初めてのお相手は美少女で!
佐々木尽左
第1章 Escape
第1章プロローグ
椅子に座った少女の正面には化粧台の姿見鏡がある。そこには、腰まで届く流れるような銀髪とやや切れ長で金色に輝く瞳が特徴の可憐な美少女の姿が映っていた。
「さすがに六月ともなると、朝でも肌寒くないなぁ」
そんな誰もが目を見張るような少女は男のような口調で独りごちる。口調以外は美少女なので違和感があるはずなのだが、その背後で銀髪の手入れをしているメイド服の少女はまったく気にしていない。
「そんな季節に寝冷えで風邪を引きかかってるんだから、笑えるわよね」
冴えない表情の美少女に対して楽しそうにメイドが言葉を返す。姿見鏡に写るその姿は、やや癖のある赤毛のショートボブに茶色い瞳と主人とは反対に地味だ。しかし、メイドには愛嬌があるので明るい印象が強い。
それにしても、メイドの主人に対する言葉遣いはなっていない。仲の良い友人あるいは親子といった態度である。メイドの主人は当たり前のようにその言動を受け入れているが、一般的にこんな接し方をするメイドは折檻が当たり前だ。
「しょうがないだろ、俺はか弱いんだから」
「単に寝相が悪いだけでしょ。外見はともかく、中身を知ってるあたしからしたらお笑いよ。おっさんのくせに」
砕けた言葉遣いのメイドは銀髪の手入れを終えると、次に化粧台の化粧道具を手に取って主人の正面に回った。ドレスを思い切り簡素化したワンピースを身につけた美少女に、メイドが化粧を正面から横へと薄く施していく。
「そんなこと言ったらアルマだって中身はおば、いてぇ!?」
「あら申し訳ございません、ティアナお嬢様。つい手元が滑ってしまって」
朝日に照らされて鏡のように輝く銀髪を背後に回ったアルマが引っ張ると、ティアナは悲鳴を上げた。寝ぼけ眼だった金色の瞳に怒りを点したティアナがアルマを睨む。
「お前がおっさんって言うんだから、俺だって構わないだろ!」
「男が女に言うのはダメよ。中身は前世のままなんでしょ。ほら、ふくれっ面にならないの。お化粧できないじゃない」
上手な切り返しができないティアナは口を尖らせた。しかし、アルマに注意されて仕方なく表情を戻す。
この二人、実は前世の記憶を保持したままこの世界で生まれ育った。ティアナの前世は中年男性、アルマは中年女性だ。三年前にアルマが商家から貧乏子爵家へ奉公に出されたのが付き合いの始まりである。それ以来、二人だけのときはお互いに素を晒していた。
「女ってずるいよなぁ」
「今はあんたも女なんだから、外で思い切りずるしてきなさいよ。それだけ美人ならなんだってできるでしょ、外見だけは女神や天使のようなんだから」
「憑依体質ってのがばれてなきゃなぁ」
その容姿の美しさからティアナは良家との結婚を両親から期待されていた。しかし、自在に憑依させられる体質だと知られてからは疎まれ遠ざけられてしまう。更にそれは今在籍している王立学院でも同じだった。
ティアナが鏡に映った自分の顔を恨めしそうに睨む横で、アルマが化粧をしながら素直な感想を口にした。
「まー相手構わず受け入れる無節操な体なんて、喜ばれないわよねぇ」
「無制限に男をくわえ込んでるように言うな。わざと誤解されるような言い方してるだろ」
「でも、相手が女の子だったら無制限に受け入れるんでしょ?」
「馬鹿言うな。ちゃんと相手を見て、いてぇ!? なんだよいきなり!」
「まるで女の子を見繕うみたいに聞こえたから、つい、ね?」
首をさすりながらティアナがアルマの顔を睨むがまったく効果はなかった。たった一人のお付きのメイドが涼しい顔のままなのを見ながらティアナは口を開く。
「けど、ばれる前の去年の今頃まではすごかったなぁ」
「普段ひっきりなしに告白されてたのが仇になったわよね。モテすぎたのよ、あんた」
ティアナは去年実家を追い出されるようにして王立学院に入学した。すると、類い希なその美貌のせいで貴族の子弟子女から注目されてしまう。おかげで子弟からは頻繁に告白され、子女からは白い目で見られてしまったのだ。
「何もしてない俺は明らかに被害者だろ」
「文字通り美しさは罪よね。実際にこの目で確かめられるとは思わなかったわ」
「しっかし、告白を装って呼び出した挙げ句に襲う奴が出てくるとは思わなかったなぁ」
「よっぽど焦っていたそうじゃない」
アルマは楽しそうに笑った。
去年の夏休み前、ティアナは年上の子弟から滅多に人の来ない場所に呼び出されて襲われたのだ。声を上げる余裕もなく逃げ出したティアナだったが、日没寸前の人気がない場所では簡単には助けを求められなかった。
それを思い出した渋い表情となったティアナがしみじみと感想を漏らす。
「あのときエッカルトのじいさんと出会わなかったら、大変なことになってたぞ」
「出会えたのが真面目な騎士様の霊で良かったわよねぇ」
日没直後、ろくに周囲が見えなくなったときに突如老騎士の霊が現れたのだ。そして、ティアナへ憑依してもらって襲ってきた子弟達を撃退したのである。
「普段から学院内を見回っているらしいけど、死んでも真面目に働いているんだよな」
「そのおかげで助かったんだから感謝しなさいよ」
「なんでお前が偉そうに言うんだ」
「細かいことは気にしないの。でも、その後も大変だったわよね。憑依体質のことがばれて、一気に話が学院内に広まったじゃない」
「蜘蛛の子を散らすとか波が引くようにとか言うけど、あれはまさにその通りだったなぁ」
一人を除いて、今までモテていたのが嘘のようにティアナの周囲から人がいなくなったのだ。その変わり様はまさに劇的だった。
当時のことを思い出している様子のティアナにアルマが言葉を投げかけた。
「あまりの孤立っぷりに、あのテレーゼ様が気にかけてくれるほどだったものね」
「自分の婚約者が色目を使ってた相手なのにな。相当我慢してたはずだぞ、あれ」
「テオフィル王子がすぐ美人に色目を使うって噂、本当だったってあのとき知ったわ」
「俺の関係ないところで証明していてほしかった」
ティアナ自身が望んだことではなかったが、テオフィルのせいで一時は学院内の子女からの印象がかなり悪かった。王子の許嫁であり学院内の子女の最大派閥をまとめ上げる公爵令嬢を、ティアナが追い落とすように見えたからだ。
気落ちしているティアナとは反対にアルマは明るくしゃべる。
「ともかく、男が寄りつかなくなって男漁り疑惑の誤解も解けたんだし、万々歳じゃない」
「そうなんだけど、今年になったらなったで、また新たな問題児が入ってきたよなぁ」
「今年入学したあの男爵令嬢様ね。ユッタって名前だったかしら。厄介よねぇ」
今年の春で王立学院に入学して二年目になるティアナだったが、とある新入生が学院を引っかき回しているのだ。
アルマの言葉にうなずいたティアナがため息をつきながら愚痴る。
「最初はパウルの妹だから仲良くできるかもって期待したけど、あんな片っ端から男に声をかける奴じゃ無理だ」
「同じ社交的でもお兄ちゃんの方はまともなのにね」
「他の女の子との間を取り持ってくれるかもしれないって密かに思ってたんだけどな」
唯一の友人の妹に思わぬ誤算があってティアナは肩を落とした。
学院内の貴族子弟に片っ端から愛想を振りまいているユッタは、会話をした子弟をたちまち魅了した。ティアナとアルマもその場面を目撃していたが、なぜそこまで惹きつけられるのか理由がわからなかった。
「去年のあんたみたいにモテてるから、学院内の男の子は軒並みあっちの味方だし」
「ユッタと揉めたら一斉に敵に回るよな。こうなると、女の子が中立でいてくれるってのは助かるなぁ。去年テレーゼ様と手打ちをしておいて本当に良かった」
「綱渡りな学校生活送ってるわね、あんた」
「なんでこんなに苦労しなきゃいけないんだ」
「特異体質な美少女だからでしょ。諦めなさい」
笑うアルマに言葉をあっさり受け流されたティアナが肩を落とした。
「けど、俺は諦めないぞ。絶対男になるんだ。そして、かわいい女の子と!」
「あんたまだそんなこと言ってんの? えっちなことなら今でもできるじゃない」
「お前は何もわかってない! 俺が捨てたいのは処女じゃない、童貞なんだ!」
「なんでそんなところにこだわってるんだか」
「お前だって男だったら女に戻りたいって思うだろう!?」
「どうだろ。案外そのまま楽しんでいそうね。どうにもならないんだし」
「随分と思い切りのいい考え方だなぁ」
若干の羨望が混じった視線をティアナが鏡越しにアルマへ向け、尚も諦めずに語る。
「でも魔法のある世界なんだから、性転換する魔法があったっておかしくないだろ」
「魔法ってのが何でもありっていうのならね。けど、性転換したっていう人の話なんて聞いたことないんだから、そんな魔法なんてないんじゃないの?」
