第5章 Return
第5章プロローグ
馬車を二度乗り換えてティアナ達がたどり着いたのは、穀物の売買で発展したゲトライデンという都市だった。現在は物資の集積地として栄えている。
都市の大きな防壁を馬車の中から眺めながらティアナが息を吐き出した。
「やっと着いたぁ」
心の底から絞り出すように吐き出されたその言葉にアルマとタクミは苦笑する。
追い出されるように前の都市を出発して一月半の間、三人はほとんどを馬車内で過ごしていた。座布団のような緩衝材があっても座りっぱなしはつらいのだ。
参加させてもらっている隊商の最後尾からゲトライデンに入ると、三人の耳に喧噪が入ってきた。交易が盛んな都市ならではの活気に全員が目を大きくする。
「大っきい荷物を背負った人が多いよね」
「行商人よ。昼の今頃この道を歩いてるってことは、ここで商売をするなら明日以降ね」
ティアナとは反対の窓から馬車の外へと目を向けたアルマとタクミが言葉を交わした。他の都市や町でも商売人は見かけるがゲトライデンではその割合が高い。
話をしながら三人を乗せた馬車は倉庫街にたどり着く。
馬車を降りるとティアナとアルマは隊商を率いていた商人へと近寄った。使用人に指示を出していた商人がティアナに快く会ってくれる。
「お嬢さんともここでお別れだな。竜牙山脈に行くのなら、ゲトライデンは最寄りの大都市だ。ここからは歩きだったかね?」
「はい、お世話になりました。馬車の荷物を倉庫に置きたいのですが、預かってもらえるところはありますか?」
「歩きだと馬車の荷物は邪魔になるからな。わかった、知り合いの倉庫屋を紹介しよう」
「ありがとうございます」
相談に乗った商人は、個人の荷物も預かってくれる貸倉庫を営む人物をティアナに紹介してくれた。更に近くだからと案内役の使用人も一人付けてくれる。
交渉を任されたアルマが使用人と立ち去ると、ティアナはしばらく商人と雑談をしてから自分の馬車へと戻った。
馬車の横で御者と荷物番をしていたタクミが声をかけてくる。
「荷物を置ける場所って決まった?」
「今、アルマが近くの貸倉庫へ行って話をしてくれてます。しばらく待っていましょう」
返事をしたティアナは御者に顔を向けてねぎらいの言葉をかける。隊商と同様にこの都市で別れるので御者も笑いながら今までの旅を振り返った。
戻ってきたアルマが御者に指示をしてからティアナとタクミへ顔を向ける。
「お嬢様、話をつけてきました。行きましょう」
この手の交渉に慣れているアルマが二人を促して馬車に乗り込んだ。軒を連ねる倉庫は一見すると似たり寄ったりの見た目だが、馬車はアルマの指定した倉庫の前で停車する。
すぐに外へ出たアルマが貸倉庫の主を見つけて話を始めた。続くタクミは馬車から荷物を下ろしゆき、やって来た貸倉庫の使用人が倉庫へと運んでいく。
最後にティアナが馬車を降りると、戻ってきたアルマに話しかけてきた。
「随分と手際が良いですね」
「そりゃ最初に段取りを決めておきましたからね。別にお嬢様が降りてくる必要はなかったですよ?」
「ずっと馬車の中にいるのは窮屈ですから」
その気持ちがわかるアルマは苦笑いで返した。
寄ってきた貸倉庫の主とティアナが挨拶をしている間に荷物の運び込みは終わる。馬車に残った荷物は、武具以外だと徒歩で持ち運べる程度の荷物だけだ。
再び馬車に乗り込んだ三人は動き出す車内で雑談を始めた。タクミが小首をかしげて疑問を口にする。
「お金の大半も倉庫に置いてきたけど、あれって良かったの?」
「あんな重い物持ち運べないからいいのよ。それに、これから山の中に入るんだから、持っていても仕方ないでしょ。買い物に必要な分は持って来てるわよ」
「宿で鎧を着た後は、入れ物をあの倉庫に持っていくんだよね? 今日中なの?」
「持っていくのはいつでもいいわ。それも話はしてあるわよ」
タクミの問いかけに一つずつ答えていく優秀なメイドを見てティアナは満足した。これだと明日からも大丈夫だと安心する。
しかし、そこで重要なことを思い出してティアナはアルマに本来の口調で問いかけた。
