第6章エピローグ
ティアナの前世は日本人男性だった。特に珍しくもない家庭に生まれ、特別なことが起きることもなく育ち、普通に働いた。
生活は余裕こそなかったが苦しかったわけでもない。遊び友達も一応いたし、相談できる仲間もいた。
ただ、女っ気はほとんどなかった。女性の友人は何人かいたものの、彼女は結局作れず、結婚もできなかった。そこまで望んでいなかったからだろうと自分で分析している。
良くも悪くない人生だったが、最後までまっとうできなかった。惜しいとも思うし、こんなものとも思えた。
そんな何もかもが平凡で中途半端だった前世をなぜ今になって思い出しているのか? しばらく考えてもうすぐ起きるからだと思い至る。
夢を夢だと自覚できることがあると聞いたことがあるが、あれと似たようなものかと納得しながら意識が途切れた。
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目覚めたとき、ティアナは寝台で眠っていた。最後に意識があったのは魔物を斬ったところで、その後どうなったのか覚えていない。
しかしそれよりも、更に驚くべきことがあった。前日までの体調不良が嘘のように快調なのだ。だるさも熱もまったくない。
「ん~、はぁ」
久しぶりに健康を取り戻したティアナは寝ながら背伸びをした。体に痛むところもない。完全に元に戻ったようだ。
「ティアナが起きたよ~! アルマ~」
最初にティアナが寝台で動いているのを見つけたのはリンニーだった。
呼ばれたアルマが嬉しそうにやって来る。
「あらほんと。体調も良さそうじゃない。どこか具合の悪いところでもある?」
「いや、嘘みたいに調子が良い。昨日までの悪さは一体何だったんだっていうほど」
「良かったじゃない。これで一安心ね」
「ところで、ここはどこなんだ? 俺達の部屋って昨晩大変なことになったはずなんだが」
「新しい客室を用意してもらったのよ。前の部屋は無茶苦茶で使えなかったから」
昨夜の惨状を思い返したティアナは微妙な声を返した。半分は魔物が荒らしたが、残る半分は自分と精霊達がやったことを思い出したのだ。
ばつが悪くなったティアナは話題を変える。
「今っていつ頃なんだ?」
「お昼に近いけどまだ朝よ。ご飯は食べられる?」
「あ~うん。おなか空いた」
「それはいいわね。だったら何か持ってきてもらうわ」
言い終わったアルマが寝台から離れて客室を出た。
代わりにリンニーが話しかけてくる。
「治って良かったね~!」
「本当にな。いつまで調子が悪いままなのかわからんのはつらいからなぁ」
「でもすごかったね~! なんかちょっと動いただけなのに、魔物がすぱって切れたんだもんね~」
「ああ、あれちゃんと切れてくれたんだ」
最後の方は周囲がほぼ見えていなかったティアナは、思った通りに動けていたことがわかった喜んだ。
そこでひとつ思い出した疑問をティアナが尋ねてみる。
「そうだ、結局あの魔物はルーペルト王子だったのか?」
「エルネはそう言ってるよ~。それにあの魔物もエルネは俺のものだって言ってたし~」
「俺のものも何も、婚約すらしてなかったよな?」
「思い込みが激しかったのかな~?」
「魔物になるほど思い詰めていた? いや、いくら何でもそれはないか。でも昨日見たルーペルト王子の姿って、王立学院で見かけた奴と似てたよな」
「そうだね~。たぶん同じだと思う~」
「ということは、王立学院を襲ってきた魔物も元は人間だったってことか? 自分で変身した? それとも誰かに魔物にされた?」
黙ったままのリンニーとティアナはしばらく見つめ合う。
そこでティアナはガイストブルク王国とヘルプスト王国の王都で六月まで発生していた魔物の事件を思い出す。つながりがあるのかは不明だが、嫌な感じがした。
「リンニー、人をあんな魔物にする方法ってあるのか?」
「あったけど、もうなくなったはずだよ~」
「誰かが復活させた可能性はあると思うか?」
「可能性だけで言ったらあるとは思うけど~」
確かにリンニーの言う通り、可能性だけならいくらでもあるだろう。問題なのは、もし誰かがそんなことを仕掛けたのなら、何のためにやったのかという点である。
ただ、あまりにも漠然としすぎていて何から手を付けていけば良いのかわからない。早々に壁にぶつかった二人は首をひねるばかりだった。
そんなところにアルマが食事をのせた台車を押して入室してきた。
「こっちで用意しておくから、あんたは着替えておいて」
「わかった」
「わたしも手伝う~」
寝台からティアナが立ち上がると、リンニーはアルマのいるところへ寄っていった。
「ん?」
着替えようと寝間着を脱ごうとしたとき、股の付近に違和感があった。寝間着を動かすとかすかにこすれる感触がする。しかし、本来そこには何もないはずだ。
違和感の原因がわからないティアナは、他の二人に背を向けて上下一体型の寝間着を脱いで裸になる。そうして目を下に向けて、自分の股の辺りがどうなっているのか知った。
膨らむ胸の下に見えたのは、とても懐かしい棒状の部位だった。前世で散々見慣れたそれは男性の象徴である。決して女性の体にあるものではない。
震えてでそれを触ってみると触られている感触が股を通して感じられる。つまり、本当に自分の体の一部なわけだ。
頭の中を真っ白にしたまま、次いでその下を見てみる。すると、棒の下にあるべき袋は二つともなく、代わりに女性の機能がそのまま残っていた。
「え、なんで?」
一体自分の身に何が起きたのかティアナにはまったくわからない。昨日までは完全に女性の体だったのに、今起きてみたら男性の象徴だけ生えていたのだ。意味がわからない。
「ティアナ、用意できたよ~」
「ちょっとあんた、いつまで裸な」
「なんじゃこりゃぁぁぁ!!」
食事の用意ができたと呼んでくれたリンニーとアルマに答える余裕もなく、ティアナは力の限り叫んだ。
突然の絶叫に驚いたアルマとリンニーだったが、ティアナの事情を知って驚愕する。しかし、次いでの反応は違った。
一度実物を見せてもらったアルマは先程から笑いっぱなしだ。本人にとっては深刻な問題だと知りつつも、あまりの現実離れした事実にもはや笑うしかないという感じである。
「あははは! ごめん、悪いけど、面白すぎるでしょ」
「くっそ。いいよな、お前は。のんきに笑ってられるし。なんだよこれ、ありえねーだろ」
「けど、なんでまたそんなのが生えてきたの?」
「わかんねーよ。知ってたらこんなに驚いてねーよ」
「まぁそりゃそうよねぇ。夢が叶ったって思うしかないんじゃない?」
「叶ってねーよ、こんなの! 女の体に生えてきても意味ねーし!」
「くくく。そうよねぇ、体は女のままなのよねぇ。胸だってそのままだし」
寝台に戻り、素っ裸のままシーツにくるまったティアナが涙を浮かべながらアルマとしゃべる。あまりの出来事にどうして良いかわからないままだ。
一方、同じく実物を見てしまったリンニーは先程から呆然としている。
「うわぁうわぁうわ~」
「リンニー、あんたさっきから大丈夫なの?」
「男の人って、あんなのが付いてるんだ~」
「足りないものもあるけどね。って、もしかして初めて見たの?」
「うん。だって、そんなの見る機会なんてなかったんだもん~」
「あらまぁ。けど、初めて見たのがこれで良かったのかしら?」
首をかしげるアルマだったが、もちろん答えなど出るわけがない。
ようやくわずかに立ち直ったティアナがリンニーへと顔を向ける。
「けど、なんでいきなりこんなもんが生えてきたんだ?」
「い、いきなりそんなことを言われても~」
「思い当たる節と言ったら、あれしかないぞ」
「あの黒い玉に触った人をティアナが倒したときだよね~」
さすがにリンニーもすぐに思い当たったようで、ティアナの言葉にうなずいた。
ただ、その因果関係がまるでわからない。
「あの黒いやつに飲み込まれたときに何か飲んだ気は確かにするけど、なんでそれがこれになるんだ?」
「中途半端に願望を叶えちゃったのかもしれないね~」
「え、なにそれ?」
「あれってね、本当だったら黒い玉の意に沿うように触った人の欲望を歪めて実現するものなんだと思う~。でも、ティアナは浄化の魔法で守られていたし、飲み込んだのもちょっとだけでしょ~? だから、純粋に願いを叶える力だけが働いたんじゃないかな~」
「ということは、もう少し飲んでおけばちゃんと男になったかもしれないのか」
「そ、そんな都合良くいくかな~?」
「いくわけないでしょ。適量なんてやってみなきゃわかんないし、下手したら魔物になっちゃうのよ? 今のあんたには、それで充分だって神様が言ってるのよ」
「どんな神様なんだよ。リンニー、知り合いにいそうか?」
「知らないよ~」
アルマにたしなめられ、リンニーに首を横に振られたティアナはため息をついた。
そうして、食事を取るために服を着るよう急かされたティアナは仕方なく服を着る。かつて見慣れていたそれを見てため息をつき、下着を履いたときの感触にうなだれた。
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思わぬ形でしかも中途半端に願いが叶ってしまったティアナだったが、体調が全快したのは良いことだった。心配をかけたエルネにも知らせないといけない。
とりあえず報告だけでもとアルマを使いとして遣ると、戻って来たときにエルネもローザを従えてやって来た。
「ティアナ姉様! 体調が良くなったと聞きました!顔色もすっかり良くなられて!」
「ありがとう。お仕事をなさっていたのではありませんか?」
「すべて後回しです! ティアナ姉様のこと以上に大切なお仕事などありませんわ!」
「それはどうかしら」
苦笑いしたティアナがローザを見たが、すまし顔のままだ。問題ないらしい。
周囲の反応などお構いなしにエルネはティアナに迫る。
「昨晩は本当にひどい目に遭いましたが、これですべて終わりましたね! やっとティアナ姉様と旅行に行けます!」
「そういえば、あの魔物はルーペルト王子だとあなたは言ってましたよね? 間違いないのですか?」
「はい。どうもわたくしが目的でお屋敷に入ってきたようで、最初にわたくしの寝室に現れたのです。そのときに、少し会話をして知りましたの」
「魔物になっても王子様ですよね。殺してしまっても良かったのでしょうか?」
「襲われたこちらは被害者ですし、王子が魔物になったなど王家にとって醜聞でしかありません。お隣から抗議があるとは思えませんし、あってもあしらえますわ」
納得できる話だったのでティアナもうなずいたが、やはり気になってローザへと目を向ける。小さくうなずいているのを見ると、エルネの説明は正しいらしい。
「エルネに害が及ばないのなら構いません。ということは、ルーペルト王子とブライ王国の調査はもうしなくてもいいのですね」
「はい! これでやっとティアナ姉様と旅行に行けます!」
「ローザさん、調整はもうできたのですか?」
「いいえ、今回の襲撃事件で色々と狂いましたので、再び調整はやり直しです。ですから、当面は無理ですね」
背後から冷酷な事実を突きつけられたエルネが悲しそうな表情を浮かべて振り返る。
「他の予定も組み直しなのでしたら、その間に旅行の予定を入れてしまえないのですか?」
「まず、エルネスティーネ様へのお見舞いを望まれる方々が多数いらっしゃいます。その予定だけでも今月は埋まってしまうでしょう」
「そんなのはお手紙のひとつでも寄越してもらえれば充分ではないですか!」
「相手の方におっしゃってください。それに、今後社交界に出る機会も増えるのですから、面会しておくのは良いきっかけになります」
「あんな虚勢を取り繕うばかりの場なんて、どうして皆さん出たがるのでしょう」
「お仕事の一環だからですよ。王族との責務を果たしてください」
「うう、ティアナ姉様!」
「私に頼られても」
母国以上に知り合いがいないガイストブルク王国の社交界など、ティアナが出て行っても役に立たない。
ただ、気晴らしでたまには外に出るのは悪くないよなとティアナは思う。
その辺りとどうやって説得するべきか、涙目のエルネに迫られながらティアナは考えた。
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