まさかの宮仕え

 精霊祭の余韻も薄れて王都にも日常が戻った頃、ティアナはラムペ商会で連日打ち合わせに追われて忙しかった。


 たった今ラムペとの話し合いを終えたティアナとアルマは、与えられた客室に戻って一息ついている。


「これでようやく一段落着いたな」


「まさかあんたが侍女としてあの王女様に仕えるなんてねぇ」


 ティアナがエルネスティーネと面会した翌日、ローザがやって来て主人の意向を伝えたのだ。最初は断っていたティアナだったが、最終的には押し切られてしまった。


 それ以来、可及的速やかにティアナがエルネスティーネの屋敷へと赴けるようにするべく、ローザが動き回った。それに付随して、ティアナも自分でするべきことを片付けるべく行動することになる。


「たまに話し相手になるだけだと思ってたのに、あっちは二十四時間そばに居させるつもりだったんだな。全然気付かなかった」


「あんたその辺りの見極め甘いもんねぇ。それで、処刑台に一直線な問題にこれから取り組むわけね」


「そんな言い方ないだろう。こう、もうちょっと穏便な言い方をしてくれ」


「処刑台案件だって自分で言い始めたんじゃない。今更何言ってんのよ」


 情けない表情を浮かべるティアナをアルマはばっさりと切り捨てる。


 がっくりと肩を落とすティアナに対して、アルマは質問を投げかけた。


「ところで、こっちから持って行くものは何かあるの? あたし達の荷物から」


「何もないよ。必要なものは全部あっちで用意してくれるって。私物や貴重品はアルマが預かっておいて」


「へぇ、衣食住や生活道具全部あっち持ちなんだ。大したものね」


「推測になるけど、俺達の持ってるようなボロい道具や服なんて使わせたくないんだと思う。ほら、主人の品位に関わるってやつ」


「あー」


 これは話し相手のローザからティアナが得た感触である。王侯貴族とは見栄っ張りなもので、部下にも自分にふさわしい装いをさせる必要があるのだ。


 ティアナの話を聞いて納得していたアルマだったが、ふと小首をかしげた。


「あれ、それだとあの指輪も置いていくの?」


「どうしよう? 正直なところ、使う場面を思いつかないんだよな。必要になると思う?」


「わからないのなら、嵌めておけばいいんじゃない? 損するものじゃないんでしょ?」


「損するかどうかはわからないけど、厄介なことになる気がするんだ」


 男性の好意を何倍にも増幅する『誘惑の指輪』をティアナは譲り受けている。以前これを身につけていた少女に苦しめられたせいで良い印象はないが、苦しめられていただけにその効果はよく理解していた。


 ただし、その効果が問題だ。男性の好意を何倍にもするということは、相手が自分に夢中になるということだ。いや、それ以上に狂ってしまうこともありえる。その実例を最近見ただけに、ティアナはこの指輪を易々と使う気にはなれなかった。


「嵌めるのは怖いから、持って行くだけにしよう」


「なくしたらどうするのよ」


「いやだって、嵌めたら指輪の効果が発揮されちゃうだろ」


「どうせ周りは女の子ばっかりなんでしょ。平気じゃない」


「男のお客が来たときに大変なことになるんだって」


 一瞬納得しかけたティアナだったが、以前レーラー侯爵が屋敷に来訪していたことを思い出した。かつて毎日のように通っていた修道院にも男性客がやって来ることがあったのだ。エルネスティーネの元へなど言わずもがなである。


