ティアナはどこに?

 エルネスティーネ・シャルフェンベルクは報告を聞いて頭の中が真っ白になった。


 西日が強くなり始めた頃、エルネスティーネの屋敷にウッツとその仲間の男達がやってきた。しかも、ティアナの使っていた馬車の御者の遺体と共にだ。


 屋敷が騒然とする中、動けない主人に代わってローザが使用人にその遺体を引き取らせ、ウッツに事情を説明させた。そうして、その内容をローザが主人に報告して現在に至る。


 真っ青なまま執務室で座り込んでいるエルネスティーネが、思い出したようにつぶやく。


「ティアナ姉様」


「エルネスティーネ様、お気を確かに」


 幼い頃のティアナとの思い出を心の支えにし、再会してからはより精神的に頼るようになっていたエルネスティーネは、もう二度と会えないかもしれないという思いに震えた。


 ローザからの報告がエルネスティーネの頭の中で何度も繰り返される。


 ティアナの乗る馬車が何者かに襲われた。たまたま居合わせたウッツ達が助け出したものの、ティアナは重傷だったのでアプト商会の本店へと運び込んだ。ティアナがうわごとのようにエルネスティーネを呼んでいるので、本店に来てほしいとうものだった。


「ティアナ姉様の元へ参らないと」


「エルネスティーネ様、私が行って参ります」


「でも、ティアナ姉様はわたくしを呼んでいると」


「落ち着いてください。これは罠です」


「では、ティアナ姉様が重傷というのは嘘なのですか?」


 ローザは何も答えられなかった。無傷で捕らえられたのかもしれないし、もう死んでしまっているのかもしれない。ティアナの安否の可能性にはあまりにも幅がありすぎた。


 しかし、エルネスティーネを誘き出そうとしていることは明白だ。


 尚もローザの説得が続く。


「ティアナが重傷かどうか、そもそもあの輩の言っていることが本当かもわかりません。評判の悪い下賤な男です。自分で襲っておきながら平然とやって来た可能性もあります」


「それでは、ティアナ姉様はどうなっているのです?」


 どれだけ言葉を尽くそうとも、エルネスティーネの聞きたいことにローザは答えられない。状況を確認している暇もないため、はっきりとした返答ができなかった。


「ウッツとやらをここへ連れてきなさい」


「エルネスティーネ様!」


 不審な輩との面会をローザが止めようとするが、エルネスティーネは意に介さない。


「わたくしにとってティアナ姉様はとても大切な方です。見捨てるなど論外ですわ」


「しかし、王女という立場を軽率に扱うことなど許されません!」


「あなたも知っているでしょう? わたくしがなぜ修道院に送られていたか。王妃様に嫌われ、兄王子達には無視され、陛下は何もしてくださらなかった。それどころかウィンと会話ができると知ると、精霊石の巫女という役目を押しつけなさった」


 事情を知っているだけにローザは反論できない。だが、貴族の子女であるローザは地位や権威を蔑ろにもできない。


 どこか遠くを見つめるような表情のまま、エルネスティーネが話を続ける。


「でも、ティアナ姉様は違う。あの方は、ひとりぼっちで寂しい思いをしていたわたくしの手を引いて慰めてくださった。楽しいことや嬉しいことも教えてくださった。そして、再会した今も変わることなく、わたくしに接してくださった」


 王女という立場に若干遠慮しようとしている姿に不満を覚えるところはあったが、エルネスティーネ自身を見続けてくれたことに変わりはない。誰もが王女や精霊石の巫女として扱おうとする中、ティアナだけはそうではなかった。


「それが何より嬉しかった。ティアナ姉様は、わたくしが最もつらかったときに寄り添ってくださいました。だからこそ、今度はわたくしがお助けするのです」


 ローザは口を開くことができない。先程から穏やかな表情を浮かべているエルネスティーネだが、機嫌が良いからではないと肌で感じ取れたからだ。気付けば今にも爆発しそうな緊張感をエルネスティーネは漂わせていた。


「ティアナ姉様がどのようになっていらしゃろうとも、わたくしが救い出してみせます。ローザ、早く連れてきなさい」


 強い意志を宿した視線に射貫かれたローザは一礼するしかなかった。


-----


 ウッツにとって、王女であるエルネスティーネはもちろん、レーラー侯爵やアプトもどうでも良いと考えている。地位の高い人間など自分とは別種の生き物であり、せいぜいが金づるでしかなかった。


 今回の仕事も、引き受けた動機は復讐だ。ティアナを倉庫に監禁することさえできればアルマにも復讐できるので、実のところそれ以後の計画がどうなろうと気にしていない。もちろん、仕事を成功させてもう一稼ぎできれば言うことはないとは思っているが。