「どこに泊まるのかまだ決めてないよな? この馬車ってどこに向かってるんだ?」
「宿屋街よ。これから宿屋を回って決めるの。かさばる武具があるから、馬車を使った方が便利でしょ」
「そうなると、宿が決まったらこの馬車ともお別れというわけか」
「最後の支払いを済ませてね」
なるほどとティアナは納得した。
交易が盛んな都市だけあって、ティアナ達のたどり着いた宿屋街には数多くの宿泊施設が軒を並べている。
いくつかの宿を見比べて交渉した結果、中堅どころの宿に泊まることにしたティアナ達はそこで馬車を降りた。
去って行く馬車から目を離したティアナは、宿の使用人に指示をし終えたアルマに話しかける。
「ここが私達の新しい拠点ね」
「何日もいないですけどね。さぁ、部屋に行きましょう。これからするべきことも確認しないといけないですし」
旅の間に何度も話をしたのでティアナも概要は理解をしているが、具体的な段取りとなるとアルマ任せになることが多い。その口ぶりから今回も頭の中に計画があるのだろうとティアナは予想した。
逆らう理由もないティアナはひとつうなずくとアルマに従って宿に入った。
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ゲトライデンに到着した翌日からティアナ達はこれからの旅の準備を始めた。
今までは馬車に乗った旅だったが、今回は山へと徒歩で向かわなければならない。そのために必要な道具を揃えるのだ。
とはいうものの、どんな道具が必要なのか三人ともよくわかっていない。三人とも登山の経験がないからだった。
とりあえず必要だと思われる物を買うために、三人は市場で、靴屋、衣類屋、雑貨屋、乾物屋などを巡っていく。
次の店へと向かう途中でティアナが不安そうに口を開いた。
「どれだけ買っても、何か忘れているのではないかと不安になりますね」
「そうなんですよね。普通の旅なら必要な物が何かわかるんですけど」
「捻挫しないように足首を固定できる靴とか、寒さをしのげる服とかくらいならわかるけど、他は全然わかんないや」
思案顔のアルマと荷物持ちのタクミがティアナに同調した。初めて遺跡の探索をしたとき以上に誰もが悩んでいる。一度出発すると簡単には戻れないからだ。
それと今回は、荷物をすべて自分達で背負わないといけないので、持って行ける量が限られる点も問題だった。
「タクミはいくらでも持てそうだけど、私はアルマはどうしましょう」
「待って。僕だってあんまりたくさん担いだら戦えなくなっちゃうよ」
「三人で均等に持つのが一番なんだけど、そうなるとお嬢様が一番問題なんですよね」
「い、いざとなったら魔法でなんとか」
身体的能力が最も弱いティアナが気弱に言葉を返す。ウィンに頼れば大抵のことは何とかなってしまうが、無制限に頼るわけにはいかない。
ため息をついてティアナが話題を変える。
「それにしても、本当に竜牙山脈の奥にウィンの故郷があるのかしら?」
「散々探してこの場所と違ったら僕は嫌だなぁ。ウィンは何て言ってるの?」
「ウィン、あなたの故郷に近づいているのよね?」
『うん、前よりもずっと近いよ!』
久しぶりに確認してみるとウィンは上機嫌に返答してきた。どうやらこの方角に進んで来たことは間違いではないらしい。
今のところ方角は正しそうなことを確認できたところで三人は鞄屋に入った。既に背嚢は持っているが、登山にふさわしい背負い袋がないか探すためだ。
店内に入ると皮革の臭いが三人の鼻孔をつく。ならば革製の品だけかというとそんなことはなく、布製の鞄も多数あった。
自分で探すのを早々に諦めたタクミがアルマに話しかける。
「良さそうなものある?」
「今持っている物と変わらないわね。さすがに登山用はないかぁ」
「登山で荷物持ちをしている人って、たまにやたらと大きな荷物を背負ってることがあるよね? あれ、どうやって詰め込んでるんだろう?」
「詰め込むっていうより、積み上げるのにコツがあるそうよ。あたし達には無理ね」
あっさりと言い返されたタクミは微妙な表情になった。
