退屈は大敵
叡智の塔は研究をする魔法使いのための場だ。それも、大抵が度を超した者達ばかりである。大体が一人で研究をしており、共同で研究している者は多くない。
そんな魔法使い達だがもちろん研究以外の生活もある。そのため、自分達の生活については小間使いを雇うことでまかなっていた。
研究施設としての塔は複数あるが、その塔の周辺には魔法使い達の研究と生活を支える建物がいくつもある。研究材料や生活用品を保管する倉庫、小間使いをはじめとする使用人のための宿舎、食を支える炊事場、馬を管理する厩舎などだ。
ティアナ達はブルクハルトと面会してから三日間、この叡智の塔にある来客用の建物で過ごしていた。研究以外には興味のない魔法使いが集う場所だけあって室内は殺風景だ。
その室内で三人はウィンの生み出した半透明の炎で暖をとっている。炎を囲むようにして手を突き出し、たまに擦り合わせていた。
人心地ついたタクミがぽつりと漏らす。
「魔法使いがたくさんいるから何か魔法の設備があると思ってたけど、何にもないよね」
「そうね。生活設備は普通のものと同じみたいだし、研究以外には魔法の道具も使ってないんじゃないかしら?」
擦り合わせた手を再び炎にかざしたアルマがタクミに答える。
一般の住居には暖房設備などないので冬は寒いのが当たり前である。ティアナとアルマもそれはよく知っているし、こちらの世界で生活しているので何度も体験済みだ。
しかしそれでも、魔法使いばかりが集まる場所なので少しは期待していたのも事実である。心のどこかで落胆してしまうのは避けられなかった。
膝をさすっているティアナが独りごちる。仲間だけなので言葉遣いが男そのものだ。
「こういうときにウィンがいてくれて本当に助かるよ」
『うーん、なんか微妙に嬉しくないなー』
普段は褒められると素直に喜ぶウィンだったが、今はティアナの中で首をかしげている。
それ以上反応が返ってこなかったので、ティアナはタクミへと目を向けた。
「タクミは今日何するつもりなんだ?」
「それが、何もすることがないんだ。行ける場所はもう全部行ったし、どうしようかな」
困り果てた様子のタクミが渋い顔で言葉を返した。
魔法使いが秘密主義である以前に、人から依頼された研究や調査もしていることから部外者が足を運べる所が少ないのだ。
仕方なくタクミは剣の練習でもしようかと思い立ったものの、寒さだけでなく吹雪くこともある気候に根を上げた。今は昨日から部屋にこもって道具の手入れをしている。
今度はアルマへとティアナの視線が向いた。
「あたし? あたしはいつも通り家事全般をやるわよ。あんた達の分もまとめてね」
「そうでした」
「でも、ここにいる間に限って言えば、暇じゃない分タクミよりましね。なんだかんだで体を動かしている間はあまり寒くないし」
申しつければお付きの小間使いが大抵のことをやってくれる。しかし、自分達のものは自分で片付けたいと思ったアルマは、小間使いと相談して家事と雑用を自分でやっていた。
そんなアルマに対してタクミが話しかける。
「アルマ、僕も家事を手伝っていいかな。やることがなくて困ってるんだ」
「いいわよ。人手は多い方がいいしね。ここじゃ家電なんてないから、どれも重労働になっちゃうのよ。タクミみたいに力がある子は大歓迎ね」
前世のような文明の利器がない時代なので、炊事、洗濯、掃除のいずれも時間と労力がやたらとかかる。それらの作業は頭数で補うため、飛び入り参加は歓迎されるのだ。
何とはなしに二人の話を聞いていると、今度はティアナがアルマに問いかけられた。
「あんたは昨日も書庫に行っていたみたいだけど、今日も行くの?」
「どうしようかな。専門的すぎてよくわからなかった。そりゃ研究施設なんだから、素人向けなんてないよな。行ってから気付いたよ」
魔法使いは秘密主義的なので蔵書も個人所有が多いが、何らかの理由で手放された本を叡智の塔全体で管理している。書庫はそんな書物を集めた場所だ。
もちろんそんな理由で保管されている書物なので専門書しかない。そのため、ティアナでは手も足も出なかったのだった。
「後から聞いたけど、ここで死んで引き取り手がない書物や不要だと放出された書物ばかりあるらしいな。そりゃ俺じゃ無理だ」
