魔法は魔法で、剣は剣で

 再びカミルと対峙したアルマだったが、実のところ体力的にはかなりつらかった。腕輪で強くなったカミルと一度戦った負担がアルマの体力を奪ったのである。


 まだ膝は笑っていないが、戦い始めた頃に比べて体が動かしづらくなってきている。呼吸は整えられても、体の芯にまとわりつく疲労は取れてくれない。


 それでも戦いが始まると剣を振るう。ただし、積極的に攻めはしなかった。


「どうした! そろそろ体力の限界か? やはり、平民女がこの俺に敵うはずがないな!」


 体力に余裕がないというカミルの指摘は確かに正しい。だが、それはアルマが防戦主体で戦っている原因ではなかった。


 自分の意図がうまく隠せていることにアルマは内心ほくそ笑む。


「平民女っていちいちうるさいわね!」


 しかしそれでも、言われっぱなしというのはアルマの性に合わなかった。毎度身分のことを持ち出してくるカミルの発言に苛立って思わず言い返す。


 その間にもアルマはカミルを冷静に観察していた。


 一見すると余裕の表情を浮かべているように見えるカミルだが、剣を振るうごとに顔を歪ませるようになってきている。体力に余裕がないのはカミルも同じなのだ。


 余裕がないと力押しになりがちだが、そのせいでカミルの剣の扱いが明らかに雑になってきていた。それが更にカミルの体力を無為に奪ってゆく。


 また、腕輪の効果の有無は精神的な面にも影響があるとアルマは感じ取っていた。カミルの動きから微妙に焦りや苛立ちがちらついているように思えたのだ。


「しぶとい奴! さっさと死ねよ!」


 引きつった笑顔を浮かべて更に激しく攻め立ててくるカミルの攻撃を、アルマは冷静に躱し受け流していく。


 腕輪の効果があったときのカミルと戦ったアルマにとって、今のカミルの動きは遅く、力も強くない。この精神的な余裕が疲労の濃いアルマを支えている。


 こうして微妙な均衡を保ったまま戦いは続いていく。


 その天秤をわずかでも自分へと傾けるためにアルマは口も使った。


「あら、息が上がってきてるんじゃない?」


「うるさい! お前もだろう!」


「余裕があるように笑ってた割に、実は余裕なんてないんじゃない」


 目を剥いたカミルが言葉ではなく剣撃で返事をしてくる。


 更に一段と激しく攻め立てるカミルの勢いをアルマは丁寧に受け流していった。


 アルマの意図通り、カミルの息は更に上がる。体力の限界へと相手を追い詰めたことにアルマは内心で満足する。


 こうなるともう時間の問題だ。人間はいつまでも激しく動くことはできない。後は完全に息が上がるのを待つだけである。


「くそっ! なんで、当たらないんだ! おかしい、だろ!」


「意外と平民でもなんとかなるものね」


「言わせておけば! バカにしやがって! このっ!」


 カミルが冷静にならないように、アルマはいちいち相手の言葉に返事をしていく。効果は抜群で、カミルは目を剥き、顔を真っ赤にして剣を繰り出してきた。


 そうやってアルマが機を待っていると、ついにそのときがやって来た。


 剣を上段に振り上げたカミルが、雄叫びを上げながら大きく踏み込んで剣を振り下ろす。しかし、その動きは実戦ではあまりにも粗雑すぎた。


 わかりやすい攻撃をアルマは横に体をずらして躱す。余裕を持って動いたつもりがぎりぎりになったのにはアルマも焦ったが、それでも思惑通りの展開にはなった。


 剣を振り下ろしたままの姿勢で硬直したカミルに対して、アルマは剣先でその手を切り裂く。悲鳴を上げてカミルは剣を取り落とし、地面にひざまずいた。


 一歩下がったアルマは、剣を振り下ろしたそのままの状態で荒い息を繰り返す。


「やっと、終わった」


 呼吸を整えながらアルマはカミルを見た。


 うつむいて右手を庇ったままうずくまっている。しばらく眺めていると、つぶやいている声が次第に大きくなってきた。


「おかしい。こんなのは絶対におかしい。なぜ貴族が平民に負けるのだ? おかしい。こんなのは絶対におかしい。貴族が平民に負けるなど、あってはいけない」


 つぶやきの内容を聞いてアルマは眉をひそめた。更に一歩下がる。


 このアルマの動きに反応したのか、カミルが顔を上げた。その表情は蒼白なのに対して目だけがぎらついている。


 カミルの表情を見てぞっとしたアルマは更に下がろうとした。しかし、一瞬で狂相を浮かべたカミルに詰め寄られてしまう。


「お前さえ死ねばいいんだ!」


 跳ね起きるように飛び上がったカミルに対して、アルマは疲労から動きが遅れた。剣の間合いを過ぎ、カミルに腕を掴まれてしまう。


 アルマは驚きつつもほぼ無意識に体を動かす。とっさに剣を手放した。


 掴まれた左手首をそのままに強引に相手の右手の袖を左手で掴み、右手で相手の胸元の襟を掴む。次に右足を一歩前に出し、くるりと半回転しながら腰を屈めて相手に背中を密着させる。そして、体を一気に膝を伸ばした。