 肩をすくめたアルマだったが、上から目線でティアナに感想を伝える。


「まぁ、これからどうやって稼ごうか困ってたんだから、ちょうど良かったんじゃない? これで侍女としての経験が身についたら、一つ働き口が増えるわよ」


「でも侍女だと就職先が限定されないか? どうせならメイドか使用人の方が」


「それができないから困ってたんでしょうに。あんた、あたしと同じ仕事ができる?」


 言われてみてティアナは思い出した。特に力仕事はさっぱりだったのだ。ある程度はアルマの仕事内容を知っているだけに、思い出してしまうとティアナは何も言えなかった。


 そして、不安そうにティアナはぽつりと漏らす。


「でもそうなると、侍女の仕事なんて俺に務まるのかなぁ」


「さぁねぇ。とは言っても、どう見てもコネ採用だから、その辺は侍女仲間から諦めてもらえるんじゃない?」


「うっ、仲間はずれの上にいじめられそう」


「あたしがいなくてもしっかり働くのよ? 助けてあげられないんだからね?」


「アルマぁ」


 情けない声を上げて自分に目を向けるティアナを見てアルマはため息をついた。


「そんな声出さないの。あたしはついて行けないんだから、仕方ないでしょ」


「アルマはどんな仕事をするのか決まったの? ラムペ商会で働くことは知ってるけど」


「帳簿関連の仕事を手伝うことになったわ。前世で経理と営業をやってたし」


「なんでその二つをいっぺんにやってんだ」


「うちは零細だったからね。しかも安月給だったから、人なんてきてくれなかったのよ」


 遠い目をしているアルマを見て、ティアナは何も言えなかった。自分の周囲にもかつてそんな話がたくさんあったからだ。


 暗い話はやめて、ティアナはこれからの話に切り替える。


「俺は明日エルネの屋敷に行くけど、アルマは明日から働くのか?」


「実のところ、もう帳簿を少しずつ見させてもらってるわ。複式簿記じゃないのがつらいわね」


 簿記のことはわからないティアナだったが、アルマが既に仕事を始めていることがわかって驚く。そして、何もしていないことに焦りが湧いてきた。


「そっか。それじゃ俺も早く働かないと」


「ああ、そう言えば、こっちじゃ初めての労働だったわね。頑張りなさいよ」


 アルマに言われて気付いたティアナは緊張してきた。しかし、今更取り消すことはできない。何度も大丈夫だと自分に言い聞かせながら、ティアナは自分を落ち着かせた。


-----


 翌日、エルネスティーネの屋敷からラムペ商会に迎えの馬車がやって来た。以前も使った貴人用の馬車だ。侍女枠の人物に使わせるものではないようにティアナには思えたが、そのまま返すわけにもいかなかったので乗り込む。


 以前と似た時刻にラムペ商会を出発し、エルネの屋敷に到着する。屋敷の玄関の前には、ローザが待っていた。


 停まった馬車から降りたティアナはローザに一礼する。


「これからお世話になります」


「ようこそ。ご主人様にお目通りする前に、身なりを整えましょう」


 今のティアナは旅装姿のままである。他の衣服がないので仕方ないが、さすがにこのままで働くというわけにはいかない。


 ほとんど表情を変えずに返答したローザに従って、ティアナは屋敷の裏手へと回る。さすがに今回は客人ではないので、正面玄関からではなく裏の勝手口からだ。


 そこで改めて疑問がもたげたので、ティアナは問いかけてみる。


「先程使わせてもらった馬車ですが、一介の侍女が使うものではないと思うんですが」


「メイドや使用人ならばそうでしょうけど、侍女の場合はその限りではありません。身分に応じて使用できます」


 侍女は王族と上位の貴族が採用している。その出身は自分達よりも下位の貴族だ。平民は採用されない。ちなみに、使用人は平民のみであり、メイドは貴族出身者と平民出身者のどちらもいる。


 そして、侍女も貴族である以上、貴人用の馬車を利用できる。ただし、複数台の貴人用馬車を所有している貴族は、主人用と配下用と分けるのが常だ。


「あなたは先月でご実家との縁は切れたものの、紹介状ではご令嬢扱いでしたので貴族子女として扱うのが妥当です。そして、我らが主人の幼馴染みでもあります。そういったことを加味した上での扱いです」


 紹介状がこんなところでも活きるとは思わなかったティアナは驚いた。重要だと認識はしていたものの、ラムペ商会以外でもこれほど効果があるとは思っていなかったのだ。ティアナは改めて紹介状を書いてくれた公爵令嬢に感謝する。


 勝手口から屋敷の中に入った二人はしばらく屋敷の中を歩く。そして、ある個室に案内された。狭く質素な部屋だが最低限必要な生活用具は揃っている。


 ローザはティアナに向き直り、一つずつ手で差してティアナに指示していく。


「そこにある桶に水が入っていますから、布を使って体を拭いてください。着替えはこの衣装棚にありますから、今私が身につけている衣服と同じものを着てください。私は一度ここを離れます。戻ってくるまでに済ませてください。あまり時間はありませんよ」


「わかりました」


 当面のやることがわかったティアナは、ローザが退室すると共に旅装を解く。厳密にあと何分とわからないのは厄介だが、どうせ時計がないので計りようがない。間に合わなければ待ってもらえばいいと開き直れば良いのだ。