 しかし、そんな心づもりがいけなかったのか、ウッツはティアナを崖下へと転落させてしまった。とりあえず計画を修正して進めているが、正直なところどこまで進められるかはウッツにもわからない。


 今、ウッツはエルネスティーネの執務室に立っている。アルマも王女と同じ方法で誘き出そうと考えつつも、執務机越しに対峙している少女に目を向けた。


「あなたがウッツですか」


 立派な椅子に座る少女が声をかけてきた。流れるような金髪と紅色に輝く瞳を持つ気品のある美少女だ。一目見てこれが王女だとウッツにもわかる。普段ならその優しげな表情を見ると誰もが笑顔になるだろう。


 だが、その微笑みを見たウッツは背筋を震わせた。この笑顔の意味はウッツもよく知っている。よく目だけ笑っていない笑顔というのがあるが、そうですらない。瞳も笑っているのに自分の背筋を凍らせたエルネスティーネにウッツは口元をわずかに引きつらせた。


 ここさえ乗り切ってしまえばあとはどうにかなるとウッツは考えていた。しかし、それは間違いだと悟る。ここが本番なのだ。今ウッツはそれを思い知った。


「ご機嫌麗しゅうございます、王女様」


「あなたに確認したいことがあります」


 ウッツの挨拶を無視したエルネスティーネが話しかけてきた。こりゃ会話じゃなく尋問だなと内心思いつつも、ウッツはエルネスティーネの問いかけに集中する。


「侍女のローザから話を伺っていますが、もう一度経緯を話してください」


 すぐさまウッツはローザへ話したとおりに説明する。


 説明を終えたウッツが口を閉じると執務室は静かになった。


 どんな質問が来るのかとウッツが身構えていると、エルネスティーネが口を開く。


「ティアナ姉様の乗った馬車がどの辺りで何者に襲われたのか教えてください」


「王都からこの屋敷の間は確かなんですが、どこでしたかねぇ」


「地図ならありますわよ。お目にかければどこだかわかりますわよね?」


 取り繕っていたウッツの笑顔が引きつる。ごまかしていればどうにかなると思っていたが、いきなり徹底的に聞き出す決意を見せつけられて内心焦った。


 周囲に注意深く気を配ると、正面のエルネスティーネ以外には、王女の隣に控えているローザと壁際に控えているメイドの二人のみしかいない。一見するとどうにかなりそうに見えるが、自分のようなごろつきを無防備に招き入れるとはウッツには思えなかった。


 逃げる打算も考えながらもウッツは笑顔をなんとか維持しながら黙る。


 そんなウッツにエルネスティーネは次の質問をした。


「ティアナ姉様を襲った相手はどんな輩ですの?」


「いやそれが、追い払うのに精一杯でねぇ。結局わからずじまいなんですよ」


「野党や盗賊の類いではなかったということですか? どんな姿をしていましたか?」


「全員黒っぽい服を着て顔も隠してやがったんで、正体はわからなかったんですよねぇ」


「捕らえたりした者や切り捨てた者はいなかったのですか?」


「オレたちゃそこまで強くないんで、悪いですが一人もいねぇんですよ」


「その者達はどこに逃げたのです? 森に入ったのか、平原の向こうに去って行ったのか」


「確か、原っぱの向こうにだったかなぁ」


 都合の悪い問いかけはのらりくらりと返答をはぐらかす。普通なら相手の機嫌は悪くなるが、エルネスティーネの笑顔がまったく崩れないことにウッツは更に緊張した。


 若干体もこわばってきてたウッツに、エルネスティーネが別の質問をぶつける。


「なぜ重傷のティアナ姉様をラムペ商会ではなく、アプト商会へ運んだのです?」


「あんまり言いたかねぇんだけど、オレ、前にあの商会とモメたことがあるんでさぁ。せっかく珍しく人助けしたのに、いきなり犯人扱いってイヤですよねぇ?」


 ウッツは苦笑いした。これは半分本心だ。あの商会では、当主であるラムペを殴り倒したウッツの信用などない。だから、ラムペ商会を避けているというのは間違いなかった。


 そんなウッツの内心など無視してエルネスティーネが更に問いかける。


「アプト商会に運び込まれたなら、ティアナ姉様は医師からしかるべき治療を受けられるということですわよね。そんなに様態が悪いのですか?」


「さっきも言いましたが、どうなるかわかんねぇくらいヤバイ状態なんですよ。しかもうわごとで王女様の名前を呼んでるんですぜ? 行かなきゃマズイでしょう」


 最初から作り笑顔なのではと思えるほどエルネスティーネの表情は変化していない。それに不安を抱きながらも、ウッツは必死に身を守ったり策に乗るよう誘導したりする。


 次にどんな言葉が投げかけられるのかとウッツは構えていたが、エルネスティーネはそのまま黙ってしまう。


 そのとき、エルネスティーネの隣に控えていたローザが口を開いた。


「エルネスティーネ様、もうよろしいのではないですか?」


 否定的な声色を含ませた意見が執務室に響く。そう言えば、最初からローザにはまったく信用されていないことをウッツは思い出した。そうなると、その主人である王女も同様と考えるべきだろう。


