精霊の庭
竜牙山脈に入ってティアナ達は十日目の朝を迎えた。
必需品をぎっしりと詰め込んだ背嚢は日に日に軽くなっている。移動する分には歓迎すべきことだが、それは同時に活動期間が次第に短くなってきていることも示していた。
奥に進むほど難所が待ち構えていると警戒していた三人だったが、意外にもここまで大きな変化はない。ある意味拍子抜けしたとも言える。
しかし、それはウィンが外敵を追い払い続けたおかげだ。大蜥蜴をはじめ、大蛇、大猿、熊の他、空からは飛龍も襲ってくるのを三人だけで撃退するのは無理だっただろう。
朝食を用意して食べつつ、ティアナ達はいつものように雑談にふける。
首を鳴らしながらティアナが口を開いた。
「いい加減この景色も飽きたなぁ。どこまで続くんだろ」
「まったくね。ウィンが獣や魔物を追い払ってくれるから安心して進めるけど、移動するだけでも大変だものね」
「ティアナ、あとどのくらい進むつもりなの? 水はウィンが出してくれるとしても、食料は限りがあるよ」
「食料だけを考えるとなると、タクミがたくさん背負ってくれているからまだかなり進める。けど、問題は俺達の精神の方だな。この単調な行動にあとどれだけ耐えられるか」
返された言葉にタクミは黙る。そこまでは考えていなかったようで思案顔になった。何しろ帰りも進んだ分だけ歩かないといけないのだ。
そろそろ出発するというときになって、ティアナは近くをふわふわ浮いているウィンに話しかける。
「こっちの方角で合ってるんだよな? ウィンの故郷に近づいてるのか?」
「うん! もうそんなに遠くないと思うよ!」
「だったら今日こそ着いてほしいな。いい加減脚がつらい」
嬉しそうにその場で羽ばたくウィンをよそに、ティアナは脚をさする。杖を使いながら歩いているとはいえ、重い背嚢を背負って歩き続けているせいで疲労が溜まっていた。対策が功を奏して豆が潰れたり股擦れを起こしたりはしていないが、きついものはきつい。
今日も一日歩き続けるのかと考えて気が重くなった三人だが、小さいため息をついて歩き始めた。
しばらく歩いていると、ティアナ達は何かが微妙に変化していることに気付いた。
「霧が出てきた?」
先頭を歩くタクミの言葉にティアナとアルマは周囲へ視線を向けた。確かに白っぽいもやが立ちこめてきている。
その様子を見たティアナが眉をひそめた。
「まずいぞ。これじゃ迂闊に動けない」
「そんなことないよ! ボクについて来てよ!」
元気よくティアナに向かってウィンが話しかけてくる。その申し出はありがたいが、今問題にしているのは足場の方だった。足を滑らせる危険がある以上は簡単に動けない。
「ウィン、今俺達が問題にしてるのは、足下が見えないことなんだ。足を滑らせると谷底へ落ちてしまうだろ?」
「それじゃ見えるようにしてあげるね。えい!」
ウィンのかけ声と共に緩い風がティアナ達を囲み、三人の周囲だけ白いもやがかき消える。先は見通せないがこれなら足下を見誤ることはない。
「これなら歩けそうだ。それで、ここから先はウィンが先頭を進んでくれるのか?」
「うん、いいよ! ついて来て!」
嬉しそうに前へ出たウィンはそのままゆっくりと進んでいく。
続いてタクミ、ティアナ、アルマの順で歩き始めた。視界が限定されているため、ティアナ達はゆっくりと歩いて行く。
「みんな固まって行動しよう。霧みたいなのが更に濃くなってきた」
「間隔を開けたままだと絶対はぐれるわよね。っていうか、あたし達の周り以外は白い壁みたいになってるじゃない」
「本当にこっちでいいの?」
不安を口にしながらティアナ達は一塊になってから再度進んだ。
限られた範囲以外はまったく見えないにもかかわらず、ウィンの姿だけはっきりと見えるのは頼もしくもあり不思議でもあった。
陽光が届いているかもわからない中、ティアナ達がウィンに従って歩いていると急に視界が晴れた。自分達がどこにいるのかわからない不安から周囲を確認しようとした三人だったが、目の前にいる巨大な爬虫類型の魔物を認識して固まる。
