第7章 Expedition

第7章プロローグ

 青い空に点々と漂う雲に混じって太陽が輝いていた。今の時期だとまだ暖かいが、これから夏にかけて暑くなる。


 その降り注ぐ日差しの下に港町オストハンはあった。大陸の東端に位置するこの町は、別大陸の西端にある港町と船で往来するための重要な拠点だ。


 桟橋と岸壁には多数の木造船が接舷しており、荷物や人がひっきりなしに行き来している。船員は日焼けしているため、すぐに見分けがついた。


 とある船から桟橋に下りてきたのは、肩で切りそろえられた癖のない銀髪とやや切れ長で金色に輝く瞳が特徴の美少女だ。身に付けている使い込まれた武具が妙に似合っている。


「こちらの人の言葉は聞き取れますか?」


「一応は。早口だとちょっと厳しいかしら。たぶん慣れたらいけると思うけど」


 不安そうに口を開く美少女の横に降り立った少女が返答した。やや癖のある赤毛のショートボブで茶色い瞳をした愛嬌がある少女だ。こちらは一部金属が貼り付けられた革の鎧を身につけている。やはりこちらの鎧も使い込まれていた。


「リンニーに習ったのは良いけど、果たしてどれだけ通じることやら」


「聞こえてるんだから、何とかなるんじゃない? これで無理なんて言ったら笑われるわ」


「ティアナ、アルマ、お待たせ~」


 更に二人の背後に下りてきたのはのんきそうな美女だ。肩まで伸びた少し波打った金髪、翡翠色の瞳、白い肌、そしてほっそりとした体つきをしている。こちらは厚手の丈夫な衣服に簡易的な革の鎧と他の二人に比べてやや軽装だ。


