人里との境

 陽光をいっぱいに受けて葉を青くする草木の中、細い道が西から東に向かって延びていた。その道の東端には北の端から南の端まで竜牙山脈が横たわっている。


 防具を身につけ、その上から背嚢を背負ったティアナ達はその道を東に向かって歩いていた。


「予想はできたけど、こうやって歩くのはかなりきついな」


「今からそんなんでどうするの。これから山を登るのよ?」


 周囲に他人がいないことを良いことに、ティアナはすっかり男の言葉で弱音を吐いていた。アルマがそれに言葉を返すが顔には若干の疲れが表れている。


 そんな二人の様子を見ながらタクミがため息を漏らした。


「乗り物が捕まらなかったのは痛かったなぁ」


「こっち方面に行く隊商がいないのはわかってたけど、村人の荷馬車も捕まらなかったなんてのは予想外だったわ」


「こんなことなら、前の馬車の契約を解除しなければよかったよね」


「あの馬車はゲトライデンから東へは行かないから無理よ」


 アルマの説明を聞いたタクミは再度ため息をつく。


 専属の馬車ならばともかく、各都市で雇う馬車には移動範囲がある。これは御者にも生活基盤があり、そこからあまり遠くへは行けないからだ。


 二人の会話が途切れたところでティアナがアルマに顔を向ける。


「ライツン村だっけ? そこまであとどのくらいだった?」


「予定では今日中に着くはず。今のところは予定通り進めてるから心配しなくてもいいわ」


「山に登る前から予定が狂うのはごめんだな」


 とりあえず安心したティアナは再び前を向いた。


 その前方には次第に大きくはっきりとしてきた竜牙山脈が見えてくる。まるで竜の口に並ぶ歯のような形に見えることから、自然とこのように呼ばれるようになった山々だ。


 次第に疲労でぼんやりとしてくる頭をティアナは動かす。


「色々と伝説やおとぎ話の題材になっているみたいだけど、実際はどうなんだろうなぁ」


「精霊の話も確かにあったけど、神様の話の方が多かったわよね。あんまり精霊の故郷っていう感じはしないんだけど」


「でも、行かなきゃわからないっていうのが困るよね」


 ティアナに続いてアルマとタクミも話に乗ってくる。


 旅の途中でも情報を集めていた三人だったが、手に入れられたのはどれも昔話の類いだった。きちんとした検証はまったくできていないのでどうしても不安が残る。


 それでも手に入れた情報の中から、ここではないかと思われる場所に現在向かっていた。その人里の限界地点がライツン村だ。


 背嚢を背負い直したアルマが独りごちる。


「山の中で倒れないためにも、最後に村でしっかりと休んでおかないとね」


「そう言えば、村の宿ってどんなのかな? 民宿みたいなの? 僕、村って街道沿いのところしか行ったことがないからよくわかないんだ」


「意外と都会っ子だったのね、あんた。あんまり期待しない方がいいわよ。街道から外れてる村だと、宿屋なんてないのが当たり前だから」


「マジで!? けどそれじゃ、村に来た人はどこに泊まるの?」


「そもそもよそ者なんて滅多に来ないから、宿屋なんて商売として成立しないのよ」


 意外な事実にタクミが驚く。説明したアルマもこれからのことを考えると良い気分ではないが、落ち込んでも現実は変わらないので諦めていた。


「ティアナは知ってた? これから僕達どこに泊まるの?」


「話には聞いたことがある。どこに泊まるかだけど、こういうときって大抵村長の家だよな。村で大きな家だし」


「よかった。野宿するのかと思っちゃったよ」


 とりあえず家の中で休めると聞いてタクミが安心した。ところが、アルマが横から口を挟んでくる。


「どうかしらね。排他的なところだと納屋とか馬小屋なんかに案内されることもあるわよ」


「なんで!? 一日くらい泊めてくれたっていいじゃないの?」


「相手からしたら、よそ者なんてどこの馬の骨かわからない不審者なのよ。家に泊めて夜中に襲われたら大変でしょ?」


「僕達そんなことしないのに」


「相手にはそれがわからないのよ」


 犯罪者と決めつけられる可能性を伝えられたタクミは衝撃を受けた。根が善人なタクミはしょげかえる。


