執着する者達

 アルベルト・レーラーは、人生において我慢をほとんど学ぶことがなかった。幼い頃から欲しいものは与えられたし、大きくなってからは強引にでも奪い取った。だからこそ、欲しいと思ったものはどうしても手に入れないと気が済まなかった。


 この日もレーラー侯爵はエルネスティーネの屋敷に乗り込んで婚姻を迫ったが、色よい返事はもらえなかった。レーラー侯爵にしてはかなり我慢している方だが、これは相手が格上の存在だからだ。でなければ、とうの昔にエルネスティーネを館へとさらっている。


 自分の館へと戻ったレーラー侯爵は日が暮れた今も機嫌が悪い。


「くそ、あの小娘め。こちらが下手に出ているからといい気になりおって!」


 やや痩せ型でちょび髭が特徴のレーラー侯爵が執務室を歩き回っている。使用人二人を折檻してある程度落ち着いたものの、それでも興奮は収まりきっていない。


「早く王女と結婚して、王位を狙える位置にたどり着かねばならんというのに」


 レーラー侯爵にとってこの世のものはすべて自分のためにある。本来ならば好きなようにできて当然と考えているのだが、侯爵という地位ではそれができない。だからこそ、王位を必要としていた。


 また、エルネスティーネと結婚すると、精霊石の巫女という地位が手に入るのも魅力的だった。貴族の中には精霊石に畏敬の念を抱いている者も多いので、巫女であるエルネスティーネに敬意を払っている者は多いのだ。その夫という立場は交渉で有利に働く。


「大体、あの小娘にとって、家柄も血筋も俺以上にふさわしい男などおらんというのに、何をごねているんだ」


 数は少ないながらもレーラー侯爵と同等以上の貴族は存在する。しかし、自分以上の人物は国内にいないと信じて疑っていないせいで眼中になかった。


「ああ、本当に世の中はままならない。俺が手に入れるとすべて丸く収まるというのに」


 人が聞けば、何を根拠にそんなことを言っているのかと不思議に思う発言だが、当の本人は心の底からそう思っている。今までこの考え方で生きてくることができたという事実も、レーラー侯爵がそう思い込む一助になっていた。


 そんな不満を持て余している中、ハルトヴィンが静かに入室してくる。


「お館様、アプト商会のベンノが面会を求めております」


「今あの豚の顔を見るなど、まぁいい。通せ」


 不安定な精神の主人から許可を得るとハルトヴィンは即座に退室する。そしてすぐに肥え太った体を揺らしてベンノ・アプトが入室した。


「夜分恐れ入ります、レーラー侯爵様」


「何の用だ。日が暮れてから貴様がやって来て、ろくな話をしたことがなかったな」


「これはいきなり手厳しい」


 もう暑くないというのに、なぜか吹き出す汗を上等な布で拭き続けるアプトは愛想笑いを続ける。レーラー侯爵に取り入ってしばらく経つため、接し方は心得ていた。


 機嫌の悪いレーラー侯爵の顔色を窺いながら、アプトは口を動かし続ける。


「今夜は、侯爵様に耳寄りのお話を持参いたしました」


「また儲け話か」


 レーラー侯爵の反応は良くないが興味は持ったようで、雰囲気が少し和らぐ。すかさずアプトは内容を説明した。北の国が不作で、南の国が豊作なので、作物を南方から北方へと送るための隊商に対する投資である。


 利益になるのなら何も言うことはないレーラー侯爵だったが、利益を得て当然と考えているために反応は薄い。ただ、こういった話を拒否したことはなかった。


「そこで、必要なだけの資金援助と国王陛下の通行の許可証をいただければ、この私めがレーラー侯爵の利益に貢献させていただくことができます」


「わかった。それは用意してやる。資金の証文と通行の許可証は後日取りに来い」


「はい。ありがとうございます!」


 汗を拭きながらアプトは精一杯頭を下げた。


 それを面白くなさそうに見ながらレーラー侯爵は口を開いた。


「それで、本題は何だ? こんな儲け話だけなら、昼間でもいいだろう」


「さすがはレーラー侯爵様。ご慧眼、恐れ入ります。実は、侯爵様のご威光にすがりたいことがあるのです」


 目を細めつつもレーラー侯爵は黙っている。それが話を先に進めても良い合図だと知っているアプトはお願いを続けた。


「以前からとある商会と商売で競合するようになりまして、これがなかなか手強いのです。今後、レーラー侯爵様にますます貢献するためにも、安心して商いに励めるようにお力添えをお願いしたく存じます」


「自分の力だけではどうにもならないから、この俺の力を借りるわけか。で、どこの商会なのだ?」


「ラムペ商会です。ここの邪魔がなくなれば、先程の資金援助の件もより一層貢献できるでしょう」


「有力な競合相手がいなければ、それだけ儲けが大きくなると言うわけか」


「ご賢察、さすがです」


 レーラー侯爵は少し瞑想した。やり方はいくつかあるが、問題はどの手段を選ぶかだ。


 自分に対して汗を拭きながら愛想笑いを続けているアプトの意見も聞いてみる。


「アプト、貴様はどのようなやり方がいいのか案はあるのか?」


「はい。実は、レーラー侯爵様なら簡単にできる方法を一つ」


 そう前置きをしてからアプトは概要を説明した。


 すべて聞き終えたレーラー侯爵はわずかに目を細めてアプトを睨む。


「最初から筋書きはできているではないか。早く言え」


「申し訳ございません」


「しかし、その案ならば確かに簡単にできるな」


「レーラー侯爵様、ラムペ商会の件、なにとぞよしなに」


「任せておけ。たかだか一商人など、この俺がひねり潰してくれる」


 アプトが再び深く頭を下げる中、レーラー侯爵は自信たっぷりの笑みを浮かべた。


-----


 ウッツは、倉庫街に倉庫の一つに潜り込んでいた。アプト商会が保有する倉庫で、山積みされた荷の間を縫うようにして進んだ先の一角である。日も暮れて人足も引き上げた後の倉庫は普通なら暗いが、この倉庫だけは積まれた荷の奥がぼんやりと明るい。


 更にその明るい場所からは男達の声が聞こえてくる。この溜まり場と化した倉庫内の一角に集まっているのは、ウッツとその仲間の男達だ。十人に満たない数であるが全員その雰囲気は堅気ではない。中には粗野な態度を隠そうとしない男もいた。


 もちろんアプト黙認の上で皆ここにいるのだ。裏家業の仕事は使用人を通してここで引き受け、報酬を受け取るのが常である。商会の本店は商人街の一等地にあるが、ウッツ達がそこへ行くことはまずない。そこは表の人間か身分の高い者達が足を向けるところだ。


 先日のラムペ商会襲撃の仕事をこなして以来、ウッツ達に仕事はなかった。皆が作業でうるさい昼間の倉庫で眠り、夜な夜な手にした報酬で遊んでいる。


 今晩も男達は既に起きて、これからどこへ向かおうか相談している。内容は酒か女か博打だ。誰がどれにするかで盛り上がっていた。


 そんな仲間の輪からウッツだけが外れていた。床に座って背を壁に預け目を閉じている。起きているのか眠っているのか判然としない様子だ。


 行き先の決まった体格の良い男の一人が立ち上がると、ウッツに声をかけた。


「おい、ウッツ、飲みに行こうぜ! とりあえず腹ごしらえしてから、次は女だ。三日前に行ったあそこにまた行きてぇ!」


「前にヤった女がそんなに良かったのか?」


「ハメたつもりが、ハマってんじゃねぇか!」


「ははは!」


 途端に周囲から突っ込みが入り、笑いが起こる。男は周りに一言「うるせぇ!」と怒鳴ると、再度ウッツへと向き直って呼びかけた。しかし、反応がほとんどない。


「おーい! なんだ、寝てんのか?」


「いや、起きてる。飲みに行くってか? よっと!」


 ようやく返事をしたウッツはのそりと起き上がる。伸びを一つして仲間の男に向き直った。肩をほぐして近づく。


 飲みに行く仲間を集めていた体格の良い男は、ウッツ以外に二人の男を集めると先頭を切って歩き出した。ウッツは最後尾に着く。


 倉庫を出て四人は繁華街へと足を向けた。王都の繁華街だけあって表通りには多数の飲み屋が軒を連ねている。しかし、ウッツ達のような裏の人間は、路地に入ったところにある店を使うことが多い。