 全員が揃ったところで岸壁に向かって歩き始めた三人は背嚢を背負っている。あまり大きくはないがここに全財産が収まっているのだ。


 肩に背嚢の重みを感じながら美少女のティアナがのんきな美女に話しかける。


「リンニーは言葉に不自由ないのでしたよね?」


「うん、ちゃんとわかるよ~。いざってときには、わたしが通訳してあげるからね~」


「頼もしいはずなのに不安がよぎるのはどうしてでしょう」


「ひど~い! わたしだってやるときはやるんだよ~」


 独り言を聞かれてしまったアルマは明後日の方向へ顔を向けた。


 口を尖らせたリンニーは睨むが、すぐに諦める。


「いいも~ん。いっぱい嘘を教えてあげるから~。それより、アルマはティアナに話すときの口調がすっかり変わったよね~」


「丁寧な言葉遣いじゃなくなっただけよ。お嬢様扱いしてもこっちじゃ良いことないもの」


 肩をすくめたアルマがリンニーに言葉を返した。


 現在ティアナは男になる方法を探しているが、故郷のある大陸では発見できなかった。そのため、新たな大陸へ向かうことにしたのだ。


 何か手がかりでもと期待するティアナだったが、新たな問題に直面してしまう。別大陸には貴族の伝手がないたので、身分を保証して保護してくれる相手がいない。


 こうなると、アルマがティアナはお嬢様扱いする意味はなくなる。そこで、別大陸では対等の仲間として会話することに決めたのだ。


 そんな笑顔のアルマに対してティアナが愚痴る。


「いいですよね、そっちは。私は丁寧な口調そのままですし」


「まったく、いちいち言葉を切り替えなくても良くなるのは楽でいいわよ。あんたの場合は見た目が良すぎるから、男の口調にすると違和感しかないんだから諦めなさい」


「一部は男なのに」


「一部は、ね」


 ため息をつくティアナに対して、アルマは笑みを顔に張り付かせながら答えた。


 実は今のティアナは女性の体に男性の象徴が付いた状態だったりする。半年以上前の事件で呪いにより純粋な女性ではなくなってしまったのだ。


 もちろんティアナが望んでいるのは完全な男性なので探索は続けている。しかし、もはや女性とも言えなくなってしまったので、諦められなくなくなってしまった。


 ともかく、見た目は美少女なので男言葉を話すのはいかがなものかと周囲に助言されたため、ティアナの言葉遣いは今まで通りだ。


 言葉遣いについての話をしている二人に対して、リンニーが別の話題を振る。


「それで、これからどうするの~?」


「まずは宿を探して、それから仕事を探せる場所を見つけないといけませんね」


「仕事を探す場所~?」


「以前のようなお金持ちや貴族からの支援はありませんから、生活費を自分で探す必要があります。船の上で話しましたよね?」


「あれ~? そうだったかな~?」


 気まずい質問を返されたリンニーはティアナから目を逸らした。


 会話が途切れたところで、今度はアルマがティアナに問いかける。


「それで、とりあえず酒場に行くのよね?」


「はい、きっかけを掴むのならまずはあそこが一番ですから。できるだけ品の良いお店に行きましょう」


「お財布の中身と相談してね」


 手持ちの財産はまだあるのですぐに飢えることはないものの、これからの長丁場を考えればなるべく手を付けないようにするべきだ。


 改めて平民は大変だなと思いながらティアナは顔を引きつらせた。


-----


 港町オストハンにはいくつもの酒場が軒を連ねている。街道から海上へ、またはその逆と往来する人々が多いため、繁華街が栄えているのだ。


 別大陸に到着して五日目となるティアナ達は、下品すぎず高すぎない酒場のひとつにいた。丸いテーブルをひとつ占拠して夕食を取っている。


 テーブルの中央に置かれた皿には鶏と豚の盛り合わせが乱雑に盛られており、ティアナはそこから鶏肉を取り出して自分のパンの上に乗せた。しかし、その表情は暗い。


「思った以上に厳しいですね」


「人の出入りが激しい街だから何とかなると思ったんだけどねぇ」


 木製のジョッキを傾けて口を湿らせたアルマが渋い表情のまま感想を漏らす。


 オストハンに到着した初日からティアナ達は仕事を探した。酒場で店主に酒と料理を注文しながら仕事を回してもらう方法で尋ね回ったが、いずれもうまくいっていない。


 理由は色々な言葉で伝えられたが、要するに信用がないのだ。


 先程から延々と飲み続けているリンニーは口を尖らせている。


「実績がないって言われても、働かないと実績なんて作れないのに~」


「紹介状を手に入れようにも、伝手がまったくありませんしね。皆さんどうやっているのでしょう?」


「ギルドかどこかの集団に潜り込んで下っ端から始めてるんじゃないの? 普通はそうするものだしね」


「そもそも、ギルドにどうやって入るのです?」


「大抵は誰かの紹介ね」


 話し終えたアルマは切り取った豚を取り皿に移し、更に細かく切って口に入れた。


 その様子を見ながら、ティアナは鶏肉を乗せたパンをかじりつつ考える。


 他人など犯罪者予備軍並に疑ってかかるのが珍しくない世の中だ。前の旅で紹介状を書いてもらったのはその疑念を払拭するためである。


 ならば今までの旅の経験を活かして腕に覚えがあると売り込もうにも、今度は女であることとその容姿が邪魔をした。可憐な美少女と華やかな美女に腕っ節を語られても本気にしてもらえないのだ。


