聖教団内の事情
アレックスと呼ばれている青年アレクサンダー・トロイは熱心なルーメン教徒の家庭に生まれた。幼い頃から学問と武勇に優れ、親をはじめとした周囲の期待を集める。
長じるにつれ同世代でも飛び抜けた存在となったアレックスは若くして聖騎士に任じられて大層喜ぶ。小さい頃からの夢だったからだ。
憧れの職業に就けたアレックスが熱心に活動した結果、邪教徒の討伐を任された。神を復活させようと近年活動を活発化させてきたテネブー教徒の企みを阻止するためである。
「アレックスよ、そなたに勇者の称号を与えよう。邪なる物共の企みを阻止せよ」
「はい、必ずや!」
かつてテネブーを討ち取ったという勇者の称号を教皇から与えられたアレックスは、聖教団に伝わる古の勇者由来である聖剣や聖鎧を与えられて春の終わり頃に旅へ出た。
本人の能力と聖なる武具の力でアレックスは単身テネブー教徒の拠点を潰していく。しかし、テネブー教徒も無抵抗ではない。回を重ねるごとに抵抗は激しくなっていった。
残暑の時季になると、さすがに仲間の必要性を感じたアレックスは本部に聖騎士の増援を要求する。かつての古巣ならばすぐに駆けつけてくれると信じて疑っていなかった。
ところが、返事は否という意外なものだった。理由は、他でも邪教徒狩りを並行して実施しているので派遣する余裕がないというものだ。代わりに軍資金を幾ばくか与えられる。
「そんなバカな! 何百人も要求するならともかく、数人も派遣できない程人手が足りないなんてありえない!」
数ヵ月前まで聖騎士だったアレックスは聖騎士団の内情も知っている。その記憶をたどってもこの回答は理不尽だった。しかし、出征先では反論もできない。
仕方なく、アレックスは与えられた軍資金を使って傭兵を雇うことにした。戦力的には聖騎士よりも心許ないが、今は頭数が必要だったのだ。
募集してきた傭兵達を選別し、最終的に残ったのはインゴルフ達四人である。幸い、アレックスは潔癖症ではなかったので、傭兵らしい四人を部下にするのに抵抗はない。
そうして邪教徒狩りを再開した翌月にアレックスはようやく邪な企みの核心にたどり着いた。邪教徒が重要な何かを隠している拠点を襲撃したのである。
「インゴルフ、急いで制圧するぞ!」
「任せろって! おめぇら、行くぞ!」
戦いはほぼアレックスの思惑通りに進んだ。気の緩む明け方前に襲撃された邪教徒はほとんど何もできなかった。ところが、一人浅黒い肌の男だけ間一髪取り逃がしてしまう。
残敵の掃討をインゴルフに任せると、アレックスは地元の聖教徒数人と共に追いかける。しかし残念ながら最後は逃げられてしまった。
他には、邪教徒の追跡中にティアナと出会ったことがアレックスの印象に残っている。あの浅黒い肌の男と何やら因縁がありそうだったが、それ以上のことはわからなかった。
ともかく、制圧した邪教徒の拠点には何もなしと踏んだり蹴ったりな結果だったが、挽回する機会はやってくる。次の町で邪教徒狩りをしたときに高位司祭を捕らえたのだ。
「アレックス隊長、こいつどうするんです? 聖教徒の教会まで連れてくんですかい?」
「そうだね。そこで色々と話をしよう」
「わ、儂は何もしゃべらんぞ! さっさと殺せ!」
虚勢を張りながらも抵抗を試みたテネブー教徒の司祭だったが、聖教団のとある拠点の地下にある懺悔室に入ってからはその抵抗も長く続かなかった。
この司祭から得られた情報により、邪教徒がテネブー神を復活させるために必要な聖なる御魂をほとんど集め終わっていることをアレックスは知る。
また、邪教徒の本部の所在地も判明した。今までその所在が不明だっただけにアレックスはとても喜んだ。
「きっと、聖なる御魂という邪神の魂も本部にあるに違いない。すぐにでも向かいたいが」
「問題はオレ達だけじゃ頭数が足りねぇってことですよね。さすがに本拠地だと守りもガチガチでしょうぜ。本部に頼んで応援を連れてきてもらわねぇと」
インゴルフの意見をアレックスは顔をしかめながら聞いた。まったくの正論ではあるのだが、以前聖騎士の増援を断られているので本部を信じ切れないでいたのだ。
これからどうするべきか悩んだ末にアレックスが出した結論は、一度聖教団の本部に戻るというものだった。直接乗り込んで上層部を説得するのである。
