳しいですものね」
「わたくし自身もそのような方が望ましいと思っていますから、ちょうど良いですわ」
王家は王家でもちろん思惑がある。だから未だにエルネスティーネへの縁談の話もないのかと納得する。
「これでやっと、精霊石の問題に集中できますね」
「そうですわね。ウィンも喜んでくれるでしょう」
初めてウィンクルムと出会ってから何度か会っているが、その度に早く出たい、まだなの、とせっつかれている。エルネスティーネから口癖のようなものなので挨拶代わりだと思えばいいと聞いたが、ティアナとしてはできるなら早く解放してやりたいと思っていた。
この問題をこれからどうやって解決するべきか二人が話し合っていると、ローザが執務室にやって来た。不機嫌そうな表情なので悪い知らせだということがわかる。
「ティアナ、ウッツという者が、タクミの手紙を直接手渡したいと言っています。あの者は確か、アプト商会の用心棒でしたよね? タクミはレーラー侯爵の護衛でしたか。一体どうなっているのです?」
いきなり予想外のことを告げられ、想定外のことを問いかけられたティアナは眉をひそめる。エルネスティーネも横で首をかしげていた。
ティアナはどうにかして質問に答える。
「タクミから手紙が来る可能性はわからなくもないですけど、それをウッツが持ってくる理由まではわかりません」
「タクミとは、以前この屋敷の控え室で二度程会話をしたと言っていましたよね。レーラー侯爵に騙されて利用されているとも。そう言えば、故郷に帰りたいと漏らしていたとか」
「はい、真っ当な働き口があれば紹介してほしいとも頼まれていました」
タクミの件については既にエルネスティーネとローザに報告していた。そのため、どちらもタクミを知っている。
また、ウッツについても二人は知っていた。これはティアナを調べた際に名前が出てきたからだ。当然、好ましからぬ人物として記憶されている。
眉をひそめたエルネスティーネが口を開いた。
「タクミもウッツもあちらの陣営に属してはいますが、方やレーラー侯爵の護衛、方やアプト商会の用心棒ですわよね。接点があるようでないのに、用心棒が護衛の手紙なんて持ってくるのは怪しいですわね」
「なぜ、同じ館の者に使いを頼まなかったのでしょう?」
ローザもエルネスティーネと同じ点を気にしていた。元々怪しい人物が不可解な行動をとっていれば疑うのは当然だ。
ただ、ティアナはそれでもタクミの手紙というのが気になった。転移と転生の違いはあれど日本という国つながりで縁のある人物だ。無条件に拒否するのはためらわれた。
「とりあえず、手紙だけでも受け取りましょう。ウッツはすぐ帰せばいいですし」
「ティアナ姉様がそうおっしゃるのでしたら」
「私は手紙の受け取りも拒否すべきだと思いますが、仕方ありませんね」
反対しているローザの態度もそれほど強いものではない。
これ以上意見は出ないと考えたティアナは、ウッツが待っている控え室に向かった。
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ティアナが控え室に入ると、浅黒い肌の目つきが悪い男が座っていた。すぐにそれがウッツだとわかる。
一方のウッツも同様で、ティアナの姿を見るとにやにや笑って立ち上がった。
「よぉ、久しぶりじゃねぇか。あんときと違って、いい服着てるねぇ。うまくやったもんだ。あやかりたいぜ」
「あなたの方は、何もお変わりないようで」
不信感を隠そうともしないティアナの返答をウッツが笑って流す。積もる話があるような間柄でもないので、ウッツはすぐに本題へと入った。
「聞いてると思うが、オレはタクミって奴の手紙を預かってる。直接お前さんに渡してくれって頼まれたんで、わざわざ出てきてもらったわけだ」
「手紙を届けてくれたのは感謝しますが、あなたはタクミと知り合いだったのですか?」
「いや、ろくに話したこともねぇよ。ただ、今の侯爵様の館にゃ、あいつの味方なんていねぇだろうしな。頼めるのがオレしかいなかったんだろうさ」