「うっ、どうなんだろ。でもないなら、作ればいいじゃないか!」
「あんた、頭は良かったっけ?」
「良くない」
「魔法の素養は?」
「ない」
「一体どうするつもり? 誰かに作ってもらうなら、今度は大金が必要になるわよ」
次々とアルマに事実を突きつけられたティアナはすっかり涙目になっていた。苦笑いしているメイドの少女を鏡越しに睨む。
「うち、貧乏だし、俺、親に嫌われてるからお金があっても」
「はいはい悪かったって。男になる方法はこれから考えましょうね」
ようやく化粧を終えたアルマがティアナの頭頂部を軽く叩いて微笑む。メイドのご主人様は渋い表情を浮かべた。
「でもどうせなら、大金を用意して性転換の魔法を作ってもらう方法から考えない?」
「俺が馬鹿で魔法の素養がないからか?」
「それもあるけど」
「あるんだ」
「大金を用意できるほどあんたがお金持ちになったら、お金持ちがたくさん寄ってくるからよ! 類は友を呼ぶって言うでしょ! あたしの結婚相手の候補もついでに集めるの!」
「俺は蟻をおびき寄せる砂糖扱いか」
手を合わせてここではないどこかを見つめる自分のメイドにティアナは顔を引きつらせた。叶えたい願いは自分の夢と同レベルなんじゃないかと思ったティアナだったが、なんとか黙る。髪の毛を引っ張られて首かっくんされるのは嫌だからだ。
「そんなことどうでもいいじゃない! あたしとあんたの夢が同時に叶うのよ!」
「お前なら自分で金持ちになった方が早いんじゃないか?」
「前世ならそうしたんだけどね、こっちの世界は身分の低い女には厳しいの」
「そんな壁簡単にぶち抜きそうに見えるんだけどなぁ」
「こんなか弱い女の子がやっていけるほど世間は甘くないわよ」
「え? か弱い? あ、ごめん、待って髪の毛引っ張るのはもうやめて」
「あんたは口は災いの元って格言覚えていた方がいいわね」
上から目線で忠告されたティアナは面白くなさそうな表情を浮かべる。
「けど、金持ち相手だといいところ妾にならないか? それでいいの?」
「最悪はね。それがダメなら、頑張ってお金持ちになったあんたに養ってもらうけど」
「え、俺も射程範囲に入ってんの!?」
「ごめん無理。そのままの顔で男になったら間違いなく美形だけど、あんたはもう弟か息子枠確定だから。中身のことを知りすぎたのよね。そうじゃなくて、お金持ちになったあんたにメイドとして仕え続けるっていう意味よ」
「なんだそうか。俺もアルマのことはオカンのように、いってぇ!?」
またもや髪の毛を引っ張られたティアナが悲鳴を上げる。
「これをやるとまた手入れをしないといけないのよね」
「じゃするなよ! 首が鞭打ちになったらどうすんだ!」
「大丈夫だって、ちゃんと加減は心得ているから」
「そんなの心得なくていいよ! やるな!」
ティアナが必死に抗議するがアルマは薄ら笑いを浮かべるだけだ。
「はい、今朝はこのくらいでいいわね」
「アルマおなか空いた」
「ちょっと待ってなさい。朝ご飯今持ってくるから」
アルマがすぐに持ってきたのは固めのパンと水だ。そのパンを豪快にかじり、水で流し込む。生活に余裕のないティアナに優雅な食生活は夢の話だった。
「見てていつも思うけど、他人にはお目にかけられない食べっぷりよね」
「だってこんな固いパン丸々出されるんだもん。かみ千切って流し込むしかないだろ」
「外ではお行儀良く食べているんでしょうね?」
「そりゃもちろん。さすがに俺も最低限の体面は取り繕うぞ」
人に避けられるような噂をされているティアナだったが、だからといってやさぐれずに貴族子女としての礼儀作法は守っていた。
食べ終わるとティアナは立ち上がる。アルマが荷物を持った。
「ハンカチは持った?」
「うん」
「お手洗いは済ませた?」
「ごめん、ちょっと行ってくる」
少し考えるそぶりを示してからティアナが神妙な顔つきでその場を離れた。小さいため息をついてアルマがしばらく待つ。しばらくするとティアナが戻ってきた。
「すっきりした!」
「もういいのね? ほかに忘れ物はない?」
「ないよ! それじゃ改めて、出発!」
若干疑わしげな視線を送っていたアルマだったが何も言わない。
そうしてやっとのことで、ティアナは寄宿舎の自室から外に出た。
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