魔法書を借りるだけ

 自らの願いを叶えるため、ティアナ達はトゥーディの要求する物を手に入れることになった。必要な物は二つ、禁忌の魔法書とトゥーディ謹製の水晶だ。


 北の塔にある応接室の面会も終わりに近づいた頃、ティアナがトゥーディに問いかける。


「魔法書と水晶は、どちらから手に入れた方がよろしいですか?」


「そうだね。強いて言えば魔法書の方かな。先に魔法の理論を構築する必要があるから。水晶を使うのはその後だし、効率的な研究を考えるのならだけど」


「わかりました。魔法書の方から手に入れる努力をします」


 必要なことを一通り聞いたティアナ達は疲れを癒やすために北の塔で二晩泊まった後、魔法書を手に入れる旅に出た。


 最寄りの町まで歩いた後は隊商の護衛を引き受けながら目的地へと向かう。


 たどり着いたのは、とある小さな国の王都だった。かつては大層大きな王国だったそうだが、今では歴史の波に飲まれつつある小国だ。


 しかし、さすがにかつては大国だっただけあって王都は立派だった。小国となった今では分不相応ともいえる威容を誇っている。


 王都の北側にある大きな門で検問を受け終わった隊商が中へと入った。これから倉庫街へと向かい、護衛の傭兵はそこで契約終了となる予定だ。


 荷物を満載した荷馬車の後ろに乗り込んでいるティアナ達は、厚手の外套に身を包んで寒さをしのいでいる。


 白い息を吐いているリンニーの表情が都市内部に入ってから和らいだ。


「やっとついたね~。これでお酒が飲めるよ~」


「あんた、神様のくせに欲望に忠実よね。本来の目的って覚えてる?」


「覚えてるもん! さすがに忘れないよ~!」


 横からアルマに突っ込まれたリンニーが口を尖らせた。心外だと言わんばかりの態度だがアルマの疑いは微妙に残る。


 それでも、酒場に入ること自体はアルマも反対はしない。別に食堂でも良いのだが、要は暖かい場所で温かい食事が取りたいのである。


 倉庫街は門の近くにあるのですぐに到着した。荷馬車が止まると三人ともすぐに下りた。そして、アルマが隊商の責任者である商人に会う。


 報酬を受け取ってアルマが戻ってくると三人で王都の奥へと足を向けた。


「ここの繁華街と宿屋街の場所は教えてもらったわよ」


「でしたら、先に宿を取っておきましょう。もう夕方ですからね」


 ティアナの返答にうなずいたアルマが前に出た。


 古都だけにどこも古めかしい作りの王都だが、新しい町にはない重厚な雰囲気が全体にある。それを落ち着いていると受け取るか重苦しいと受け取るかは人それぞれだろう。


 宿屋街に着くと早速アルマが宿屋を巡った。宿の主人とのやり取りはいつも通りなのだが、何軒か話をした後からは眉をひそめるようになる。


 気になったリンニーが問いかけた。


「どうしたの~?」


「うーん、わかってたことなんだけど、やっぱり全体的にお高いのよねぇ」


「どのくらいお高いのかな~?」


「いつもの五割増しくらいね」


「え~!?」


 思った以上に高いことにリンニーが驚いた。そして、それはティアナも同じである。


 農村はもちろん、地方都市に比べても王都のような大都市の物価は高い。それはティアナも知っているが、さすがに他の都市と比べても五割増しというのは高すぎに思えた。


「どうしてそんなに高いの~?」


「みんなそれだけ稼いでいるからだそうよ。この王都って魔法の道具を作って他国に売ってるそうなんだけど、それが高値で売れてるんだって」


 別れ際に隊商の商人から聞いた話を思い出しながらアルマはリンニーに返答した。


 基幹産業があるとその周辺の産業も潤うのだ。そして、儲かるとなると人が寄ってくる。そのため、宿屋の宿泊費もその分だけ押し上げられるのだった。


 話を聞いたリンニーが不安そうな顔をする。


「お金大丈夫なの~?」


「蓄えは充分にあるから大丈夫よ。何ヵ月も滞在するわけじゃないし」


「お酒も高いのかな~?」


「あー、どうかしらねぇ。行ってみないことにはなんとも」


 言葉を濁すアルマだったが、宿屋の宿泊費が五割増しになるほど高くなっていて、酒場の料理の値段がそのままとは思えなかった。