「タクミが孤立しているのですか?」
「あいつがレーラー侯爵に拾われたってのは知ってんだろ? そいつが力が強いってぇ理由でいきなり護衛に抜擢されたらどうなると思う? 周りから嫉妬されるに決まってる。しかも今は不正問題で揉めてる最中だ。あの館の中は、今や内通者狩りで大変らしいぜ」
ウッツは信用できないが、その話を否定する情報をティアナは持ち合わせていなかった。
「手紙の内容は知っているのですか?」
「オレぁ字の読み書きができねぇんだ。中身は自分で確認してくれ。あ、そうだ、忘れるところだった。タクミも字が書けねぇそうだから、代筆を頼んだらしいぜ。最後に自分の名前だけ書いてあるそうだが」
「文字が書けないのに、自分の名前で著名したのですか?」
差し出された封筒を受け取ったティアナが胡散臭そうにウッツを問い詰めた。
タクミがこの世界の文字を読み書きできないことはティアナも知っている。ただ、話し相手が相手だけに、何かぼろが出ないか知らないふりをしてみた。
「そんな揚げ足取りみたいなことオレに言われても知らねぇよ。そう言えって言われただけなんだからよ」
しかし、ウッツは面倒そうに答えるだけだった。
問答しても埒が開かないと判断したティアナは、持っていたペーパーナイフで封筒を切る。入っていた一枚の便箋を取り出して読んだティアナは、大きく目を見開いた。
「確かにタクミの署名ですね」
「お使いは終わったってことで、いいか?」
「はい。確かに受け取りました」
「それじゃこれでオレは消えるぜ」
晴れ晴れとした表情でティアナの脇を通り過ぎると、すっきりした様子のウッツは控え室から出て行った。
室内に残されたティアナは手紙を何度か読む。そして、必ず最後の署名であるタクミの漢字名で視線を止めた。転生してからはまったく見ることのなかったその文字に、ティアナはひどく懐かしさを感じる。
ともかく報告しないといけないことを思い出したティアナは執務室へと向かった。
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執務室では、エルネスティーネとローザが待っていた。
エルネスティーネが安心したかのように笑った脇で、ローザがティアナに問いかける。
「意外と時間がかかりましたね。何か話しでもしていたのですか?」
「はい。そのまま受け取るのは怪しすぎたので、いくつか確認を取っていました」
自分が見落としているかもしれないところを見つけてもらおうと、ティアナはウッツとの対話をできるだけ正確に伝えた。
ティアナの話を聞いた二人は眉をひそめて唸った。
まずはエルネスティーネが口を開く。
「ウッツという人物が怪しいので、話そのものの信憑性に疑問があるのですが、聞いた感じではおかしなところはないですわね」
「怪しもうとすればいくらでも怪しめますが、最も気になるのは、タクミが本当に文字を書けないかどうかですね。ティアナは知っていますか?」
続いて感想を口にしたローザからティアナは質問を受ける。
「こちらの文字の読み書きはできないと、本人から聞いたことがあります」
「こちらの文字? 他の文字の読み書きはできるのですか?」
「自国の文字は読み書きできるそうです」
説明しながらティアナは封筒から手紙を取り出してエルネスティーネに差し出した。
手紙を読んだエルネがため息をつく。
「なるほど、最後の見慣れない文字がタクミの国の文字ということですね。それにしても、本文の方はなかなかのことが書いてありますわね。レーラー侯爵の不正の証拠を直接渡したいので、本日王都の東門にて待つ、ですか」
三人は顔を見合わせた。
最初にローザが疑問を口にした。
「そもそも、元々肩身が狭く、内通者狩りの横行する館で、こんな大それた事を代筆で頼める人物がいるのなら、その者に手紙を託せばよろしいと思います」
「そうですわね。百歩譲ってその人物が館から出られなかったとしても、ウッツのような人物に任せるのは危険すぎるでしょう。王都の東門まで不正の証拠を持ち出せるのなら、王都内のラムペ商会に持ち込めるはず。わたくしならそうしますわ」
言われてみると確かにその通りだとティアナも思った。ラムペ商会が絶対安全とは言い切れないが、不正疑惑の渦中であるアプト商会とレーラー侯爵が、今派手な動きができるとは思えない。
ただ、ティアナには気がかりな点が一つあった。
「これが偽物だとしたら、タクミはこの裏に込められている思惑を知っているのかしら?」
「ティアナ姉様は、タクミが知らずに利用されているだけだとおっしゃりたいのですか?」
「レーラー侯爵のことを良く思っていなかったですから。別の働き口を探そうとしていたくらいですので」
「ならばまず、あの者から離れるべきでは?」
エルネスティーネの正論にティアナは苦笑した。その通りなのだが、ティアナはタクミが平均的な日本人だと思っている。だからこそ、集団を離れて孤立してから次を考えるのではなく、次の行き先の目処が立ってから行動しようとしていることが想像できた。
ティアナが何も言わなくなったので、ローザが代わりに結論をまとめようとする。
「結局のところ、この手紙はティアナを誘き出すための罠の可能性が高いですね」
「そうですわね。無視するのが一番ですわ、お姉様」
「確かにそうなんでしょうけど、もし私が行かなければ、タクミはどうなるのです?」
二人ともここで黙る。使えない者の末路など大抵決まっているからだ。
ローザが最初に口火を切る。
「それ以上は、私達の考えることではありません」
「あの者の配下にいるとなると、確かにわたくし達ではどうにもならないですわね」
どちらも当然の反応をする。エルネ達にとっては、レーラー侯爵とアプト商会の問題は既に終わったことなのだ。今更首を突っ込むことではない。
しかし、ティアナにとっては事情が違った。
かつて会話をしたとき、タクミは日本に帰りたいと婉曲に言った。訳もわからずいきなり異世界へ飛ばされたのだから当然だろう。転生したティアナと違って、転移したタクミには日本に帰る場所があるのだ。可能なら返してやりたいとティアナは思う。
だから、ティアナは自然に言葉を漏らしていた。
「私、王都の東門に行ってみます」
「あなた正気ですか?」
即座にローザから反論があった。どう見ても罠だという結論になった上、得られるものもないのだ。わざわざ赴く理由が見つからない。
「ティアナ姉様、どうしてそこまでタクミという者に入れ込むのです?」
不思議そうに問いかけてくるエルネスティーネに対して、ティアナは言葉が詰まった。理由はあるが、それをそのまま話せない。黙っているとローザの目が次第に細くなっていく。早く返答しなければならない。
しばらく必死に考えて、やっとティアナは口を開いた。
「故郷に帰りたくても帰れないというのが、自分と似ていたから」
理由を聞いて、エルネスティーネとローザはティアナがこの国にやって来た事情を思い出した。望みもしないことに巻き込まれ、挙げ句政治上の都合で国を追われた少女。そんなティアナが自分と重ね合わせてタクミを見ていたことに、二人は気付いた。
ため息をついたローザが一言漏らす。
「ただの感傷ですね」
「そうですわね。でも、それを否定する気にはなれません」
同様にため息を漏らしたエルネスティーネだったが、こちらはローザと感想が反対だ。
そのエルネスティーネが、真正面からティアナを見据えて真剣に尋ねる。
「もし、わたくしの身に危機が訪れたとしたら、ティアナ姉様は助けてくださいますか?」
「ええ、もちろん。修道院ではいつも助けていたでしょう?」
すぐに返事をしたティアナにエルネスティーネは満面の笑みを返す。
「仕方ありません。危ないと思ったら、すぐに引き返してくださいね」
脇でローザが呆れる中、エルネスティーネが許可を出す。笑顔でティアナは一礼してそれに応えた。
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