透明な水晶
ブルクハルトに透明な水晶の調査を依頼して一ヵ月になろうとしていた。
この時季になるとアーベント王国も真冬の寒さから解放され始める。さすがに雪はまだ解けないが、わずかに冷え込みが緩むのだ。
手に入れた成果をマリーに差し出した後のティアナ達はしばらく休息を取っていた。要となるティアナの心身を回復させるためである。
「今回、あんた大活躍してるものねぇ」
「うう、しばらく何もしたくない」
宿の柔らかく肌触りの良いベッドに寝転びながらティアナが完全にだらけていた。
それでもそろそろ活動を再開しなければと三人が思い始めた頃、待望の連絡が小間使いによってもたらされる。ブルクハルトから調査が終わったとの連絡だ。
三人は喜んで叡智の塔へと向かった。そして一泊後、いよいよティアナ達はブルクハルトと面会する。
案内されたのは以前も使った応接室だ。以前同様暖炉を使わないと冷えるが、心持ちその厳しさも和らいでいるように三人は感じられた。
応接室で待っていたブルクハルトに一礼すると、ティアナはその正面へと座る。アルマとタクミはその背後で待機だ。
全員が揃ったところでブルクハルトが口を開く。
「よく来てくれた。使いの者から聞いておるじゃろうが、依頼されていた水晶の調査が終わった」
「ありがとうございます」
「意外とあっさり終わったのは幸いじゃったな。必要な道具がすべて叡智の塔で手に入ったというのも大きいのう」
機嫌良くしゃべるブルクハルトが背後へと目を向けると、控えていた小間使いが持っていた小箱を机に置いてティアナの前に差し出した。
小間使いが引き下がると同時にティアナはその小箱を開ける。中には以前と同じように透明な水晶が鎮座していた。
「確かに返していただきました」
「もちろん本物じゃぞ。こういったことは信用第一じゃからな」
「さすがにそこを疑ってはおりませんよ」
「たまに疑り深い依頼者もおるんでの。念のために言わねばならんのじゃ」
まったく面倒じゃとぼやきながらもブルクハルトは笑顔を絶やさない。
小箱を開けたままの状態でティアナは問いかける。
「調査の結果はどのようなものだったのでしょう?」
「水晶の内部を通過する魔力を増幅して出力することができる代物じゃ」
「増幅、ですか?」
「例えば十の魔力を使って火の玉の魔法を撃つと、十の威力の火の玉が生まれる。しかし、この水晶に魔力を通すと、何倍もの魔力を使った火の玉を放てるんじゃよ」
話を聞いているティアナの反応は薄い。
まだ実感がないことをその反応から理解したブルクハルトは苦笑いする。
「実際に試してみんとわからんじゃろうな。後で外に出て試してみるとよい」
「はい。それで、他には何かわかりましたか?」
「実のところ、他はろくにわからんかった。何のために作られたのか、どのように魔力を増幅しているのか、増幅率を調整できるのか、さっぱりじゃったな。残念ながら」
「使い方がわかっただけまし、というところですね」
「そうじゃのう」
思ったほどのことはわからなくていささか失望したティアナだったが、使い方の一部がわかっただけでも良しとするしかなかった。
それにしても、ブルクハルトの態度はのんきなものだ。馬鹿にならない費用と時間を使ってほとんど何もわからなかったのに、まったく恐縮する様子もない。
こんなものなのかブルクハルトが特殊なのかティアナにはわからなかったが、とりあずその不満は置いておいて疑問について問いかける。
「この水晶に注げる魔力の上限はあるのでしょうか?」
「儂が試した範囲では上限はわからんかったな。まぁ物質として存在している以上、注げる魔力の限界はあるんじゃろうが」
「どのくらいまで試したのでしょうか?」
「大人一人分ほどの大きさの岩を砕ける魔力までは試した。問題なく使えたぞ。ちなみに、このときはこの応接室くらいの岩を砕けたわい」
