第4章 Request

第4章プロローグ

 暖炉の中で炎が緩やかに燃えている。寒い日には何よりのもてなしだが、応接室の中はそれほど暖かくはない。


 窓の向こうには灰色の空と真っ白な大地が広がっていた。すぐ近くにある建物もほとんど白く塗り替えられて判然としない。


 ティアナ、アルマ、タクミの三人は応接室内で面会相手を待っていた。ティアナは席に座り、他二人はその背後に立っている。三人とも厚みのある防寒用の外套は脱いでいた。


 やや線が細い少年タクミが、両手で二の腕をこすりながら暖炉へと視線を向ける。


「さすがにちょっと寒いなぁ」


「来客の知らせを受けてから薪をべたんでしょ。この時期の薪は貴重だから仕方ないわ」


「あっちに寄っていい?」


「暖炉側に立たせてあげてるんだから我慢しなさい。相手がいつ来るかわからないんだから行っちゃダメよ」


 やや癖のある赤毛のショートボブの少女アルマが、半目で睨んでタクミを諫めた。


 しかし、二人にとって形式上は主人であるティアナがタクミに同調する。


「私も暖炉の前で温まりたいです」


「馬鹿なこと言わないでください。お嬢様は尚のことダメじゃないですか。座ってるんですから我慢してください」


「木組みの椅子にずっと座ってるから、お尻が痛くて仕方がないのよ」


「それならその場で立ち上がってお尻をほぐせばいいじゃないですか」


 きれいに言い返されたティアナは、肩で切りそろえられた癖のない銀髪を揺らして立ち上がる。そして、背伸びを皮切りに体を動かした。


 一番温めてほしい足下が冷えっぱなしであることに三人が不満を漏らしていると、応接室に近づいてくる足音が廊下から聞こえてきた。ティアナは慌てて座る。


 室内に姿を現したのは長衣をまとった老人だ。癖の強い白髪をしており、若干猜疑心の強そうな目をしている。


 老人はティアナの正面に座ると一息ついてから口を開いた。


「待たせたの。儂がカールハインツ・ブルクハルトじゃ。紹介状にあったティアナとは、そなたでよいのか?」


「はい。私がティアナです。後ろに控えているのが、メイドのアルマと護衛のタクミです。本日は面会に応じていただきありがとうございます」


 自分達の紹介と面会の礼を述べたティアナに対し、ブルクハルトは機嫌良さそうに首を横に振る。目つきが悪いせいで悪巧みをしているようにしか見えない。


「構わんよ。懇意にしておる商会からの依頼に素っ気ない態度を取って、後で嫌がらせをされてはたまらんからの」


「余程あの方を信用されているんですね」


「大抵の無理を聞き入れてくれる商人となると、数は多くないんじゃよ」


 ティアナ達が事前に聞いた話では、ここ叡智の塔は日夜研究に励んでいる魔法使い達が集まる場所である。規模こそ大きくないが魔法使い達の間では有名だ。


 そんな場所で研究に夢中な魔法使い達からの注文となると風変わりなものも多い。この無茶にどれだけ応えられるかが叡智の塔の魔法使いに達にはとても重要なのだ。


 面会した理由を話したブルクハルトはそのまま本題へと入る。


「それで、紹介状には魔法の品らしい物を調べてほしいと書いてあったんじゃが、具体的にはどのような代物なんじゃ?」


「先日、とある遺跡で発見した透明な水晶なのですが、その正体がさっぱりわからないので、是非調べていただきたいのです」


 言葉を切ったティアナが目配せすると、アルマが小箱を机の上に置いて蓋を開ける。そして、上質な布を広げると拳程度の大きさの透明な水晶が姿を現した。


 ブルクハルトは身を乗り出して差し出された水晶を手にすると、様々な角度からそれを眺める。その間の表情は実に多彩だ。


「特に強力な魔力を感じるわけでもないのう。ただの水晶にしか見えんわい」


「以前も調べてもらったのですが何もわからず、それで魔法の研究が盛んなこちらへと持って来たのです」


「調査には手間と時間と金がかかる。それに調べた結果、ただの水晶でしかないかもしれん。それは承知の上なのか?」


「はい、今はこれの正体をはっきりさせることが私にとって重要ですから」


 正体がわかっても役に立つかはわからないが、まずはその正体を知らなければ判断もできない。それに、ティアナとしては感覚だけで生きているウィンの直感を信じていた。


 迷いなく答えたティアナを見てブルクハルトはうなずく。


「よろしい。覚悟の上ならばこの水晶の調査を引き受けよう」


