体の違和感

 地下神殿での戦いを終えたティアナ達は地上でエッカルトの昇天を見送った後、徒歩で王都まで戻った。馬車が破壊されていたからだ。


 寝不足で夏の平原を歩くのはなかなかの苦行だったが、特に精霊アクアに助けてもらいながらどうにか足を進めた。


 二日目にバッハ公爵邸へたどり着いた頃にはすっかり疲れ果てていたティアナ達は、とりあえずその日は休む。


 ところが、翌日ティアナは目覚めると体が妙にだるいことに気付いた。体の芯に疲労の塊があるかのようで、起きるのも億劫に感じるくらいだ。


 それでも王立学院であったことをテレーゼに報告するため、ティアナは無理をして面会する。しかし、話をしている最中でも明らかに冴えない顔をしていた。


「ティアナ、今回の報告は今ので充分ですので、具合が悪いのでしたらしばらく休んでいてはどうですか」


「はい、そうさせてもらいます」


 報告後、自分を気遣ってくれたテレーゼの提案をティアナは素直に受け入れた。


 客室の寝台で横になっているティアナは、面白くなさそうにごろごろと転がる。


「あんた気分が優れないんだったら、おとなしく寝ていなさいよ」


「だから寝てるだろ」


「それは横になってるだけでしょ。子供みたいなこと言ってないで休んでなさい」


「はーい。それにしても、なんでこんなにだるいんだろ?」


「魔法で疲れは癒やせないもんね~」


「便利な魔法にもできないことはあるんだよなぁ」


 いっそこれが負傷だったらと思ったティアナだったが、痛いのは嫌なので却下する。


 その後二日間横になっていたティアナだったが、いつまで経っても治らないのでさすがに不安になってきた。


 どうするべきか考えた結果、このままエルネの元へ向かうことにした。どこにいても同じなら、とりあえず戻って報告だけでもするべきだと考えたのだ。


 さすがに今のティアナで徒歩は無理なのでテレーゼから馬車を借りて出発した。急いで走らせた結果、三日でエルネの屋敷に着く。


 ところが、到着したティアナの様態は更に悪くなっていた。けだるさだけでなく、微熱まで発するようになる。


 久しぶりに会えたティアナのそんな姿を見たエルネが悲鳴を上げた。


「ティアナ姉様! 一体どうなさったのです!?」


「ごめんなさい。先に休ませてもらえますか? 経緯はアルマから」


「ローザ、すぐに部屋を用意なさい!」


 命じられたローザがすぐさま手配すると、ティアナは客室で横になる。


 翌朝、心配していたエルネがローザを伴い見舞いに来た。


「おはようございます。お加減はいかがでしょうか」


「昨日と変わらないですね。寝不足なのが一番つらいです」


「なんておいたわしい! お薬か魔法で治療をしなければ!」


「魔法は試しましたが効果はありませんでした。薬も恐らく」


「王女様、説明はあたしからいたします」


「申し訳ありません。ティアナ姉様は安静になさらないといけませんでしたね」


 横からアルマに呼びかけられたエルネが、今思い出したといった様子で驚いた。


 場所を近くの席に移した四人は、リンニーとエルネが座り、それぞれの背後にアルマとローザが立つ。


「アルマ、あなたが説明してくださるのですよね」


「はい。お嬢様のご様態を知っていただくためにも、まずはヘルプスト王国へ向かった後のことからお話をします。これは、ルーペルト王子の調査結果も含まれます」


「承知しました。話してください」


 許可を得たアルマは、ブライ王国貴族を尋問したときのこと、王立学院が魔物に襲われたこと、地下神殿で旧知と戦ったこと、邪悪な存在を滅ぼしたこと、そして協力してくれた幽霊騎士が昇天したことを話す。


「その後、バッハ公爵邸で体調不良を訴えられて三日お休みになられましたが、回復しませんでした。そこで無理をしてこちらに参ったのですが、今度は微熱も発生して現在に至ります」


