森での襲撃

 手紙に記されていた王都の東門へ向かうため、ティアナは自室で侍女の服から旅用の衣服へと手早く着替えた。馬車は使用人が所用で使うものを借りる。東門近辺で目立たないようにというローザの助言に従ってだ。


 屋敷の敷地から出た馬車は王都に馬首を向けた。小高い丘の上から徐々に下り、以後は緩やかな丘の間を縫うように道が続く。丘陵地帯を抜けると今度は原野が広がっているが、人の背丈以上に伸びたすすきのような植物が一面に生えているため視界は悪い。


 時刻は昼下がりで天気も良い。すっかり晩秋であるこの時季は昼間でもわずかに暖かい程度だった。


 ティアナはこれから向かう東門での対応を考える。人気のないところへ行く提案は拒否するのは大前提だ。それは相手がタクミであろうとなかろうとである。もしその場で不正の証拠を渡せないと言われたら拒否することも決めていた。


 その他にもいくつか想定した状況に沿った対応を決めておいた。基本戦略は、その場でのみ証拠を受け取って相手の条件は一切聞かないというものである。エルネスティーネは、これ以上レーラー侯爵の不正の証拠を必要としていないからだ。


 ティアナにとって今回の行動で最も重要なのは、タクミをこちら側に引き込むことだ。ティアナはエルネスティーネの屋敷へ一緒に来るよう勧めるつもりである。これはエルネスティーネの許可も得ていた。


 森に差しかかった。屋敷からの距離はそれほど遠くない。考え事をしていたティアナは、意外と時間が経過していないことに気付く。この調子だと王都に到着するまで長く感じそうだとため息をついた。


 そのとき、車内にいたティアナは御者台の辺りに何かが当たる音を聞いた。それも複数回だ。続いて、人と馬の悲鳴が聞こえたかと思うと馬車が大きく揺れ、急停止する。


「え!?」


 とっさに頭を庇うのが精一杯だったティアナは、そのまま体を座席に扉にと揺らされるがままにぶつける。


 何が原因でこんなことになったかわからないティアナだったが、何かが起きたことはわかっていた。体の痛む箇所を確認して異常がないとこを知ると、すぐに馬車の外へ出る。


 最初に驚いたのは、二頭の馬が折り重なるように道へ倒れ、その上に馬車が半ば乗り上げていることだった。御者台には複数の矢が刺さっている。御者は少し後方の道に倒れていて動かなかった。


「ははは! ホントに来やがったぜ、このバカ!」


 惨状を目の当たりにして呆然としているティアナに対して、心底可笑しそうな声が叩き付けられる。森から出てきたウッツだ。周囲を見ると、仲間らしき男達が包囲するように森から出て来た。


「しかも護衛なしかよ。何が書いてあったのかは知らねぇが、ホントに信じてたんだなぁ。いやぁ、オレからすると信じらんねぇなぁ」


 感心するようにしゃべるウッツがにやにやと笑いながらティアナ近づく。


 思わず偽手紙だとは知っていたと叫びたくなったティアナだったが、余計に笑われるためやめる。


 余裕の表情のウッツがティアナに声をかけた。


「まぁ、楽に仕事ができるんならいいこった。おい、殺しゃしねぇからおとなしくオレ達に捕まれ。オレたちゃてめぇを」


 とりあえず最悪の状況になったという確認ができたティアナは、ウッツの口上が終わらないうちに森へと駆け出した。男達の包囲網までが完成して絶望的な状況になるのを黙って見ているわけにはいかない。


 男達の間隔が比較的に空いている場所めがけてティアナは一目散に走る。途中腰をかがめて一握りの土砂を掴むと、正面で待ち構えていた二人の内一人の顔へと投げつける。


「うおっ!?」


 土砂を手で庇って目に入るのを避けた男の体は一瞬硬直する。ティアナはその脇をぎりぎりですり抜けた。


 それを見たウッツが怒鳴る。


「ガキの子供だましに引っかかってんじゃねぇ! 捕まえろ!」


 ティアナはその怒声を背中に受けながら森へと駆け込んだ。


 昼間であっても薄暗い森の中は人間が歩きやすいようにはできていない。しかも、思い思いに生長した植物が縦横無尽に枝葉を伸ばすため、一歩進むごとに顔や体を打ち付けてくる。


 必死に手足を動かしながら、やけくそ気味にティアナが叫ぶ。


「くそっ、あいつ邪魔ばっかりしやがる!」


 旅用の衣服に着替えたのは、目立たないようにというローザの助言があったからだけではない。万が一のために備えて動きやすいようにと考えてだ。ただ、、まさか王都に着くまでに役に立つとティアナは思わなかった。