 口の中の豚肉を飲み込んだアルマにティアナが話しかける。


「さすがに春を売れなんて言われたときは呆れましたけど、本当に見た目しか見てくれないのですね」


「特にあんたとリンニーは器量良しなんだから、あっちからしたら絶好のカモよね」


「今の私は売り物にならないと思いますけどね」


「そう? 特殊な趣味の男なんて探せばいくらでもいるんだから。大枚はたいてもあんたを欲しがるお金持ちは絶対いるわよ」


「嬉しくないです」


「でしょうねぇ。あたしだってそんなお金持ちは願い下げよ」


「ねぇ、特殊な趣味ってなに~?」


 またもや木製のジョッキを空にしたリンニーが不思議そうに二人へ尋ねた。しかし、お互い黙ったまま口を開かない。


 さてどうしたものかとティアナとアルマが牽制しあっていると、丸いテーブルに人影が差した。


 三人がそちらへと顔を向けると、頭髪を完全に剃った体格の良い男が立っている。粗野な風貌も相まっていかにも乱暴そうに見えた。


「おお、近くで見るとやっぱり美人じゃねぇか。こっち来て酌しろよ!」


 粗野な男は機嫌良く酔っ払いながらリンニーの肩を掴もうとした。しかし、席ごと避けられたせいでその手は空を掴む。


「おい、避けてんじゃねぇ」


「いやです~。帰ってください~」


「あんた、自分の席に女が一人いるじゃない。お酌ならあの人にしてもらえば?」


 粗野な男がやって来た席をちらりと見たアルマが男に声をかけた。


 そこも丸いテーブルを囲んだ四人席で、痩身の青年、ベリーショートの精悍な顔つきの女、目つきの鋭い男が座っている。男二人はこちらの様子に興味ないようだ。


 話を聞いた粗野な男が鼻で笑う。


「はっ、あんな男みたいなヤツに興味ねぇよ!」


「あたしたちもあんたには興味ないのよ。さっさと帰って」


「てめぇにゃ声かけてねぇんだよ! すっこんでろ!」


「そういう店でお金さえ払えばいくらでもできるでしょ。なにケチってんの」


「さっきからうるせぇなぁ?」


 リンニーに迫ろうとしていた粗野な男は横合いから抗議するアルマに体を向けた。それに対抗してアルマが席から立ち上がる。


 この後の展開が予想できたティアナが遠慮がちに声をかけた。


「アルマ、できれば穏便に」


「できればね。こっちの人がおとなしく帰ってくれたら済む話だけど」


 目を真正面に向けたアルマが不機嫌そうにため息をついた。周囲の注目を集め始めているので相手の男も引き下がれないことは承知の上である。


 酒場での喧嘩は素手というのが暗黙の了解だ。道具を使ってはもはや喧嘩ではない。それを理解している二人は武器を持たずににらみ合う。


 もっとも、現在は見えないがティアナ達を四体の精霊が守っている。喧嘩から更に発展してしまっても最悪の事態は防げる保証が三人にはあった。


 一回り以上小さいアルマを見下しながら粗野な男が吐き捨てる。


「すぐにきれいな顔にしてやるぜ」


「あんたの顔は、それ以上治しようがないわね」


 瞬間的に頭が沸騰した粗野な男は一瞬で構え、真正面でにらみ合っていたアルマの顔に右の拳を叩き込もうとした。


 しかし、アルマは体を沈めて右拳を躱す。更にそのまま前に出て右手で相手の左手首を掴み、次いで踏み込んだ相手の左足を左腕で抱えるように持ち上げた。そして、驚いて下がろうとする男に合わせて後ろへ押し倒す。


「かはっ!?」


 抗えなかった粗野な男はそのまま背中から床に倒れて悶絶した。


 その場で何が起きたのか理解できたのはティアナだけで、見物していた他の客達は一瞬何が起きたのかわからない。ただ、粗野な男が少女に倒されたことだけは理解できた。


「おお、おめぇすげぇな!」


「だっせぇヤツ!」


 しばらくして結果だけでも理解できた見物人達はジョッキを片手に騒ぎ始めた。


 何が起きたのか理解できなかったのは粗野な男も同じだ。周囲の喧騒を気にする余裕もなく、床から体を起こしたまま呆然としている。


「なんだ? 何が起きた?」


「てめぇが負けたんだよ。店の中で騒ぎを起こすな」


 呆然とつぶやく粗野な男の背後に厳つい顔をした男が二人現れた。そのうちの一人が慣れた様子で粗野な男を立ち上がらせると、片腕をひねり上げて歩かせる。


「いでで! なんだてめぇ!?」


「てめぇのようなバカを叩き出すために雇われてんのさ」


 遠ざかる二人の男には目もくれず、残った用心棒らしき一人がアルマに声をかけた。


「派手にやらなかったのは賢いな。だが、騒ぎを起こしたら女でも容赦しねぇぞ?」


「はい、ご迷惑をおかけしました」


 深く一礼したアルマを見た男はため息をつくとカウンターの裏へと戻っていった。


 席に戻ったアルマは全身を脱力させて木製のジョッキを呷る。


「あーもう怖かったぁ!」


「すごいね、アルマ~! あんな怖そうな人を簡単に倒しちゃうなんて~!」


「朽木倒しでしたっけ? 背負い投げではないのですね」


「こんなところで投げ飛ばしたら、確実に他のテーブルを吹き飛ばしちゃうじゃない。だから床に転がすのが一番なのよ」


 酒場での喧嘩など珍しくはないが、自分が巻き込まれるなど考えていなかったアルマは憮然とした様子で返答した。


 盛り皿の豚肉に手を出したアルマへティアナは称賛の言葉を贈る。


「頼もしい仲間がいて嬉しいです」


「そうだね~!」


「リンニーの面倒見るように頼まれてるからよ。あんただったらとりあえず様子を見てたところね」


「対応に差があるのはどうしてですか?」


「そろそろ一人で対処できるようになりなさいよ。もうお嬢様じゃないんだから」


「えー」


 不満そうにティアナは声を上げるが、アルマの主張は正しいので強く抗議できない。ただ、それでも困ったときは助けてくれることはわかっていたので不安は感じなかった。


 子供のように危なっかしいところがあるリンニーから目が離せないのは確かだと思いながら、ティアナは豚肉をパンにのせてかぶりついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る