前世の影

 王都に到着した翌日、ティアナ達はブルクハルトと別れて王都内を巡り始めた。


 この時季のアーベント王国は寒さが厳しい。叡智の塔近辺より積雪量は少ないが体感温度に大きな差はなかった。


 ティアナ達は厚手の防寒着を着込んでも染み込んでくる寒さに震えたが、それでも大きな街並みを楽しむ。


「ガイストブルクの王都と大きな違いはないけれど、装飾は微妙に違いますね。全体的にすっきりとした感じ」


「そうですね。こっちは細かい彫刻なんかはなくて、のっぺりとした見た目ですよね。あたしはこっちの方が好きかなぁ」


「僕は屋根の角度が急なのが気になる。なんでこんなに傾いてるんだろう?」


 晴天の下、差し込む日差しに照らされた王都の街並みをティアナ達はゆっくりと見て回る。今回は人からお勧めの観光場所を聞いていないので、気の赴くままに歩き回っていた。


 もちろん観光とはいえ、単に見回っているだけではない。動けば当然お腹が空いてくる。日が南天に差しかかる頃になると、三人は何か食べようと市場へ足を向けた。


 新鮮な食材が並ぶ他、すぐに食べられる屋台もひしめき合う通り三人は歩く。声による呼び込み以外にも、暴力的な匂いによる勧誘が三人を誘う。


 たまに負けて屋台で温かい食べ物を買いながら、三人は店舗を構える飲食店街へと移る。こちらは屋台ほどの誘いはなかったものの、それでもたまに目を向けてしまう店はあった。