「え、竜?」
「わーい、クストス! 久しぶり~」
「しばらく見ないと思っていたら、お前はどこに行っていたんだ、ウィンクルム」
ティアナのつぶやきはウィンとクストスという竜の会話にかき消された。アルマとタクミは声も出ない。
よく見ると背中に飛龍の翼を巨大にしたようなものが一対折りたたまれている。頭部の造形は凶悪そのもので、噛みつかれたら即死することはすぐに想像できた。
そんな存在がティアナ達へ目を向けている。正確にはウィンにだが、それでも充分に威圧的だ。一方、知り合いらしいウィンは気さくに話しかけている。
「えへへ、ちょっと人間に捕まってたんだ」
「なんだと? お前はのんきすぎるから注意しろとあれほど忠告していたというのに。いや待て、ならばここまでどうやって戻ってきたのだ?」
「ティアナに助けてもらったんだ! それで好きに動けるようになって、ここまで連れてきてもらったんだよ!」
「お前の後ろにいる人間共か」
言葉と共にクストスの意識がティアナ達に向けられる。圧迫感が強くなった。
何を話して良いのかわからなかったが、とりあえずティアナは一歩前に出て礼をする。
「初めまして。ティアナと申します。背後の二人は、メイドのアルマと護衛のタクミです」
「儂はここに住まうクストスだ。友を助けてもらったことは感謝する」
人間には興味がないようで、挨拶が終わるとクストスの意識はすぐにウィンへと向けられた。ため息をついてからウィンへと言葉を投げかける。
「ともかく、戻ってこれたのは良いことだ。これに懲りておとなしくしておくのだな」
「えー」
「何がえーだ。お前は気ままにうろつきすぎだ。また人間に捕まりたいのか?」
「はーい」
不満丸出しの態度でウィンが返事をするとクストスは再びため息をついた。
そんなクストスの態度など見ていないという様子でウィンは話す。
「それじゃ、ボクは行くね。ティアナ、こっちだよ!」
「おい待て。そこの人間共も連れて行くのか?」
「そうだよ。どうしたの?」
「どうしたのではない。自分が何を言っているのかわかっていないだろう。精霊の庭に人間を入れようとしているのだぞ?」
「悪い人間だったらもちろんダメだけど、ボクを助けてここまで連れてきてくれたティアナ達だったらいいじゃない。みんな良い人間だよ?」
「良い悪いという話ではなくてだな」
「それに、このまま返しちゃうとティアナ達が死んじゃうじゃない」
当然のようにウィンが指摘したことでティアナ達も思い出す。帰りにウィンがいないとなると、この山脈内を踏破できるとは思えなかった。
まずいことに気付いたティアナ達をよそにウィンとクストスの会話は続く。
「それがわかってるのなら、なぜここまで連れてきたのだ。山の手前で追い返せばよかっただろうに」
「だって、別に中に入れてもいいと思ったんだもん」
「百歩譲ってそれを認めたしても、あの者達が帰るときはどうするのだ? やはりお前なしでは帰れないではないか」
「あれ?」
クストスに重要な点を指摘されたウィンは首をかしげる。
しばらく悩んでいたウィンだったが、結論が出たらしく再び話し始める。
「それは後で考えるね! それより、ボクは早く帰りたいからティアナ達も連れて行くよ」
「お前はいつもそうだな。たまには最後まで考えたらどうなのだ。もういい。そんなに言うのなら連れて行け。あちらで怒られても儂は知らんぞ」
「不安になるようなこと言わないでよー」
呆れ返ったクストスはウィンの言葉を無視して目を閉じる。それきり反応しなくなった。
何度か話しかけて返事をもらえないことを理解したウィンがティアナに振り向く。
「寝ちゃったみたいだね。行こっか」
「たぶん寝たわけじゃないと思うけど、ついて行っていんだよな?」
「うん。クストスもいいって言ってくれたしね!」
それはどうかなと思いつつもティアナは黙っておく。ここで立ち往生するわけにはいかないのだ。
