竜牙山脈
ライツン村で一日休んだティアナ達はいよいよ竜牙山脈へと踏み込んだ。
とは言っても、村からすぐに山の中へ入るわけではない。実のところまだ結構な距離がある。最初は緩やかに傾いた草原を歩かなければならなかった。
厄介なことに目的地は判然とせず、そのためどのくらい進めばいいのかすら不明だ。よって、三人とも大量の荷物を背負っていた。
肩に食い込む背嚢の肩ベルトに顔をこわばらせながらティアナが口を開いた。人目を気にしなくても良いことから、遠慮なく男の口調で話す。
「村で杖を調達したのは正解だったな。持ってなかったら剣を杖代わりにしてるところだった」
「村に着くまでの坂でも結構しんどかったものね。ただ、これだと不意打ちされたときに対処できないわよ。重いから荷物を下ろすのも一苦労なんだから」
「俺達の倍の荷物を背負ってるタクミはいつも通り動けるのにな」
「タクミは身体能力が突き出てるから仕方ないわよ。その分働いてもらいましょ」
二人の会話を聞いていたタクミは無言で苦笑する。
そんなタクミをよそにティアナとアルマは更に会話を続けた。
「それにしても、ここからは地図がないんだよな。どこに向かって歩けばいいのかさっぱりわかんねぇ」
「とりあえずひたすらまっすぐ奥へ向かうしかないんじゃない? あるいはウィンの指示通りに進むか」
「そうだな。ウィン、ここまで来たら故郷の正確な位置はわからないのか? こっちに違いないって前に言ってただろ?」
『近づいてるのは確かだよ。このまままっすぐ進んで!』
「わかった。俺達が間違った方向に進んでいたら教えてくれ」
『うん、任せてよ!』
ここ最近はずっと機嫌の良いウィンが元気よく返事をする。それを受けて、ティアナは今のやり取りについてアルマとタクミに説明した。
やがて草原の先に森が見えてきた。ただし、鬱蒼と生い茂ってはおらず、密度は中途半端だ。
迂回することもできないので三人はそのまま樹木の密度が低い森へと入る。足下の草の背丈が足首辺りから腰の辺りへと一気に伸びた。
ここでティアナはタクミに先頭を歩いてもらう。背嚢を背負った状態でまともに対処できるのがタクミだけだからだ。
「どうして草の背丈は平原よりも森の中の方が高いんだろうね?」
「俺に言われてもわからんなぁ。種類が違うんじゃないか? 見た目は同じっぽく見えるけど」
植物の種類など知らないティアナは首をかしげながら返事をした。最後尾のアルマも首を振るばかりである。
中途半端な視界の中を三人がたまに雑談しながら進んでいると、突然ウィンがティアナに話しかけてきた。
『何かに囲まれたよ。十くらい?』
「みんな止まれ。何かに囲まれたらしい。数は十くらいだそうだ」
「何かって何よ? 見えるのは草木ばっかりで動物は見かけないわよ?」
「いや、俺もそうなんだけど、ウィンが何かに囲まれたって言ってるから」
言われたことをそのまま伝えただけのティアナは、アルマに問われて自信なさげに言葉を返した。ただ、ウィンの探知は正確なので全員荷物を手早く下ろして円陣を組む。
三人とも剣を抜いてじっとした。たまに吹く風に揺られた草木のざわめき以外は何も聞こえない。
不安になったティアナはウィンに状況を尋ねて見る。
「ウィン、俺達を囲んでいる奴等はどうしてる?」
『近づいてきてるよ。木とか背の高い草の陰に隠れてるね』
「人間か?」
『違うよ。四つの足で歩いてるから、犬とか猫とかみたいなのじゃないかなぁ。あと、あんまり大きくないよ』
「アルマ、タクミ、俺達を囲んでるのは人間じゃないらしい。四本足で移動する生き物だそうだ。どんな生き物か想像つくか?」
「大きくないのなら熊じゃないのは確かね。あれは十頭も集まらないし」
「僕は狼のような気がする。というか、それしか思いつかないよ」
タクミの発言でティアナは思い出せなかった単語を思い出せて納得した。同時に餌として狙われているという想像をしてしまう。
どうしたものかと悩んでいると、目の前に灰色の毛並みをした狼が一頭だけ進み出てきた。そして、こちらに向かって一声吠えする。