 しばらく物価のことで頭を悩ませつつも、アルマは更に何軒か回ってやっと宿泊先を決めた。いつも泊まっている宿よりも質を下げ、費用は普段の二割増しだ。


 今回は水の精霊に荷物番を頼んでティアナ達は酒場へと向かう。すでに夜になる頃だったこともあり、何軒かは満席だった。そして、ようやく席を確保した店で料理と酒を注文すると、予想通り他の都市よりも割高だった。


 寒さで冷えた体を内から温めると三人は雑談に興じる。しかし、今後の予定はやはり気になるので話題はそちらへと移りがちだ。


 食べていた鶏肉を飲み込んだアルマがティアナへと話題を振る。


「とりあえずここまで来たのはいいけど、これからどうするの?」


「一番良いのは紹介状をどなたかに書いてもらって王城に乗り込むことなんですけど」


「できるわけないわよねぇ。こっちの大陸じゃ縁なんて全然ないんだし」


 それができたのならば、日銭稼ぎのためにミネライ遺跡へ行くこともなかっただろう。


 もっとも、そうなるとクヌートからトゥーディの話を聞くことがなく、具体的な男になる方法にもたどり着けなかったのは間違いない。


 先のことはわからないものだと思いながらティアナが返答する。


「そうなると、正攻法では手に入らないということになりますね」


「搦め手からってこと? 王侯貴族が相手になると、相応の地位や財力が必要よ? それはどうするの?」


「どちらも私には縁がないですものね。ただ、手段を選ばなければ不可能ではありませんけど、さすがにそれは」


「そんな非常手段なんてあんた持ってた?」


「一つだけ。誘惑の指輪です」


「あー! そんなのあったわねぇ。あれ持ってきてたんだ」


「ものがものだけに処分する先は選ばないといけないですし、置いておくとしても余程信頼できるところでないといけませんから」


 信頼して預けられる先はいくつかあるが、小物なので邪魔にならないことから何となく持っていたのだ。


 回答を聞いたアルマが微妙な顔をしながらジョッキの酒を一口飲んだ。代わりにリンニーが尋ねる。


「その指輪は使わないんだよね~?」


「ええ。使った後のことを考えると、使う気になれません。余程追い詰められでもしない限りは」


 この指輪を散々使っていた人物のことを思い出してティアナは表情を曇らせた。自分でも一度だけ使ったことがあるが、あれは仕方のなかったことだと思うようにしている。


「それじゃどうするの~?」


「もう盗みに入るくらいしかないんじゃない? 搦め手どころか裏の手になるけど」


「そうなんですよね。そもそも禁忌の魔法書というくらいですから、門外不出でしょうし」


 軽くアルマが言ってのけたが、今のティアナは盗み出すという方法以外に何も思いつかなかった。


 何かを思いついたらしいリンニーがジョッキをテーブルに置いて口を開く。


「そうだ、トゥーディに王様宛の手紙を書いてもらったらどうかな~?」


「それは無理だろうと言われました。今の王家はトゥーディの弟子の子孫を自称していますが本当なのかわからないですし、こちらの話を聞いてくれる保証がありません」


 この王都は元々トゥーディとその弟子が研究をするために居を構えた場所ということだった。弟子の死をきっかけにトゥーディはこの地を去ったが、弟子の子孫はそのまま残って数代後に建国したということである。


 説明を聞いたアルマが唸った。


「ここの王国とトゥーディって実は直接関係ないのね。そりゃ駄目だわ」


「難しいね~」


「そうなるとますますこっそり借りるしかないじゃない」


「借りるだけ。そうですよね。用が済んだら返せば良いんですよね。借りるだけですから」


 何度も借りるだけと言う言葉を繰り返し口にするティアナだったが、なかなか自分を騙すことができない。それどころか、繰り返す程に嘘くさく感じられてくる。


 その後もぽつりぽつりと会話を繰り返すが良い案は何も出なかった。最後は美味しく酒を飲むために後日改めて考えることにしてまた雑談に移る。しかし、ティアナの内心は重たいままだった。


