求めるもの

 横になりつつアルマとリンニーの世話を受けていたティアナは、ぼんやりと天井を眺めていた。たまに横を見ると窓の外が見える。もうすっかり暗くなっていた。


 疲労で眠くはなるのに微熱で眠気がなくなるので眠りが浅い。こんな状態だと体力は低下する一方だが、食欲がないなりに少しずつ食べているので極度に悪化はしていなかった。


 この日の仕事を終えたアルマが身支度を調えてから明かりを消す。


「それじゃ寝るわね。何かあったらすぐ呼ぶのよ」


「わかったぁ」


「おやすみ~!」


 多少間抜けな声でティアナが返事をすると他の二人も寝台で横になった。


 すぐに聞こえてきた寝息を羨ましく思いながらティアナは寝返りをうつ。


 羊を数えても眠気は来ず、頭を空っぽにしても意識は落ちないため、次は暇潰しに何を考えようかとネタを探す。


 散漫になる意識でとりとめもない記憶から選んでいると、不意に今日が何の日か思い出した。


「そっか、今頃やってたっけ」


 ちょうど一年前のこの時間に、ティアナは舞踏会でユッタ達とやり合っていたのだ。突然あんな大舞台に立たされるとは思っていなかったので驚いた記憶が蘇る。


「一年後にこんな風になってるなんて、想像もできなかったよなぁ」


 つぶやいた声は小さく、すぐに消えた。大変な思いをしたのは確かだが、今では思い出として振り返られるようになっている。


 リンニーの話によると浄化の魔法をかけているので魔物化することはないそうだが、この状態がいつ終わるのか早く知りたいとティアナは強く思った。


 寝たきりの状態に不満を抱きながらティアナは再び寝返りをうつ。


 ようやくうとうとしかけたとき、ティアナは廊下が騒がしくなっていることに気付いた。それでもまだ眠気が勝っていたのでその音を子守歌替わりに意識が落ちようとする。


 しかし、隣の寝台で眠っていたリンニーが起きる衣擦れを聞いて意識が浮き上がった。


「アルマ~、どうしたの~」


「廊下が騒がしいから様子を見てくるわ。念のために起きておいて」


「わかった~」


 寝間着姿に長剣を右手に持ったアルマが手持ち式燭台を片手に扉へと向かう。その間にリンニーは起き上がって服を着替え始めた。


 その姿を見たティアナはリンニーに声をかける。


「何があったんだ?」


「廊下が騒がしいんだって~。何かあったら大変だから、今着替えてるの~」


「そっか、なら俺も」


「ティアナは寝ていてよ~。今起きても動けないでしょ~」


 起きようとしたティアナは、相変わらずだるさと微熱で体が思うように動かせないことを再確認した。無理をすれば短時間ならいけそうだが気力は大幅に削られる。


 おとなしく寝ていることにティアナが決めると同時に、アルマが戻って来た。


「この屋敷に誰か侵入したみたい。みんな慌ててるけど、騒ぎは奥の方ね」


「そっかぁ、エルネは大丈夫かな~?」


 リンニーの言葉を聞いたティアナとアルマが固まる。警備の堅い王女の屋敷にわざわざ侵入する者の狙いが、家主であることは最初に考えるべきことだ。


「アルマ」


「あんたは寝てなさい。ウェントスとイグニスがそばにいるなら、よっぽどのことが起きても大丈夫でしょ。様子はあたしとリンニーで見てくるわ」


「わたしも行くの~?」


