初出仕

 ティアナの胸に顔を埋めていたエルネスティーネが満足したのは、しばらくしてからだった。ようやく解放されたティアナは一つため息をつく。目的を覚えているのか若干不安になる態度だが、ティアナは主従関係の体裁は維持すべきと主張した手前ぐっと我慢した。


 すっかり機嫌が良くなっているエルネスティーネは、笑顔でティアナに椅子を勧める。


「ティアナ姉様、こちらに座ってください。今日はたくさんお話をしましょう」


「承知しました、エルネ」


「まだ少し言葉が硬いですわ。前のようにお話ください」


「そんな、これ以上崩すと、普段のときについ親しく話してしまいそうで」


「わたくしは全然構いませんわ!」


 先程のローザとの約束を本当に覚えているのか、ティアナは内心首をかしげる。嬉しさのあまり今だけ舞い上がっているだけだと信じたかった。


 笑顔を引きつらせながらも、ティアナはできるだけ要望に応えるべく言葉を選ぶ。


「お茶の用意をいたしますから、先に座ってください」


「はい!」


 素直に席へ着くエルネスティーネを尻目に、ティアナは丸いテーブルに置かれたお茶の道具一式に手を付けた。普段アルマがどうやっていたのかを必死に思い出す。


 お茶一式はあらかじめ用意されていたものだが、湯だけがなかった。陶製の水差しに水は入っているものの、これではお茶を入れられない。不器用ながらも動いていた手がそこで止まる。


 その様子を見ていたエルネスティーネは楽しそうに笑った。


「ティアナ姉様、わたくしのお部屋では、こうしてお湯を沸かすのですよ」


 一体何をするつもりなのかとティアナが見守っていると、エルネスティーネは陶製の水差しをきれいな指で軽く弾く。するとしばらくして、水差しから淡い湯気が立ち上がった。


 驚いたティアナはポットに触れてみると熱かった。


「もしかして、魔法を使ったんですか?」


「そうです。水を温めることでしたらすぐにできますから、こうしていつも部屋に用意させてるのです。これでしたら、いつでもすぐに温かいものを飲めるでしょう?」


「すごいですね。まねできる方など、滅多にいらっしゃらないでしょう」


「ただ、普段はメイドに用意させますけどね。冬の真夜中にふと目覚めたときなどに、とても重宝してますわ。湯が沸くまで待つ必要がありませんから」


 ただでさえ魔法を使える者の数が少ない上に、それを極めた者など更に一握りしかいない。エルネスティーネの場合は完全に溢れ出る才能のおかげだろうが、十代半ばでこれほどとなると、将来は歴史に残るような魔法使いになる可能性があった。


 純粋に驚いているティアナを見て、エルネスティーネは満足そうな表情を浮かべる。


「ティアナ姉様、どうぞお使いください」


「ありがとう。本当に便利ね」


 ティーポットの蓋を開けて陶製の水差しを傾けると、確かに湯気の立つ湯が流れ出る。ティアナは改めて目で確認して驚いた。


 しかし驚いてばかりもいられない。ティアナは一度ティーポットを温めてから中のお湯を空の陶器の壺に捨てる。その後改めてお茶の準備をしてエルネスティーネに差し出した。


「どうぞ」


「ありがとうございます!」


 嬉しそうにエルネスティーネはティーカップを手にして口を付ける。そして目を細めた。


「とてもおいしいです!」


「ありがとう。私もいただきますね」


 どう見ても作法は及第点だろうと自覚しているティアナだったが、一口お茶を飲んでその良質な味に驚く。今まで自分が飲んだことのあるものとはまったく異なる世界が口の中に広がった。