「ありがとうございます」


「なに、儂も気になるしの。それに、費用はすべて商会が負担してくれると書いてあったんじゃ。久々に遠慮なく調査できるわい!」


 上機嫌な様子で笑いながらブルクハルトは水晶を戻す。


 その様子を見てティアナ達は緊張をほぐした。


 水晶から手と目を離したブルクハルトは正面に座るティアナへ問いかける。


「それで、調査が終わるまでティアナはどうするつもりなんじゃ?」


「どうするつもりと言われましても、待つしかないと考えていますが」


「問い方が悪かったの。儂がこの水晶の調査をしておる間は、どこで待つのかと尋ねておるんじゃよ」


 やっとブルクハルトの意図が理解できたティアナは、そこで首をかしげた。何も考えていなかったからだ。


 とりあえず、何か参考になることでも聞けないかとティアナは口を開いてみる。


「調査はどのくらいかかりそうですか?」


「どこをどう調べれば良いのかもわからん状態では答えられん。数日でわかるかもしれんし、数ヵ月かかるかもしれん」


「この叡智の塔に研究のための以外の施設はありますか?」


「直接的、間接的にもそんなものはないのう。もちろん、人が生活するのに必要な道具は揃えておるぞ。皆研究に没頭して生活は乱れておるが」


 一週間や一ヵ月というように期間限定でしかも短期間ならばともかく、さすがに数ヵ月間も無為に過ごしたいとは思わない。どうするべきかティアナは迷う。


 そんなティアナを見かねたブルクハルトが更に言葉を続けた。


「こういった調査依頼はここでもよく引き受けるが、依頼主は大抵一旦帰るものじゃ。そして、結果が出るとこちらから手紙を出して連絡するのが普通じゃな」


「なるほど、普通はそうですよね」


 問題があるとすれば、今のティアナに定住先がないことと、今後の方針を水晶の調査結果が出てから決めようとしていたことだ。つまり、今のティアナは身動きが取れない。


 思わぬ落とし穴を見つけてしまい内心頭を抱えたティアナは、今度どうするべきか考えながら質問を重ねる。


「この塔に長期間滞在することは可能ですか?」


「可能か不可能かと問われれば可能じゃが、ここにおってもつまらんぞ? 魔法使いの研究は秘匿されておるものばかりじゃ。塔の大半は部外者立ち入り禁止になっておる」


「図書館みたいな施設はありませんか。もし研究が短期間で終わるのなら、そこで過ごしてみようかと思うのですが」


「悪くないとは思うが、書庫は専門書ばかりじゃ。文字が読めるだけではどうにかなるとは思えんがのう」


 ティアナとしても以前から色々な書物は読んでいるので、ブルクハルトの言葉は身をもって知っている。しかしそうなると、どうやって時間を潰せば良いのかわからない。


 難しい顔をしたままのブルクハルトがぽつりと漏らす。


「調査が短期間で終わるのならば、王都を観光するというのも悪くないんじゃがのう」


「その手もありますね」


「さすがに何ヵ月も滞在して暇を潰すのは無理じゃが、当面の間ならばどうにかなろう」


 叡智の塔へやって来る途中で通り過ぎたアーベント王国の王都をティアナ達は思い出す。今まで滞在してきた王都に見劣りしない立派な都市だった。


 ただ、観光を提案してきたブルクハルトの表情は相変わらず冴えない。


 その様子が気になったティアナが問いかける。


「お顔が優れないままですが、何か問題でもあるのですか?」


「最近はレオンハルト殿の一派が王都内で大きな顔をしておるんじゃ。そのせいで官憲も迂闊に取り締まりができんから、争い事に巻き込まれると厄介なんじゃよ」


「レオンハルト殿?」


「ダンケルマイヤー侯爵家の当主殿じゃ。国外から来たばかりのそなたはわからんかったの。王家と競えるくらいに勢いのある貴族じゃよ」


「観光できないほど危ないのですか?」


「さすがにそんなことはないぞ。でなければ観光を勧めたりなどはせんよ。ただ、客人にはそういった事情も話しておかねばならんじゃろ」


「王宮の権力争いの影響が王都内にも現れてきているわけですね」


「さすがに貴族だけあってその辺りの察しは良いの。その通りじゃ。しかも、その権力争いにこちらも巻き込まれつつあるからたまらんわい」


 よくある話にティアナは既視感を覚えた。こうなると、少しでも関わった者は目を付けられてしまうことをティアナは知っている。


「権力争いに、叡智の塔の魔法使いは中立、あるいは無関係ではなくなりつつある?」


