周りの人々

 春の日差しにしては強いが初夏にしてはまだ涼しい朝、ティアナはアルマを伴って二年生の学舎へと足を向ける。寄宿舎から学舎へは少し歩かないといけない。学舎へと続く道には授業へ出席する貴族の子弟子女が歩いていた。


 周囲に目を向けたティアナが感心したようにつぶやく。


「皆さん、朝からお元気ですわねぇ」


 アルマと二人きりのときとは違い、人目があるところではティアナも擬態する。生まれてこの方、同居する親ですら欺いてきたのだからその演技力は高い。今のところアルマ以外に見破られたことはなかった。


「お嬢様も毎朝寝起きが皆様のようですとよろしいのですけどね~」


「何を言ってるんですか。他の方々だって朝は弱いかもしれないわ」


「そうでしょうか? お嬢様以上に弱い方はいらっしゃらないのでは?」


「私ってそんなに悪かった?」


「起きてからも一時間くらいはぼんやりとされていますわよね。それだけならまだしも、夢の国へ旅立とうとされたり、ひどいときには床で寝ようとまでされたりするでしょう」


「そ、そうだったかしら? でも、お世話のしがいがあるとは思わない?」


「やらなくてもいい苦労を延々とさせられるのは、やりがいとは言いませんよ」


 何気なく感想を漏らしたティアナだったが、アルマからにこやかに一撃を入れられて顔を引きつらせる。自覚があるだけに気の利いた反論ができなかった。


「せっかくの清々しい朝なんですから、もっとふさわしいお話をしましょうよ」


「ふふふ。例えば、忘れ物があるとおっしゃったから部屋まで取りに帰ったのに、実は勘違いで必要なかったときのお話とかですか?」


「何か今朝は機嫌が悪くありません?」


 いつもよりも厳しい突っ込みにティアナが首をかしげる。何かあったのかと振り返ってアルマの顔を見た。一見するといつもと同じように見える。


「気のせいですよ。たまにストレスを発散させないとやってられないだけです」


「やっぱり機嫌が悪いじゃない。おかしいわね、今朝は何が引き金で爆発したのかしら?」


 きれいな顔に人差し指を当ててティアナが首をかしげる。


 その様子を意地悪そうな顔で眺めていたアルマが答えた。


「引き金を思い出そうとするよりも、日々メイドが不満を溜めることのない環境を作った方が良いのではないですか?」


「貧しい生活で余裕がないのはこちらも同じなのに、これ以上どうしろと言うのです?」


「そうなんですよね。貧しいのはお嬢様のせいじゃありませんから、どうにもならないんですよねぇ」


「わかってるじゃないですか。みんな貧乏が悪いんです」


 わかりきった結論が出たところで二人はため息をついた。


 道半ばとなると仲の良い友人と話をしながら通学する生徒達が増える。もちろんそうでない生徒もいるのだが、ティアナの周囲だけやや間が空いているのは気のせいではない。皆が微妙に避けている。


「もう慣れたとはいえ、この光景は面白くありませんね、お嬢様」


「何もされないだけましと思うしかないですよ」


 去年、学院内の子女の最大派閥を率いるテレーゼと話し合い、お互いに不干渉となった結果だ。助けない代わりにいじめもしないというものである。テレーゼ自身は平気らしいのだがティアナの憑依体質を気味悪がる子女は多い。だからこその中立化だった。


 一方、子弟が避けている理由はある意味身勝手である。去年の春に多くの子弟がティアナに告白して断られているが、憑依体質騒ぎ以降はその恨みもあって嫌っているのだ。子女のようなまとまりは今のところないが、厳しい視線を向けてくる者はたまにいた。


「あら、あそこにいらっしゃるのは」


 ティアナが視線を向けた先には、お供を引き連れて通学しているテレーゼがいた。背中の半ばまでまっすぐに伸びた金髪につり上がった目元と青い瞳の、絵に描いたような貴族令嬢だ。縦ロールがないのが唯一の減点ポイントというのが二人の一致した意見である。


「テレーゼちゃん、相変わらずお高くとまっているように見えるわねぇ。美人なんだけど」


「近所のお子さんみたいに言わないの」


「ごきげんよう、ティアナ。素晴らしい朝ですわね」


 ちょうどティアナが言い終わったところで、テレーゼが笑みを浮かべてこちらへ目を向けてきた。その声を聞いて一瞬天を仰ぎかけたティアナだったが、タイミングが合ったのは偶然で聞かれていないと信じ込んで我慢する。まずは挨拶を返さなければならない。