 そんないちいち驚いているティアナをエルネスティーネは楽しそうに見ている。


 いささかの恥ずかしさからティアナは自分から口を開いた。


「さて、それでは今から何をお話しましょう。前に今までのお話はしましたよね?」


「そうですわね、何にしましょうか」


 ティーカップを置いたエルネスティーネは小首を傾ける。話題がたくさんありすぎて選べないのか、ぱっと思いつかないのか、エルネスティーネはすぐに口を開かない。


 そこで、ティアナが代わりに話しかけた。


「エルネは一年中ずっとこのお屋敷と精霊殿で過ごしているのですか?」


「ほとんどそうです。王城での式典くらいしか公式には外出しないですわ」


「ということは、非公式に外出することはあるんですね?」


「はい。精霊祭はその一つです。さすがにずっとお屋敷にいますと、息が詰まってしまいますから、たまには外出いたします」


 ティアナは奉姫祭の舞台に上がったことを思い返す。しかし、気持ちが落ち着いた今でも何をしていたのかはっきりと思い出せなかった。


「外出はいつでも望めばできるのですか? もちろん、外せないお仕事があれば無理なのはわかりますけど」


「面会や急な用件があるとき以外でしたら、割と自由ですわ。ただ、あまり抜け出すと皆に怒られてしまいますけど」


 いたずらっぽく笑うエルネスティーネを見てティアナが苦笑する。結構外出をしているように思えたからだ。


 しかし同時に、周囲は大変だろうなともティアナは思った。さすがに王女一人をお忍びさせるわけにはいかないからだ。何人もの臣下をぞろぞろと従えてお忍びをするところを想像してしまう。


「エルネを先頭に侍女やメイドが列をなしたお忍びになっていそうですね」


「違います! と言いたいところですが、ちょっとだけ当たっていたりするのがつらいですわね」


「え? そんなにたくさんお供を引き連れているんですか?」


「いえ、さすがに列ができるほどではありません! いつもローザ一人と護衛四人です」


 王女という地位を考えると妥当なのかもしれないが、ティアナのような下位貴族出身ではよくわからなかった。ただ、やはり感覚としては多いと思ってしまう。


「それで、平民にはばれていないのですか?」


「どうなんでしょう? 聞いたことがないのでわかりませんわ」


「直接問いかけるわけにもいきませんからね」


 お忍び中に自分の変装が大丈夫かなど聞くことはできない。せいぜい後日巡ったところを中心に聞き取り調査をこっそりするくらいだろう。


 ただ、ティアナは直感で平民にばれていると予想していた。いくら服装を同じにしても、見た目や立ち居振る舞いまでは変えられないからだ。更に、用意された服は絶対に平民が使う衣服よりも上等できれいに違いない。ティアナはそう確信していた。


 外出するときについては大体わかったティアナは、次に屋敷にいる間について尋ねる。


「逆に、来訪される方はどの程度いらっしゃるのですか?」


「来訪者ですか? そうですわね、以前は年に何回かあれば良い方でしたが、今は月に一度か二度くらいです」


「やはり大きくなるにつれて貴族社会とのつながりも増えてくるんですね」


「そうですわね。精霊石は王家の象徴ですし、命じられればその力を行使することもありますから。ただ、わたくしから何かを働きかけるということは、しないようにしています」


 それまで上機嫌だったエルネスティーネがため息をついて言葉を続ける。


「ですから、こちらに宮廷の争いが持ち込まれることはほとんどないのですが、最近は求婚のお話がちらほらとやって来るようになったのです」


「婚姻のお話が持ち上がるのは、子女として珍しいことではないですよね?」


「正式なお話でしたらですわ。わたくしの場合、精霊石の巫女を司っていますから、下手に嫁ぐとその先の貴族が力を持ちかねません。ですから、父上や兄上はわたくしの婚姻に消極的なんですの」


 意外な話を聞いてティアナは驚いた。てっきり王家は、エルネスティーネの婚姻をどう有効に使おうかと考えていると思っていたからだ。しかし、エルネスティーネの説明を聞いてティアナはなるほどと納得する。


 精霊石の存在をいかに重視しているかを知ったティアナは更に質問を重ねる。


「それでは、やって来るという求婚のお話というのは?」


「王家を通した正式なものではありません。下世話な言い方になってしまいますが、殿方の売り込みですわ。さりげなく勧められることもあれば、強く迫られることもあります」


「それはまた」


 かつての自分と重ね合わせたティアナは顔をしかめた。考慮対象の人物ならばまだしも、こういうときにやって来るのは自分にとって対象外の人物ばかりだ。端から見れば選り取り見取りで羨ましくとも、本人は辟易するばかりだということをティアナは知っていた。


「そのなかでも、特に先日のあの者など毎月懲りもせずやって来て、本当に迷惑ですわ!」


 すぐにレーラー侯爵のことだとティアナも思い至った。名前すら口にしないとは相当な嫌いようである。


 口を尖らせて不機嫌な様子のエルネスティーネを見て、まずい方向に話が向かったことをティアナは知る。すぐに別の話に切り替えようとしたが、先にエルネスティーネが口を開いた。


