真夜中の訪問

 深夜ともなると王都の大半が静まり返る。例外が繁華街と色街で、ここは日付が変わる頃まで賑やかだ。宿屋街は微妙で、酔っ払った客がちらほらと自分の宿に帰っていく姿が見える。ただし、本当に宿へ戻れるかは当人の酔い加減次第だ。


 とはいっても、それは表通りの話で裏路地となると人影はどこもほとんどない。繁華街や色街も建物内から声は聞こえても、裏路地を往来する人影となると見あたらなくなる。


 ウェントスの魔法で明かりなしでも暗闇の中で困ることがないティアナは、宿屋街の裏路地から始まり、住宅街、商人街、貴族街と進んでいった。


 頭に布を巻き付けた旅装姿なので人に見られたら怪しまれること間違いなしだ。しかし、今は風の魔法で姿と足音を消しているため誰にも悟られることはない。


 たまにすれ違う人にさえ気付かれることなく王城の外堀にまでやってきたティアナは、目の前に広がる外堀とそびえる外壁を見上げる。


「さて、ここからが本番っと。どうやって入ったものかな」


 誰も見ていないことを良いことにティアナは男の口調のままつぶやいた。


 今ティアナが見える範囲では、水が引き込まれた外堀は平均的な身長の女性十人分程度の幅がある。その外堀の城側の壁は上に延びてそのまま外壁となっていた。こちらは女性二十人分程の高さだ。


 外堀沿いの通りに人影はない。一方、外壁の上には一定の間隔で歩哨が立っている。


「音を立てるのは論外として、目に見えるものもまずいんだよな」


 目の前の最初に越えるべき難関二つを睨みながらティアナが悩んだ。


 現在、ティアナには風の精霊ウェントスが憑依している。姿と足音を消す魔法をかけやすくするためだ。対して土の精霊テッラはティアナの横に佇んでいる。


 単に外堀と外壁を越えるのであれば、ウェントスに頼んでこのまま空を飛んで中に入れば良い。しかしそうなると、地上を歩くテッラはどうやって侵入すればよいのか。


 実際に障害物に相対して初めて気付いた盲点にティアナは頭を抱えていた。テッラを憑依させると、今度は姿や足音を消したり飛ぶことができなくなる。


 いくら考えても妙案が思い浮かばないのでティアナは本人に相談してみた。


「テッラ、今から目の前の外堀と外壁の向こう側に行く。俺はウェントスの魔法で空を飛んでいくつもりだけど、お前はどうやって行く?」


『土ノ中ヲ歩イテ行ク』


 憑依しているウェントス経由で聞いたテッラの返答にティアナが戸惑う。予想していなかった回答だ。


「土の中? 目の前の堀には水があるけど、さすがに泳げないのか」


『水ノ中ハ大変。デモ、土ノ中ハ歩クノ簡単。目ノ前ノ水ノ下ヲ歩イテ行ク』


「なるほどな。俺達人間とは発想が違うのか。ちなみに、土の中ならどのくらいまで潜れるんだ?」


『土ガアルトコロマデ』


 さすがに土の精霊だけあって大したものだとティアナは感心した。


 問題が解決したのなら後は実行するだけだ。ティアナはテッラに外堀と外壁を越えるように指示すると、自分も前に進み始めた。


 一歩一歩進むに従って、ティアナは見えない階段を上っていくように体を浮き上がらせていく。足下はまるで水草の塊を踏みしめているように頼りないが、以前にも経験したことなので怖くはない。


 灰色の視界が一歩ずつ上がっていき、外壁にたどり着くと今度はそれに沿って更に上がっていく。


 外壁上部にたどり着いて壁の際からこっそりと中を覗いたティアナは、想像よりもずっと広くて驚いた。てっきり二人か三人が並んで歩くのが精一杯の狭い通路だと思っていたのだが、実際はちょっとした広場のようなのだ。


