女傭兵の逃げた拠点

 襲撃から一夜明けた朝、街道に沿って見える空の色は青い。昨日の大雨が嘘のようだ。それに対して地上は一面茶色い水で覆われている。


 御者の二人が近くの木で作業をしていた。括り付けられていた馬の世話である。それが終われば、草地に退避させていた荷馬車へとつなげる予定だ。


 森の中の鳥達がさえずる中、ティアナ達がその荷馬車から出てきた。いずれも服が乾いた泥だらけでひどい有様だ。しかも、表情から疲れがあまり癒えていないことがわかる。


 躊躇うことなく足を水没させて何歩か歩くと、それぞれ背伸びをしたり上半身を曲げたり首を鳴らしたりした。いずれも無理矢理体を動かしている感じだ。


 ため息をついたアルマがつぶやく。


「あんまり疲れがとれないわね。やっぱり荷馬車で一晩過ごすのはきついわ」


「その前に散々森の中を動き回りましたものね。ふわぁ」


 独り言に応じたティアナが冴えない顔であくびをした。そして、ぼんやりとした目つきで周囲の森へと視線を巡らせる。地面が茶色く水没しているのはともかく、まるで昨晩の戦いなどなかったかのようだ。


 荷馬車の周囲に倒れていた死体については森の中へと運んでおいた。本当は埋めるのが一番だが、今の状態ではどうにもできない。そのため、一歩森の中に入ると死体があちこちに浮いているのだが、わざわざ見に行く気にはなれなかった。


 ある程度目が覚めたアルマがティアナに声をかける。


「それにしても、よくあの状態から生き延びられたわよね」


「まったくですね。こっちの何倍もの人数で襲われただけでなく、魔法も妨害されてましたから」


「あれで連携して襲われてたら、あたし達殺されてたんじゃないかしら」


「ヘルゲとラウラは別の集団かもしれないという可能性ですね」


 最初の襲撃とその次の襲撃についてだ。ティアナ達を分断するという意味では成功したが、振り返ってみると連携しているようには思えなかった。特に最後の退却は完全にばらばらだったので、たまたま襲撃が重なったのではと考えているのである。


「あくまでも可能性としてね。ところで、ヘルゲは倒したから良しとして、ラウラ側は何者なんでしょ?」


「恐らくテネブー教徒なのでしょうけど、問題はどの派閥かですよね。インゴルフはアルノー派だと言っていましたが」


「嫌よね。次から次へと敵が湧いて出てくるみたいで」


「これから延々と誰かに狙われ続けるのなんてまっぴらですよ」


 嫌な想像をした二人が朝から暗いため息をついた。


 一方、起きても半分寝ているリンニーは不満そうだ。トゥーディに向かって訴える。


「おなかすいた~」


「ここじゃ干し肉しかないけど、それを食べたらどうなの?」


「もっとちゃんとしたご飯が食べたいよ~」


「う~ん、こんな森の中じゃね。町に着いてから食べるしかないね」


「体も気持ち悪い~」


「それは僕も同感だよ。けど、今着替えてもねぇ」


 律儀にリンニーへと答えていたトゥーディが周囲の様子を見た。天気はともかく、地面の様子が茶色い湖では着替えてもすぐに泥だらけになるのは間違いない。


 続いて馬車から出てきたインゴルフが派手な水しぶきを立てて下りてきた。泥がかかって顔をしかめるリンニーとトゥーディに明るく謝罪してからティアナに声をかける。


「よう! よく眠れたか?」


「宿で眠る程ではありませんけどね」


「昨日は大変だったけどよ、何とかうまくやれて良かったよな! にしても死体をまるごと氷漬けにするたぁ驚いたぜ」


「ああでもしないと遺体が傷んでしまいますからね。死体の臭いはきついですから」


 今は木箱の中に収まっているヘルゲの死体を思い出したティアナが眉をひそめた。昨晩の戦いの直後、ベンヤミンから討伐の証拠として持って帰りたいと申し込まれたのだ。


 そのためにヘルゲの死体を馬車まで運んできたティアナ達だったが、問題はどのように保管するかだった。しばらく悩んだティアナ達だったが、トゥーディの提案で水の精霊に死体を氷で包んでもらったのである。


 これで運搬中に異臭で悩まされる心配はなくなったが、心配事はもう一つあった。


 荷馬車をちらりと見てからアルマがインゴルフへと尋ねる。


「あの死体はどこに運ぶのよ?」


「こっからだとオストハンかなぁ」


「それじゃ、ラウラがオストハン以外に逃げたとしたら、どっちを優先するのかしら?」


「あーそれなんだよなぁ」


 渋い顔をしたインゴルフが頭髪のない頭を右手で撫でた。死体が傷む心配はしなくてもよくなったが、早く聖教団に引き渡したいことに変わりはない。一方、テネブー教徒の拠点探しも早く始めたかった。