「そんなことがあったのですか。そうなりますと、ティアナ姉様が伏せっていらっしゃる原因は、カミルという者を討ち取った直後にあるようですわね」


「お嬢様も恐らくそれだろうとおっしゃっておりました」


 言葉を切って考えたエルネは、何かに気付いたかのように目を見開いてリンニーへと顔を向ける。


「リンニー様はどうお考えなのです? わたくしは、ティアナ姉様が何か飲み込んだかもしれないというのが怪しいと思うのですが」


「わたしもそう思う~。浄化の魔法はかけたけど、さすがに飲み込んだものにまでは効かないからね~」


「その浄化の魔法を再びかけてはいかがですか?」


「もう何度もかけたよ~。悪化していないのは魔法のおかげだと思うけど、わたしは治癒を司っているわけじゃないから~」


 返答を聞いてエルネは肩を落とした。


 そんなエルネに代わってローザがリンニーに尋ねる。


「リンニー様、もしこのまま様態が悪化するとどうなるのですか?」


「う~ん、エッカルトの話だと、魔物になっちゃうかもしれないのよね~」


「魔物になってしまうのですか!?」


「今は定期的に浄化の魔法をかけているから、そこは心配をしなくてもいいと思う~」


「そうなのかもしれませんが」


 主人の身の安全を第一に考える侍女としては、簡単にうなずける回答ではなかった。


 一方、落ち込んでいたエルネが多少気を持ち直してリンニーに顔を向ける。


「それで、ティアナ姉様のあのご様態はいつまで続くのでしょうか?」


「表面の傷だったらまだしも、内面だとティアナ次第だとしか言えないよ~」


「確かにそうですわね」


「今はたまに浄化の魔法をかけながら、どう変化するか見守るしかないと思うの~」


「私もリンニー様の意見に賛成です」


 背後に控えているローザもリンニーに賛意を示すと、エルネとしてはそれ以上何も言えない。


 会話が途切れたのを見計らったアルマがエルネに声をかけた。


「ということで申し訳ありませんが、当面はお嬢様が安静にできる場所をご提供願えませんでしょうか」


「もちろん構いません。たまに見舞わせていただきますわ」


 快諾の言葉を聞いたアルマが一礼するとエルネが立ち上がる。そして、続いて立ち上がったリンニーに顔を向けた。


「それでは、わたくしは一旦失礼いたしますわね。リンニー様、ティアナ姉様をよろしくお願いします」


「うん! ティアナはわたしの大切なお友達だもん、絶対助けるからね~!」


 笑顔を見せて答えたリンニーの姿に安心したエルネは、にっこりと笑ってから退室した。


 家主が去った後、アルマがリンニーに話しかける。


「力強く宣言したのは良いけど、治す当てなんてあるの?」


「どうしよう~」


 答えたリンニーは途方に暮れていた。既にやれることはやってしまっているので、後はティアナ次第なのである。


 不安になったアルマが問いかけた。


「あれ以上悪化はしないの?」


「浄化の魔法をかけているから魔物にはならないはずだよ~」


「となると、後は体力がどれだけ保つかよね」


 人間は体が資本である。特に病気や怪我のときは耐える力が高いと生き残りやすい。


 異変が起きる前までのティアナは健常者だったので体力はある。あとはそれを維持すれば次につなげられるとアルマは考えた。


「まずはしっかりと食べて、体力を落とさないようにするべきね。重いものは無理でも、軽いものは食べさせないと」


「つ、冷たい飲み物なんかだと嬉しい」


「夏だものね。けどダメよ。胃に負担がかかるから。甘くて暖かいものを用意してあげるわね」


「くそぅ、好きなものも飲めないないのかぁ」


 寝台で横になりながら悲しむティアナをよそにアルマが仕事を始めた。


 一方、リンニーは寝台に寄ってティアナの横に座る。


「今、体の調子はどうなのかな~?」


「全身だるいのに加えて火照ってる。眠りが浅いからきついんだよな」


「ごめんね、あれを壊そうとしなかったら、こんなことにならなかったのに~」


「それは承知の上でやったから別にいいよ。こうなるのは予定外だったけど」


 エッカルトの望みを聞き入れたのはリンニーだが、例え断っていたとしても地下神殿へは入っていただろう。そうなると、祭室でユッタ達と対決していたので、結局同じ目に遭っていた可能性が高い。


 着替えと桶を持ってきたアルマが、弱々しく笑うティアナと落ち込むリンニーに話しかける。


「それじゃ体を拭くわよ。リンニー、ティアナの服を脱がせるの手伝って。まずはできることから片付けていきましょ」


「うん! わかった~!」


 励まされたリンニーは笑顔になって立ち上がり、薄い上質なシーツを剥いだ。


-----


 別れる直前のヘルゲに朋友の秘薬を飲まされたルーペルト王子はしばらくすると突然苦しくなり、胸をかきむしりながら転げ回った。


「あいつ! はぁはぁ! イヤだ! 俺は化け物なんかにぃぃぃ!」


 体の奥から出てくる何かを必死に押さえ込もうとするが、やがて抗いきれずに流されてしまう。


 すると、口が左右に裂けてせり出し、同時に犬歯が鋭く伸びる。更に、全身が一回り大きくなったかと思うと中途半端に猿のような毛が生え、手足からは鋭い鉤爪が伸びた。


「ガアアァァァ! イヤダァァ!」


 その変化が終わると、今度は強烈な開放感と飢餓感に襲われる。変化が終わると人ならざる声で猛り続けた。


 執務室から聞こえてきた咆吼に驚いた家人達が入ってくる。家令をはじめとした数人の使用人達だ。そして、主人の服を着た化け物を目にして呆然とした。


 見られていることに気付いたルーペルト王子は入室してきた者達へと襲いかかった。先頭にいた家令の頭を鋭い鉤爪で吹き飛ばし、使用人の体を引き裂いていく。


「アアアアァァァ!」


 やってはいけないことだと頭の片隅に残った理性が告げるが、大半を占める本能が思うままに暴れる快楽に溺れる。


 とりあえず力を振るったことで満足したルーペルト王子は次に何をしようかと考える。そのとき脳裏に浮かんだのは隣国の姫の姿だった。


「エル、ネス、ティーネ」


 自分にふさわしい、妻になるべき女。どうして自分のそばにいないのかわからない。すぐにでも迎えに行かねばならなかった。


 そのとき、廊下から警護の者が現れる。見えるだけで四人、扉の向こうの廊下には更にいるだろう。


 やるべきことがある今は相手をしている時間が惜しいとルーペルト王子は思った。そこですぐに背を向ける。


「アアオオアアアァァァ!!」


 窓を突き破り、庭に出たルーペルト王子は全力で走り出す。立ちはだかる者は突き飛ばし、遮る壁は乗り越えた。


 こうして八月下旬、ルーペルト王子は突如としてブライ王国から姿を消す。


 その後、ヘルフェリヒ王家は弟王子の居場所を探すが、ついに見つけられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る