 背負い投げである。


「かはっ!?」


 かつてと同じく受け身を取れないまま地面に叩き付けられたカミルは、背中に強烈な衝撃を受ける。いきなりの強い痛みにカミルは悶絶した。


「もう面倒ね! いい加減諦めなさいよ!」


 疲労と恐怖で息が荒いアルマは厳しい表情でカミルを睨む。


 しばらく呼吸を整えるためにじっとしていたアルマは、尚も倒れて動けないカミルから目を離すと自分の剣を拾う。


 最後の最後で本当に身の危険を感じたアルマだが、これでようやく脅威を取り除けた。


-----


 地面と空からの同時攻撃を防いだティアナは、ヨーゼフと対峙しながらウィンに話しかける。


「さっきの足止めの魔法だけど、あれって防げないかしら?」


『できることはできるけど、そっちに気を取られてると、他がおろそかになるよ?』


「対処はできるけど、気を回せるのには限界があるってことなのね」


『そうだよー』


 外的な刺激に対して機械的に反応しているわけではないので、その辺りはティアナも仕方ないと考える。


 ただそうなると、別の方法で足を封じられることを防がないといけない。いきなり行動を制限されるのは地味に危険だからだ。


 足を土で固められたときのことをティアナは思い出す。あのときは土の壁を回り込もうとしたところで目の前に火の玉を撃ち込まれて急停止した。


 そこまで思い出してティアナは気付く。


「ウィン、以前足音がしないよう風の魔法で少し足下を浮かしてもらったことがあるでしょう? あれをもう一回してもらえます?」


『うん、いいけど』


「地面から足が離れていれば、あの足止めの魔法は使えないでしょう?」


『そっか! だったらちょっと高く浮かせた方がいいよね!』


 意図を理解したウィンが嬉しそうに魔法を使う。すると、ティアナは足首辺りの高さまで宙に浮いた。


 ようやく戦う準備ができたティアナだが、ヨーゼフが何もしてこないことに気付いた。


 正面にいるヨーゼフは別に消え去ることもなく立ったままだ。こちらを睨んで何かをつぶやいている。一瞬魔法の詠唱かと身構えたティアナだったが、そうでもないようだ。


 いつまでも相手に合わせる必要はないと考えたティアナは、今度は自分から行動することにした。


「ウィン、三つ数えるごとに火の玉をヨーゼフに撃って」


『うん、わかった!』


 指示を出すとティアナはヨーゼフを中心に円を描くように走り始めた。火の玉が一定の間隔でティアナの元からヨーゼフへと放たれる。


「くそっ! 火の魔法まで使えるのか! でも、このくらいならぼくにだって防げるぞ!」


 じっとしていたヨーゼフだったが、さすがに攻撃されると反応を示した。最初の二発の火の玉を避けて、三発目からは土の壁で防ぐ。


 また、守り一辺倒ではなく、同時に攻めることも忘れていない。空から火の玉がティアナを襲う。


「ウィン、あの火の玉任せても大丈夫ですか!?」


『防げたらいいんだよね。任せてよ!』


 楽しそうにウィンは返事をすると、風の魔法を使って火の玉の軌道をひとつふたつと逸らせてゆく。


 攻めることと守ることをウィンに任せたティアナは、自分の進路を邪魔する土製の槍に意識を集中する。ヨーゼフがウィンの攻撃に対応しているので頻度は少ないのが救いだ。


 しばらくどちらも同じ応酬を繰り返した。ウィンの火の玉はヨーゼフの土の壁に阻まれ、逆にヨーゼフの火の玉はウィンの風の魔法へ逸らされる。


 見た目は割と派手だが、現状はどちらにも決定打が欠けていた。ただ、手を止めると一方的になるので攻防は続けないといけない。


 この状況においてティアナが心配していることは自分の体力が尽きることだ。既に体力が限界に近いことを自覚しているティアナは、この状況を打開したい。


 徐々に焦りを覚えてきていたティアナだったが、じっと見据えていたヨーゼフの表情にも焦りがあるのに疑問を覚える。


