終わりの後
黒い奔流が止まると地下神殿は本来の姿に戻った。床も壁も天井も、そしてその他の遺物すべてが痛み、崩れ去る。同時に明るかった祭室が暗くなった。
視界を確保するため、ティアナ達は再び精霊にかけてもらった魔法に頼ることになる。
本来の風景を初めて見るティアナ達はその光景をゆっくりと眺めた。
「これはまた遺跡っぽいなぁ」
「ほんとよねぇ。今にも崩れ落ちそうなのが怖いわ」
埃っぽささえも漂い始めた祭室で、ティアナとアルマはつい先程までとの落差に驚いている。一方、リンニーは石化した禍々しい形の樹木へと目を向けていた。
そんなリンニーに対してアルマが尋ねる。
「その木がどうかしたの?」
「これ、取られた御神木の苗木だったから、エステにお話をしないといけないな~って」
以前そんな話をしていたことをアルマは思い出す。自分にとっては完全に終わった話であっても、リンニーにはまだやるべきことが残っていることに気付いた。
ティアナが他の二人に声をかける。
「そろそろ上に行こうか。いつまでもここにいても仕方ないしな」
「賛成。今日はずっと動きっぱなしだったから、早く体を拭いて寝たいわ」
「嫌なことを思い出させてくれたな。せっかく忘れてたのに。あ~体がだるくなってきた」
けだるげに話ながらティアナとアルマは歩き始める。早く帰りたいという意に反して疲労の溜まった足の動きは鈍いが、どちらも気分は軽い。
ティアナ達が地下神殿を出たとき、外はまだ夜だった。入るときはまだ魔物化した者達が徘徊していたので、あれからどうなったのか知るために王立学院の敷地内を一周する。
あちこちに戦いの爪痕が残されており、特に正門から衛兵の詰め所にかけては多数の死体が横たわっていた。また、人間以外の死骸はすべて白骨化している。
最初に口を開いたのはティアナだった。
「ざっと見回ったけど、誰も生きていないみたいだな。王国軍の将兵が何人か生きてくれていたらと思ったんだけど」
「でも変よね。王国軍の兵隊が全滅させてるんなら、生きてる魔物がいてもおかしくないはずなのに」
「どこかに逃げたんじゃないか?」
「神殿内のことは知らないはずだから、逃げる理由なんて魔物にはないんじゃないの?」
「それにしても、魔物の死体はみんな骨ばっかりってどういうことなんだろ?」
「あ、神殿内であたしたちが倒した魔物も骨ばっかりになってたわよね。もしかしてそれと同じ理由?」
首をかしげたアルマとティアナが話をする。地下の神殿へ入っている間に何が起きたのかわからないので疑問ばかりが浮かんだ。
そんな二人にリンニーが口を挟む。
「たぶん、あの黒い玉を壊したから、みんな死んだんじゃないかな~」
「つながってたってことか?」
「うん。ああいうのって、大体つながってるものだからね~」
「となると、この学院内にはもう生きている奴はいないのか」
「そうだね~」
答えたリンニーは寂しそうに微笑んだ。
場の雰囲気が暗くなったが、アルマがふと空を見上げると東の方がうっすらと白み始めていた。
「もう朝かぁ。結局夜通し戦ってたわけね。どうりで疲れるはずだわ。これからどうしましょ?」
「どうするって、そうだ、エッカルト、憑依を解除するぞ」
『承知した』
脅威がもうないのであれば憑依してもらうことはない。ティアナはエッカルトとイグニスの憑依を解いた。皆の前に、色の抜けた金髪と皺の刻まれた顔をした老騎士が現れる。
今さっき思いついたことをティアナは尋ねた。
「エッカルト、地下神殿はこれで破壊できたけど、これからどうするんだ? もうここを巡回する必要はないんだろ?」
「ははは! 何を言っておるか。儂にはもうこれからなどない。本願を成就したのだから、夜明けと共に消え去るのみだ」
返事を聞いた三人が息をのむ。幽霊となってまでこの世に残っていた理由がもうないのだから、当然と言えば当然だろう。
空の色が次第に薄くなっていく中、ため息をついたアルマが口を開く。
「なんかずっと残っているような気でいましたけど、そりゃ思い残すことがないなら昇天しちゃいますよね」
「その通りだ。そなた達には本当に世話になった。霊体の身である儂だけでは、とても成せなかったことだ。このエッカルト、厚く礼を申し上げる」
「よしてくださいよ。こちらも散々世話になったんですから」
「叶うなら、そなたとティアナの剣技を更に鍛えてやりたかったが、まぁそれは望みすぎだな」
快活に笑うエッカルトに釣られてアルマも笑うが、どことなく寂しそうにも見えた。
夜空は西へと後退してゆき、東の空が鮮やかな青へとなっていく中、ひときしり笑ったエッカルトはリンニーへと向き直った。
「慈愛の女神リンニー様、この度のお力添え、誠にありがとうございます。一介の亡霊に過ぎぬこの身の戯れ言に真摯に耳を傾けてくださったこと、感謝してもしきれません」
「いいのよ~。わたしにも関係のあることだったから~」
最後に一瞬だけリンニーの雰囲気が変わる。
「あの神殿が復活することはもうありませんから、安心してお逝きなさい。今まで長い間ご苦労様です」
「重ねて、ありがとうございます」
にっこりと微笑むリンニーにエッカルトは一礼した。
周囲の陰影がはっきりとしてきた。太陽こそまだ姿を見せていないが地上は明るくなりつつある。
それに反比例して老騎士の姿は薄くなっていた。声はまだ聞こえるが、手足の先はもう見えない。
エッカルトは最後にティアナへと顔を向けた。
「ティアナ、そなたには一番世話になったな。憑依体質などという能力のおかげで、儂は再びこの世に関わることができた」
「それ以上に世話になったけどな。俺、ろくに戦えないから」
「代わりに、仲間や精霊が周りにおるではないか。いくら自分だけが強くても、一人ではやれることは限られる。そなたはそなたとしての強さを身に付けつつあると思って良いぞ」
「エッカルトにそう言われると、なんかそんな気がしてきたな」
「はっはっはっ! そうか。ならば良い。もっと自分に自信を持て。事の成し方など人それぞれだ。これからも自分のやり方で進め」
「うん、そうする」
東の稜線から太陽が姿を見せてきた。
反対にエッカルトの姿は急速に見えなくなっていく。
「改めて、このエッカルト・パウマン、最大の感謝と礼を述べよう。さらばだ。皆の行く末に幸多からんことを!」
その言葉を最後にエッカルトは完全に姿を消した。
東の空には次第に高く登ってゆく太陽がすっかり見えている。
今日も良い天気になりそうだった。
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もう少しで殺されるところだったユッタは、とっさに魔法でアルマの目をくらませた。そうして怯んだところを蹴り飛ばす。
祭室から出たところで真っ暗なのに気付き、すぐ魔法で光の球をいくつか作り出した。それを自分を中心に少し離れた頭上へ配置する。
そこからは脇目も振らずに全力で地上へ向かって走った。立ち止まれば殺される。追いつかれたら次はない。
ろくに運動をしていない体はすぐに悲鳴を上げた。特に肺がすぐ諦めようとする。しかし、何としても逃げ切らねばという意思で止まろうとする脚を動かした。
たまに襲ってくる半人半魔の生き物を半壊した降魔の杖で倒し、躓いて転んではすぐに立ち上がってまた走る。
途中、真新しかった地下神殿内部が急速に劣化したが、ユッタに気にしている余裕はない。地上に出たときは既にぼろぼろだった。
「はぁはぁはぁ!」
のどはとうの昔に張り付き、気を抜いた途端全身から力が抜ける。聖堂の地下神殿へ続く空き部屋でユッタは座り込んでしまった。
「はぁ、これからどうしよう」
つぶやきながらもユッタは光の球をすべて消した。すると真っ暗になる。昼間なら廊下にかすかな日差しでも入るものだが、それもないとなるとまだ夜ということだ。
