仲間との雑談

 王立学院の授業は早ければ午前中で遅くとも昼下がりには終わる。これは貴族社会が社交を重視しているからだ。以後の時間にお茶会や舞踏会などの催し物が開催され、貴族の子女を中心に多数の生徒が参加する。


 もっとも、ティアナにとってはもう縁のない話だ。憑依体質が知られてからは誘われたことなど一度もない。


 日が大きく傾いた頃にティアナは自分の部屋に戻ってきた。


「はぁ、今日も一日が終わりましたよっと」


「ほんと、おっさんくさいわね、あんた」


「前世のときから数えると、もう初老って言ってもいいくらいの歳だからなぁ」


 姿見鏡の前にある椅子にティアナがどっこいしょと座ると、アルマが髪の毛の手入れをするためにその背後へと回った。


 手慣れた様子で作業をしながらアルマがティアナへと語りかけた。


「それで、今日の収穫はどうだったの? また図書館に行っていたんでしょ」


「魔法関連の本は一冊だけ見た。けどダメだった。抽象的な書き方は仕方ないにしても、具体例でさえ何を指しているのかさっぱりわからん」


「あー以前見せてもらったあれみたいなの? こっちの世界の例えはなかなか慣れないわよねぇ。前世の記憶を引きずってるせいかしら」


「俺もそう思う。おつむの出来が関係あるとしたら、想像力の有無だろうな」


 学院内で孤立していることを活用してティアナは去年から図書館で本を読み漁っている。最大の関心事である性転換の魔法について調べるためだ。しかし、ティアナは魔法の本を読むための素養が乏しかったので内容をほとんど理解できなかった。


 更に残念なことに図書館には魔法関連の本が少なかった。王立学院は貴族の子弟子女を貴族の社交界に送り出す場であって、魔法使いを育成する場ではないからだ。


「それじゃ他にどんな本を読んできたの?」


「今日は破天荒な貴族の冒険譚を流し読みした。周囲に馬鹿にされていた貴族の末っ子が、家を飛び出して冒険を繰り返し、最後はお姫様と結婚して幸せに暮らすってやつ」


「何そのベタな昔話は」


「そりゃ前世の感覚で言ったら今は中世くらいだからな。そんな話になるだろ。とりあえず、こんなもんかっていう確認にはなった」


「ちなみに、その冒険ってどんなことするのよ?」


「街で悪い騎士に絡まれていた町娘を助けたり、森に根城がある盗賊から貴族のお嬢様を助けたり、山に住む悪い竜からお姫様を助けたりするんだ。あ、結婚したのは最後のお姫様で、お嬢様は側室、町娘は妾な」


「どれも女の子を助けてばっかりじゃないの! しかも何そのご都合主義の塊みたいなハーレムエンドは!」


「そんなの知らないよ。きっと作者の願望がダダ漏れになった物語なんだって。ちなみに、お姫様もお嬢様も町娘もみんな熱烈な志願をしてるから。強制じゃないぞ」


「願望ってより妄想じゃないの。女の子は人形じゃないのよ?」


「だから書いたのは俺じゃないから知らないって。そういう文句は書いた本人に言ってくれ」


「日本の娯楽小説を持ち込んだら馬鹿売れしそうね」


「先を行きすぎてて逆に理解されないと思うな。それにここの世界じゃ、印刷技術は発達してないから本を大量生産できないし」


 もちろん、ティアナはこういう冒険譚ばかりを読んでいるわけではない。図書館にある片っ端から読破している。


 何か役立つものはないものかとアルマは別の本のことをティアナに尋ねてみた。


「以前読んでた社会構造や動植物の本の方がずっと役立ちそうじゃない」


「この冒険譚に比べたらね。でも、あれだってかなり怪しいと思うぞ。だって前世の中世の本ってどんなんだったか思い出してみろよ」


「あたしそんなの読んだことないわ」


「言い方が悪かったな。中世の迷信がたっぷり詰め込まれた本がどの程度信用できる?」


「あーなるほど。でもそれなら、図書館で本を読む意味ってどれだけあるのよ?」


「一冊や二冊ちょいちょいと読むなら大して意味はないだろうけと、似たような本を何冊も読んで情報の精度を上げてるんだ」


「どういうこと?」


「例えば同じ植物を記録した本が三冊あるとする。どれも微妙に内容が違うけど、共通する部分もある。だから、この共通する記述については少なくともその植物の特徴だと断言してもいいだろ?」