「あちらが焦ることって一体?」


 相手の事情をよく知らないティアナは推測もできなかったが、それでもこの状態を維持することが相手にとって良くないことは理解できた。止まりたがる体に鞭打って走り回る。


「なんだよ! どうして風の魔法二つと火の魔法一つを同時に使え続けるんだよ! 詠唱はどうしたんだ! おかしいだろ!」


 ヨーゼフの叫びがティアナにも聞こえる。自分の中にいるウィンのおかげなのだが、それを伝えることはなしない。


 走りながらティアナはヨーゼフの魔力量はどのくらいなのか考える。先程から延々魔法を繰り出し続けているのでかなりあると想像できた。


「そうか、あいつも魔法の道具を使ってるのか! けど、一体いくつ持って、あれ!?」


 いい加減、本当に息切れをしてきたティアナだったが、ヨーゼフの異変を察知する。同時にウィンから声をかけられた。


『空を飛んでたやつの魔力がほとんどなくなったね。もう火の玉は撃てないと思うよ』


「わかるの?」


『うん。あれだけ何度も撃ってたから、一度にどのくらい減るのか見えるもん』


 魔力を直接視認できるウィンだからこその判断方法だった。


 相手の攻撃手段がひとつなくなったこと知ると、ティアナはヨーゼフに近づこうとする。しかし当然、ヨーゼフはそれを簡単に許さない。土製の槍を次々と生成してくる。


「くそう! 来るなぁ!」


 乱造される土製の槍を前にしてティアナはさすがに後退した。一瞬空を飛んで上から攻めようとしたが、徐々に槍の質が落ちてきているのを見て考えを改める。


『あっちの魔力も尽きようとしてるね』


 ウィンの言葉を聞くまでもなく、ティアナにもそれがわかる。次々に出現する槍は次第に小さく脆くなっていったのだ。それに合わせてヨーゼフの土の壁も薄く脆くなっていく。


 ついにヨーゼフが何もできなくなったところで、ティアナも動きを止める。ウィンにも攻撃をやめさせた。


 息切れをして立ちすくんでいているヨーゼフに対して、ティアナが呼吸を整えてから声をかける。


「もう戦う手段は残っていないでしょう? 勝敗は決したのですから諦めてください」


「そんな、ぼくが負けた? 魔法での、戦いで?」


 震えるヨーゼフが現実を認めたくないというように首を横に振る。どうにも信じられないという様子だ。


 どう声をかけたものかとティアナが考えていると、タクミが近寄ってきた。


「ティアナ、そっちは終わったんだよね?」


「ええ。こちらに来たということは五人すべて倒したのですね。マリーは?」


「無事だよ。アルマもさっき終わったみたい」


 珍しくタクミが疲れた表情なのを見て、ティアナは少し目を見開いた。戦うのに疲れたのかマリーを守るのに疲れたのか、どちらなのだろうと考える。


 そうやってティアナがタクミと話をしていると、ヨーゼフは突然叫び出した。


「まだだ! ぼくはまだ負けていないぞ! これからなんだ!」


 血走った目で懐から黒い球を二つ取り出したヨーゼフは、それを地面へと叩き付ける。すると、割れることもなくどちらの黒い球も地面の中へと沈み込んでいった。


 一体何をしたのかとティアナとタクミが身構えていると、ウィンが声をかけてきた。


『さっきの土の塊みたいなのが出てくるよ。けど、こっちの方がずっと大きいね』


「大きい? どのくらいですか?」


『魔力の量だけなら何倍も』


 相変わらず微妙に役立たない言い方でウィンが警告してきたが、何が出てくるのかはすぐにわかった。


 異変はすぐに起きた。ヨーゼフの前に以前の五倍ほど大きな人型の土くれが一体現れる。


 それを見ながらティアナはウィンへと話しかけた。


「あれの魔力も解除したら動かなくなるのよね?」


『そうだけど、今度はちょっと面倒だよ。魔力の塊が二つある上に、密度が濃いからすぐには解除できなさそう』


「いっぺんにはできませんか?」


『えー、よっぽどたくさん魔力を使わないと無理だよー』


 できないとは言っていないので可能なのだろうが、ウィンの嫌がりようから厄介なことなのだとティアナは理解する。


 そんなティアナに向かってヨーゼフが吠える。


「ははは! どうだ! これならいくら何でも勝てないだろう!」


「あなた、屋敷外の迷惑を考えていないのですか?」


「勝てばいんだよ! そうしたらレオンハルト様が何とかしてくれる!」


 自分の尻拭いを主人にさせるのはどうなのかとティアナは思ったが、今はそれどころではない。


 動き出した巨大な人型の土くれはティアナに向かって来る。隣にいたタクミが慌てた。


「どうするの!? 倒れている自分の兵隊も踏み潰す気だよ、あれ!」


「完全に見境なしですね。ともかく、マリーを連れて逃げて。アルマも一緒に」


 うなずいたタクミがティアナから離れていく。


 巨大な人型の土くれはその大きさ故にティアナとの距離をすぐに縮めてきた。


 離れ際にその足に触れてウィンに解除の魔法を送り込んでもらうが、わずかに動きを止めただけで再び動き出した。


『うーん、抵抗されたねー』


「そ、そんなことできるんだ」


『魔力が少ないと跳ね返されるっていうことじゃないかなー』


 体に入った病原菌を退治するみたいなものかとティアナは解釈する。正しい認識かどうかはわからないが、今はそれを確認している余裕はない。


 どうしたものかと考えていたティアナだったが、ここにきて懐に違和感があったことを思い出した。取り出してみると、今日密会が終わってから試すつもりだった透明な水晶だ。


「ああ、これを使えば!」


 ブルクハルトの説明をティアナは思い出す。わからないことだらけの透明な水晶だが、魔力を送り込むと何倍にも膨らませて放出することだけは判明していた。


「ウィン、この透明な水晶を通して、解除の魔法をもう一回あの土くれ人形に撃ち込みましょう!」


『なにそれ?』


「魔力を何倍にも膨らませてくれる魔法の道具だそうです」


『わかった、やってみるね』


 幸い、巨大な人型の土くれはそこまで動作が速くない。殴りつけた屋敷などの周辺の建物を傷つけているが、潜り込むことは可能に思えた。


 何度か巨大な人型の土くれの動きを見計らったティアナは、何度目かの接近時に振り抜かれる大きな土の塊をくぐり抜けてその足に到達する。


 土でできたその足に透明な水晶を押しつけたティアナは、ウィンに叫んだ。


「今、やって!」


『わかった。えい!』


 体の中を駆け抜ける魔力の感触はいつも通りだと感じたティアナは、本当に水晶を通して増幅されているのか不安になる。しかし、次の瞬間巨大な人型の土くれは片膝をついた。


 同時にウィンからも声がかかる。


『魔力の塊がひとつ消えたよ!』


「本当に!? それじゃもう一回やって!」


『わかった。えい!』


 のんきなウィンのかけ声と共に再び魔力がティアナの体を通ってゆく。巨大な人型の土くれは動かなくなったが、本当に止まったのか外見からは判断がつかない。


「もうひとつの魔力の塊も消えました?」


『うん、消えた! これでもう動かないよ!』


 それを聞いたティアナは安心する。


 周囲を見るとヨーゼフが呆然とこちらを見ている姿があった。


「そんな、これも倒されるなんて」


 ティアナと視線が合うと、びくりと反応して尻餅をつく。今度こそ敗北を認めたらしい。


「これでやっと、え? うわぁ!?」


 そう言いかけたティアナの頭に何かが降り注いでくる。見上げると、巨大な人型の土くれが崩れようとしているのが見えた。


 一瞬息をのんだティアナは全力でそのそばを離れようとする。同時に、巨大な人型の土くれが一気に崩壊した。

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