 エルネスティーネが再度口を開く。


「嘘ですわよね」


 迷いなく笑顔でウッツの言葉は両断された。


「ティアナ姉様を襲った賊は恐らくあなた達ですわよね。まず手紙で誘き出し、次に王都までの適当なところで馬車を襲って姉様をさらい、そしてわたくしを誘い出すために再びやってきた、というところですわね」


「いやいや、王女様、何を根拠にそんなことを言ってるんですかい?」


「あなたは最初、姉様に手紙を届けに来ましたが、そのときは一人でしたわよね。でも、姉様を助けたときは仲間と一緒に賊を追い払ったかのように言っていました。その仲間の方とはいつどこで合流したのです? 都合が良すぎません?」


 確かにウッツは、自分達は強くないので賊を一人も捕らえられなかったと答えた。まさか元からいたなどとは答えられないのでウッツは黙るしかない。また、言葉の綾とごまかして一人で対処したと言い直しても、今度は大して強くないのに複数人の賊をどうやって追い払ったのかと問われることは想像できた。


 まさかこんなつまらない言い訳をしてしまうなど、ウッツ自身も相手に聞かされて内心唖然とする。

 完全に破綻していないから何となく計画を進めようとしたことをウッツは後悔した。やるにしても、こんな役目は他の誰かにやらせれば良かったのだ。


 御者の遺体を運んできた仲間達は屋敷の玄関先で待っている。あそこならぎりぎり逃げられるかもしれないが、ここだとそのままでは無理だ。ただ、荒事に向いていない女四人しかいないように思えるこの執務室に、どんな隠し種があるのかわからないのが厄介だ。


 すぐに逃げる打算をする。こんなところで死ぬ気などウッツには毛頭なかった。


 そんなウッツの内情などまったく気にしないエルネスティーネは問いかける。


「でも、そんなことはどうでも良いのです。わたくしはティアナ姉様をお救いできればそれで良いのですから。もう一度確認します。本当のことを言いなさい。ティアナ姉様をどうしたのですか?」


 ここが分かれ目だとウッツにもわかった。返答次第では殺される。知っている事実から自分の身を守るための言い訳を急いで練り上げなければならない。


「もちろん、生きてますぜ。ピンシャンしてまさぁ。本店にゃいませんが」


「どこにいるのです?」


 更なる問いかけにウッツは顔を引きつらせる。崖下に落ちるところを仲間は見たが、死んだことまでは確認していない。そして、本来ならばいつもの倉庫に監禁する予定だったが、崖下に落ちた以上のことはわからない。なら、どこにいることにするべきか。案内した先でティアナがいないことがばれたら確実に殺される。


 必死にどう答えようか考えていたウッツに、エルネスティーネが立ち上がって近寄ってくる。いよいよ始末されるのかとウッツは身構えそうになった。


「レーラー侯爵の館ですわよね?」


「は?」


 目の前までやって来たエルネスティーネをウッツは呆然と見る。レーラー侯爵の館という言葉が出てくる意味がウッツにはわからない。


「ティアナ姉様の居場所です。さらった姉様をお連れしたのはあの者の館なんですわよね」


「なんでそう思うんですかい?」


「あなたが姉様をさらったのは事実でしょう? しかし、そんなことをしてまでわたくしを誘き出す理由が、あなたの雇い主であるアプトにはありません。そうなると、アプトとつながりのあるあの者が裏で糸を引いているとしか、思えないではないですか」


 悠然と断言する王女の姿をしばらく呆然として見ていたウッツだったが、やがて小さく笑った。お互いの知識に根本的なずれがあることに気付いたからだ。


 エルネスティーネはティアナが生きている前提で話を進めている。


 そのことに気付くとウッツは一気に気が楽になった。態度に余裕が戻ってくる。


「さすが王女様。すべてお見通しってわけですかい」


「今すぐ向かいますわよ。ついて来なさい」


 エルネスティーネはウッツのそばを横切ると、そのままローザを伴って歩いて行く。どう見ても一緒に向かうようだ。


 しかし、執務室を出ようとしたところで、エルネスティーネはウッツへと振り向く。


「ああそうでした。言い忘れていましたが、もしティアナ姉様にわずかな傷でも付いていましたら、生きていることを後悔させてさしあげますからね」


 極上の笑みとはこのことかというくらいの笑顔を浮かべて、エルネスティーネが言い放つ。そして、そのままローザと出て行った。


 ウッツは、いまだに危ない橋を渡り続けていることを改めて認識した。

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