正面の灰色狼を見据えたまま、タクミがティアナに声をかけた。
「ティアナ、あの狼吠えてからじっとしてるけど、何がしたいんだろう?」
「そんなの俺だってわからん」
『お前達は誰だって尋ねてるよ』
「言葉がわかるのか!?」
『言葉っていうより、言いたいことがわかるんだ』
灰色狼の行動にどんな意味があるのか悩んでいたティアナはウィンから助言を聞いて驚いた。
驚いて自分を見るアルマとタクミをよそに、ティアナはウィンへと更に話しかける。
「だったら、俺達はこの森を抜けて山に入りたいだけだって伝えてくれ」
『いいけど、外に出ないとできないよ』
「わかった。それじゃ外に出すぞ」
最近は自分の中にいることが当たり前になっていたので、ティアナはウィンが会話する方法をすっかり忘れていた。
自分への憑依を解くようにティアナが念じると、久しぶりにぼんやりと七色に光る半透明の鳥が姿を現した。
「久しぶりにあの姿を見たわね」
「そう言えば、ウィンって鳥の形をしていたんだっけ」
灰色狼の前に進み出るウィンを見ながらアルマとタクミがつぶやく。二人もその姿はすっかり忘れていた。
近づいてくる七色に光る半透明の鳥に警戒心を露わにした灰色狼は一歩下がる。
その狼にウィンから話しかけた。
「ボクはウィンクルム、精霊だよ。これから故郷に帰るところなんだ。キミは?」
問いかけられた灰色狼がまた一声鳴く。以後は二体の会話が始まった。
もちろんティアナ達は灰色狼が何を言っているのかさっぱりわからない。ただ待つしかなかった。
どのくらい話をするのかと三人が見守っていると、意外に早く終わりは訪れた。ウィンがティアナ達へと振り向くといつもの調子で声をかけてくる。
「通っていいって!」
「話がついたのか。って、あれ、あの狼はどこに行ったんだ?」
ティアナの意識がウィンへと向けられた間に灰色狼の姿が消えていた。どこを見てもその姿は見えない。
戸惑うティアナ達に対してウィンが状況を説明する。
「みんな離れていくね。襲われる心配はないよ」
「お前、話はできなかったんじゃないのか?」
「あの灰色の狼は特別だよ。だって人間に変化できるって言ってたもん」
ウィンの意外な発言に三人が驚く。本当にただの狼なのか疑っていたが、獣ではなく魔物だということがわかったからだ。
とりあえず危機を脱して安心したアルマもウィンに話しかける。
「よくあたし達を襲わなかったわね。狩りが終わった直後でお腹がいっぱいだったの?」
「餌をとるのはもっと遠いところだって。ここはねぐらとして使ってるだけって言ってた」
「どうしてそんな面倒なことをわざわざするのよ?」
「羊や山羊っていう食べ物がこの辺りにはいないし、近くの人里を襲うと人間がやってくるから危ないらしいよ」
「家畜を襲って生計を立ててるのね」
狼達の意外な生活を知ってアルマは絶句した。
今度は剣を鞘に収めたタクミが口を開く。
「話し合いができるなら、これからウィンには外に出ていてもらった方がいいんじゃないの? ティアナの中にいるとティアナ以外とは話せなくなるんだよね?」
「う~ん、そーだねー。ティアナ、どうする?」
「タクミに言う通りにしよう。無用な戦いが避けられるんなら、絶対その方がいいしな」
今までは他人の目を気にしていたこともあってティアナの中にウィンは隠れていたが、これからは人の目を気にする必要はない。ティアナはそれに気付いたのだ。
ともかく、当面の危機は去ったことを知ったティアナ達は、再び重い背嚢を背負って森の奥へと進んでいった。
-----
森の中で狼達と出会ってから三日が過ぎた。
既に森は抜け、現在ティアナ達は山の谷近くに沿って山脈の奥へと進んでいる。
足場はすっかり岩や石それに砂利などへと変わっており、足を踏み外すとはるか下方の谷底へと落ちてしまうので気が抜けない。
反対側の斜面を見ると、所々に生えている草を求めて鹿のような生き物が器用に飛び跳ねていた。