「暇潰しにもならなかったの?」
「本当に暇を潰しているだけにしかならなかったんだ。立ち読みしてるのに眠くなるなんて初めて体験したなぁ」
若干遠い目をしながらティアナが答えた。ぼんやりしているのとどちらが有意義なのかと真剣に考えるきっかけになったと内心で考える。
そんなティアナに対してアルマが少し同情の視線を向けた。
「さすがにあんたに家事を手伝わせるわけにはいかないしねぇ」
「こうなったらそれでもいいんだけどな」
「ははは、よっぽど切羽詰まってるんだね」
当面のやることが決まったタクミがのんきに笑った。それを少し恨めしそうにティアナが睨む。アルマは苦笑いしていた。
そのとき、ティアナ達のいる客室の扉を叩く音がした。アルマが出るとブルクハルトからの使いが姿を現す。
振り向いたティアナがよそ行きの声に切り替える。
「用件はなんでしょうか?」
「ブルクハルト様がお呼びですので、応接室までご案内に参りました」
「わかりました。伺いましょう」
立ち上がったティアナが答えた。調査期間に目星がついたのだと予想する。
目の前の炎はそのままに、ティアナは一人小間使いの後についていった。
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案内された応接室はティアナ達がブルクハルトと初めて会った部屋だった。
暖炉の炎は揺らめいているが、朝の冷え込みからまだ解放されていない時期なので足下の冷気が地味に厳しい。
一礼したティアナが席に座ると、既に座っていたブルクハルトが正面から声をかける。
「よく来てくれた。儂の研究室は色々と見せられん物が多くての、面会はここですることにしておるんじゃ」
「理解しています」
「今回そなたを呼んだのは、あの水晶を調べる目処がある程度ついたからじゃ。もちろんかかる期間もな。大きな問題がない限り、二週間から四週間くらいで判明するじゃろう」
「時期に随分開きがあるのはなぜですか?」
「調査に使う道具の中に、とある粉末を使うものがあるんじゃが、その残り少ないんじゃ。手元にある分だけで作業が済めばよいが、もし足りぬとなれば取り寄せねばならん」
「手元にある分だけで済むように祈るしかないですね」
「恩着せがましい言い方になるが、これでも優先して調査しておる。そこは配慮してもらいたい」
そう言われると、ティアナとしては何も言えない。
「しかし二週間から四週間となると、どこへ行くにしても中途半端な時間ですね」
眉を寄せてティアナが考え込む。
ちょっとした所用ならばともかく、ティアナの場合は遠方への旅が基本だ。そのため、塔へと戻ってくる往復の時間を考えると最大一ヵ月ではやれることが限られてしまう。
逆にじっと待つ場合は一ヵ月という期間は実に長い。既に三日でティアナとタクミは根を上げていることからも、何か手慰みになることが必要だ。
どうしたものかとティアナが悩んでいると、ブルクハルトが声をかけてくる。
「先程も言ったが、大きな問題がない限りという条件付きじゃ。こういった調査では往々にして大きな問題は起きるものなんじゃから、何ヵ月もかかる可能性は当然あるぞ」
「そうですか。ただ、どうしても期待してしまって」
「気持ちは儂にもよくわかるがの。ただ、早合点して失望したことも山のようにあるわい。あれはつらかったのう」
笑いながらブルクハルトがかつての失敗例をいくつか語った。ティアナにとっては興味のない話であったが、ここはブルクハルトに合わせておく。
ひとしきり語ったブルクハルトは機嫌良く更に口を開いた。
「まぁともかくじゃ、とりあえず何とかなりそうじゃが、確実なことはわからんよ」
「承知しました。それでは私の方は、この一ヵ月をどう過ごすか考えることにします」
「王都の観光以外に何か良い暇潰しは見つかったかの?」
何気なく尋ねたブルクハルトの言葉にティアナが黙る。
見つかったかどうかと問われれば見つかっていないわけだが、先日の説明を聞くと無邪気に王都で観光という気分になれないのだ。
苦笑しながらブルクハルトが言葉を加える。
「脅かすようなことを言ったのは確かじゃが、そこまで真剣に考えずともよかろう。いかがわしい場所に足を向けなければ、そう簡単に騒動に巻き込まれることもあるまい」
「それは承知していますが、かつて貴族同士の揉め事や争い事に巻き込まれたことがあったので、どうしても慎重になってしまうのです」
微妙な表情を浮かべたティアナが返答した。
この一年間で二度も遭遇しているので、その可能性があると不安になってしまうのだ。しかしそれでも、この三日間のことを思い出すと非常に魅力的な案ではある。
迷っているティアナの様子を見ていたブルクハルトは更に提案してくる。
「儂は国王陛下に面会するため、明日王都へと向かう。そのお供ということで一度王都へ行ってみてはどうじゃ?」
「私も王宮へ同行するのですか?」
「その必要はない。というか、事前の申請がなければ入れん。そうではく、名目上、儂のお供として王都へ行ってみてはどうかと言うておるんじゃよ」
「名目上となると、実際は観光をしてもよいと」
「そうじゃ。そして、もし厄介なことに巻き込まれたときの相手が貴族ならば、儂の名前を出せば大抵は引き下がるじゃろう。つまらん喧嘩程度ならな」
「お守り代わりにブルクハルトさんの名前を使うためにお供になって、その上で観光をするのですか」
眉をひそめたティアナが考える。
何とも都合の良い話ではあるが、ブルクハルトの様子を見る限り、大したことは起きないと考えているのがわかる。
猜疑心の強そうな目つきの割に親切な提案をしてくれるものだとティアナは思った。
ただ、これは渡りに船でもあった。何しろティアナ達三人はこの叡智の塔でやることがなくて困っていたのだ。それを解消する案があるのなら飛びつきたい心境なのである。
「悪くないご提案、というかとても魅力的なお話ですね」
「ははは、そうじゃろう。まぁ、無理強いはできんがの。この提案を受け入れるというのならば、儂が王都に滞在しておる間の宿泊費も受け持ってやろう」
「それではあまりにも負担になりませんか?」
「種を明かせば、儂が国王陛下から呼ばれたときの滞在費はすべて王宮に請求する取り決めになっておるんじゃよ。一人分が数日増えたくらいで、あちらは気付かんわい」
話し終えるとブルクハルトは面白そうに笑う。
からくりがわかったティアナも苦笑した。自分の懐が痛まないからこその大盤振る舞いだったというわけだ。それならば便乗しても良いだろうと思えてくる。
「わかりました。それではお言葉に甘えて王都で観光させてもらいます」
「よし、決まりじゃな。それにしても、そなたが王都を歩き回るとなると、すれ違う男共は皆振り向くじゃろうて。むしろそれを心配するべきかのう」
「そこまで言う程でしょうか?」
「どこまで自覚があるかは知らんが、そなたは類い希な容姿をしておるぞ」
一度謙遜はしたものの、美貌という点についてはティアナも嫌という程自覚している。ただ、それで良い目に遭ったことがないので素直に肯定できなかった。
面白そうに話すブルクハルトが更に言葉を重ねる。
「恐らく気付いてはおらんじゃろうが、小間使いの間でも評判になっておるわい。貴族の令嬢や婦人に美人は多いが、そなたはその中でも群を抜いておるとな」
「そうでしたか」
意外なことを聞いてむず痒くなったティアナは、この手の話を避けるために話を切り上げることにした。
「それでは、明日の朝にどこで集合すればよろしいのでしょう? ブルクハルトさんの研究室へは入れないのですよね」
「朝一番に馬車で出発する。用意ができ次第使いの者を送るから、直接馬車へと案内させよう。王都へは夕方に着いて一泊し、儂は翌日に陛下とレオンハルトに面会する予定じゃ」
「私のアルマとタクミを同行させますがよろしいですか? アルマはお付きのメイド、タクミは護衛です」
「構わんとも。そのくらいは必要じゃろうて。儂の小間使いの乗る馬車に同席させよう」
そうしてティアナはブルクハルトと簡単な打ち合わせをしていく。今回はついて行くだけなので大した準備は必要ない。
打ち合わせが終わって上機嫌に去って行くブルクハルトの姿を見送りながら、ティアナは王都の観光について思いを馳せた。
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