 どうするべきかアルマとインゴルフの二人が悩んでいると、ティアナがリンニーへと声をかける。


「リンニー、テッラは今どこにいるかわかりますか?」


「うう~、また泥だらけだよ~」


「後でアクアに水浴びさせてもらいましょう。イグニスに暖めてもらえば風邪もひかないでしょうから」


「わかった~! それで、テッラのいる場所だよね~? ウェントス、テッラがどこにいるか教えて~」


 不機嫌だったリンニーが幾分が機嫌を直して風の精霊に声をかけた。半透明な竜巻はティアナの頭上をくるくると回っている。


「あっちの方の森の中だって~」


「あちらは、昨日やって来た道の方ですね。オストハンに向かっているのですか?」


「そこまではわからない~」


「ラウラのヤツ、オストハンに向かってるんだろうぜ。東の方角だとでっかい町はあそこしかねぇし、小せぇ村なんかに行ってもしょうがねぇからな」


 話に割っては言ってきたインゴルフが断言した。そう主張されると反論する理由も特にはない。


 少し考えてからティアナがインゴルフに答える。


「先に死体をオストハンに運ぶことにしましょう。ラウラと一緒に拠点へ雪崩れ込むのならともかく、どのみち一度体勢を整えてから拠点に乗り込むつもりだったのでしょう?」


「確かにそうだな。よし、それじゃ一旦町に戻るか!」


 方針が決まったインゴルフが明るく宣言した。ちょうどそのとき、ベンヤミンとエーミールが馬を引き連れて戻ってくる。


 池のようになった街道を引き返したのはそれからしばらくしてのことだった。


-----


 泥水の中を進んでようやく森の中から出たティアナ達は、二日ぶりにオストハンへと戻って来た。門番に苦笑いされてから町の中へと入るとすぐに教会へと向かう。


 教会の敷地に入ると居住施設の更に奥にある倉庫の前で荷馬車が停まった。


 荷台から下りたティアナ達は白一色の服を着た六人の使用人を見かける。御者台から下りたエーミールがその六人に指示を出した。


 使用人達が荷台から荷物を下ろして倉庫へと入れている様子をティアナ達が見ていると、インゴルフが話しかけてくる。


「トゥーディさんの荷物も一緒に倉庫へ入れとくぜ。あれを持ち歩くのはきついしな」


「また倉庫街に持って行くのも面倒だしね。町を出るときに僕達の方から取りに来たら良いのかな?」


「ああ、それでいいぜ。ところで、ラウラは今どの辺にいやがるんだ?」


 尋ねられたトゥーディはリンニーへと顔を向けた。目をぱちくりとさせたリンニーは風の精霊に問いかける。精霊は姿を隠しているので一人で話をしているようにしか見えない。


「東に向かって道を歩いているって~。まだここには着いていないみたいだね~」


「追い抜いちまったか。西の門で待ち構えてもいいな」


「テッラが後を追ってるんだから放っておくべきじゃない? 下手に人間の尾行をつけて見つかったらやりにくいわよ」


「もどかしいぜ」


 冷静に指摘するアルマにインゴルフは苦笑いを返した。気が逸っているのは自覚しているらしく、髪の毛のない頭を何度か叩いて気分を落ち着かせている。


 その日は全員が教会の居住施設に泊まることになった。酒が飲めないことをリンニーは不満がっていたが、後日たくさん飲ませてもらう約束をアルマとして落ち着いた。


 翌朝、朝食を済ませてからティアナ達とインゴルフが応接室へと集まる。八人が入室するとさすがに狭かったので、インゴルフが代表して話し合うことになった。


 そのインゴルフが座るとすぐに口を開く。


「さて、メシも食ったし、これからのことを話そうぜ。リンニー、結局はラウラのヤツは今どこにいるんだ?」


「町の中にいるのは確かなんだけど、説明するのは難しいかな~」


「そんなめんどくさいところにいやがるのか?」


「わたし、この町のことあんまり知らないの~」


 つまり、オストハンの地理を知らないので説明できないというわけだ。それに気付いたインゴルフが微妙な表情になる。


「なるほど、ちょいと面倒だな。それじゃその場所に案内することもできねぇのか?」


「それは大丈夫だよ~。ウェントスにテッラがどこにいるのか教えてもらえるから~」


「仲間の居場所がわかるのか。精霊ってのは便利だねぇ」


 精霊達の能力に感心したインゴルフが首を横に振った。人間にはまねできないことだ。


「となると、ラウラのいる場所まで案内してもらう必要があるってわけだ。オレはついて行くとして、そっちはどうする?」


「私がついて行きます。アルマとトゥーディはここに残ってください」