結論を出した後のアレックスの行動は速い。インゴルフ達を引き連れて聖教団本部へと急行する。
約半年ぶりに戻った聖教団の総本山は以前と同じように見えた。その偉容を目にして勇気づけられたアレックスはすぐさま有力者に面会を求める。
「ついに邪教団の本拠地を見つけ、邪神の魂の在処もつきとめました! 今こそ好機です。聖教団の総力を集結し、邪神討伐隊を結成するべきです!」
最終目標を目の前にしたアレックスは有力者を説得した。そもそも教皇が直々に命じたのだからすぐにでも提案は採用されると信じて疑っていない。
確かに説得して回った有力者達の感触は良かった。皆が賛同してくれる。しかし、一様に最後の最後で微妙に言葉を濁された。アレックスはこれが気になって仕方ない。
「いつになったら命が下るんだろう?」
「でっかい組織は動きが鈍いって言うじゃねぇですか。聖教団程になると、結構な時間がかかるんじゃねぇですかい?」
「それはそうなんだが、聖騎士団にいた頃はもっとすぐに命令が届いていたんだ」
「指揮官が裁量の範囲で部下に命じるのと、でっかい部隊を作る許可をあっちこっちに取っていくんじゃ全然ちがうと思うんですがね」
さすがに組織のすべてを知っているわけではないので、アレックスもそう言われると反論できない。ただ、胸の内にもやもやとしたものが残るばかりだ。
晩秋に聖教団本部へとアレックスが戻ってから二週間が過ぎた。この頃になると有力者への訪問も一段落つき、本当に待つばかりとなる。
いつもなら剣を振るうか本を読むかして自分を鍛えるのだが、今は体が鈍らないように最低限動かすだけだ。自分の提案がいつ採用されるのか気になって仕方ないのである。
そのうちに、気になる噂を耳にした。邪教徒に対する方針で聖教団の内部が争っているというのだ。
初めて知ったとき、アレックスは非常に驚いた。自分が勇者として出発するときにはそんな諍いなどまったくなかったからだ。
事情を探ると、夏頃に意見の食い違いが発生し、秋頃には両者の間で争うようになっていたらしい。特に先月の末からは更に対立は激しくなっているようである。
「邪教徒との戦いに全力を尽くすべきなのに、みんな一体何をしているんだ」
アレックスは眉をひそめた。前線で戦うためには後方からしっかりと支えてもらう必要があるのに、これでは安心して戦えない。
今まで面会していた有力者達に感じていた違和感はこれかとアレックスは納得した。内部争いに忙しくて討伐どころではないのだ。思わず歯噛みする。
すぐにでも行動を起こしたいアレックスだったが、久しぶりに戻ってきた本部の内情をまだきちんと把握していない。まずは状況の確認からだ。
使命を果たすためにも、アレックスは本部の内部勢力について探ることにした。
-----
聖教団の内部へと潜り込んでどれくらいになるかとユッタはふと考えた。暑い夏の日に初めて聖教団本部へと足を踏み入れたことを覚えているので、もう四ヵ月近くになる。
仕事とはいえ、我ながらよく飽きないものだとユッタは苦笑した。毎日のように男と会っては籠絡している。
椅子から立ち上がって背伸びをしたユッタは周囲へと目をやった。ここは聖教団本部にある客室だ。清潔感はあるものの、生活に必要な最低限の家具しかない。
それでも、表面上は一ルーメン教徒でしかないユッタが何ヵ月も使える部屋ではなかった。あくまでも外来者が一時的に使う個室である。
大きな問題になっていないのは客室がすべて埋まる程の来客がないだけではない。ユッタが有力者を籠絡したからであり、同時に目立つようなことをしていないからだ。
「司教以上を落とせたら楽なのに」
ため息をついてから窓際へと寄った。雪こそまだ降っていないが、大通りを往来する人々の装いはすっかり冬の物だ。
ユッタの能力は現実の世界の男性の意思を変化させる。自分にだけ見える各種ウィンドウに表示されるステータス、状況説明、攻略条件を見ながら、現れた選択肢を選ぶのだ。
一見すると男なら誰でも簡単に操れそうに思えるが一部例外もあった。自分より上位の存在には選択肢が現れず、何らかの加護を受けているか特殊な道具を持っている男には無効化されてしまう。