地下神殿に入る前には魔物化した襲撃組の者達が多数いたが、自分が敵ではないと判断してもらえるか不安だった。ユッタは残っていると聞いた襲撃組の理性を信じ切れない。
「これ、効くのかしら」
次第に呼吸が落ち着いてくる中、ユッタは手にしている降魔の杖を見る。壊れる寸前といった様子だが今まではまだ使えた。
力の入りきらない体を無理矢理立たせたユッタはふらつきながらも立つ。追われている身である以上、いつまでも休んでいるわけにはいかない。
再び光の球を魔法で作りだして視界を確保したユッタが歩き出す。聖堂から出て、できるだけ物陰を伝うように進んだ。
何度か王国兵の死体の脇を通りながら慎重に歩いていたユッタは、おかしなことに気付いた。
「音も声もしない?」
魔物化した者達が王立学院を占拠したのなら、足音や叫び声が聞こえてもおかしくはない。しかし、今はそれらがまったくなかった。
不審に思ったユッタは思い切って衛兵の詰め所へと足を向ける。あそこなら何かしらの手がかりがあると思ったからだ。
その考えは正しかった。王国兵の死体と魔物化した者達の白骨が散乱していたのだ。それを見てユッタは気付く。
「そっか、あいつらうまくやったんだ」
王国兵は恐らく襲撃組に全員殺されたのだろう。そして、襲撃組の者達は、聖なる御魂が破壊か封印されたので白骨化したのだと直感した。
皮肉にもティアナ達が目的を達したことでユッタの不安が取り除けたわけだが、感謝する気にはなれない。
「ああそうだった。ここから歩かなきゃいけないんだったわ」
昨日出発した隠れ家の位置は覚えていたユッタだったが、どのくらい歩くのかを理解してへたり込みそうになる。しかし、ここで本当に腰を落とすわけにはいかない。
肩を落としつつも、追っ手のことを思い出したユッタはゆっくりと歩き始めた。
そんなユッタがやっとの思いで隠れ家にたどり着いたのはその日の夕方だ。
百名以上いた以前と違って閑散としている。というより、人の姿が見当たらない。襲撃組を送り出した後は用済みとなり、組織の者達は引き上げたのだろうとユッタは考えた。
のどが張り付くのを我慢してユッタが叫ぶ。
「ウッツ、いるんでしょ。出てきなさい!」
予定では、首尾良く聖なる御魂を持ち出したらここでウッツと合流するはずだった。まだ結果は知らないので待っているはずとユッタは予想する。
「へいへい。あーこりゃまた随分と苦労なさったようで」
「まったくよ。死ぬかと思ったわ」
普段なら応じないウッツの軽口にユッタは答えた。一応の味方に会えてかなり気が緩んだのだ。
一方、ウッツはそんなユッタに多少驚きつつも必要なことを尋ねる。
「それで、結果はどうだったんですかい?」
「散々だったわよ。話に聞いていたよりも黒い守り木ってのが厄介だったし。なんであんなに枝が動くのよ、気味の悪い」
いつもなら激高してもおかしくない口調だったが、さすがに疲れて声を張り上げる力はユッタにはないようである。
話を聞いたウッツは顎に手をやりながら問い返す。
「失敗したんですね? こいつぁ参ったなぁ」
「わかってるわよ。あーもう、ヘルゲになんて言おうかしら」
ユッタは盛大にため息をついた。あのような物を取ってくるように持ちかける人物などまともではない。最悪殺されかねなかった。
いっそ逃げてしまおうかとも考えたユッタだが、幽閉先から解放してもらった恩を思い出す。そうすると、逃げる気もなくなってしまった。
「とりあえず、ヘルゲのところに戻りましょう」
「ま、今夜はここで泊まっていきやしょう。動くのは明日からで」
「そうしてちょうだい。ああそうだ」
「忘れてやした。これをどうぞ」
言葉を途中で遮られて差し出された水袋を見てユッタは少し目を見開く。ウッツはにやりと笑った。
随分と気が利くじゃないと顔をほころばせたユッタは、それを一気に呷って盛大にむせてしまう。
中身は酒だった。
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