「仕方ないわね。大人数でぞろぞろ行くわけにもいかないでしょうし」


「見つかってもつまらないしね」


 ティアナに顔を向けられたアルマとトゥーディがうなずいた。戦うわけではないので大人数は必要ない。


 話が決まると、早速ティアナとリンニーはインゴルフと共に捜索を始めた。


 教会の前に三人が並び立つと、インゴルフがリンニーに顔を向ける。


「それじゃラウラのいる方向を教えてくれ」


「えっと、こっちだって~」


 まるで子供が尋ねられたときの返事みたいにリンニーが指差した。教会から南南西である。苦笑いしながらティアナとインゴルフが歩き始めた。


 今回の捜索では精霊と直接会話できるリンニーが案内役をするわけだが、困ったことにオストハン内部についてはほとんど知らない。そのため、テッラから送られる視覚情報などを受け取っても他者に説明できなかった。


 それを知ったインゴルフは、ならばとテッラのいる方向を指差してもらうことにする。一定の距離を進むごとに指差してもらうことで徐々に目的地へと近づくわけだ。


 こうして三人は土の精霊のいる場所を目指す。商店街から住宅街、住宅街の中でもより低所得者層の地域へと足を進めた。


 以前貧民街で迷子になりかけたことのあるティアナは、周囲の風景を見ながらつぶやく。


「どうして隠れるときってこういう治安の悪いところを選ぶのでしょうね?」


「そりゃ荒っぽいことをしても官憲は来ねぇし、人も物も隠す場所ならいくらでもあるからだぜ」


「けど、怪しまれません?」


「この地域一帯が既に怪しいから今更だな。それに、どこもかしこも怪しいからこそ、簡単には見つかりにくいんだ」


「ということは、今までテネブー教徒の拠点を押さえたことは」


「小さい隠れ家みたいなところはあるが、拠点と言えるようなところはねぇんだよなぁ」


 渋い顔をしたインゴルフが面白くなさそうに答えた。


 今の話を聞いて、教会が協力的である理由がティアナにも何となく理解できた。今回は敵対する異教徒の重要拠点を攻撃する絶好の機会なのだ。でなければ、いくら勇者の片腕とはいえ、一介の傭兵にこうも色々と便宜を図ったりしないだろう。


「たぶんここかな~?」


 途中、同じ道を周回するなどしたが、ついにリンニーは特定の場所を指差した。低所得者層でも中ほどの者達が住む場所で、三階建てや四階建ての建物が並んでいる。


 三人は物陰に隠れて土の妖精がいそうな場所へ目を向けていた。


 一旦顔を引っ込めたインゴルフがリンニーに尋ねる。


「リンニー、ここに間違いはねぇか?」


「たぶんね~。テッラにこっちへ来てもらおっか~?」


「それより、イグニスにテッラの元へ行ってもらいましょう。その間、リンニーはイグニスの目を通して、周囲がどうなっているのか確認してはどうです?」


 思いついた提案をティアナが他の二人に披露した。精霊に人間のような目はないが視覚情報は得られる。神であるリンニーならばその情報に触れられるのだ。


「うん、わかった~。やってみるね~」


「これならば、ここからテッラのいる場所までの経路がわかりますからね。後で簡単な地図として描いてもらいましょう」


「なるほど、おめぇさん頭いいな!」


 ついでに内部の地図を作ってしまうという案にインゴルフは喜んだ。これなら拠点を制圧するときにやりやすくなる。


 すぐにリンニーは火の精霊に事情を説明してお願いした。


 火の精霊は姿を消して見えないのでティアナとインゴルフはどうなっているのかわからなかったが、リンニーが都度指示を出しているので何となく進んでいることはわかる。


「会えた~? そっか、それじゃここにいるんだね~」


「お、ラウラの居場所がわかったか!」


「リンニー、そこにラウラ以外に誰かいますか?」


「何人かいるよ~。何か偉そうな人もいるね~」


「なんてヤツだ?」


「テッラが、アルノーって呼ばれてるって言ってる~」


 のんきに報告してくるリンニーの返答を聞いたティアナとインゴルフは顔を見合わせた。大物を引き当てたことに驚く。


 その後、精霊三体を使って近辺がどうなっているのか時間をかけてリンニーに探ってもらった。そして、土の精霊にはアルノーを追ってもらうことにして三人は教会に戻る。


 知り得た情報を急いでまとめるとインゴルフは聖教団と連絡を取りに行った。


 さすがにその様子を見ているとすぐに襲撃するのだなということはティアナ達にもすぐわかる。そのときが来るまで、四人は羽を伸ばすことにした。

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