 最初に体をきれいに拭いて、次いで服を着る。侍女用の地味な服だがメイド服ではない。そして、子爵令嬢だったときよりも生地も仕立ても良いことがわかって泣けた。


 内心で涙を流しつつも慣れない衣服に着替えて、ティアナは姿見鏡の前で身だしなみを整える。旅を始めてからはアルマに教わりながら一人で整えていたが、まさかそれがこんなに早く役立つとは思わなかった。


 一通り身なりを整えて他におかしいところはないか姿見鏡の前で確認していると、扉の向こうからローザの呼ぶ声が聞こえた。ティアナは深呼吸をしてから廊下に出る。


「お待たせしました」


「なるほど、及第点ですね。あとは追って直していきましょう」


 一通りぐるりとティアナの姿を確認したローザは、一つうなずくと採点結果を伝えた。基準がよくわからないティアナはとりあえず合格したことに安堵する。


 案内されたのはエルネスティーネの私室だった。ローザが扉越しに入試許可を得ると二人とも中に入る。


 室内は随分と質素だった。もっと飾り立てられたりぬいぐるみがあちこちに置いてあったりしているとティアナは予想したが、まったく外れていた。


 そんな部屋の中にある椅子の一つに座っていたエルネスティーネが、目を輝かせて立ち上がる。前回会ったときとは違い、足首まである白いワンピースを基調とした飾り気のない衣服だ。


「ティアナ姉様! ようこそお越しくださいました!」


 嬉しそうに声を上げてエルネスティーネが寄ってくる。


 最初が肝心と内心自分に言い聞かせて、ティアナは精一杯優雅に一礼してみせた。


「お久しぶりです。エルネスティーネ様。本日より侍女としてお仕えすることになりましたティアナです」


 ティアナの挨拶を聞いた瞬間、エルネスティーネは絶望の表情を浮かべてぴしりと体を固まらせた。


 新しいご主人様の想定外の反応にティアナは驚く。一体何が悪かったのか考えた。


「ティアナ姉様、どうしてまた他人行儀になさるのですか? 以前はエルネと呼んでくださったではありませんか!」


「はい?」


 一瞬何を言われているのかティアナにはわからなかった。ただ、今の挨拶がエルネスティーネにはお気に召さなかったことだけは理解する。


 ティアナはエルネスティーネに確認してみた。


「エルネスティーネ様はご主人様で私は侍女ですから、しかるべき態度で接したのですが」


「そんなの形だけですわ! 客人の立場では精霊殿に入れないので、侍女になっていただいているのです!」


「確かにその通りですが、だからといって奔放に振る舞うのは問題があります」


 今回のティアナの立場は非常に特殊だった。表向きはエルネスティーネが単に侍女を採用したというだけになっているが、それは精霊ウィンクルムを解放するためだ。だからエルネスティーネはティアナに前と同じ友人としての振る舞いを要求している。


 しかし、実際にはそうもいかない。屋敷にはエルネスティーネを頂点とした組織が存在する。例え仮初めだとしても、表向きは侍女としての体裁を整えるべきというのがティアナの考えだ。


 もちろんローザもティアナと同じ立場だが、エルネスティーネの心情も汲まなければならない。そこで一つ提案した。


「エルネスティーネ様、ご友人としての態度で接するのは、二人きりのときになさってください。他の侍女やメイドの前でなさると、ティアナの立場が悪くなってしまいます」


 あまりにも主人に寵愛される臣下は周囲の嫉妬を買いやすい。それがいきなり外部から入ってきた新参者なら尚更だ。ローザはそれを説明してエルネスティーネに自制を求めた。


「それは仕方ありませんわね。わたくしも、ティアナ姉様の立場を悪くしたくありません」


「ご理解いただきありがとうございます」


 口を尖らせながらも提案を受け入れたエルネスティーネにローザは一礼した。


 そしてエルネスティーネはローザに早速命じる。


「ならば、今からあなたは退室なさい。わたくしはかの者と二人きりになります」


「承知いたしました」


「え?」


 あっさりと主人の要求を受け入れたローザにティアナは驚いて目を向ける。てっきり今は顔見せだけで、これから色々と教えてもらうつもりでいたからだ。


「屋敷のことについてはあとで説明します。今はエルネスティーネ様のおそばに」


「は、はい」


 主人に一礼したローザはそのまますぐに退室した。これで二人きりである。


 エルネスティーネはティアナに飛びついてきた。


「ティアナ姉様がわたくしの侍女に! これでいつもご一緒ですわ!」


「精霊を解放するために、私を雇ったんですよね?」


 ティアナは質問してみるが返事はない。エルネスティーネは、上機嫌でティアナの胸に顔を埋めていた。

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