第8章エピローグ

 真っ二つに切断された巨大な黒いサイが瘴気をあげる中、邪神討伐隊の反撃が始まった。半人半魔に苦戦しつつも、混乱から脱して数の力を活用できるようになったのだ。


 信じる神を倒され、急速に戦況が不利になってゆくのを目の当たりにしながらヘルゲは茫然自失のままだった。それをウッツが霧の丘へと引きずってゆく。


 しかし、首謀者とおぼしき者をそのまま見逃すはずもなく、インゴルフをはじめとした傭兵達が追いすがった。それをラウラやユッタに籠絡された男達が防いで退却している。


 生き残っていた半人半魔がユッタの声に反応して一斉にインゴルフ達に襲いかかる。数こそ少ないものの、背後から仕掛けられたことで追撃組は混乱した。


 戦いが完全に終わったのはヘルゲ達が霧の丘へと去ってしばらくしてからだ。最後の半人半魔が倒されて、ようやく剣撃の音と喚声が野営地から消えた。


 土の馬に乗ったままのティアナはアルマとリンニーの元へと向かう。そして、へたり込んでいるリンニーのそばで土の馬から下りた。


「リンニー、お疲れさまです。ヘルゲには逃げられたようですね」


「なんかいっぱい人が来て大変だった~」


「おかえり。大活躍だったじゃないの」


「追いかけっこした上に、最後は勇者殿に押しつけてしまいましたけどね」


 力なく笑ったティアナは勇者の方へと目を向けた。自分で斬った半透明な黒い巨体二つに光の刃をしきりに突き立てている。その度に強い瘴気が吹き出していた。


 事後処理をしている勇者を三人で眺めていると、インゴルフがやってくる。


「よぉ、おめぇら! まさかあんな派手に暴れるたぁな!」


「霧の丘であの大きな魔物にいきなり出くわして逃げるのに必死でしたよ」


「そういや、馬みたいなのに乗ってたな。あれはどうしたんだ?」


「リンニーに魔法で作ってもらったものです。用が済んだので土に戻りました」


「へぇ、便利なことができるんだな! ところで、おめぇらもこの討伐隊に入ってたのかよ? だったら一声かけてくれたらよかったのに」


「忙しそうでしたから遠慮しました」


 本音の部分は違うのだが、ティアナはとりあえず良い顔をしておいた。


 アルマとリンニーも交えて話をしていると、仲間に呼ばれたインゴルフが去って行く。再び三人だけになった。


 最初にアルマが口を開く。


「これで懸案だった神様の問題は解決したってことでいいのよね?」


「そうだね~。ただ、不完全でも大半が一つになったテネブーがあれで完全に消滅するとは考えられないけどな~」


「なによ。あそこからまた復活するの?」


「すぐには復活しないよ~。ルーメンの光であれだけ斬られてるから、斬られる前の状態になるだけでも何百年もかかるんじゃないかな~」


「人間のあたし達にとっちゃ、遙か未来の話ね」


「うん。だから二人はもう気にすることはないよ~」


 話を聞いていたティアナは、この件がもう自分の手を離れたと思って安堵のため息をついた。これでようやく自分の本題に戻れるのだ。


 二人の話は更に続く。


「ただね、このままだとちょっと良くないかな~って思うの~」


「なにがよ?」


「今のままだとテネブーはどこへでも自由に行けちゃうから、いろんなところで悪さをするんじゃないかなって思うの~」


「待って、それってまずいじゃない」


「そうなんだけど、今のわたし達じゃ何もできないから~」


 言い終わるとリンニーが勇者へと顔を向けた。今も熱心に勇者は光の刃を半透明な黒い巨体に突き刺している。あれでは根本的な解決になっていないことを知っているリンニーは微妙な表情を浮かべていた。