「おはようございます、テレーゼ様」


「ふふふ、相変わらず面白いメイドですわね」


「口さがなくて困っています。矯正の仕方をご存じでしたら、是非ご教授願いたいです」


「生憎とメイドの躾け方は存じ上げませんわ。ただ、その責任は主人が背負わねばなりませんけど」


 聞かれていたことに内心冷や汗をかきつつもティアナは上手に切り返そうと試みる。しかし、テレーゼにあっさり切り替えされると間が空いた。


 ティアナは早々に降参することにした。取って付けた対応では本物のお嬢様にはかなわない。素直に謝罪する。


「申し訳ありません、テレーゼ様。よく言い聞かせておきますのでお許しください」


「よろしいですわ。その謝罪、受け入れましょう。あなたも人前では口を慎みなさい。主人の顔に泥を塗ってしまいますよ」


「申し訳ありません」


 しょんぼりしているティアナの後ろからアルマも謝罪することになった。


 その様子を満足そうに見ていたテレーゼは再び学舎へ向かって歩き始める。同時にティアナへと話しかけてきた。


「さて、学舎へ向かいましょう。ところでティアナ、あなたはユッタと仲が悪いのですか?」


「いえ、そもそもまだ一度もお目にかかったことがありません」


「そうなのですか? パウルの妹だと聞いていましたので、てっきりもうお知り合いなのかと思っていました。ですから、あなたとユッタの仲が悪いという噂を聞いて、どうなのかと気になっておりましたの」


「私も最初はパウルの妹なので早くお目にかかろうと思っていましたが、あの振る舞いを見てずっと二の足を踏んでいるんです」


 ティアナの言い方でテレーゼはすぐに察しが付いた。ユッタが頻繁に貴族の子弟へと声をかけることについては、テレーゼも当初から気にかけていたからだ。


「あれほど奔放に振る舞われては、普通ならためらって当然です。自由に振る舞うのは構わないのですが、あれは度が過ぎていますわ。パウルは何もおっしゃっておりませんの?」


「パウルとはユッタの話をしたことがないんです。それに、良い話ならばともかく、唯一の友人の妹について悪く言うのは」


「確かにそうですね。わたくしの配慮が足りない発言でした。申し訳ありませんわ」


「いいえ、お気になさらずに」


 テレーゼが謝罪すると、ティアナは苦笑いして首を横に振った。


「と言うことは、ティアナは殿方から嫌がらせを受けていないのですね?」


「今のところは。たまに男の人から敵意を向けられるのはいつものことです」


「最近はユッタに入れ込む殿方が増えてきています。中には親衛隊気取りの方々もいらっしゃるとか」


「その音頭を取っていらっしゃるのが、テオフィル王子とカミル様」


 そこまで言ってから、ティアナはテレーゼの婚約者がテオフィル王子だということを思い出した。背後でアルマがため息をつく。


 呆れた様子のテレーゼが首を横に振ってから口を開いた。


「ティアナ、構いません。最近はユッタと行動を共にすることが多いですから、皆さんよくご存じですわ」


 さすがにどう答えていいものかティアナにはわからなかった。将来の国王と王妃なのだから普通は表面上だけでも取り繕うものだ。しかし、テオフィルはそういった意識がないらしく、去年はティアナに、今年はユッタにつきまとっている。