結局何も買わずに鞄屋を出たティアナ達は一旦宿へと戻る。買った物を置くためだ。
休憩とばかりに寝台へと座ったティアナは盛大にため息をついた。
「あーもう、せっかく買い物をしてるのに、全然息抜きができないなぁ」
「いつもなら旅の準備でも買い物をしてるときは楽しいのに。わからないことが多くて不安なのよね」
男の意識に変わったティアナに、買った物を整理しながらアルマが返事をしてくれる。大抵は三人分あるので買った物を三等分していた。
それを見ていたタクミが自分の分を抱えてアルマに尋ねる。
「僕、靴とか服とかを自分の部屋で試してきていいかな?」
「いいわよ。問題は早いことわかった方がいいしね。いってらっしゃい」
賛同を得られたタクミはそのまま部屋を出た。
次にアルマがティアナに向き直る。
「それじゃあたし達もさっさと確認しておきましょ。後回しにしてもいいことないしね」
「もうちょっとごろごろしてたいけど、仕方ないか」
やむを得ずといった感じでティアナが立ち上がり、自分に与えられた衣類や道具へと近づく。最初に手にしたのは長靴だ。靴屋で履いたときのことを思い出して顔をしかめた。
「これ、踝が痛いんだよな」
「捻挫防止のためだからね。あたしも好きじゃないけど、慣れるしかないわよ」
「わかってる。こりゃ靴下が欠かせないな」
長靴を手に寝台に戻ったティアナは、座ると今履いている靴を脱いだ。更に靴下も新調した物に履き替えてから長靴を履く。
立ち上がって室内を歩くティアナの表情は渋いままだ。
「やっぱり踝が痛いな。あと、違和感がある」
「そりゃ新しいからよ。慣れずにいきなり使い込むと靴擦れするから、当面は慣れるために履き続けないとね」
「ちょっと厳しいな。もう一枚靴下を履くか? いや、布で足を縛るか」
「テーピングの替わり? それは良い案ね。あたしも真似しようかしら。って、あー、わかってたけどやっぱり嫌な感じね」
同じように靴を履いたアルマが立ち上がって歩くと眉をひそめた。
歩き回るアルマを尻目にティアナは次に革の手袋を嵌めた。手のひらを閉じたり開けたりする。
「布の手袋と違って、こっちは随分ごつい感じがするな! しかも手に皮の臭いが付くし」
「革の手袋なんだからそりゃそうでしょ。素手じゃ危ないから今回は嵌めないと」
「布の手袋の上から嵌めた方がいいな。どうにもこの感触に慣れそうにないぞ」
「だったらあたしにも貸してよ。メイドじゃそんなの一組も持ってないもの」
「どうせなら買った方がいいんじゃないのか? タクミも欲しがるかもしれないし」
「それじゃ明日買いに行きましょ」
こうして買った物を一つずつ使ってみて不足がないか確認していく。
やがて別室で自分の分を身に付けていたタクミが戻ってきた。手には先程持っていった品々を抱えている。
「こっちは終わったよ。そっちはどう?」
「さっき終わったところ。足りないものとかが見つかったから今紙に書いてるんだけど、タクミは何か欲しいものとかある?」
座ってペンを動かしていたアルマに問われたタクミがうなずく。
自分達の分と合わせてタクミの要望を書いているアルマの横で、ティアナがつぶやいた。
「意外と似通ってるな」
「やることは同じだからじゃないかな。それと、山登りの知識のレベルも同じくらいだからだと思う」
「なるほどな。言われてみればその通りか」
タクミの意見を聞いてティアナがうなずいた。
「はい、これでおしまい! これからは買った物に慣れないといけないわね。できるだけ身に付けましょうね」
「あの長い靴も? 踝が痛いんだよなぁ」
「今のうちに慣れておかないと、山の中で靴擦れして大変なことになるわよ」
話を聞いたタクミが嫌そうな顔をした。しかし、正論なので反論はしない。
こうして、ティアナ達は出発までの数日間、ゲトライデンで色々と準備をこなしていく。
その用意が終わると、三人揃って都市のはるか東側にうっすらと見える竜牙山脈へと旅だった。
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