口元を手で覆ったティアナが小声でウィンへと尋ねる。
「大人一人分ほどの大きさの岩とこの部屋くらいの岩って、砕くとしたら魔力量はどのくらい違うの?」
『うーん、どうなんだろう? 人の大きさくらいのはちょっとでいいけど、この部屋くらいの大きさだったらそれよりたくさんいるね』
ウィンの返答は相変わらずひどく感覚的だった。
これではわからないのでブルクハルトに今度は尋ねて見る。
「ブルクハルトさんでしたら、水晶を使わずに応接室くらいの岩も魔法で砕けますか?」
「儂か? 大人一人分くらいの岩ならできるじゃろうが、応接室くらいじゃと無理じゃな」
ブルクハルトも高位の魔法使いとティアナは聞いたことがあるので、応接室並みの岩を砕けるように魔力を増幅させることはすごいのだろうと理解した。
これでティアナ達は水晶について一通り話を聞いたことになるが、ここではたと思い出したことがあった。
「ブルクハルトさん、これでこの水晶の調査はお終いということでよろしいのですよね?」
「そうなるの。費用は商会の方へ請求しておくぞ」
「はい。それはともかく、調査が終わったのでしたら、私達が今しているダンケルマイヤー侯爵の調査もお終いですよね」
「確かにそうじゃな。聞けばなかなかの成果を出しておるではないか」
「ご存じなのですか?」
「儂も他の魔法使いの動向は知りたかったからの。そなたの動向については王宮から知らせてもらっておるんじゃよ」
直接関わっていないが、情報はブルクハルトにも伝わっていることをティアナは知る。
そこでひとつ気になったことをティアナは尋ねた。
「お約束の通り、私の調査はここで終了しますけど、ブルクハルトはあまり惜しくはなさそうに見えますね」
「そういう約束じゃったしな。何かしらの役に立ってくれたんじゃから、儂は文句ないぞ。最初にも言うたが、できる範囲でやってくれれば良かったからの」
そんなことも言われたなとティアナは当時を思い出す。
曖昧な表情をしているティアナに対して、ブルクハルトは更に話し続けた。
「それと、マリーの奴にも一言断っておいてくれ。さすがにそのまま消えるというのはあんまりじゃろう」
「はい、それは確かに」
正直なところもう会いたくない相手だったが、最後の挨拶くらいはしておくべきだとティアナも思った。
そんな思いが顔に出ていたようで、ブルクハルトがティアナの気持ちを察して笑う。
「ははは! あの侍女殿は目下の者に厳しいからのう。そなたのように格下扱いされたら、会いたくなくなる気持ちはよくわかるわい」
「アーベント王国の王宮に勤める侍女の方々は皆あのような感じなのですか?」
「さてのう。儂とてごく一部の侍女にしか会ったことなどない故に、その辺りのことはようわからん」
「面倒な方ですね」
「その言葉を聞いたら、あやつはなんと反応するんじゃろうなぁ」
言い終えると、ブルクハルトは再び笑った。
そうしてひとしきり笑うと、気楽な様子でティアナへと語りかける。
「じゃが、そなたがそれほど気にすることもあるまい。その水晶の調査が終わったんじゃから、もうこの国から旅立つんじゃろう?」
愉快そうにブルクハルトに指摘されたティアナはうなずく。確かに目的は果たしたのでここにとどまる理由はもうない。
「それと、今お借りしている宿はいつまで借りられるでしょうか?」
「明確には決まっておらんが、マリーに挨拶をした翌日には出て行った方が無難じゃろうな。こちらの請求が回ってきても面倒じゃし」
「わかりました。ではそれまで宿泊させてもらいますね」
「王都観光は充分したかの?」
「ある程度は。すべて回れなかったのは残念ですが、あまり長居すると危険な身になってしまったので」
「あ~それは悪いことをしたのう」
微妙に目を逸らせたブルクハルトが謝罪を口にする。しかし、苦笑いしながらティアナが首を横に振った。