聖教団の司教以上は神の加護と称される洗礼を全員が受けており、これにより選択肢をいくら選んでも無効化されてしまうのだ。
そこでユッタは優秀な一般信者や司教とつながりの深い者に狙いを定めて籠絡していく。ただし、地位が低く影響力が小さいので多くの男を籠絡必要があった。
最近は数が多くなった籠絡した男達の相手が大半になっている。先程まで夕食を共にしていた男もそうだ。一度籠絡した後の管理も大変なのである。
もちろん単に籠絡した男の相手をしているわけではない。そうやって頻繁に会うことで、様々な情報を提供してもらい、またやってほしいことを要求しているのである。
そんなある日、勇者であるアレクサンダーが本部に戻ってきたことをユッタは知った。現時点での主敵の動向に一層注目する。
「なんだって今になって戻って来たのかしら?」
今までなら書簡でやり取りをしていたのに、いきなり前触れもなく戻って来たことにユッタは気をかける。そして、その勘は正しかった。
月末頃にユッタはとある司教の部下から、勇者が邪神討伐隊の結成を提案していることを聞いたのだ。
「邪神討伐? 邪教徒ではなくて?」
更に方々の男から情報を集めた結果、どうも勇者が邪教徒の司教を尋問して聞き出したらしいことがわかった。そして、邪教徒の本部まで割り出したことも知る。
情報はすべて漏れていると考えたユッタはヘルゲに急いで連絡を入れた。聖教団に重要な情報が漏れていることをまず知らせねばならない。
一度町の郊外まで出向いたユッタは周囲に誰もいないことを確認してから、首飾りに偽装した魔法の道具でヘルゲに報告する。
「捕まった司教が全部しゃべったみたいよ。聖なる御魂のことも本部の位置もこっちに伝わってるわ」
「そうか。覚悟はしていたがやはり」
「勇者が邪神討伐隊の結成を提案したみたいだから、近いうちに攻められるんじゃない?」
「私も同感だ。討伐隊の提案を却下するよう工作はできるか?」
「やってみるけど、難しいかもしれない。司教以上の有力者に手を出せないから、工作の効果はどうしても限定的になってしまうの」
「できるだけ討伐隊の結成を遅らせろ」
「わかったわ。何かあったらまた連絡するわね」
連絡を終えるとユッタはため息をついた。残暑の時季に勇者から要求された増援を潰したときよりも状況が厳しい。
そうは言っても、手をこまねいているわけにはいかなかった。すぐに籠絡した男達を使って邪神討伐隊の提案を却下させるべく暗躍を始める。
最初にユッタがしたことは見解の相違を火種とすることだった。邪教徒を討伐することで聖教団内は一致していても、邪教徒の扱い方については一枚岩ではない。皆殺しにすべしという強硬派から改宗させるべきという穏健派まで様々だ。
そこでまず強硬派内の籠絡した男達に邪教徒は皆殺しにすべしと騒ぎを起こさせた。そうして次に穏健派からその主張に反対する声を上げさせる。
きっかけは些細であっても議論が過熱してくると収拾が付かなくなる。ユッタはこれを繰り返すことで聖教団内の対立を深刻化させ、討伐隊どころではないように仕向けた。
ただし、やはり一定以上の地位にある人物と直接つながりがないので決め手に欠ける。
「もどかしいわね。誰か一人でも有力者を落とせたら、もっと楽に事を動かせるのに」
嘆くユッタであったがこれ以上はどうにもならない。
逆に、騒ぎがここまで大きくなると、今度は自分が表に出ないように気を遣う必要があった。対立の原因がユッタにあるとばれてしまうとすべてが御破算になってしまう。
特に議論の場で対決する男達には気を遣っていた。互いの関係が致命的になろうと殴り合いで怪我をしようとユッタにはどうでも良いが、自分の名前を弾みで出されるわけにはいかないのだ。これが一番恐ろしい。
そこで、議論させる男は必ず冷静な者に限定させていた。怒るのではなく、怒るふりができる者を選ぶのだ。
もちろん人の動きを完全に操作することはできないので、ユッタの知らないところで議論に参加する者もいる。その場合は、普段から名前を出さないようにお願いしていることを守ってもらえるよう祈るしかない。
こうしてユッタは年末に向けてひたすら邪神討伐隊の結成阻止に奔走していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます