きっかけはどこにあるかわからない

 多少首をかしげることはあったものの、王都観光を上々の気分で始められたティアナ達は翌日も王都内を巡った。まだ足を向けていない場所へと三人は赴く。


 朝から晴天だが底冷えする中、時間の経過と共に往来する人々の数は増えていく。


 その様子をなんとなく見ていたタクミがつぶやいた。


「雪国の人でも雪の上で滑って転ぶって聞いたことあるけど、ここだとそんな人見かけたことないよね」


「雪に慣れた人でも転んじゃうのですか?」


「ダメなときはダメらしいよ? 北海道から転校してきた友達が言ってたら正しいと思う」


「また懐かしい地名ですね」


 前世ではそんなところもあったなとティアナは思い出す。結局行くことはなかったが、いくつか食べ物は食べたことがあった。


 とりとめもない雑談を交わしつつ三人は王都を巡る。昨日は市場中心だったので、今日は王城を観に行くことにした。


 都市の作りは個々によって細部は様々だが基本的な構造はどこも同じだ。最奥に王家の王城があり、それを貴族の邸宅が囲んでいる。


 アーベント王国の王都もこれは変わらない。そのため、ティアナ達が王城を見るためには貴族の邸宅がある地域を通らなければならなかった。


 平民の住宅街や繁華街は雑然としており往来する人々も多いが、貴族の邸宅近辺は整然かつ閑散としている。見た目ですぐにわかるのだ。


 もちろん行き交う人々の質もがらりと変わる。徒歩で往来するのは使用人やメイドばかりだ。貴族や侍女は通常馬車を使うので外でその姿を見かけることは少ない。


 そんな地域に旅装姿のティアナ達が入っていくと目立つ。どこにでも暗黙の了解というものがあるが、普通は平民然とした者が貴族の住む場所に近づくことはない。

 たまにすれ違う使用人やメイドに怪訝な表情を向けられたティアナが首をかしげる。


「皆さんどうして私達を見て眉をひそめるのかしら?」


「そりゃ平民姿のよそ者が貴族様の住む場所を平然と歩いているからですよ」


 アルマに指摘されてティアナはちらりと自分の姿へ目を向けた。仕立ての良い旅装ではあるが、確かにこの場にはそぐわないかもしれないと思う。


 横で話を聞いていたタクミは首をかしげる。


「ティアナって貴族だったよね? だったら別に気にしなくても良いんじゃないの?」


「一応身分は保障されていますから貴族と名乗れますけど、実際は平民に近いですからね。どれだけ信じてもらえるか」


「なんだか曖昧だね。結局どういうことなの?」


「貴族と名乗っても問題ないけれど、相手が認めてくれるかはわからないって状態です」


 タクミは眉をひそめた。思った以上に微妙な立場だと改めて知ったからだ。


 何とも盛り上がらない話を三人でしていると、いよいよ王城へと近づいてきた。しかし、その前に大きな邸宅に差しかかったとき、一組の男女が揉めているところを見てしまう。


 それを見てティアナが驚いてつぶやく。


「嘘、こんなところであんなことをしている人がいるのですか」


 通常、貴族の邸宅がある地域は治安が良い。官憲の力がしっかりと及んでいるだけでなく、貴族自体も私兵を抱えているので生半可な者では相手にならないからだ。


 これは貴族の使用人やメイドに手を出しても同じである。所属する者を傷つけると、その貴族に喧嘩を売ったと見なされるのが一般的だ。


 そんな場所で長衣をまとった男が苺色のような金髪の美女に迫っていた。雰囲気に気品があるので、相手の女性は貴族の子女ではないかと三人とも予想する。


 呆れた表情のアルマがため息をつく。


「相手の主人に見つかったら、ただじゃ済みませんよ、あの男」


「あの女の人って、どこかの貴族のお嬢様だよね? 魔法使いみたいな人、わかってないのかな?」


 確認するようにタクミがティアナへと問いかける。しかし、ティアナも自分の感覚に確信を持てているわけではないので、タクミに返事ができなかった。


 しばらく遠目でそれを見ていた三人だが、再び歩き出そうとして気付いたことがあった。それは、王城へ向かうにはあの揉めている男女の脇を通り過ぎなければならないのだ。


 周囲を見ると都合の悪いことに誰もいない。先程まではたまに使用人やメイドとすれ違っていたのに、この周囲にはまったく見かけなかった。


 面倒事であることは明らかなので、ティアナはしばらく迷った後に体を正反対に向けた。そして他の二人に声をかける。


「お城への道は他にもあるはずですから、ここは避けましょう」


「そこのあなた、わたくしを助けなさい!」


 ティアナの言葉が終わるとほぼ同時に、揉み合っている美女の叫びが聞こえた。


 何とも高圧的な言い方だがティアナはそっと振り返る。別の人に呼びかけているのではと期待していたティアナは、男女二人共自分へ顔を向けているの見て肩を落とした。


 どうしようか迷っていたティアナにアルマが耳打ちする。


「どうするんですか、お嬢様?」


「今すぐ宿に帰りたいです」


 微妙にずれた返答をしながらティアナは先にいる二人を見る。


 美女の方は壁際に追い詰められた状態でティアナの方を必死の形相で睨んでいた。元がきつめの顔らしく、その表情も相まって怒っているように見える。


 一方、男の方は顔はぽっちゃりとしており、背は低い。顔の肉付きから体つきは小太りのように思えた。顔立ちは悪くないが、何となく根暗な感じがする。


 こうなるとそのまま立ち去りにくくなってしまったので、ティアナは仕方なく揉めている男女へと近づいた。それを見た美女は明らかに安心する。


 話ができるところまで近づくとティアナは二人に声をかける。


「お二人とも何をなさっているのですか?」


「き、きみには関係な」


「見ればわかるでしょう。この下劣な男に襲われているのです!」


 男の言葉を遮って美女が叫んだ。そして、なぜかその鳶色の瞳でティアナを睨む。


「お、襲われたってひどいじゃないか。そっちから何度も誘ってきたくせに」


「馬鹿を言わないでくださいませんか? 誰があなたのような不細工で、陰険で、太っていて、背も低い男を誘うものですか! 豚を相手にした方がまだましというものです!」


「豚!? 何てこと言うんだ! どうせ本物の豚なんて相手にできないだろう!」


「ものの例えもわからないとは。しょせん、物を作るしか能のない男はこれだから!」


 再び声をかけようとしたティアナより早く、当の二人が口論を再開した。状況は美女を壁際へと追い込んでいる男が悪いのだが、その口の悪さに助ける意欲をそぎ落とされる。


 完全に置いてけぼりとなったティアナは、一言告げて立ち去ろうとした。


「ごゆっくり痴話喧嘩なさってください」


「待ちなさい! 痴話喧嘩などではありません! 早く助けなさいと言っているでしょう!」


「その割には私を無視して喧嘩しているではありませんか」


 ティアナが半目で睨むと美女はさすがに言葉に詰まった。同時に男も黙る。


 これを機にティアナは二人へ問いかけた。


「私はティアナと申します。今は旅をしており、ここへは観光のために寄りました。今から王城を見物するためにここを通りかかったのですが、お二人は?」


「わたくしはマリー・フリッツです。王宮に勤めている侍女です」


「ぼくはヨーゼフ・オイゲン。叡智の塔で研究をしている魔法使いだよ」


 二人の自己紹介を聞いてティアナは内心で驚く。王宮の侍女がこんなところで歩いているのは珍しいし、ヨーゼフは以前ブルクハルトからその名前を聞いていたからだ。


 いきなり厄介事の難易度が跳ね上がったような気がしたティアナは、どうしたものかと考えながら話を切り出す。


「お二人の言い分は存じ上げませんが、一旦引き下がってはいかがでしょうか? このような往来のある場所で問題を起こすと、周囲の方にご迷惑をおかけしてしまいますよ?」


「引き下がるも何も、わたくしは最初からこんな男など相手にしていません!」


「なんだと!? きみもあっちに行ってくれ! ぼくに余計な指図をすると後で痛い目を見ることになるぞ!」


「研究を支援してもらっているというくらいで、ダンケルマイヤー侯爵の権威を振りかざすとは! なんと情けない!」


「きみだって王族の権威を振りかざしているじゃないか! 伯爵家の娘がそんなことしていいのか?」


「お黙りなさい! 男爵家の三男坊ごときが偉そうに! わたくしは王宮で正式に採用された侍女です。王家の権威の一部を担っている者として、適切に振るうのは当然でしょう!」


 また始まったとティアナ達三人は呆れる。ただでさえ少ないやる気が根こそぎなくなってしまいそうだった。


 もう充分に頑張ったよねと自分に言い聞かせながらティアナは二人に声をかける。


「私の仲裁は必要なさそうですね」


「ですから早く助けなさいと言っているでしょう! いつまで眺めているのです!」


「自分から私の仲裁を台無しにしようとしている人に、怒られる謂われはありません。本当に見捨てますよ?」


 ティアナが不機嫌そうに睨むとマリーは渋々黙った。ヨーゼフもしゃべる機会を逸して何度か口を開閉させてから黙る。


 ようやくまともに話ができると状態になったと思ったティアナはため息をついた。


「やっと私の話を聞いてもらえそうで嬉しいです。では、ヨーゼフさん、マリーさんから一度離れてください」


「なんでぼくが、きみなんかの言うことを聞かなきゃいけないんだ?」


「止めないというのでしたら官憲の方を呼びますよ?」


「呼べばいいじゃないか。どうせぼくを捕まえられないんだから!」


「マリーさんがさっきおっしゃっていた、ダンケルマイヤー侯爵のご威光ですか?」


「そうだよ! レオンハルト様はぼくの研究の価値を認めてくださってるんだ。そのぼくに何かあったらレオンハルト様が黙っちゃいないぞ!」


 勝ち誇ったようにヨーゼフが言い放つ。


 マリーがあれほど手ひどく言っていた理由が少しわかってティアナは頭を抱えた。


 これは正攻法での説得は無理だと考えたティアナは切り札を使う。


「そう言えば、ヨーゼフさんは叡智の塔で研究しているとおっしゃっていましたね。こんなことをしていると知れたら、どうなのでしょう?」


「塔でもぼくは大きな成果を出してるんだ。この程度でどうにかなんてならないよ!」


「では、ブルクハルトさんにお話をしてもよろしいのですね?」


 一瞬目を見開いたヨーゼフはすぐに顔をしかめた。


 効果があることがわかってティアナは安心する。


 しかし、ヨーゼフはすぐに反論してきた。


「きみはあのじじいと知り合いなのか?」


「懇意にしている方から紹介していただいて、とある調査を依頼しているところです」


「なんだ、ただの客じゃないか。それなら」


「待っている間に王都の観光を勧められましたが、何かあったら名前を出しても良いと許可をいただいております」


 今のティアナの発言でただの依頼者ではないことをヨーゼフも悟った。単なる客に普通は名前など使わせないからだ。しかし尚、動揺しつつもティアナに言葉を返す。


「だからどうしたって言うんだ。どうせあのじじいは自分の研究を守るので精一杯だろう。レオンハルト様に逆らえるはずなんてない!」


「今回私はブルクハルトさんに同行して王都にやって来ましたが、何度か国王陛下と面会なさっているそうですよ?」


「なん、だと」


 今度こそヨーゼフは言葉を失った。自分が庇護者の権威を振りかざしていただけに、同格以上の庇護者を持ち出されると何も言えなくなってしまう。


 一方、マリーは怒りの形相ではなくなったものの、探るような目つきでティアナを見ている。しかし、今は黙ったままだ。


 全員がしばらく黙った後、ヨーゼフに向かってティアナが再び口を開く。


「私もこれ以上面倒なことにしたくないので、今回は一旦引き下がってくれませんか?」


「うっ、くそ!」


 にっこりと笑顔でお願いするティアナに渋い顔を見せつつも、ヨーゼフはゆっくりとマリーから離れた。解放されたマリーはティアナ側に数歩寄る。


 その様子を見ていたティアナはヨーゼフに一礼した。


「ありがとうございます」


「ティアナだって言ったな。ぼくはこのことを忘れないぞ。必ず、うっ、なんだきみは」


「タクミ、今は下がって」


 詰め寄ろうとしたヨーゼフの前にタクミが割って入ろうとすると、ティアナが制止の声を上げる。魔法使いならば腕力はさほどでもないと考えたからだ。


 ところが、微妙な表情で下がるタクミにヨーゼフが驚きの視線を向けていた。


 その視線に気付いたティアナが怪訝な表情でヨーゼフに問いかける。


「どうしましたか?」


「あ、いや、そっちの子の名前が随分と変わっているなと思って」


 もちろん日本語名そのままなのでこちらの世界では珍しいが、今までティアナ達が見た中ではこれほど反応したのはヨーゼフが初めてだった。


 今までの話の流れとは関係のないところでヨーゼフが動揺しているのに首をかしげながらも、ティアナはどうしたものかと考える。とっさに話しかける言葉が見つからない。


 すると、ヨーゼフの方から話しかけてくる。


「ティアナはあのじじい、ブルクハルトに調査依頼を出してるんだよね? こっちにはしばらく滞在するのかな?」


「え? ええ」


「そっか。そうなんだ。それじゃ、ぼくはこれで」


 あれだけ勇ましかったヨーゼフは嘘のようにおとなしくなった。そうして、なぜかタクミへ何度も視線を向けつつ去って行く。


 タクミはその視線を受けながら居心地悪そうに、他の三人は呆然とその姿を見送った。

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