「そっか。確かにそうね。それじゃ違う部分は? 無視するの?」


「とりあえず保留だな。前世の知識と比べて明らかに間違っているやつは無視するけど」


「へぇ、ちゃんと考えているのねぇ」


 素直に感心したアルマが笑顔で褒める。ティアナに厳しいところがあるものの、良いところは素直に認めるのだ。


「ただ困ったことに、この手に入れた知識を役立てる機会がないんだよなぁ」


「言われてみればそうよね。貴族社会じゃ大して役に立たないし、これじゃただの雑学マニアよね。どうするつもりなの?」


「この知識を役立てられる仕事となると、研究職や、旅人?」


「旅人は仕事じゃないでしょ。どうせなら行商人って言いなさいよ」


「そうそれ。俺の目的のためにもそういった仕事に就きたいから、今からどうにかする方法を考えておかないと」


「貴族のお嬢様から転職? 無理なんじゃない? 女に厳しいわよ、この世界は」


「この王立学院を卒業すると、絶対どこか適当なところに嫁がされるだろうから、無理にでも外に出られるようになっておきたいんだよ」


「どこかに嫁いでから研究したら?」


「それは絶対嫌だ!」


「わがままねぇ。現実を見据えながら計画を立てて行動しないと、結局周囲に押し流されっぱなしになるわよ」


「そりゃわかってるんだけどな。あーもーどうしよう」


 前途多難な未来にティアナは頭を抱えた。


 ため息をつきつつも少し考えたアルマは次の話題を振る。


「それじゃとりあえず、目の前の問題に話を移しましょうか」


「え、何かあるの?」


「春先に入学したばかりの男の子から何度も告白されてたわよね。最近はどう?」


「最近? そういえば一段落して落ち着いたみたいだよな。告白されてないや」


「やっぱり。あたしの知る範囲だと、どうやら一年の目の男の子や女の子にも、あんたの憑依体質の噂が広まっているわよ」


「いずれ広まると思ってたから、そこまで驚きはないな。もう二ヵ月も経ってるし」


「噂なんて広がるときは一気だもんね」


「七十五日で絶ち消えてくれたら言うことないんだけどなぁ」


「現実はそんなに甘くないのよねぇ。事実だから消しようがないってのもあるんだけど、どうするつもりなの?」


「とりあえずは静観だな。女の子はみんなどこかの派閥に入るだろうから、そこで俺に関わらないように諭されるだろ。男の子は去年の話を聞いて近づかなくなるだけならいいよ。この際敵愾心あふれる視線は諦めるから」