 この夜もそうだった。倉庫街からほど近い繁華街の路地裏でやっている店に四人は入る。


 店内を見たウッツは眉をひそめた。化粧の厚い女給がやたらといる。


 表向き飲食店だが、この店の女給は春を売る女でもあるのだ。交渉が成立すると奥の個室へ連れ立って行くことになっている。


「おい、腹ごしらえだけじゃなかったのかよ?」


「次は女だとも言ったぜ?」


 ウッツの肩を叩いた体格の良い男は機嫌良く笑う。確かに話は聞いていたウッツだったが同じ店だとは思っていなかったのだ。


 諦めたウッツと他の二人は、体格の良い男が選んだ奥まったテーブル席に座った。近寄ってきた女給に適当な注文をすると雑談が始まる。


「はぁあ。寝て遊ぶのもそろそろ飽きてきたなぁ」


「おめぇ相変わらず飽きんのはえぇなぁ。まだ前の仕事から一週間経ってねぇぞ」


「体がなまってんなら、日銭稼ぎでもしてきたらどうだ?」


「人足の仕事か? バカ言え。んなちまちまと稼ぇでられっかよ!」


 男三人が好き勝手にしゃべる。特別な話がない限りはいつも大体似たような内容だ。


 女給二人が料理と酒を持ってきた。テーブルに置いて去る寸前に体格の良い男が女給の一人の尻をなでる。振り返った女給は男に流し目を送って去った。


「おい、まだ飲んでもいねぇぞ」


「気が早すぎるだろ」


「いいだろが。減るもんじゃねぇんだしよ!」


 言い合いながらも、三人は酒の入った木製ジョッキを取って飲む。一息つくと、並べられた燻製肉をあぶったもの、茹でたじゃがいもに塩をかけたもの、黒く硬いパンに手を出した。


 遅れてウッツも木製ジョッキを呷る。そして、大きく息を吐き出した。


「あ~やっとすっきりしてきた」


「お、ようやくお目覚めか、ウッツ。なんか考え事でもしてたのか?」


「次の仕事はいつ来るのかって考えてたんだよ」


「はは! 仕事熱心だねぇ!」


 体格の良い男が、笑い飛ばす。


 ウッツは特に気にした様子もなく、燻製肉を一枚手にしてそれを口に放り込んだ。


 実際のところ、ウッツは違うことを考えていた。以前やったラムペ商会襲撃のことを思い出していたのだ。あの仕事は成功だった。店先を荒らし、ラムペを痛めつけるのが目的だったからだ。そのため、成功報酬もアプト商会から手に入れている。


 しかし、ウッツがどうにも忘れられないことがあった。ラムペを殴っていたときに割って入ってきた女二人のことである。銀髪のやたらと美人な女がティアナ、もう一人の赤毛の名前は知らない。奉姫祭の会場裏で声をかけたのが始まりだったと思い出す。


 たかが女二人と見くびっていたウッツだったが、自分の攻撃は避けられ、どちらにも傷一つ付けられなかった。仕事に影響はなかったものの、思い返す度に眉をひそめてしまう。


「ナメられっぱなしってのぁ許せねぇよなぁ」


 木製ジョッキを口に付けながらウッツはつぶやく。馬鹿話で盛り上がっている三人には聞こえない。


 ラムペ商会関係者らしいので、いずれ高い確率で鉢合わせることになることはウッツもわかっていた。そのときは容赦なく痛い目に遭わせる気でもいる。


 しかし、それがいつになるのかはわからなかった。更に、次の仕事がラムペ商会関連かどうかもわからない。どうせなら、さっさと気分をすっきりさせたいとウッツは思う。


 そうなると、自分から仕掛けた方が良いのではないかという考えにウッツは至る。金にならないことなのでばかばかしいが、不意打ちの一つでも仕掛けて痛めつけてやれば、それで充分だろう。


 ようやく方針がまとまって気持ちが晴れてきたウッツは、湯気が立っている茹でたじゃがいもを一つ取って小さくかじる。塩気が利いていて旨い。


 そんな機嫌が良くなってきたウッツに対して、全然しゃべっていないことに気付いた体格の良い男が声をかけてくる。その手にはウッツと同じく茹でたじゃがいもが収まっていた。


「おい、おめぇさっきから何黙ってんだ?」


「なぁに、次の仕事に向けて、ちょっと体を動かしとこうかなって考えてたんだよ」


「はは! 仕事熱心だねぇ! あつっ!?」


 体格の良い男が、笑い飛ばしてから茹でたじゃがいも豪快にかじって吹き出した。他の男二人が迷惑そうに顔をしかめる。


 それを見ていたウッツは鼻で笑った。


「何やってんだ、てめぇはよ」


 燻製肉を一枚手にしたウッツはそれを口に放り込んだ。


 そして、とりあえず考えるのはここまでにして、自分も楽しむことにした。

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