 その様子を見たティアナがアルマに顔を向ける。


「で、ライツン村ってそんなに排他的なところなのか?」


「どうかしらね。調べた範囲だと特に変な噂は出てこなかったから、平均的な村なんじゃないの?」


「その平均的ってのがくせ者なんだよなぁ」


 自分の常識が他人の常識だとは限らないことをティアナはよく知っていた。つまり、実際に行ってみないとわからないということだ。


 一抹の不安を抱えながらも一行はひたすら東へと道を進み続けた。


-----


 それまで平坦だった道が気付けば上に傾き始めた頃にひなびた村が見えてきた。村の周囲の畑には働く村人が点在している。


 たまたますれ違った村人に若干警戒されつつも、三人はどうにか村長の家を聞き出して村内に入った。あまり裕福でないことは見てすぐにわかる。


 村長宅では、これから昼の仕事に出かけるところだった村長とティアナ達はちょうど出会えた。ティアナは呼び止めて自分達の要望を伝える。


「初めまして。実はこの先にある竜牙山脈に向かうのですが、今日と明日、この村に泊めてもらえませんか?」


「あんたみたいな良いとこ出のお嬢ちゃんが、竜牙山脈に入るだって? あそこは獣や魔物がうろついてる危ない場所だぞ。一体何をするつもりなんだ?」


「ええと、その、魔物なんかの生態系を調査するためです」


 自分達の事情を聞かれることを考えていなかったティアナは即興で理由をでっち上げた。もちろんいきなりのことなのでアルマとタクミは目を丸くしている。


 村長の表情は、警戒心、好奇心、そして困惑の三つがない交ぜになった微妙なものとなった。しばらく考え込んでいた村長は慎重に返答する。


「こんなお嬢ちゃんにそんな危ないことをさせるなんて、都会もんの考えることはわからんねぇ。まぁ、うちの納屋でいいなら、泊まっていくといい」


「ありがとうございます」


「ただ、見ての通りわしらは貧しくてな、分けてやれる物がない。納屋で泊まるのは無賃でいいが、食い物なんかは金を払ってくれ」


「わかりました。何かあるときは村長さんにご相談しますね」


 多少戸惑いながらも滞在を許可してくれた村長にティアナ達は一礼した。


 案内された納屋の中は三人が予想していたよりも広かった。農耕機具の他に一面に麦わらの束が積んである。


 村長が麦わらの束を指差してティアナ達に話しかけてきた。


「寝台は、あの麦わらを使って作ってくれ。使い終わったら元に戻してもらうが」


「承知しています。周囲にある道具にも触りません」


「そうしてくれ。壊されるとかなわないからな」


 説明が終わると村長が先に納屋から出た。


 残された三人は互いに顔を見合わせる。まずティアナがよそ行きの話し方をやめた。


「埃っぽいなぁ」


「農家の納屋なんてこんなものよ。それにしても、麦わらの束を使わせてもらえるのは幸運だわ。荷物を下ろして、まず寝床を作りましょ」


 生活感溢れることが得意なアルマに促されて、ティアナとタクミは麦わらの束を床に並べ始めた。乾燥した束から麦わらの細かい粉末と埃が微妙に舞って鼻がむず痒くなる。


「これはたまらない、くしゅん」


「埃が舞うからゆっくり運びなさいよ。あと、あっちの新しい方から束を取って。古いやつよりも弾力性があるから」


「どうしてこんなにたくさんあるの?」


「畑に肥料代わりに撒くからよ。細かく切ってね。あとは帽子の材料にもなるのよ」


「麦わら帽子だね!」


 埃でくしゃみを繰り返すティアナをよそに、アルマとタクミが楽しく話をしながら麦わらの束を並べてゆく。それが終わると外套を広げて上に敷いて即席の寝床を完成させた。


 できあがった三つの寝床を見てアルマが満足そうにうなずく。


「二人共お疲れさま。これで夜のことは心配しなくてもいいわね!」


「くしゅん。二人共よく平気だな。埃っぽくないのか?」


「こんなの仕事をしてたら当たり前よ。慣れたわ」


「僕は、何でだろう? どうも平気っぽいね」


 腰に手を当てて上機嫌のアルマと不思議そうに首を傾けるタクミをティアナは少し恨めしそうに見る。