「何もかもすべてを満たすことなどできませんから、お気になさらず」
「そう言ってもらえると助かるわい。今回は、調査依頼の一件だけを見ても面白いものが見られて満足じゃ。またこのような珍品を手に入れたときは是非見せてくれ」
「費用はこちら持ちで、ですね」
「知識と経験は無償ではないんじゃよ」
口元を釣り上げたブルクハルトをティアナは再び苦笑いして見る。
しばらく口を閉ざしていた二人だったが、やがてブルクハルトが再び語りかけた。
「さて、儂から話すことはもう話したが、他に何かあるかの?」
「そうですね。私の方からはもうありません。いえ待ってください、もうひとつ大切なことがありました」
「何じゃ?」
「私、ヨーゼフに魔法の道具を作るように依頼していたんです」
「何でまたそんなことを? いやそうか、ヨーゼフに近づくための工作じゃな?」
「はい、一ヵ月くらいで完成するって聞いてました。既に前金も渡してます」
「それはもう無視するしかないのう」
ため息をついたブルクハルトが答える。
若干不安そうにティアナが問いかけた。
「ブルクハルトさんにご迷惑がかかりませんか?」
「そんなもの今更じゃよ。あやつには随分前から嫌われておるし、魔法の道具の製作依頼をしておきながら受け取りに来ぬ客もたまにおる。じゃから気にせんでもいい」
前例があることに驚いたティアナだったが、そういうことならと胸をなで下ろす。
「そうですか。でしたら、後のことはよろしくお願いします。私はすぐに国外へ去らなければいけなくなりましたから」
「塔から去るときに儂への挨拶は不要じゃ。ここの流儀じゃよ」
「あら、てっきり研究時間を割くのが惜しいと思っていましたが」
「もちろんそれが由来じゃよ」
二人して笑う。
ひとしきり笑うと、ティアナが口を開いた。
「そうなりますと、これでお別れになるのでしょうか?」
「何もなければの。おおそうじゃ、単なる興味なんじゃが、この次はどこへ向かうつもりなんじゃろう?」
「特定の場所は決まっていません。ただ、伝説の精霊の故郷を探すつもりでいます」
「また大きく出たの。しかし、伝説の精霊とは抽象的じゃな。何か具体的な話でもあるんじゃろうか?」
「私の身元を保証してくださっているエルネスティーネ王女が精霊石の巫女だとはご存じですよね? その精霊の故郷のことですよ」
『わーい、やっとボクの故郷を探してくれるんだね!』
話を聞いていたウィンがティアナの中で嬉しそうに暴れた。
そんなことを知らないブルクハルトはそのまま会話を続ける。
「またなんでそんな酔狂なことをしておるんじゃ?」
「エルネスティーネ王女から頼まれたからです。この子を故郷に帰してやりたいから、探してくれないかと。今は流浪する身ですので、ついでに探しても良いかと引き受けました」
「また難儀なことを引き受けたもんじゃのう」
呆れた表情でブルクハルトが感想を述べる。ティアナもそれには同意するが、さすがに本人が同行しているとまでは言えなかった。
そして、感想を告げたブルクハルトはそのまま黙って考え込む。何度か首をひねった末にティアナへと目を向けた。
「参考になるかどうかわからんが、ここから東へ向かったところに霊峰とあがめられる山があるらしい。そこには神や精霊が住まうという伝説がある」
「もしかして、そこが?」
「わからん。そもそも、儂は精霊石を見たことがないんじゃ。ただ、それほど霊験あらたかなものならば、そこから持ち出されたのではないかと想像しただけじゃよ」
「ありがとうございます!」
今まで手がかりすらなかったウィンの故郷に光明が差す。ウィンもティアナの中で喜び暴れた。
ブルクハルトはそれを伝えると研究があるからと応接室を去った。
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