「王女様が本当に襲われていたなら、場合によっちゃ加勢しないといけないでしょ。そうなったら頭数が必要なのよ」


「剣を持ってきてくれ。何かあったら、絶対必要になるだろ」


「リンニーお願い。あたし着替えてくる」


「わかった~」


 やることを決めるとアルマとリンニーは再び動く。ティアナはそれを見ているだけだ。


 旅装姿になったアルマが戻ってくると、ティアナに声をかける。


「それじゃ行ってくるわ。落ち着けないだろうけど寝てなさい」


 うなずくティアナを見たアルマが、既に剣を寝台に立てかけていたリンニーと一緒に出て行く。室内が急に静かになった。燭台の明かりがぼんやりと室内を照らす。


 騒ぎは相変わらず遠いようだったこともあり、ティアナは再びまぶたが重くなる。寝たいときには全然眠れないのに、こんな時に限って睡魔は絶好調だ。


「なんでみんな騒いでんだろうなぁ」


 寝てはいけないが寝てないといけないという矛盾が頭の中をぐるぐると巡った。


 そんな中、ティアナは何かが叫びながらこちらへと急速に近づいてくるのに気付く。


「なんだ?」


 目を扉へと向けてつぶやいた瞬間、その扉が内側に向かって吹き飛んだ。それと共に、手足に鋭い鉤爪を生やし、猿のように毛が生えた一体の魔物が飛び込んでくる。


「ガアアアァァ!」


「え?」


 客室の中央で立ち止まった魔物を見てティアナは凍り付く。ある意味最も落ち着ける場所で、先日まで散々相手をしてきた魔物を見たことが信じられない。


 驚いたのは魔物も同じようで、ティアナに気付いて目を見開いている。しかし、それも一瞬ですぐに飛びかかってきた。


「くそ!」


 思うように動いてくれない体を起こして長剣を手にしたティアナだったが、そこまでだった。避けるのも防ぐのも間に合わない。


 しかし、魔物が距離を三分の二まで詰めたところで突如室内に風が荒れ狂い、その行く手を阻んだ。勢いで窓が吹き飛ぶ。ウェントスが半透明状の竜巻姿を現した。


 同時にイグニスも半透明な火柱姿を可視化させて、頭大の火の玉を撃ち出す。それは風の壁を通過するときに火勢を更に強めて魔物へと命中して爆発した。


「イダアアァァァ!」


 盛大に燃え上がった魔物は床をのたうち回る。辺り構わず転がったので周囲の椅子や机があちこちに吹き飛んだ。


 後でアルマに怒られそうなどと場違いなことが脳裏に浮かびながらも、ティアナは立ち上がって長剣を抜く。


 ウェントスの起こした暴風により燭台の明かりはすべて消えている。このままでは何も見えない。


「さすがにふらつくか。ウェントス、暗闇でも見えるようにしてくれ」


 多少息を荒くしつつもティアナはウェントスに頼む。すると、白黒の風景が浮かび上がった。同時に、火を消せた魔物が立ち上がる。


 その姿は思っていた以上にあちこち傷ついていた。火の玉による火傷だけでなく、無数の切り傷や打撲の跡がある。先程まで相当戦っていたようだ。


 魔物の奥に見える廊下から複数の足音が聞こえてきた。もうすぐ誰かがやって来る。しかし、目の前の敵はそれまで待ってくれない。


 ウェントスに風の壁を作ってもらって守りに徹する考えは捨てた。先程の威力を見るとやって来る人々を中へ迎え入れるには一旦解除しないといけないが、どのみちそのときに襲われてしまうからだ。