 寝台を作り終えた三人は一旦納屋の外に出た。空はまだ青い。今は日々日足が長くなる時期なのでまだ日没には時間があった。


 何とはなしに三人とも東にそびえ立つ竜牙山脈を眺める。二日後に向かう山々だ。


「わかってはいたけど、目の前で見ると大きいなぁ」


「これ、入っていって大丈夫なのかな?」


「危険はたくさんあると思うぞ。村長さんも獣や魔物が出てくるって言ってたからな」


「あーうん、それはわかってるんだけどね」


 ティアナから正論を返されたタクミは多少戸惑いながらうなずく。


 二人の様子を見ていたアルマがティアナに問いかけた。


「それで、ウィンの故郷はこっちの方角で合ってるのよね? 山に入ってから違いましたなんて嫌よ?」


「俺もそれは嫌だな。ウィン、これからこの山に入るけど、本当にこっちの方角で正しいんだよな?」


『うん! 間違いないよ! 絶対この先だよ!』


 思った以上に浮かれているウィンの反応に驚いたティアナだったが、とにかく進んでいる方向が正しいことはわかった。


「どうも正しいらしい。やっぱり山脈の中に入らないといけないわけだ」


「今まで平坦な道をを進んで来たけど、いよいよ簡単にいかなくなったわけね」


「ウィンがそう言うんだったら合ってるんだろうけど、外れだったら嫌だなぁ」


 前に進むことが物理的に難しくなることに、三人とも少し腰が引けている。唯一ウィンだけが元気だ。先程からティアナの中で暴れていた。


 先程から自分の体の中で喜びを体いっぱいに表現しているウィンに対して、ティアナはふとした疑問をぶつけてみる。


「そうだ。ウィン、お前は竜牙山脈にいる獣や魔物と会話ができるか?」


『え、会話?』


「今までは遭遇したら戦うか逃げるかのどちらかだと考えていたけど、ウィンが話せるのなら交渉できるんじゃないかって思ったんだよ」


『どうなんだろうね? 考えたことなかったなぁ』


「前の洞窟では駄目だったけど、故郷に近いここなら話ができそうに思わないか?」


『うーん、わかんないなぁ。一回試してみる?』


 あまり興味のなさそうな様子のウィンが首をかしげながら返事をした。この様子だと期待はできないとティアナは肩を落とす。


 そんなティアナの様子を見ていたアルマが声をかけてきた。


「どうだったの? 何か駄目そうな感じがしてるけど」


「ああ。今回も期待はできなさそうだ。獣や魔物と遭遇したら、真面目に戦うか逃げるかしないといけないな」


「やっぱり。うまくいかないわねぇ」


 返事を聞いたアルマも肩を落とした。


 次は足下を気にしているタクミがティアナに話しかけた。


「新しい靴には慣れた? 踝は以前よりましになったけど、僕はまだ少し痛いんだ。こんな状態で山に入っても大丈夫かな?」


「実は俺もまだ少し痛いんだ。これが靴擦れにならないか不安で仕方ないよ」


「ティアナもやっぱり同じなんだ! 布をテーピングみたいに巻いてるからこの程度で済んでるんだと思うけど、他に何かいい方法はないかなぁ」


「そんなに不安なら、ワセリン代わりのあの薬でも足に塗っておく?」


「え~、あれ結構きつい臭いがするから塗りたくないんだよね」


 アルマの提案を聞いたタクミは嫌そうな表情のまま顔を背けた。


 今回は長距離を歩くため、ティアナ達は潤滑剤代わりの塗り薬を用意していた。期待通りの効果を発揮してくれたのは良かったが、独特な臭いがして困っているのだ。


 その点を心配しているタクミがぽつりと漏らす。


「この臭い、獣や魔物を寄せちゃわないかなぁ?」


「それは不安だけど、ないと俺達の内股が大変なことになるからな。使わないわけにはいかない」


「悩ましいよねぇ」


 改めてどうにもならないことを知ってタクミが頭を抱えた。


「ともかく、今更変更なんてできないからこのまま進むしかないぞ」


「そうだね。行けるだけ行くしかないか」


 ティアナの言葉にアルマがうなずく。


 三人は再び竜牙山脈へと顔を向けると、しばらくその山々を眺めた。

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