望まぬ再会
王都を観光すると決めた翌朝、ティアナ達はブルクハルトと共に叡智の塔を後にした。
一年で最も寒い時季だけあって周囲は一面銀世界である。背の低い建物は半分以上その姿が見えない。塔の周辺は特に積雪量が多いのだ。
本来ならば塔と王都を結ぶ道も雪に埋もれているはずなのだが、そこは惜しみなく魔法の技術が使われていた。そのため、道の近辺にだけは雪がほぼない。
「叡智の塔ができた頃からこの雪は問題でな、長年街道の雪をどう取り除くのか取り組んでおったのじゃ。その成果が二十年程前にこうして結実したんじゃよ」
当時その研究に関わっていたというブルクハルトが得意気に説明する。積年の問題を解決できた研究に関われたことは何より名誉なことだからだ。
馬車の中で揺られながら、ティアナは意外だった点を尋ねてみる。
「もっと古くからあったと思っていたのですが、そうではないのですね」
「雪を溶かすことは早くからできたんじゃが、その道具をたくさん作るために構造を簡単にし、なおかつ壊れにくく、それでいて魔力の消費を少なくするのに苦労したんじゃ」
最初の試作品は百年前に作られたと説明されてティアナは驚いた。実に八十年間も開発していたことになる。地味だが大事業だった。
楽しそうにブルクハルトは更に言葉を続ける。
「それまでは雪が降るとそりを使っておったが、そのために馬以外にも犬をたくさん飼育しなければならんかったのは大変じゃったよ」
「しかも冬しか使えませんものね」
「そうなんじゃよ! 世話も大変じゃがその費用も馬鹿にならんかったしのう。おまけに一度に運べる荷物の量も馬車より少ないとなると、それだけ運搬費用がかかってしまう」
「犬は最後どうしたのでしょう?」
「望む者に譲るか、塔で余生を過ごしたな。働いた者は相応の報いを受けるべきじゃ」
野に放ったり殺処分されたりしなかったことを知って、ティアナはなぜか安堵した。
当初は気まずい沈黙の中で馬車に揺られるのかと懸念していたティアナは、予想外に楽しくブルクハルトと会話ができて喜んだ。そうして夕方に王都へと着く。
アーベント王国の王都は以前滞在していた別の国の王都よりも大きくはない。しかし、きちんと整備はされているため、清潔には感じられた。
叡智の塔近辺ほどではないにしろ、王都周辺にも雪は降る。
施された雪化粧が朱色に染まるのを見ながら、ティアナ達は王都内へ入った。
以前一度通過した街並みを馬車の窓から眺めながら、ティアナがブルクハルトに尋ねる。
「今日はこのまま宿に泊まるのでしたね?」
「そうじゃ。儂が国王陛下と面会するのは明日の昼過ぎじゃよ」
「王都にはどれくらい滞在なさるのですか?」
「三日程じゃな。ついでの所用をいくつか片付けて、最後にもう一度陛下と面会することになっておる」
「意外に滞在されるのですね。面会されてからすぐ戻られるのかと思っていました」
「心配せずとも、調査の方は今も進んでおるぞ。四日程様子を窺う調べ方をしている最中じゃから、研究室を留守にしても問題ないんじゃ」
内心で心配していたことをはっきりと指摘されたティアナは言葉に詰まる。その様子を見てブルクハルトが愉快そうに笑った。
馬車はとある宿の前に停まる。貴族が宿泊するような立派な建物だ。
思わずティアナは皮肉とも受け取れるような感想を漏らす。
「さすがに王宮へ向かう方は、泊まるところも違いますね」
「当然じゃろう。安宿などに泊まったことなど知れたら、王宮には入れんわい」
御者により開かれた扉から馬車の外に出たティアナは外の寒さに身を震わせる。思わずティアナは馬車を振り返った。今になって馬車の中が魔法の道具で温められていることに気付いたのだ。その様子を見たブルクハルトが再び楽しそうに笑った。
もう一台の馬車からはアルマ達が降りてきた。そして馬車から荷物を下ろしている。
小間使い達の様子を一瞥したブルクハルトがティアナを促す。
「では、中に入ろうか。寒くてかなわんわい」
「そこの女、待て。貴様、ティアナだな?」
宿の使用人に出迎えられたティアナとブルクハルトが中へ入ろうとすると、突然乱暴な声が背後に叩き付けられた。思わずどちらも振り返る。
そこにはティアナを睨み付ける若い青年がいた。その顔を見たとき、ティアナは目を見開く。多少変わったとはいえ、よく知った顔だったからだ。
「カミル?」
「俺のことを覚えていたとはな。てっきり忘れていると思っていたが」
一瞬意外そうな顔をしたカミルは嫌みな笑顔を浮かべて言葉を返す。
赤みがかった茶髪に灰色の瞳は以前と同じだが、今は子供っぽさが抜けて粗暴さが出てきている。以前よりは大人になった雰囲気なものの、あまり良い方向にとは思えない。
それにしても、実家を勘当されたことはティアナも知っていたが、まさかここで再会するとは予想外だった。
「あなた、ここで何をしているのですか?」
「何だ、俺の身の上を心配でもしてくれているのか? 自分で国から追い出しておいて。まぁいい。俺はな、今この国で最も偉大なダンケルマイヤー侯爵様に仕えているのさ」
意外なつながりを知ってティアナは驚く。ことの様子を窺っていたブルクハルトも目を細めた。
明らかに旧交を温めに来た様子ではないことを感じ取ったティアナは、警戒しながらも更に問いかける。
「私などに構っていても良いのですか? 職務中なのでは?」
「あまりにも珍しい顔が見えたからな、つい声をかけただけだ。お前こそここで何をしている? 平民へと身を落として、ついには使用人にでもなったのか?」
以前と違って今のティアナは旅装の姿だ。それも実用性を重視しているので貴族らしくない。カミルはその姿を見て笑った。
元々仲は良くなかったが、こうも面と向かって馬鹿にされるとティアナも面白くない。一言言い返す。
「わざわざつまらないことを言いに来たのですね。実家を勘当され、貴族の階級から放り出されたあなたが、嬉しそうに指摘できることではないでしょう」
「お前なんぞに言われる覚えなどない!」
青筋を立ててカミルが声を上げる。周囲の人々がティアナ達を注目し始めた。このときになってアルマとタクミもやって来る。
ティアナのそばにやって来たアルマは目の前の若い青年を見て驚く。
「あら、確か王子様と一緒にいた方?」
「やはりお前もいたか! ここで会ったが百年目!」
「まだ一年も経ってないでしょう」
「ええい、やかましい! 貴人に無礼を働いた罪を償わせてやるぞ!」
激高したカミルが腰の剣を抜こうとする。それに合わせてタクミが前に出ようとした。
ところが、ブルクハルトが声を上げたことで二人の動きが止まる。
「待て。こんな街中でいきなり剣を抜こうとするとは何事じゃ。カミルとやら、私怨で簡単に戦おうとするのではない」
「知ったふうな口を!」
「そこのアルマとの因縁は、ダンケルマイヤー侯爵と何か関係あるのか?」
冷静に指摘されたカミルは体をこわばらせながらブルクハルトを睨む。
その視線を涼しい表情で受け流しながらブルクハルトは落ち着いた口調で諭した。
「己の私怨だけで動いて、主人に迷惑がかかったらどうするつもりじゃ」
「ちっ、くそ!」
心底悔しそうにカミルが引き下がる。それに合わせてタクミも下がるが、警戒の色は強いままだ。
そんなカミルに対してブルクハルトが告げる。
「宮仕えをしておるのなら、常に主人のことを考えるんじゃ」
「お前ら、必ず罪は償わせてやるからな」
腹立たしげな顔を隠そうともしないままブルクハルトの言葉を聞いたカミルは、ティアナとアルマに捨て台詞を叩き付けてその場を去った。
残ったティアナ達は全員が緊張の糸を解いてため息をつく。
最初に口を開いたのはブルクハルトだった。
「とりあえず、中に入ろうかの。すっかり体が冷えてしもうたわい」
「そうですね。行きましょう」
アルマとタクミは荷物運びのため小間使いと共にその場へと残り、ティアナはブルクハルトと共に宿の使用人に部屋へと案内された。
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自分の部屋の場所だけをとりあえず確認したティアナは、話をするためにブルクハルトの部屋へと入る。既に座っていたブルクハルトは人心地ついた様子でティアナを迎えた。
「部屋が最初から暖かいというのは、結構なことじゃのう」
「そうですね。しかも足下も暖かいなんて」
「床の更に下に湯を通しておるそうじゃぞ。どうりで暖かいわけじゃ」
この世界に床暖房などあると初めて知ってティアナは驚いた。さすが貴族の御用達だけあって贅沢な設備だと感心する。
そんなティアナをよそに、ブルクハルトは机の上にある葡萄酒の瓶を杯へと傾けていた。二人分注ぐとひとつをティアナの前へと差し出す。
「それにしても、あれほど堂々と喧嘩を仕掛けてくるとは。余程そなたらに恨みがあるようじゃな」
「結果的に実家から勘当されて国を出ることになったからでしょう」
「同じ国の者か。聞いても差し支えないのかの?」
「もう終わったことですから。それに、秘密にするようなことでもないですし」
手にした杯に一度口を付けてからティアナは口を開いた。
告白されたことに始まって、とある男爵令嬢の取り巻きとなって敵対し、最後は王子と公爵令嬢の婚約破棄騒動に巻き込まれたことを簡単に説明する。
箇条書きに近い話を聞いたブルクハルトは、ティアナが口を閉じると呆れるように感想を漏らした。
「そなたの話だけを聞くと、カミルとやらの逆恨みじゃの。まぁ、そなたは事実だけを口にしたようじゃし、実際もそんなところなんじゃろうなぁ」
「向こうの主張はまったくことなるでしょうけれど」
「また厄介な因縁がありそうじゃな。しかも、お付きのメイドの方もか。貴族の子弟を投げ飛ばすなど、無茶苦茶じゃの」
「公爵令嬢様に割って入っていただけなければ危なかったです」
「しかし、公衆の面前で平民の子女に地面へと投げ飛ばされたとなると、もう道理など構ってはおられんじゃろうな。騎士を目指しておったのならば尚のこと」
杯をちびちびと傾けているブルクハルトの言葉を聞いて、ティアナはなるほどと内心うなずいた。面子にかかわることだからあそこまで恨まれているのだとようやく知る。
そこではたとティアナは気付いたことがあった。不安に思ってブルクハルトに尋ねる。
「確か、ダンケルマイヤー侯爵家は王家と対立していましたよね? 私がブルクハルトさんに調査依頼をしていると知れたら、ご迷惑がかかりませんか?」
「この程度なら心配いらん。先程のカミルは主人の命で動いていたわけではないみたいじゃからの。配下の者の個人的な動機でいちいち動く程、レオンハルト殿は暇ではないよ」
「そうですか。良かったです」
「大体、最後は言いくるめられたような終わり方をしたことなど、恥ずかしくて主人には伝えられんじゃろうて」
面白そうに説明してみせたブルクハルトは、空になった杯に再び葡萄酒を注ぐ。その辺りの機微を図りかねたティアナはブルクハルトの言葉を信じるしかない。
完全には不安を取り除けていないティアナに対して、ブルクハルトは更に言葉を続ける。
「以前、王都では揉め事を起こさぬようにと忠告したが、先程の様子を見ていると、どうもそなたは厄介事を引きつける質のようじゃな」
「全然嬉しくない評価ですね。自覚はありますが」
「ははは、自覚はあるのか! それでも避けられぬというのなら、どうにもならんのう」
「笑い事ではありません」
「儂にとっては笑い事じゃ。しかしこうなると考えものじゃの。王都に来て良かったのか」
「観光は取りやめた方が良いでしょうか?」
「う~む、どうじゃろうな。いや、そなたの場合はどこにいても同じ気がするぞ。例え叡智の塔でじっとしておっても、何かしら起こしてしまう気がするわい」
そのようなことを言われるとティアナもそんな気がしてくる。思い返せば、自分から厄介なことに首を突っ込んだことなど一度もないのに、ひどい目に遭ってばかりだった。
気持ちを切り替えたティアナが決意も新たに口を開く。
「どうせどこにいても面倒なことが起きるのなら、もう割り切って観光を楽しんだ方が良さそうですね」
「お、開き直ったの。そうじゃな、その方が人生楽しいかもしれん」
「はい。ということで、やっぱりしばらく王都観光をすることにしますね。この国の政治のことなんて知りません!」
「それがよかろう。どうせなら楽しむとよいぞ」
ティアナはこのアーベント王国へとやって来たのは透明な水晶の正体を突きとめるためだ。王宮の争いになど興味はない。
明日からどうやって楽しもうかと考えながらティアナも杯に口を付けた。
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