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 小国の王都にティアナ達が到着してから一週間が過ぎた。あれから三人で色々と手分けをして調査して一緒に考えたが、ついに良い案は浮かばなかった。


 これ以上はいくら時間をかけても意味がないと判断したティアナは、ついに禁忌の魔法書をこっそりと借りることを決意する。


 そして忍び込むための準備は実のところ最初から揃っていた。望んで揃えたのではなく、たまたますべての手段が揃っていたのである。


 忍び込むのはティアナ一人でアルマとリンニーは宿の部屋で待機となった。人数が少ない程見つかりにくいだけでなく、潜入経験者がティアナだけだったからだ。


 宿屋の室内で準備を整えるティアナがため息をつき、男の口調で漏らす。


「まさか貴族の屋敷に忍び込んだ経験を活かせるなんて思いもしなかったな」


「そんなこともあったわよねぇ」


「だったら、すぐに盗って来られるんだよね~!」


 無邪気な笑顔で声をかけてくるリンニーにティアナは微妙な表情を向けた。危険が少ないことを喜んでくれていることはわかっても素直に受け取れない。


 今のティアナの装いは、厚手の丈夫な衣服に簡易的な革の鎧といういつもの旅姿だ。幸い金属音など大きな音は出ないのでそのままである。それに短剣を一本腰に括り付けた。長剣は隠密行動の邪魔になるので持っていかない。外套も同様だ。


 他にはアルマが買ってくれた大きめの布を頭に巻き付けて目元だけを露わにした。


「冬の今だと暖かいな、これ」


「走ったり飛び跳ねたりしたら、途端に息苦しくなるからね。だからって脱いじゃ駄目なんだから気を付けなさいよ」


 もっともな忠告なのでティアナはうなずいた。


 そして、ここからが潜入のための切り札である。風の精霊ウェントスと土の精霊テッラを連れて行くのだ。


 かつて貴族の屋敷に忍び込んだときに風の魔法で足音と姿を消したことがある。今回は更に、土の魔法を利用してより円滑に潜入できるように図るのだ。


 計画を聞いたアルマは若干心配そうに尋ねる。


「確かにそれでいけるかもしれないけど、大丈夫かしら? 相手だって何かしら対策をしてると思うんだけど」


「考えたらきりがないから、これでいけると思うことにしたんだよ。あとはその場でその都度考えるしかないだろ」


「うまくいくといいんだけどねぇ」


「不安になるようなことを言うなよ。俺だって怖いんだから」


 必要以上に心配して自分まで怖くなってしまいそうになるティアナが渋い顔をした。


 反対にリンニーはいつも通りの笑顔で声をかけてくる。


「必要な物は持ったかな~?」


「全部持ったよ。必要最低限しか持てないけどな」


「あれ、でも地図は机に置いたままだよ~?」


「さすがにあれは持っていけない。だから丸暗記するしかないんだよ」


 ちらりと机に目を向けたティアナは小さくため息をついた。


 地図とは、トゥーディが描いてくれた略図のことだ。かつてその場で研究していた時代の図だが、地下の書物庫や倉庫はそのままの可能性があると用意してくれたのである。


「一度更地にして王城を建てたんじゃなく、増改築を繰り返して建物を大きくしていったのなら、元のところは案外残っているはず、か。だといいなぁ」


「もし違ったら、端から端まで調べないといけないのよね」


「どれだけ時間がかかるんだよ、それ」


 呻くようにティアナが気持ちを漏らした。


 可能性を考えれば最悪の事態はいくらでも考えられる。しかし、不確定要素が多くても今回はやり遂げなければならない。


 ため息を一つ漏らして覚悟を決めるとティアナは風の魔法で姿を消す。そして、精霊二体を引き連れて窓から闇夜へと飛び出た。

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