余裕のない状況でその様子を見て心を和ませていたティアナ達だったが、衝撃の瞬間を目の当たりにしてしまう。
なんと、大空から急降下してきた飛龍が鋭く丈夫そうな鉤爪でその獣を掴んで持ち上げたのだ。もちろん鹿のような生き物は抵抗するが、飛龍は気にすることなく去ってゆく。
「ここじゃ、空を飛べない奴は捕食対象かぁ」
「嫌なこと思い出させないでよ。ここに来てからずっと上が気になって仕方ないんだから」
「そうはいっても、実際に襲われた身としてはそう思うしかないだろ。なんにもできなかったんだし。ウィンがいなかったら今頃俺達全員あいつらの餌だったんだぞ」
言い終わってティアナが空を見上げると、青い空にちらほらと空を舞っている飛龍の姿が見える。しばらく見てから前へ向き直るとため息をついた。
谷近くに入った直後は何度も飛龍に襲われたティアナ達だったが、その度にウィンが突風を巻き起こして追い払っていた。さすがに何度も繰り返していると飛龍も学習したのか、襲ってこなくなる。ただし、諦めきれないらしく、ティアナ達の頭上を飛び回っていた。
先頭を歩いているタクミも不安そうに漏らす。
「飛龍も怖いけど、熊とか出てきてほしくないなぁ」
「熊か。確かにそれは嫌だな。でも、こんな食べる物がほとんどないところに住んでるのか? 森にいる印象が強いんだが」
「僕もそう思うんだけどね。ほら、地球だと白熊みたいに森以外でも住んでる熊がいるし。だったらこの世界に山に住む熊がいるんじゃないかなって」
「そう言われるとそんな気がしてくるな。何しろ地球にはいない飛龍なんているんだし。あれなんて地球だと恐竜扱いだぞ、絶対」
妙な自信をもって断言するティアナにタクミは苦笑しながらうなずいた。
不安を打ち消すために三人が話をしながら道なき道を進んでいると、ティアナから少し離れた空中に浮いていたウィンが声を上げた。
「もー危ないなー」
なぜウィンが声を上げたのかティアナ達はすぐに知る。
三人めがけて頭上の斜面から人の三倍以上もある蜥蜴が二頭も襲いかかってきたのだ。反応できない三人に代わって、ウィンが突風を巻き起こして蜥蜴を谷底へと落とす。
耳障りな鳴き声を上げて消えてゆく蜥蜴から目を離したティアナが、隣に浮いているウィンへ顔を向けた。
「ありがとう。助かった」
「ふふん、そうでしょ! もっと褒めてくれていんだよ!」
嬉しそうに羽を動かして喜びを表現するウィンにティアナは苦笑する。実態があれば頭を撫でることもできるのだが、現状では言葉をかけてやることしかできない。
ようやく衝撃から抜けたアルマが肩の力を抜いてからティアナに話しかける。
「あんなのもいるなんて思わなかったわ。こうなると何がいるのかわからないから、思った以上に危険よね、ここ」
「前人未踏の地だろうからな。何があるかなんて全然わからなく当然だと思うぞ」
「戦う準備なんて対人装備が中心だし、あたし達ってほとんど無防備よね」
「確かにそうだけど、わからないことに対して準備なんてできないから仕方ないだろ」
「その通りなんだけど、代償が自分の命だっていうのがね」
割に合わないと思っているのはティアナも同じだ。ウィンなしだと何回死んでいるかわからない。ただ、それでもウィンと約束した以上は進まないわけにはいかなかった。
ティアナとアルマが話をしているとタクミが声をかけてきた。
「前に岩が突き出したところがあるよ。あれ屋根替わりに使えるんじゃないかな?」
「お~、そうだな。日も傾いてきたし、今日はあそこで泊まろうか」
タクミ越しに前方へ目を向けたティアナもその地形を確認した。天候の変わりやすい山中で屋根替わりの地形を利用して雨風をしのげることは重要なことだ。
前に寄ってきたアルマもタクミが見つけた地形を見てうなずく。これで今日の宿泊地は決まった。
三人は次第に赤く染まっていく山肌に沿って目指す地形へと歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます