執着の代償
聖なる御魂の回収に失敗したユッタはウッツと共にブライ王国へ急いで戻った。
夕刻、王都に着いてすぐにルーペルト王子の屋敷へ向かった二人はヘルゲとの面会を求める。その要求は簡単に通った。
応接室で待っていた二人の前にヘルゲは姿を現すと着席してすぐに問いかけてくる。
「聖なる御魂は持ってきたか?」
「いいえ。失敗したわ。黒い守り手と後から来た連中に邪魔されてね」
「後から来た連中? あの地下神殿に入れた者がいたのか?」
「そうなのよ。ただでさえ黒い守り手の妨害で聖なる御魂に近づけなかったのに、後ろからそいつらに襲われたからどうにもならなかったのよ」
「どのような者達だったのだ?」
「ティアナとその仲間よ。あたしやカミル達のことを調べてるあんたなら知ってるはずよね。あいつ、女神を名乗る女の魔法で入れるようになったって言ってたわ」
「女神だと? 名は?」
「確か、リンニーって言ってたわね」
名前を聞いたヘルゲが眉をひそめて黙った。
てっきり鼻で笑われると思っていたユッタは訝る。
「どうしたの?」
「なんでもない。そのリンニーと名乗った者は女神である証拠を示したのか?」
「いいえ。ただ、ヨーゼフには勝ったみたいだから、相応の実力はあるみたいだけど」
「そうか。それで、リンニー達はこちらの目的を知った上で妨害してきたのか?」
「あっちの言い分だと、偶然って言ってたわね。王立学院で騒ぎが起こったから来たって」
話を聞いたヘルゲはため息をついた。つまり、聖なる御魂の封印が解けなければ計画は成功していた可能性が高かったのだ。
「まったく、世はままならぬことばかりだな」
「そうね。本当にそう」
ヘルゲの独り言を聞いたユッタがつぶやく。一度ならず二度までも、あと一歩というところで計画が台無しになってしまった。しかも同じ人物に邪魔されて。
二人が黙ってしばらくしたところで、今度は同席していたウッツが口を開いた。
「それで、今後はどうするんですかい? 進めていた計画はダメになっちまった以上、こっちの組織との関係も色々とあると思うんですが」
「そちらの組織はどう動きそうかわかるか?」
「動くも何も、ヘルゲ様の指示通りにこっちは動いてただけですからね。実のところ、もらうもんはもらってやることは全部やっちまってるんで、指示待ち状態ですぜ」
裏方として動いていた非合法組織は、襲撃組の人員集めとその管理、そして、王立学院への誘導までが仕事の範囲である。つまり、実害は何もない状態だった。
一方、王立学院の混乱が短期間で終息してしまったことにより、ルーペルト王子の目的は果たせなくなってしまった。この報告を王子が受けると怒り狂うことは間違いない。
そこまで考えたヘルゲはひとつ思い至ったことがあった。
「ウッツ、王立学院を去るときに証拠は隠滅したと言っていたが、それは確かか?」
「へぇ、そりゃ確かにしましたぜ。持ち帰れねぇ資料なんかは別の部屋に隠しておきましたし、あれなら見つかってもこっちは疑われねぇでしょう」
「燃やさなかったのか」
「時間がなかったんですよ。それとも、宿舎ごと燃やせって言うんですかい?」
「もうひとつ、魔物化したドプナー男爵を倒した後、その死体はどうした?」
「どうしたって、そりゃぁ」
言葉を続けようとしたウッツは黙る。あの混乱した中でそこまで気が回らなかった。
一瞬の沈黙の後、ウッツが多少焦りながら弁明する。
「一刻も早く逃げなきゃいけねぇときに死体の処理まできっちりとしろってぇのは無茶ですぜ。大体、死体は処理できたとしても、床の掃除までなんてとてもできやしませんって」
「つまり、死体はゲオルク殿の部屋に残ったままだということなんだな?」
「あーそうですねぇ」
気まずそうにウッツが肩を落とした。
こうなると、ヘルプスト王国側がゲオルクの部屋を捜査して、ルーペルト王子までたどり着く可能性は充分にある。もちろん王子側はゲオルクを切り捨てて逃げようとするだろうが、関係の悪化は避けられない。
何にせよ、ルーペルト王子の体面に傷が付くのは不可避だ。こうなってはもはや王位など望めないだろう。
潮時だとヘルゲは悟った。既に目的も果たせなくなっている以上、ここに留まる理由もない。後始末をして立ち去るべきと判断する。
考えをまとめたヘルゲは再び語り始めた。
「ウッツ、この件に関してはもういい。それと、そちらの組織に関係を解消すると伝えておいてくれ。よくやってくれたともな」
「へい、わかりやした」
「それと今後についてだが、私はルーペルト王子の元を辞することになる。任されていた計画が失敗した以上、責任を取らねばならんからな」
説明を聞いたユッタとウッツは顔を見合わせた。そんな律儀な性格だとは思ってもみなかったからだ。
思わずウッツが尋ねる。
「辞めた後はどうするんで?」
「私はとある目的のために各地をさすらっている。今回の聖なる御魂の回収もその一環だった。しかし、失敗した以上はまた再び目的を果たすために各地を回らねばならん」
「その目的ってのはなんですかい?」
「私についてくるのなら教えてやろう。お前達二人はなかなかに使える。ウッツはその行動力、ユッタはその能力。うまく使えば一角のことができると思うが」
まさかの勧誘にユッタとウッツは目を見開いた。
ヘルゲは更に言葉を続ける。
「特にユッタ、今後何も当てがないのならどうだ? もちろん、こちらの目的のために働いてもらうことになるが、相応の待遇は約束しよう。復讐する力を蓄えたくないかね?」
「いいわ、そこまで言うのなら乗ってあげる。当てがないのは確かだしね」
「ウッツ、お前はどうする?」
「この先どう生きていくかなんて、元々考えちゃいませんでしたからねぇ。それに、この流れで断るってわけにもかないでしょうや」
「決まりだな。お前達はそちらの組織戻っていてくれ。ウッツは国外に出る手配も任せる。私は後始末をしてからそちらへ合流しよう」
「わかったわ」
「早速仕事ですかい。へへ、わかりやした」
提案に乗ったユッタとウッツは不敵に笑いながら席を立ち、応接室を去った。
そんな二人を見ながらヘルゲも立ち上がり、屋敷の執務室へと向かう。
途中、ティアナのことを思い出す。外交使節団として隣国に赴いたときに王女へ急の連絡を告げに来た侍女だった。しかし、本当に侍女だったのかと考える。
「あの王女の差し金か? しかし、知られていたとも思えんが。まったく、殿下がすぐに諦めていれば良かったのだ」
今更言っても始まらないことだが、面白くないことは確かだ。ならばせめて一矢報いてやろうと思う。あの王子に責任を取らせる形で。
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屋敷に執務室を
だからこそ、王子を支持する貴族は年々減り続けていた。まともに仕事をしないということは貴族の利権も守れないということだからである。
減り続ける支持者に焦りを覚える中、とある貴族からの紹介で王子はヘルゲを知った。最初は半信半疑だったが、その仕事ぶりにヘルゲに王子は大きく頼っていく。
今回の王立学院で一騒動を起こす計画も王子は成功すると確信していた。何しろ今まで失敗をしたことがないヘルゲが進めているのだ。疑う理由がない。
そのため、王子は現在ヘルプスト王国に差し向ける兵を集めていた。これにヘルゲの用意した降魔の杖を与え、王立学院の騒乱を鎮圧するのだ。
計画が成功裏に終わった後、周囲が尊敬と羨望の眼差しを向けてくることを想像して王子は口元を緩めた。これなら、あのエルネスティーネ王女もなびくに違いないと浮つく。
「ん? もうこんな時間か」
夢想していたことで周囲が見えなかったルーペルト王子は、既に日が暮れて周囲に明かりが
「今日も一日よく働いたな。さて、食事でも済ませて寝るか」
今晩の寝酒は何にしようかと考えながら席を立ったルーペルト王子は、ちょうどそのときに扉を軽く叩く音を耳にした。一瞬迷ったが、座り直して入室を許す。
「入れ。なんだ、ヘルゲではないか。今日はもう休むつもりなのだ。明日ではいかんのか」
「急ぎお耳に入れたい件ですので」
「ふむ。で、急ぎの件とは何だ?」
「先日、ヘルプスト王国の王立学院を邪教徒に扮した者達に襲撃させ、一旦は現地の制圧に成功しました。しかし、その後原因不明の理由で襲撃組の者達は全滅したようです」
「原因不明の理由で全滅? なんだそれは!?」
あまりの急変ぶりにルーペルト王子は驚愕した。
そんな王子の態度に構わずヘルゲは説明を続ける。
「報告によりますと、王立学院を制圧した早朝に、何者かの手によって封印が解けた地下神殿の活動が止められた影響のようです」
「何者とは一体誰なのだ!」
「わかりません」
ユッタから報告を聞いているがヘルゲはそこを伏せる。背後がわからない以上、話が面倒になるだけだからだ。
しかし、もちろんそんな説明でルーペルト王子は納得しない。激高して机を叩く。
「わかりませんでは何もわからんだろう! 一体誰が何のために俺様の邪魔をしたのだ!」
「申し訳ありません」
「それに、地下神殿が活動を停止したくらいで、なぜ襲撃組の者達が全滅するのだ!」
「残念ですが、それも」
申し訳なさそうに答えるヘルゲだが見当は付いている。不完全とはいえ、朋友の秘薬は邪教徒になるための薬なのだ。聖なる御魂とつながったとしても不思議ではない。
一方、ヘルゲがこれ程の失敗をすることも、報告がどれも曖昧なことも初めてだったので、ルーペルト王子は内心戸惑いながらも怒りを抑えられない。
「あれほど念入りに準備をしていた計画が、なぜこれほどあっけなく潰えるのだ!?」
「不運だったとしか」
「不運だと! そんな一言で片付けるというのか!」
口から泡を飛ばしてヘルゲを指差すルーペルト王子が叫ぶ。つい先程まで都合の良い夢想をしていただけに、その落差が大きくて耐えられない。
「貴様、この責任を一体どうやって取るつもりだ!」
「私の命だけでは、とても足りますまい」
「だったら、関係者全員、足りるまでかき集めよ!」
「もはやそのようなことをする意味はございません」
「なんだと!?」
「ゲオルク殿が王立学院から脱出する前に魔物化したドプナー男爵を殺害したのですが、その遺体はゲオルク殿の部屋に残したままだそうです」
「それがどうした」
「ヘルプスト王国側の調査能力にもよりますが、事が露見する証拠になりかねません」
怒り散らしていたルーペルト王子は凍り付いた。しばらくして、どうにか口を開く。
「ゲオルクが、魔物に襲われたという証拠になる可能性もあるだろう?」
「確かに、しかしその場合、ゲオルク殿がどのように当時のことを説明するかにかかっています。いささか不確定要素が強すぎるかと」
「だったら、全部あやつのせいにしてしまえば」
「ドプナー男爵が私と面会してからゲオルク殿と王立学院に向かわれたことは、ブライ王国で既に噂になっております。私を切り捨てたとしても、殿下が責任を逃れることはできないでしょう」
あれほど激高していたルーペルト王子の顔が顔面蒼白になった。隣国の貴族の子弟子女が集う場所で争乱を起こした犯人だと疑われた時点で、王位どころではなくなってしまう。
口を開閉させる王子に対してヘルゲが一礼した。
「殿下、短い間でしたがお世話になりました。私は今回の責任を取り、殿下の元を辞すことにいたします」
「な、なに? 貴様、自分だけ逃げるのか!」
「目的が果たせなくなったので、ここに用がなくなっただけです」
「待て、貴様、俺様一人だけにすべての責を負わせようというのか!」
「人の上に立つ者にとって、それは責務のひとつでしょう。まっとうなさってください」
「うるさい! 失敗したのは全部貴様の責任だろう! 俺様は何もしていないのだから、責任など取る必要はないはずだ!」
再び執務机を激しく叩きながら立ち上がったルーペルト王子が吠える。
それを見たヘルゲがため息をついた。
「なるほど、どうやら殿下は目の前の現実に耐えられないご様子。それでは、餞別としてこれを差し上げましょう」
「なんだこれは?」
「朋友の秘薬ですよ。私が作った不完全なものですが、それでもすべてが忘れられます」
「ふざける」
執務机の上に差し出された小さな土瓶から目を離したルーペルト王子は、目の前のヘルゲを睨んで声を張り上げようとした。ところが、途中から声が出なくなる。それどころか、全身が動かせなくなった。
正面で立つヘルゲは笑顔を向けていた。その瞳を見てぞくりとする。原因はこれかと王子は直感した。
「では、これにて失礼いたします。あなたの心に、安らぎを与える闇が訪れますように」
「ま、か」
全身を震わせながら抵抗するルーペルト王子は、去って行くヘルゲに声すらかけられなかった。
そして、どれだけ拒否しようとも、己の手はゆっくりと小さな土瓶を持ち、蓋を開ける。涙を浮かべようが心で叫ぼうが体がまったく言うことを聞いてくれない。
見た目がどろりとした液体が土瓶から王子の口の中に入る。その味はやや甘い。
そのすべてを飲みきるまで王子は嚥下することを止められなかった。
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