「ええと、テオフィル王子は」


「容姿の優れた女性に弱いですからね。保護欲をかき立てられる女性だと尚更」


 言い淀んでいたティアナの言葉を継いでテレーゼが続けた。


 つまり、テレーゼは美人だがしっかりとしているためテオフィルの好みとは微妙にずれているのだ。


 もちろん暗にそんなことを言われてもティアナは返答できない。朝から面倒なことになったと内心頭を抱えてしまう。


 そんな朝一番からティアナが追い詰められていると思わぬ助けが入った。


「おはよう、ティアナ、テレーゼ様! ちゃんと体を動かしているかい? 今日もいい筋肉日和だ!」


 ティアナの背後から朝にふさわしい明朗快活な声が聞こえてきた。振り向くと、薄い茶色の短髪に青い瞳の筋肉質な青年が立っている。


「おはよう、パウル。普通にいいお天気って言ったらどうなの?」


「ごきげんよう。その筋肉日和というのはどういうお天気なのかしら?」


「はっはっはっ、普通だぞ、ティアナ。それとテレーゼ様、筋肉日和とは運動するのに都合がいい天気という意味です。つまり、今朝みたいな晴れの日ということですよ!」


 朝一番からやたらと元気なパウルにティアナは顔を引きつらせた。一方のテレーゼは苦笑しつつ、自分との間にティアナが入るように立ち位置を変える。


 そんな二人の様子などまったく気にした様子もないパウルは更に言葉を続けた。


「さぁ、早く学舎へ向かおう! 遅刻してしまうぞ!」


「あなたは毎朝元気過ぎるわね。授業前の早朝に体を鍛えているって前に聞いたことがありますけど、疲れないの?」


「授業に出られる程度に抑えてるからね。本格的に体を動かすのは授業が終わってからさ」


「そうですか」


 あまりにもわかりやすい脳筋生活にティアナは呆れた。テレーゼは無言で驚いている。


「ティアナもどうだい? 体を動かすのは気持ちいいぞ!」


「女の私に勧めるんですか? それにものには限度というものがあります。パウルに合わせたらしばらくはベッドから起き上がれません」


「何も最初から激しい運動をする必要はないぞ! 最初はできる範囲から少しずつやっていけばいいんだ!」


「お二人とも、朝から一体何の話をしていらっしゃるのですか」


 ティアナとパウルの会話を聞いているテレーゼがため息をついた。


 二人にとっては割とよく繰り返している会話だが、他人が聞くと怪しく聞こえる可能性がある。しかし、すっかり日常会話となってしまったために、ティアナは他人が聞いたらどう反応するかをすっかり忘れていた。


 そんな二人の様子を見ていたテレーゼだったが、ふと視線を外すとその先に見えた光景に目を細めた。


「おやまぁ、人目も憚らずに」


 薄い茶色の髪を肩で切りそろえ、ぱっちりとした青い瞳の愛くるしい少女を中心に、何人もの子弟が取り巻いていた。どことなくパウルに似ている顔立ちが周囲に笑顔を振りまいている。


 パウルと話をしていたティアナはテレーゼのことを思い出して慌てて振り向き、その視線の先を追って目を見開く。思わずテレーゼ同様立ち止まった。


「あれは、ユッタですよね」


「そうですわ。朝から賑やかですこと」


 ユッタの両脇には二人の子弟がぴったりと寄り添っている。その姿は護衛をしているようであり、群がる子弟から守っているようでもあった。


 一人は金髪碧眼の典型的な美男子の王子テオフィルである。もう一人は赤みがかった茶髪に灰色の瞳のカミルだ。フリック伯爵家の次男坊で武勇に優れ、近衛騎士団の有望株と期待されている。


 その様子を見たティアナはあることに気付く。


 確かにユッタだけを見ればそのかわいらしいところしか目に入らない。だが、その周囲も含めて眺めると印象が変わってくる。王国の有力者二人を引き連れ、自然体で振る舞っているユッタはまるで王女のようだ。


 なぜユッタが子弟に好かれて子女に嫌われているのか、ティアナにもなんとなくわかった気がした。


「テオフィル王子も堂々といらっしゃいますね」


「去年はあなたにご迷惑をかけたと思ったら、今年は別の子女とは。移り気が多すぎます」


「そういえば、あのお二人には、去年散々言い寄られてましたっけ」


 今更ながらにティアナは思い出す。去年のティアナの側にあの二人がよくいた。


「あなたの場合は殿方が一方的に寄ってくるだけでした。しかし、ユッタの場合は自分から殿方へ声をかけていますから、状況はまったく異なります。あれだけ殿方を侍らせて一体何がしたいのやら」


 案外その状況を楽しんでいるだけかもしれないとティアナは思った。さすがにパウルが側にいるので口には出さなかったが、ティアナにはとても深い思慮がある行動には見えなかったのだ。


 そこまで考えてティアナはパウルのことを思い出し、そちらへと顔を向ける。そこには複雑な表情でユッタを眺めているパウルがいた。


「パウル?」


「ん? ああ、すまない。あいつも少しは遠慮してくれたらいいんだけどなぁ」


 苦笑いしながら返事をするパウルの表情はどこかつらそうだ。ユッタに最も近い存在だけに色々とあるのだろうとティアナは推測する。


 尚も三人はその様子を眺めていたが、やがて一年生の学舎にユッタが入ると集まっていた子弟は散ってゆく。


「それでは、わたくしはここで失礼いたしますわ。またの機会に」


「お相手くださってありがとうございます、テレーゼ様」


 二人に挨拶をしたテレーゼが三年生の学舎へと足を向けた。ティアナとパウルも二年生の学舎へと向かわなければならない。


「よし、俺達も行くか、ティアナ!」


 ようやく立ち直ったのか、いつも通りとなったパウルが明るい声を上げて歩き始める。

 どことなくもやもやとしたものを抱えながらもティアナはそれに続いた。

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