「最初はそう主張しておったんじゃが、レオンハルト殿が示す潤沢な研究資金に転ぶ連中が多くてな、塔内も引っかき回されておるんじゃよ」


「そんな潤沢な研究資金を、その方はどうやって手に入れたのでしょう?」


「レオンハルト殿はダンケルマイヤー侯爵家の当主じゃから、資金なんぞいくらでも捻り出せるんじゃ。それに、協力者もおるしの」


「協力者? 御用商人かなにかですか?」


「そちらではなくて、この塔の魔法使いじゃよ。儲かりそうな研究に資金を出したり、金になることに魔法使いを従事させたりしておるんじゃ」


 話を聞いている限りは悪いように聞こえない。金儲けができるダンケルマイヤー侯爵家も研究のできる魔法使いにも良い話だからだ。


 首をかしげたティアナが独りごちる。


「良いことずくめに聞こえますね。気になることがあるとすれば、もしかして国内の勢力図が変わるほど、その侯爵様ばかりが積極的に魔法使いを活用していることくらい?」


「なかなかに鋭いの。その通りじゃ。ついでに言うと、そのせいで他の貴族も魔法使いの囲い込みをしようと、塔内にちょっかいをかけてきて困っておるんじゃ」


「塔内の魔法使いの方に自重するように呼びかけてはどうなのです?」


「本来ならばそうするべきなんじゃがな、多くが充分な研究資金が手に入らずに困っている者ばかりで、心情的には止めにくいんじゃよ」


 誰かが大きな利益を得ていれば、自分も得をしたいと思うのは皆同じだ。それは貴族だけでなく、魔法使いもである。


 ただそのせいで、塔内に宮廷政治を持ち込まれてしまうことにブルクハルトが苦慮していることをティアナはようやく理解できた。


「そうなると、せめて貴族から資金援助をされている方が、自分の立場だけでも中立だと宣言すれば」


「机上の空論じゃな。資金援助を受ければその貴族の意向は無視できんし、中には味を占めて積極的に協力する者もおる」


「そのような方が既に多数いらっしゃるのですか」


「増えつつあるのう。それもこれも、あのヨーゼフがレオンハルト殿の元で大きな利益を得たからじゃ」


「どのような方なのです?」


「ヨーゼフはオイゲン男爵家の三男で、生まれたときから魔法の才能に溢れておった。十になる頃にはここでいっぱしの研究をしておったくらいなんじゃよ」


「それはすごいですね」


「単純に魔法使いとしても一流の人物じゃ」


 本物の天才の実例を目の当たりにしたティアナは驚く。前世の知識があってもろくに役立てられなかった自分と比較して、あらゆる面で違うのだろうと想像した。


 感心しているティアナをよそに、ブルクハルトは渋い顔をしたまましゃべり続ける。


「そのような者が、レオンハルト殿の資金援助で様々な魔法の道具を開発して販売し、大きな利益を手に入れたとなれば、他が色めき立たぬわけがなかろう」


「誰だって良い思いをしたり、好きなように研究したいですものね」


「話は大きく逸れたが、王都の観光をするときは、できるだけ厄介なことは避けることじゃな。勧めておいて言うのも何じゃが」


「わかりました。では、調査にどの程度かかるのか判明するまではここに滞在します。その後は、調査期間次第ということにしましょう」


「そうじゃな。最善なのは、国外で待ってもらうことなんじゃが」


 ブルクハルトは独りごちながらうなずく。


「では、しばらくご厄介になりますね」


「承知した。客人用の部屋があるので案内させよう」


「ありがとうございます。では、荷物もそこへ運んでもらうことにしますね」


「それと、ここに滞在するのならば、そなたが行動できる範囲も教えておかねばならんの。秘匿されるべき物や危険な物がある場所が多いからのう」


 内情を探りに叡智の塔へやって来たわけではないので、ティアナはブルクハルトの言葉に素直に従う。


 簡単な説明をするとブルクハルトは立ち上がった。


「滞在中は使いの者をこちらから寄越すことにするので、詳しくはその者から聞くとよい。それではこれで失礼する。儂も忙しい身なんでな」


「ありがとうございました。水晶の件はお願いします」


 立ち上がって一礼するティアナにうなずくと、ブルクハルトは水晶の小箱を手にして応接室から去る。


 その姿を見送ったティアナ達は三人同時に大きなため息をついた。

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