「けれど、ティアナ姉様はどうしてわたくしの外出や屋敷への来訪者を気にされるのです? 何かあるのですか?」


「ああ、えっと、実はですね、一つ厄介な指輪を持ってるんです。男性の好意を何倍にも増幅する『誘惑の指輪』というものなんですけど」


「なぜティアナ姉様がそんな物を持っていらっしゃるのですか!?」


 目を見開いてエルネスティーネが声を上げた。


 自分の望んだ方向ではないものの、とりあえず話題を切り替えられたティアナは安心する。エルネスティーネの驚きように自分も驚いたティアナだったが、ため息をついてポケットから指輪を取り出して机の上に置いた。


 銀細工の一見するとそれほど珍しくない指輪だが、内側には読み取れない文字が一面に刻まれていた。興味ありげに眺めていたエルネスティーネはその指輪を手に取って間近で見る。


「魔法の理論についてはまだ勉強の途中ですので、わたくしにはよくわかりませんわね。この文字もわたくしの知らない文字ですわ」


「そうですか。その指輪は以前お話した、王立学院で騒動を起こした子が持っていた物なんですけど、何かの役に立つだろうと餞別にいただいたんです」


「物騒な餞別ですわね」


「確かにそうなんですが、今の私には役に立ちそうな物は一つでも必要でしたのでお受けしたんです。ただ、それで身を滅ぼした例を先日見たばかりでしたので、使う気にはなれませんが」


「さすがティアナ姉様、賢明なご判断ですわ。便利だからといって道具を無闇に使うと身を滅ぼしてしまいますもの、その方のように」


 もう満足したらしいエルネスティーネは指輪を机に置いた。代わりにティーカップを手に取って口に当てる。


「それで、エルネの最初の質問に戻りますけど、もしこのお屋敷にほとんど来訪者がいらっしゃらないのならば、なくさないためにも指輪を嵌めておこうかと思ったんです」


「その考え方はどうかと思いますわ、ティアナ姉様」


 アルマの提案は実行できるのか質問してみたティアナだったが、エルネスティーネに一刀両断されてしまった。


 呆れた様子のエルネスティーネが、ため息をついてからティアナを諭す。


「少ないとはいえ、このお屋敷にも男の使用人がおります。それに、精霊殿の関係者にも殿方は多数いらっしゃいますし。わたくしの外出や屋敷の来訪者以前のお話ですわ」


「ですよねー」


「そもそも、身につけると同時に効果を発揮する類いの魔法の道具を、なくさないためにという理由で常時身につけるなどおかしいですわ。しかもその指輪の効果を知った上でなんて。ティアナ姉様に悪い虫が付いたらどうするんですか!」


「え?」


 次第に興奮してきたエルネスティーネの最後の言葉にティアナが首をかしげた。心配している事柄は同じでも、その方向性が異なるような気がしたのだ。


 エルネスティーネは咳払いをすると強引に結論をまとめる。


「ともかく、本当なら没収したいところですが、ティアナ姉様の持ち物ですからそうもいきません。ですから、普段は持ち歩くだけにとどめておいてください。いいですわね?」


「あ、はい」


 勢いでうなずいたティアナはなんとなくおかしな気がしたが、言い争っても勝てる気がしなかったのでおとなしく指輪をポケットにしまった。


 このままでは分が悪いと感じたティアナは話題を変える努力をする。


「エルネ、さっき言ってた精霊殿の精霊石は、いつ拝見できるのかしら?」


「ティアナ姉様はもうわたくしの侍女になられたので、同伴者ということでしたらいつでもお目にかけることができますわ。ああ、それならばいっそ、今から参りましょうか。そろそろお相手する時期でもありますし」


「急に来訪しても大丈夫なんですか? 精霊殿の方にあらかじめご連絡をしておかないと」


「巫女であるわたくしが来訪する分には、連絡は不要です。それが許される立場ですから」


 にっこりと微笑んだエルネスティーネは、ティーカップに残ったお茶の残りを飲み干すと立ち上がる。そして、目でティアナにも起立を促した。


 それを見て、ティアナもお茶を何度かに分けて飲み干してから立ち上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る