 周囲へ視線を巡らせてみると、歩哨は外壁の城外側と城内側の壁に交互に立っている。城外側の歩哨は空や外堀を見張り、城内側の歩哨は広い城壁の上を見張っていた。


 外部に異変があれば外側の歩哨が気付き、仮にそれをやり過ごせても内側の歩哨が異変を察知する仕組みだ。


 風の魔法で姿を消したままのティアナは外壁の上部へと降り立った。足音もきれいに消しているので気付かれていない。それでも見つかるのではという恐れがつきまとう。


 ゆっくりと深呼吸したティアナは静かに歩いて広場のような外壁の上部を横断した。内側の壁際まで来ると乗り越えて中空に立つ。


 真下を見るとテッラの姿はない。更に視界の範囲を広げると左手側に立っているのを見つけた。今度は外壁に沿って透明な階段を下りるように歩いて行く。


「はあぁぁ、やっと着いたぁ」


 テッラと合流するとティアナは大きなため息をついた。そして、いつの間にか緊張していた体を解す。まだ外壁を突破しただけだが精神的に随分と消耗していた。


「これからが本番なんだよな。俺の精神保つかなぁ」


 今更弱気は禁物なのだがどうしても吐いてしまう。


 改めて周囲を見て回ると、ティアナが立っているのは広い庭園の片隅だった。深夜なので人影はない。


 本当ならすぐにでも動きたいのだが、まずは落ち着いてこれからのことを考える必要がある。


 実のところ、ティアナはこの王城内の様子をまったく知らない。いくら探しても断片的な情報さえ出てこなかったのである。


 しかし、それはあらかじめ覚悟していたことでもあった。王族にとって最も重要な場所なので、そう簡単に城内の地図が出てくるとはさすがに思えなかったのだ。


「まずは一周してどうなってるのか見ないとな。テッラは建物の下に地下室があるか確認してくれ。あ、地下室って地面の下にある建物のことな」


『ワカッタ。地下室ガアルカ見ル』


 土の精霊の返事を聞くとティアナは歩き始めた。


 建物の陰から陰へとティアナは移り、城内の建物の位置を把握していく。大小様々な建物があり、何となく用途のわかるものもあれば首をかしげてしまうものもあった。また、魔法的な仕掛けがしてある建物もたまに見かける。


 時間をかけて一通り見て回り、ティアナは元の場所に戻って来た。建物の配置は一応頭の中に入っているので、どこに忍び込めば良いのか考える。


 しばらく首をひねっていたティアナだったがあることに気付いた。取り壊して建て直すにしろ増改築を繰り返すにしろ、元の大きさよりも大きくなるはずだ。ならば、かつての施設よりも大きい建物を中心に調べるべきだと思いつく。


 トゥーディに教えてもらったかつての見取り図をティアナは思い出した。あの施設の大きさからすると、それ以上の建物は全部で四つある。


「一つは地下がないことをテッラが確認済みだから、残るは三つだな。けど、城にはできれば行きたくないなぁ」


 警戒が最も厳重なところだとは容易に想像できるだけにティアナは眉をひそめた。ただ、困ったことに魔法書はそこにあるのではないかと直感が告げいる。


 ともかく嘆いていても仕方ない。一つずつ確認していく。


 最初は他の建物とは少し距離がある石造りの建物に寄った。戸締まりはしっかりしているが見張りはいない。


 裏手の壁に寄り添うと、ティアナはテッラに話しかける。


「中に入って、俺の指示通りに動いてくれ。それと、テッラの見ているものを俺にも見せてくれないか」


『ワカッタ』


 かつて御神木の芋虫退治のときに活用した方法だ。物理的な制約を受けない精霊に動き回ってもらい、同時に視覚情報を送ってもらうのである。


 指示を理解したテッラは目の前にある壁をすり抜けて中に入った。


 寒い中我慢しつつ様子を探った結果、ここが魔法の道具を作る施設であることがわかった。精霊を通して見ると魔力の強さに比例して輝きが強くなるので、魔力なしの道具との見分けはすぐにつくのだ。


 ともかく、静まり返った建物内を地下も含めてテッラに回ってもらった。さすがに機密事項が数多くありそうな施設だけあって魔法の仕掛けがいくつもある。しかし、土の精霊にはすべてが見えるので回避は容易だ。