ともかく、ウィンの言葉を信じてティアナ達は巨大な竜の脇を抜けて更に奥へと進む。
ここから先には霧が発生しておらず、足下もしっかりとしていたので安心して歩けた。しかし、山の谷間を歩いているには違いない。
自分のすぐ前を移動しているウィンにタクミが声をかける。
「ウィン、あとどのくらい歩くのかな?」
「もうすぐ! ここを抜けたらボクの故郷だよ!」
いつにも増して上機嫌なウィンの返答にタクミは曖昧な表情を見せる。そのもうすぐがどのくらいか知りたかったのだが、察してもらえなかったのだ。
それでも今日中にたどり着けるという気は皆がしていた。
数時間後、大体の見当をつけて昼食を食べて更に歩いていると変化が現れた。球体の半透明な精霊の姿を見るようになったのだ。
「これは、精霊石の部屋みたいだな」
「それってウィンが閉じ込められていた石があった部屋よね?」
「ああ。大小数え切れないほどの丸い精霊がいたんだ。あれと似ているっていうよりも、あの部屋がこっちと似てたんだろうな」
「うわぁ、僕この景色初めて見るよ」
話をしながら三人が歩いているとついに視界が開けた。
強い光に目を細めながら見た光景は一見するとどこかの森や草原のようだ。しかし、そこには至る所に球体の精霊が漂っている。
「うわぁ、帰ってきた!」
ウィンは故郷に戻れて喜びを爆発させた。長い間囚われていたことを知っている三人は、その様子を見ても微笑むだけで何も言わない。
しばらくウィンが喜ぶ姿を眺めた後は、三人とも再び周囲の景色を見渡す。
周囲を山脈で囲まれ、森や平原、それに川や泉が点在する自然溢れる場所だ。緩やかなすり鉢状の盆地らしく、中央ほど低い。その中心地に一本やたらと高い木が立っていた。
一通り風景を見てティアナが漏らす。
「別にこれといった想像はしてなかったけど、なんていうか、精霊が漂っている以外はどこにでもあるような風景だな」
「あの盆地の真ん中にある背の高い木が目立つくらいよね」
「ウィンみたいな精霊ばっかりだから、家みたいな人工物は作れないんだろうね。必要もなさそうだし」
三人が景色を見たり話をしたりしている間も、球体の精霊は思うままに漂っている。三人の体を当たり前のようにすり抜けてもいた。
そこまでぼんやりと考えていて、ティアナはあることに気付いた。
「俺達はこれから何をどうすればいいんだ?」
「観光でもって思ったけど、ここじゃ何もなさそうだものね。何日か歩き回ってみる?」
「タクミは何かしたいことがあるか?」
「え? ここで? う~ん、どうしよう。何もなさそうだもんなぁ」
当初ウィンと約束した故郷に帰すという目的はこれで果たしたので、今のティアナ達はやることがなくなった。帰るにしても簡単ではないので実は地味に頭を抱える状況だ。
「とりあえず、ウィンが満足するまでここで待つしかないな」
「何日間かほったらかしにされるかもしれないわよ?」
「まぁそれも我慢するしかないだろ。幸い食料はあるから、しばらくは放って置いてやるべきだと思う」
「久しぶりの帰省だものね」
ティアナと話をしていたアルマが苦笑いした。
そんな二人の様子を見ていたタクミがぽつりと漏らす。
「僕達のことうっかり忘れて精霊の世界に戻っちゃう可能性はないの?」
「え? それは、あー」
まさかそんなと言おうとして、ティアナは口を閉じた。あり得ることを理解してしまったからだ。なんと言おうか言葉を探す。
沈黙した二人に対してアルマが話しかける。
「もしものときは、さっきのクストスっていう竜に相談しましょう。嫌がられるでしょうけど、他に手段はなさそうだし仕方ないわ」
「だったら、誰か話せる人がここにいないか探してみようか」
完全に思いつきではあったが、何もしないよりはましだとアルマとタクミも賛成した。
話がまとまったところで三人は再びウィンへと目を向ける。今は縦横無尽に空を飛んでいた。
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