 後方からは男達の怒声と枝葉をかき分けてる音が聞こえる。ティアナは必死に走るが簡単には振り切れない。しかし、身体能力が高くないティアナは、追っ手を攪乱する術もないのでまっすぐ逃げるしかなかった。


 次第にティアナの息が上がってくる。口の中、特に喉が張り付いて仕方ない。途中からは顔や体を打ち付けてくる枝葉も気にならなくなっていた。


 意識は既に前に進むことだけに集中している。こけないように脚を上げ、荒い息をしながら乾いた喉を潤す唾液を絞り出す。激しく鼓動する心臓は邪魔になるくらいうるさい。


 もうティアナにはどこをどう走っているのかわからない。どの程度走ったのかもだ。背後の男達を振り切ったのかもわからない。


 手足は意識して振り上げないと上がらなくなってきた。それでもまだ捕まっていないのは、小さい頃はよく外へ遊びに出かけていたおかげか、夏の頃から体力と剣技を身につけるために体を鍛えていたおかげか。


 もはやどこで止まればいいのかわからないティアナは駆け続けていたが、突然足が地面を踏みしめる感覚がなくなった。


「え?」


 体が一気に前のめりになったティアナは、眼前の視界が開けているのに気付いた。森の中から出たのかと一瞬思う。しかし、体が地面に対して平行になった辺りで、自分が崖から大きく飛び出そうとしていることにティアナは気付いた。


「ちょっ!?」


 何かに掴まろうともがくティアナだったが、既に周囲にあるのは空気のみ。落下するのを止められる物は何もなかった。


「うわああぁぁぁ!」


 魔法を使えるわけでもないティアナは、そのまま崖下に向かって自然落下した。


-----


 ウッツは先程まで運が良いと思っていた。


 昨日レーラー侯爵の館に呼ばれたかと思うと、仕事を引き受ける際にアプトから前金を引き出すことができた。


 今回の仕事に必要な頭数をいつもの自分の仲間だけで揃えられた。


 移動に必要な馬車や襲撃に使う弓矢をアプト商会からすぐに与えてもらえた。


 エルネスティーネの侍女に手紙を受け取らせることができた。


 精霊石の巫女の家紋をしつらえた使用人用の馬車を襲撃したら、乗っていたのはその侍女ティアナだった。


 慣れない森の中を散会した仲間と共にウッツが走る。


「あの女、どこまで走りやがるんだ!」


 停車した馬車の中から出てきたティアナを見たとき、ウッツはこれでどうにかなると確信した。アプトから計画を聞かされたときは都合良く事が進むか半信半疑だったが、ティアナさえ捕らえたらどうにかなると思えてきたのだ。


 しかし、仲間が包囲網を閉じきる前にティアナが動いた。土砂で目くらましを受けた男の一人の脇をすり抜けて、ティアナが森の中へ逃げ込んだのだ。あと少しということろで、あると思っていた運も手からすり抜けてしまう。


 ウッツは立ち位置の都合で最後尾から追いかけている。森の中は視界が悪く、仲間の正確な位置もわからない。前方から草木をかき分ける複数の音と悪態をつく男の声が聞こえるので、まだ追いかけていることはわかった。


「くそ、あいつ、こんなにすばしっこかったのか!」


 予想外といえば、ティアナが未だに逃走していることがウッツには誤算だった。しょせんは王女様付きの侍女、貴族のお嬢様だ。体力などあってないようなものと決めつけていたから、すぐに捕まえられるとウッツは油断していた。


 ところが、もうかなり森の中を走っているというのに、誰もティアナに追いついていない。完全に振り切られたわけではないようだが、距離も縮められていないようである。


「なんか魔法の道具でも持ってんのか?」


 つぶやいた自分の言葉に、なるほどとウッツはうなずく。ようやく納得できる理由が見つかった。なるほど、そうでなければこうも男の自分達から逃げ続けることなどできない。


 この調子だと下手をすれば逃げられるのではと焦り始めたとき、ウッツは仲間の驚いた声を耳にした。


「なんだ、どうした、おい! って、うお!?」


 苛立ちを込めたかけ声を発したウッツは、急に視界が開けたことに驚いた。更に切り立った崖に危うく落ちかけて二度驚く。


「こんなところに、崖なんてあったのかよ」


 息を切らせながら悪態をつくウッツだったが、もう少しで落ちそうだったことに対して冷や汗をかいた。


 切り立った崖の下からはかすかに水の流れる音が聞こえた。対岸も同じような崖で、助走をつけても対岸に届く距離ではない。


「ぼさっとしててもしょうがねぇか。おい、誰も落ちてねぇだろうなぁ!」


 左右に一人ずつ仲間の男が見えたのでウッツは声をかけた。


 一旦集まるように合図を送るとしばらくして全員がやって来る。


「おい、さっきまで追いかけてた小娘を見かけた奴はいるか?」


「オレぁあいつの背中が見えるところまで追いついてたが、最後は崖の下に落ちるのを見たぜ」


 仲間の一人が疲れた様子で報告する。一番考えたくなかった状況を知らされてウッツは舌打ちした。そしてつぶやく。


「崖を下りて探すか?」


「下りるところなんてねぇだろ、ウッツ。それに探してる時間なんてねぇだろ。こっから元の道に戻るとなると結構時間がかかるんだぜ? 日の暮れた森の中を歩くなんてゴメンだ」


「それによ、こっから勢いよく落ちたんなら、生きちゃいねぇだろ」


 渋い顔のウッツに仲間二人が反論する。アプトから直接仕事を受けたのでなければ、同じことを言っていただろうなとウッツも思う。


 だがそうなると、ティアナを倉庫に監禁できない。仕事に失敗して残りの報酬がもらえず、アルマを誘き出して復讐もできないのだ。


 いっそここで逃げてしまおうかともウッツは考える。元々潮時だとは思っていたのだ。前金をもらえただけで良しとするのも悪くない。別の場所でやり直すなら復讐にこだわる必要もないだろう。


 道に戻ることも考えると長々と考える時間はなかった。


 これからの計画についてウッツは再度思い出す。予定では、ティアナを捕まえて倉庫で監禁し、ウッツ達がティアナを人質にエルネスティーネをアプト商会の本店へと送り届けるというものだった。


 ここでウッツは気付く。これからの予定でティアナの名前を使うことはあるが、エルネスティーネにティアナを会わせることはない。会いたければアプト商会の本店まで来いと言えば良いのだ。だったら、ティアナの生死は問わなくても良いのではないか。


 問題は、ティアナが崖から落ちて生きていて、先にエルネスティーネの屋敷に戻られてしまうことだけだ。可能性だけ見るならばその場合のみ警戒しないといけない。


 つまり、今から道に戻り、アプトに口裏を合わせてもらう。その間に、エルネスティーネを引っ張り出してしまえばいい。ウッツはそう結論づけた。


「おい、ウッツ、どうすんだよ?」


「一旦道まで戻るぞ。話はそれからだ」


 仲間からせっつかれたウッツは、そう言い放つと元来た森へと入っていく。不満を垂れ流す仲間も、戻らないとどうにもならないことはわかっているので仕方なく続いた。


 進んだときの倍以上の時間をかけて戻ってきたウッツ達はかなり疲れていた。大半の男達が道にたどり着くなり地面へとへたり込む。


「おい、てめぇ。今から言うことをアプトさんに急いで伝えろ」


「ちょっと待ってくれよ。休ませてくれなきゃ、動けねぇって」


 座ったまま息を切らせた男が情けない声を上げて抗議する。舌打ちするウッツだったが、自分も疲れていたので少し休憩することにした。


 休んでいる間もウッツは自分の考えをまとめる。何度考えても危ない橋を渡ることに変わりはない。ただ、それは今更な話だったので、気にしても仕方ないと割り切った。


 ウッツが仲間の様子を見ると表面上は落ち着いたようだ。疲労感だけでなく倦怠感も出始めたので更に休みたいと思うウッツだったが、西日が強くなってきたので休むことは諦めた。


「よし、てめぇら、そのまま聞いてくれ。本来の予定だと、ティアナって女を倉庫にぶち込んでから王女様を出迎えるはずだった。けど、あの女が崖から落ちて死んじまった以上、計画を変えなきゃいけねぇ。その話を今からする。よく聞けよ」


 これからの仕事の話ということもあって、仲間の男達が全員ウッツへと目を向ける。その話を聞いた男達は様々な表情を見せていた。しかし、反対する者は誰もいない。


 男達の様子を見てウッツは満足そうに言葉を続ける。


「めんどくせぇことにはなっちまったが、オレ達がこれからやることは最初の計画とほとんど一緒だ。さぁ、立とうぜ。あと一息頑張って、旨い酒でも飲もうや、なぁ」


 おどけて言うウッツにため息で返しつつも男達は立ち上がる。


 そんな仲間達に対して、アプトへの伝令、擱座した馬車や御者の死体の片付けなどをウッツが指示する。


 レーラー侯爵の計画は破綻しかけつつも後半に入ろうとしていた。

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