 力なく笑うティアナを鏡越しに見ながらアルマが次の話題を口にする。


「それでその憑依体質の話を広めてるのが、どうもユッタに熱心な子が多いみたいね」


「なんでわざわざそんなことをしてるんだ? みんな知ってることだから、放っておいても自然と耳に入るだろ」


「広めてる男の子って、去年あんたに振られた子ばかりみたいよ?」


「えぇ、そんなひどい振り方なんてしてないはずなんだけどな」


 げんなりしたティアナが一年前のことを思い出す。いずれも後々のことを考えて丁寧に返事をしていたはずだったが、どうも無駄になってしまったようだ。


「それと更に、噂を信じてあんたを避けた新入生にユッタが次々と声をかけてるみたいね」


「うわっ、あいつ新入りにまで手ぇ出してんの!? 節操なさすぎだろ!」


「ひどいわよねぇ。男好きっていうか、端から見てるとゲーム感覚で釣り上げてるみたい」


「前から不思議だったんだけど、なんでみんなユッタに引っかかるんだろ」


「女のあたしからしたらさっぱりよ。中身男のあんたの方がまだわかるんじゃないの?」


「いやぁ、それが全然わかんねぇ。確かにかわいいとは思うんだが、そんな何十人も夢中になるほどとは思えん。話術だって大したことなさそうだし」


「ひたすら相手をよいしょしているだけだもんね。貴族の男の子でああいうのが流行っているのかしら?」


「いくら何でも自分の好みってのがあるだろう」


「そうよねぇ。あたしの知り合いも、みんな不思議がってるのよねぇ」


 二人して首をひねっていると、窓際の壁から半透明な人型が音もなく入室してくる。その姿は全身甲冑を身につけており、中の様子は窺えない。


「ティアナ、アルマ、息災である」


「エッカルト、こんばんは」


 ティアナの挨拶を受けながらエッカルトが兜を脱ぐと、そこには色の抜けた金髪と皺の刻まれた顔が現れた。顔は厳ついが話し相手ほしさに毎晩やって来るような人物である。


 続いてアルマが挨拶すると、兜を脇に抱えたエッカルトは鷹揚にうなずく。


「見回りご苦労様です、エッカルトさん」


「敷地を回るだけ故大したことではない。それより、何もないということが一番だ」


「去年の俺みたいに誰かが襲われたら大変だもんな」


「振られた腹いせに婦女子を襲うとは言語道断。そなたの体を借りて成敗できたのはまったく愉快であった。ただ、あのようなことはもう起こってほしくないな」


 何事もないことが一番というのは正しいが、その態度になんとなく疑問を抱いたティアナがエッカルトに尋ねてみた。


「俺はてっきり腕が鈍って困るなんて言うかと思ってたけど、違うんだ」


「はっはっはっ、もう死んでから久しいが、霊になってからは腕が鈍ることはないな。ただ、たまに稽古相手がほしくなるときはある」


「学院の敷地外から幽霊みたいなのは侵入してこないの? 霊的な障壁があるって聞いたことがないから、出入り自由だと思うんだけど」


「たまにやって来るときはあるが、どれも無害な者ばかりだ。さすがにこれは斬れん」


 堅苦しい口調ではあるが、この一年間の付き合いで真面目な老騎士であることはティアナも理解している。なので、むやみに侵入者を斬らないという話を聞いても驚かなかった。


「ところで、二人して首をひねっておったようだが、何を話しておったのだ? 」


「新入生の男爵令嬢ユッタのことは以前お話したでしょう。あの子についてですよ」


 アルマは子弟があまりにも簡単にユッタに魅了されるということについて説明した。話を聞いたエッカルトは眉をひそめる。


「なるほど。ティアナのときも大した好かれようだとは思っていたが、何十人と男子を魅了し続けるとは確かに普通ではないな」


「女から見ると異常に見えるんで中身が男のティアナにも意見を聞いたんですが、あたしと同じだったんです。エッカルトさんはどうですか?」


「異常に思えるな。男の中にも粘着質な性格の者はおるが、全員が全員ユッタに好意を持ち続けるというのはいくら何でもおかしい。中には淡泊な性格の者もいるだろうに」


 ちなみに、エッカルトは二人が前世の記憶を持っていることを知っている。夜に自室で会話をするならば知っておいてもらった方が楽だとティアナが判断したからだ。きっかけは、ティアナが憑依されたときに記憶も覗かれたと勘違いしたからだが。


 エッカルトの返答にアルマもうなずいた。


「やっぱりエッカルトさんもおかしいと思うんですか。それじゃ何かありそうよね」


「でも一人例外がいる。パウルは全然平気だぞ。兄妹だからか?」


「儂は血のなせる業と思えるな。他に理由があるとも思えん」


「この世界基準だと、あの顔と話術で充分虜にできるのか? 俺にはわからんなぁ」


「そう言われると、あたしもそんな気がしてくるわよねぇ」


「む、儂はそのユッタという子女と会ったことがないから、どのような者かわからん」


「そっか、夜しか活動できなかったっけ」


 ティアナがエッカルトに活動制限があることを思い出した。このせいで、エッカルトはティアナとアルマ以外の人物をほとんど見たことがない。


 首をかしげていたエッカルトだったが、少し話題を変えてティアナに語りかけてきた。


「それにしても、そなたは平穏な生活と縁遠いな」


「今も平穏な生活ではあるぞ。普通じゃないだけで」


「なるほどな。しかし、そなたの生活はどうにも危うい気がしてならん」


「嫌なこと言うなよ。気にしてるんだから」


「はははっ! そう落ち込むな。人生、良いことも悪いこともある。いずれ良いこともあるだろう」


「早く男になりたいなぁ」


「む、以前もそんなことを言っておったな」


「今のは単なる現実逃避ですからお気になさらず、エッカルトさん」


「エッカルトは何か知らない? 男になる方法」


「見ての通り儂は騎士だ。剣ならともかく、魔法はさっぱりだな」


「ですよねー」


 自信満々に言い切ったエッカルトをティアナは力なく見る。


「当面は我慢するしかないわね。諦めなさい」


「お前は言うだけだからいいよなぁ」


「いくら愚痴っても男にはなれないんだから、しょうがないでしょ」


 アルマにあっさり言い返されて、ティアナは更にがっくりとうなだれる。


 今のところティアナの周囲には騒乱が散らばるばかりだ。まだしばらくはこの状態が続きそうだった。

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