 また、イグニスの火の玉攻撃も危ない。せっかく魔物を倒しても屋敷を燃やすわけにはいかないのだ。一度目のような幸運には頼れない。


 先日の地下神殿での戦いをティアナは思い出す。エッカルトのような剣の達人ではない以上、確実に相手を切れる鋭さが必要だ。


「イグニス、俺に憑依しろ」


『憑依シタ』


「剣に入れ」


『入ッタ』


 一度やった手順なのでイグニスも慣れたものだ。すぐに応じてくれた。剣の刃が淡い赤色に染まる。


 ティアナが何かやったことに気付いた魔物は怒りを露わにして叫ぶ。


「アアア!」


 再び突進してきた魔物相手にティアナが長剣を構える。その顔は険しく、息は荒い。


 魔物が突き進む勢いそのままに両手を突き出してティアナを捉えようとする。


 対するティアナは右前方へと進みつつ身を深く沈めると、できるだけ剣先を床に平行にしながら右腕一本でそのまま前に押し出すように振るう。


 行動を開始してからティアナは何も考えない。ただ成功することを信じて体を動かす。重い体はともすれば止まろうとするが、歯を食いしばって前に出す。


 憑依していたエッカルトの感覚をなぞる。動かない体ではとてもすべて真似できないが、正解をたどることで成功を手に入れようとした。


 眼前に床が広がり、頭上に風が吹き荒れ、何かが背中をかする。


 どうにか右腕だけで剣を振り抜き、左手と両足を使って転がるように魔物の後方へ抜けたティアナは、急いで片膝立ちで剣を構える。一瞬で立ち上がる体力は既にない。


「はぁ、はぁ、はぁ!」


「ガアアアァァ!」


 荒い息を繰り返すティアナの眼前で、左脚を脛から切断された魔物が痛みでのたうち回っていた。予想通りの結果だ。


 だが、わずかに気を緩めた瞬間、背中に鋭い痛みが走る。恐らく魔物の鋭い鉤爪か腕がかすったのだろうと予想する。すべてが完璧ではなかった。


「となると、ウェントスに助けられたか」


 通過中に頭上で風が吹き荒れたことをティアナは思い出した。魔物の攻撃を逸らせてくれたことを感謝する。


 ともかく、結果はほぼ理想通りだ。立ち位置は入れ替わり、ティアナは客室の出入り口を背にしている。いつでも逃げることができた。


 結構な気合いを入れてティアナがようやく立ち上がったとき、背後から声がかけられる。


「お嬢様!」


「ティアナ姉様!」


 躊躇うことなくアルマとエルネが部屋に入って来た。わずかに遅れて複数人が出入り口にたどり着く。


 ティアナの背中を見てエルネが悲鳴を上げる。


「なんてひどいお怪我!」


「怪我は後回しです! それより、この魔物は一体何ですか?」


「恐らくルーペルト王子だと思います。裂けた衣類がそれらしいものでしたので」


 どうにか口調を外向きに切り替えられたティアナは、エルネの説明を聞いて驚いた。王族がどうして魔物になっているのかさっぱりわからない。


「アクア、お嬢様の傷を治して!」


 右隣へとやって来たアルマが命じると、ティアナの背中の痛みが急速になくなる。振り返ると、半透明な水玉がアルマの元に戻るところだった。


 何か声をかけようとしたティアナだったが、のんきに話をしている暇はなかった。新たな入室者に気付いた元ルーペルト王子が膝立ちのまま近づいて来たのだ。


「エルネスティーネハオレノオンナダ!」


「わたくしとティアナ姉様の間に、あなたなどが入る余地はありません!」


 隣のエルネが叫び返していたが、目眩すらしてきたティアナには考える余裕がなかった。それよりも、今は目の前のルーペルト王子に集中しないといけない。


「テッラ、あれの動きを止めて~」


 今度は背後からリンニーの声が聞こえてくる。


 その声に応じた半透明な土人形が前に出ると、自分と同じ形をした土人形を出現させて魔物の両腕と両脇に取り付かせた。


「ジャマヲスルナァ!」


 自由に動かせるのが右脚だけとなった元ルーペルト王子は、それでも片膝立ちになって土人形を振りほどこうとする。


 そんな状態を目の前にしてティアナは前に出る。


 体調は先程より悪くなり、もはや攻撃できるのもあと一度だけだろう。


 魔物化した王子に思うところはないが、エルネに害をなす存在なら倒さねばならない。


「もう一度、なぞって」


「ガアアアァァ!」


 ティアナのつぶやきは元ルーペルト王子の叫びにかき消される。それを合図に再びティアナは没入した。


 荒い呼吸とうるさいくらい動く心臓が集中を邪魔する。暴れる相手より厄介だ。しかし、あるときから気にならなくなった。目眩がひどくなったのか落ち着いたのかはわからないが、一撃を繰り出すのには都合が良い。


 あの首を切り落とすのなら、かの幽霊騎士ならどう動くのか。体は? 腕は? 手は? 剣は? はっきりとわかる程修練は積んでいないため、ぼんやりとでもわかれば御の字だ。


 ようやく剣を撃ち出す用意ができた。相変わらず目の前の相手はもがいているが、その動きも気にならなくなる。そうして、いけると気付いたときに剣を振るった。


「ガッ!?」


 短い叫びと共に元ルーペルト王子の首が床に転げ落ちた。


 感覚がすべて元に戻ったティアナはそれを見て何かを思う余裕はない。何も感じなかった状態からいきなりひどい体調不良に襲われたからだ。我慢できずに倒れる。


「はぁ、はぁ、はぁ!」


「お嬢様!」


「ティアナ姉様!」


「どうしたの~!?」


 どこかで呼びかけられているようだが、今のティアナに返事をする余力はなかい。


 次第に薄れていく意識の中、ティアナはなぜかかの幽霊騎士が笑っている姿を見た。

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