 罠を避け壁をすり抜け一通り中を調べた結果、トゥーディに教えてもらった見た目の魔法書はなかった。


「まぁ、禁忌の魔法書っていうのに、普段の仕事場に置いておくわけないよな」


 考えてみれば当たり前の話ではあるのだが、一通り調べてみないとわからないことでもある。ため息をついたティアナはテッラを呼び戻した。


 次にティアナが向かったのは城にも劣らない立派な装飾をされた建物だ。裏手に回って再びテッラに中へと入ってもらう。


 一つ目の建物が工房だとしたら、こちらは迎賓館といった趣だ。壁、床、天井はもちろん、廊下脇の置物も凝った装飾が施されている。


 廊下から部屋へと移ると、ここが客を迎える場であるとティアナは強く思うようになった。しかしそうなると、この地下に果たして禁忌の魔法書があるのか疑問に思えてくる。


 地上の部分の探索を早々に切り上げることにしたティアナは、テッラに地下へと向かってもらった。そして、そこで見たものに衝撃を受ける。


「ここは、牢屋?」


 少し深く潜った地下に鉄格子で通路と隔離された部屋がいくつか並んでいた。しかも、その部屋の一部には人が入っている。


 通路の先は扉で区切られて奥に部屋があることを臭わせているが、そこからは怒声と悲鳴、それに他の音が聞こえてきた。


 どういう場所なのか察したティアナはすぐにテッラを呼び戻した。禁忌の魔法書がここにあるとは思えない。


「うわ、嫌なの見たな」


 戻って来たテッラの横でティアナが頭を抱える。王侯貴族が闇を抱えてることなど当たり前の話だが、実際にそれを目の当たりにするとやはり精神的にきつい。


『てぃあな、力ガ乱レテイル。休ンダ方ガ良イ?』


「悪い。もう大丈夫だ。行こう」


 憑依しているウェントスが異変を察知したようで話しかけてきた。そうそうあることではないので、自分で思っている以上におかしくなっていたことをティアナは知る。荒くなった呼吸をティアナはゆっくりと整えた。


 いよいよ残る一つである本命の城へと向かう。


 さすがに城内の本拠地なだけあって最も大きい建物だ。昼間に真正面から見たらその荘厳さに圧倒されるかもしれないが、今のティアナにそんな余裕はない。


 裏手に着くとすぐにテッラに中へと入ってもらった。もしここも外れだとすると、根本的な考えが間違っていることになるので一旦引き上げるつもりだ。


 ともかく、ティアナはすぐに地下へと向かうようテッラに指示する。禁忌の魔法書ならば普段生活する場になど保管しないからだ。


 地中へと沈んだテッラが最初にぶつかった人工物は細長い通路だった。非常に狭く、人一人がやっと通れるくらいの広さである。


「うわ、別の意味で嫌なのを見たな」


 顔をしかめたティアナが呻く。思いついたのが王家の隠し通路だ。つまり、非常用の脱出路である。


 余計なものをまた見てしまったティアナは気が重くなったが、敢えて見なかったことにした。そうしてテッラに別の人工物の場所へと向かってもらう。


 次にたどり着いたのは様々な品物が並べられている部屋だった。置いてある物は、剣、小箱、杖、鏡など様々で柔らかい上質そうな布の上に安置されている。


 恐らく宝物庫だと当たりを付けたティアナは、一通り見て回ったが禁忌の魔法書は発見できなかった。


「テッラ、そこから横や下に別の部屋はありそうか?」


『下ニアル』


「それなら行ってくれ」


 床へと沈んで真下にある部屋の天井へと出てきたテッラはぽとりと床に落ちた。すると、上の階と同じく様々な品物が安置されているが、どの品も輝いて見える。


 魔法の道具をまとめて置いてあることがわかると、ティアナはこの部屋に禁忌の魔法書があることを期待してテッラに回ってもらった。しかし、どこにもない。


 失望と焦燥を感じたティアナが首をひねる。


「見落とした? いや、そんなことなかったよな。それともここじゃない?」


 かつての書物庫がそのまま使われているとは限らないが、それでも当たりらしい場所で見つからなかったことに肩を落とした。


 再びかつての地下施設を思い浮かべながらティアナが悩んでいると、ふと気になったことをテッラに問いかける。


「その部屋の下に何か部屋みたいなのはありそうか?」


『アル』


「やっぱり! なら下に行ってくれ」


 再び床へと沈んだテッラは、やはり下の部屋の床にぽとりと落ちた。周囲を見ると、上の部屋と明らかに違ってまったく管理されていないことがわかる。土の妖精越しなので黄色っぽい風景だが、埃が相当溜まっているように窺えた。


 どんな理由でかは不明だがここは放棄された部屋のようだ。期待に胸を膨らませてテッラに室内を回ってもらうと、それらしき背表紙の書物が見つかる。


「テッラ、土人形を出して、その本を取り出してくれないか?」


『ワカッタ。出ス』


 テッラは物理的な制約を受けない代わりに触れることもできないので、代わりに土人形を作ってもらって本棚から本を取り出してもらう。


「あった、これだ!」


 ここまで来て見つからなかったらどうしようかと心配していたティアナだったが、ようやく目当ての魔法書が見つかった。


 冷え込む真夜中に不法侵入をしてまでしてようやく見つけた魔法書であるが、これで終わったわけではない。問題はここからだ。


 今見つけた禁忌の魔法書を今度は今ある場所から取り出さないといけない。さてどうしたものかとティアナは再び考えた。

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