 そんな中、タクミがとある店を見て声を上げた。


「あれ、この匂いって、知ってる?」


 他に気を取られていたティアナとアルマがタクミの様子に気付いて顔を向けた。そうして二人もタクミが見ている店へと鼻先を向ける。


「あら本当ですね。でも何だったかしら? ちょっと思い出せないですね。アルマは?」


「これ、水っぽい感じですけど、ラーメンに似ているような感じですねぇ」


「それだ!」


 適切な言葉が見つかったタクミが叫ぶ。


 その声に少し驚いたティアナも、言われてすっきりした表情を浮かべた。


 珍しくタクミが積極的に二人を誘う。


「ねぇ、ここに入らない? 僕、これ食べてみたいんだ」


「そうですね。まったく同じ物だとは限りませんが、私も興味が湧きましたし」


 隣でアルマがうなずいたのを見たティアナはタクミの提案に乗った。


 店内に入ると昼時とあって結構な客入りだった。しかし満員ではないので三人分の席はすぐに確保できた。


 やって来た店員にアルマが初めてであることを告げ、何があるかを確認してから注文する。三人とも同じ物を頼んで店員が離れていくのを見ると、顔を寄せて声を潜めた。


「ランメンって発音していましたよね? もしかてラーメンがなまったのかしら?」


「やっぱりティアナもそう聞こえた? 僕もなんだ。もしかして本当にラーメンが出てくるのかな?」


「期待はできるかもしれないけど、この妙に水っぽい臭いが気になるのよね」


 別に悪巧みをしているわけではないのだが、別の世界の話をしているので自然と周囲に知られないような態度を取ってしまう。


 半ば恐れ、半ば期待しながら三人が待っていると、注文したランメンが届く。麺の形は一般的なラーメンのものとほぼ同じ、スープは色が薄く、微妙に油が浮いていた。


 しかし、鼻を寄せて香りを確認したアルマが眉を寄せる。


「これ、ちゃんと出汁を使っているのかしら?」


 他の二人は無言で顔を見合わせる。どちらも不安な表情を浮かべていた。


 三人が不安になる要素はもうひとつあった。それは一緒にフォークと小さいおたまが店員から提供されたのだ。


 思い出したようにティアナが呻く。


「そうですよね。こっちではお箸なんて見たことないのですから、麺類を食べるならフォークですよね」


「この底の浅い小さいおたまを使うラーメンがあるのは知ってるけど、フォークはあたしも予想外だわ」


「味はどうかなぁ」


 三人の中で最もラーメンのことを覚えているタクミが、フォークを使って麺を食べようとした。しかし、なかなかうまく麺を掬えずに苦労する。


 見かねたアルマがフォークを小さいおたまの使い方をタクミに教える。


「タクミ、これ、多分パスタを食べるみたいにするんだと思うわよ。こうやってフォークである程度麺をたぐり寄せて、おたまのところでくるくるって絡め取るの」


「そっかぁ。あ、できたできた」


 感心したタクミがアルマと同じようにやって麺を口に入れる。


 しばらく口を動かしていたタクミだったが、すぐに微妙な表情をして麺を飲み込んだ。


「なんか、思ってたのと違うね」


「麺のこしはこの際おいとくとして、スープは出汁を使ってないわね。だから水っぽいんだ。こっちじゃ出汁を使う習慣なんてないものね」


「素うどんならぬ素ラーメンもどきというわけですね」


 麺以外には何も入っていないお椀を見てティアナがつぶやく。


 支払ったお代と周囲の客層から考えてこんなものなのかもしれないが、三人には残念な食べ物だった。


 それでも残すわけにもいかず、三人とも少しずつ食べていく。


 いささか肩を落としたティアナが口を開いた。


「でも、こっちの世界にこんなのがあるとは思いませんでしたね」


「たまたま似たというには、変に似すぎていますもんね。誰が思いついたのかしら?」


「転生者か転移者が作ろうとして失敗したのかなぁ」


 最後にタクミがぼやくと、ティアナとアルマは目を見開いた。自分達はもちろんのこと、かつて敵対した転生者と対決したことがあるだけにその可能性を否定できない。


「ということは、このアーベント王国に転生者か転移者がいるかもしれないわけですか」


「もうどこか別の場所に行ってる可能性もありますけどね」


 麺だけは食べ終えてフォークと小さいおたまを置いたアルマが、ティアナの独り言に言葉を返した。


 店主に詳しい話を聞くわけにもいかない三人は、疑念だけを深めるばかりだった。


 空腹は満たされたものの、精神的には不満足という微妙な状態のティアナ達は、気持ちを新たにして観光へと精を出す。


 店を出て歩き始めてすぐにアルマが他の二人へと声をかける。


「せっかく市場まで来たんですから、小物なんかを見ていきません?」


「そう言えば、前の町で耳飾りと香水を買っていましたね」


「ここは王都なんですから、探せばきっと良い物が見つかりますよ!」


 珍しく熱心に勧めるアルマの耳元で、以前買った白い菱形の飾りが揺れている。それにちらりを意識を向けたティアナはうなずいた。


 飲食店と同様に市場には雑貨屋や装飾店の露天商が軒を並べている。文房具、料理器具、鞄類、化粧品、各種飾り、骨董品などが所狭しと積み上げられていた。


 そんな雑多な商品の様子を見てタクミがつぶやく。


「よく崩れないなぁ」


「積み上げるコツでもあるんじゃない? それより、中から物を取り出す方が器用だと思うけど」


「上から取っていくんじゃないの? さすがに真ん中からは取れないでしょ」


「ほしいのが真ん中にあったときは、そこから取ってくれるわよ。見慣れてないと驚くでしょうね。ちょっとした芸みたいなものだわ、あれ」


「マジかぁ」


 横からアルマに説明されたタクミが、半ば呆然としながら衣服の山を眺めた。


 そうやって大半の店を冷やかしながら三人は市場の中を巡っていく。


 やがて店舗を構える道具屋街へと移る。こちらでも同じく冷やかしていると、三人はとある魔法の道具を売っている店で気になる道具を見つけた。


 最初に気付いたのはタクミである。


「あれ? こっちにもこんな腕時計があるんだ」


 タクミの声を聞きつけたティアナとアルマが寄ってきて一緒に眺める。魔法の道具は大体が通常の道具よりも高いので、店主の許可がないと手に取れない。


 眉を寄せて眺めていたアルマが小さい声でティアナに問いかける。


「お嬢様、この世界に腕時計ってありましたっけ?」


「見たことないわ。手のひら程度の懐中時計がやっとよ。それもアナログ方式の」


 三人の目の前にある腕時計は手のひらの四分の一程度の大きさしかない。しかもデジタル式だ。


「僕、文字が読めないけど、ここに映ってるのって数字でいいんだよね?」


「そうね。表示の仕方もデジタル時計に似てるけど、これって偶然なのかしら?」


「あたしにもわからないですよ」


 懐かしい一品を見て三人が腕時計の商品棚の前で話を始めた。


 そこへ痩せ細った店主が近づいてくる。しわがれた声で話しかけてきた。


「その時計が気になるのかい?」


「ええ、とても珍しい形をしていますので。これってこの国では珍しくないのですか?」


 ティアナの言葉に納得した様子の店主が、ちらりと腕時計を見てから返答する。


「よその国から来たのかい。この国でもそんなに流通していないよ。これは魔力で動く時計で、魔力切れを起こさない限りはずっと正確に時を刻んでくれるのさ」


「それは便利な物ですね」


「ああ、便利だよ。ただ、ここまで正確に時を計る必要性が普段の生活にあればだがね」


 店主の言葉に三人は顔を見合わせた。


 確かに、この世界は良くも悪くも時間には大雑把だ。それは時間を正確に計れないからだが、逆に店主の言う通りそこまで正確さを必要としていないからでもある。


 続けて店主は説明する。


「ただ、他の時計はぜんまい仕掛けだからよく狂うが、これはそんなことはない。毎日調整せずに済むのは楽で良いだろうよ」


「きっとお高いのでしょうね」


「高級な置き時計一台分くらいだよ。時間を正確に計りたい魔法使いや、貴族の好事家がたまに買っていくねぇ」


 あまり興味なさそうに店主が説明するのは、品物に大した価値を認めていないのか、ティアナ達を客だと思っていないのか、三人には判別がつかない。


 しかし、そもそも値段の張る魔法の道具で高級な置き時計一台分という額は珍しくない。そうなると、珍品という程度の扱いでしかないことは推測できた。


 一通り説明しても反応の薄かった三人を見ると、肩をすくめて店主は元の場所へと戻っていく。


 その様子を見た後、ティアナが最初に口を開いた。


「どうもそれほど画期的な道具という扱いではないみたいですね」


「世に出るのが早すぎただけなのかもしれませんよ、お嬢様」


「う~ん、妙にもやっとする物を見つけちゃったね」


 微妙な表情を浮かべた三人がしばらく無言で唸る。


 それからしばらく店内を見て回った三人だったが、特に欲しいものがないことがわかると何も買わずに店を出た。


-----


 宿に戻ったティアナはまずタクミと別れた。さすがに同じ部屋では眠れないので、タクミは男の小間使いと同じ部屋へ向かわせたのだ。


 与えられた客室で昼の疲れをお湯と上質な布で拭き取ると、就寝用の衣服へを着替えてから机に向かう。真冬でも温かい部屋ならではの贅沢である。


 湯浴みの片付けが終わったアルマがティアナに近づくと珍しそうに覗く。


「手紙を書くなんて珍しいじゃない。誰に書いてるの?」


「エルネだよ。一緒に来たがっていたのを思い出したから、今までのことを伝えようと思ってね」


 男の口調に戻ったティアナが苦笑いしながら答える。


 エルネとは、ウィンが精霊石に閉じ込められていたときに巫女として仕えていた王女だ。


 そして、手のひらを開閉させながら更に続ける。


「ここだと室内でも暖かいし、指先がかじかまないからな。今のうちに書いておくんだ」


「何を書くつもりなのよ?」


「前回の地下の探索と今回の観光かな。眠くなったらやめるけど」


「結構たくさん書くことになるんじゃないの? あたしはそういうのは嫌ねぇ」


 肩をすくめたアルマが笑いながら答えた。


 その返答を聞いたティアナが考える。最初は小さな封筒に入れて送るつもりだったが、もしかすると大きな封筒が必要になるかもしれない。


「アルマ、大きめの封筒も用意しておいてくれないか? もしかしたら必要になるかもしれない」


「あんたどれだけ書くつもりなのよ。まるで小説の原稿みたいじゃない」


「思いつくまま書くつもりだから、自分でもどのくらいになるかわからないんだ」


「どうせなら小説書いて一山当ててくれたらいいのに」


「無茶言うなよ。そんな文才があったら、勘当される前の生活であんな苦労はしなかっただろ」


「それもそうねぇ。あ、そうそう、明日の観光の途中で文具屋に寄りましょうよ。どうせ買うことになるんだから」


「その手があったかぁ。よし、いいぞ。ついでにエルネの好きそうなものも買うか」


「それはいいけど、どんなものが好きなのかあんた知ってるの?」


 何気なく問われたティアナは目を見開いて固まった。そう言えば何も知らない。


 その様子を見たアルマは大きなため息をついた。


「はいはい、女の子の好きそうなものを一緒に探しましょうね」


「うん」


 若干ばつが悪くなったティアナは意気消沈した様子でうなずく。


 そんなティアナを面白そうに見ながら、アルマは雑用を片付けるために部屋を出た。

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