 話を聞いたアルマが小さくため息をつくとティアナへ近づく。


「だそうよ。完全ではないけど、一応あたし達ができることはやったらしいわ」


「ええ、そうですね」


「なによ。納得してないって顔ね?」


 問いかけられたティアナは面食らった。自分では納得していたつもりだったからだ。


 ため息をついたティアナは肩の力が抜けたからか、自分の視覚が風の精霊を通して見ているままであることに気が付いた。


 もう戦うことがないのなら憑依を解除しようと思い立つ。なんだか随分と久しぶりな気がした。


「ウェントス、目が見える魔法を解除して、私の体から出てきてくださ」


 最後まで言い切る寸前でティアナは口を止めた。何かが頭に引っかかったのだ。


 もう一度勇者に斬られた半透明な黒い巨体を見る。ある程度小さくなったとはいえ、元が大きかったのでまだ相応の体躯が残っていた。


 途中で言葉を切ったティアナにアルマが不思議そうに尋ねる。


「どうしたのよ? 何かあるの?」


「えっと、何か閃いた気がするのですが、それが何だったのかはっきりとしなくて」


「うわ、地味に苛つくやつよね。結局思い出せないままのときは腹が立つわ」


 苦笑いしたアルマが何度も小さくうなずいた。歯の隙間に食べかすが詰まって気になるのと並んで嫌なやつだ。


 話をしながらもティアナが尚半透明な黒い巨体を見ていると、そのうち大きめの黒っぽい塊が巨体から抜け出してふわりと浮いた。そして、そのままゆっくりと霧の丘に向かって流れてゆく。


 気になったティアナがリンニーへと問いかけた。


「あの黒い塊は何ですか?」


「え? どれ~?」


「ほら、あそこに浮いているやつです」


「あ~、テネブーの魂だね~」


「あれだけはっきりと見えるのに、誰も気にしていないのはなぜでしょう?」


「普通は人間には見えないよ~。ティアナは精霊の魔法をかけてもらっているから気付けたんだからね~」


「姿を消した精霊みたいなものですか?」


「そうだよ~」


 少しずつ遠ざかってゆく黒い塊を見ながらティアナはリンニーの説明を聞く。そうして無言になったとき、先程何を閃いたのか思い出した。


「あ! リンニー、あれって精霊か霊体みたいなものですよね?」


「そ、そうだけど~。いきなりどうしたの~?」


「でしたら、私に憑依させることってできませんか?」


「え~?」


 驚いたリンニーが呆然とする。隣で聞いていたアルマが眉をひそめる。


 それを無視してティアナは説明を始めた。


「あれがテネブーの魂なのだとしたら、霊体や精霊みたいに私へ憑依させて逃げられないようにできるのではないですか? そして、後で封印できる方法を考えるのです」


「あんたそんなことして平気なの?」


「今までの憑依で乗っ取られたことはありませんし、力を使わなければ私の中にいるだけですから平気だと思いますよ」


「そんな都合良くいくものなの?」


「正直とても怖いですけどね。ただ、やらないと数百年後に困るのでしょう?」


 別に未来の人間の安否を気遣ったわけではない。そのときにリンニー達が対処することになったら困ると思ったからだ。


 尚もアルマは不安がるが、逆に珍しくリンニーは乗り気となる。


「そうだね~! やってくれるとわたしも嬉しいかな~! でも、危なくなったらすぐに外に出してよ~?」


「もちろんそうするつもりです。私だって本当に乗っ取られるのは嫌ですからね」


 多数決で方針が決まるとティアナは黒い塊へ向かって走った。その間に風の精霊と火の精霊の憑依を解除する。


 走るティアナの視界は依然として灰色のままだ。憑依を解いただけで魔法はそのままだからである。そうでないと黒い塊が見えない。


 次第に彼我の距離が縮まり、やがてティアナは黒い塊のすぐそばまでやってくる。


 先程の巨大な黒いサイとの戦いを思い出して一度躊躇う。触れて干からびる可能性はあるからだ。そのときの対処方法を考えていないことを今になって思い出した。


 ただ、この黒い塊を見ていると、不安になるのと同時に随分と弱々しく思える。なので、なんとなくやれそうな気がした。


 一度大きく呼吸をすると、ティアナは黒い塊に手を差し出して触れた。


「私に憑依してください」


 言い終わると同時に黒い塊が突然消える。同時にティアナの中に何かの存在が現れた。いつも精霊を憑依させるときの感覚と同じだ。


「あっさりと成功しましたね。それにしても、あれだけ暴れていた神様にしてはおとなしいではありませんか」


 憑依させた瞬間から騒いで仕方ないのではとティアナは身構える。しかし、無反応という予想外の事態に若干戸惑った。


 眉をひそめて様子を見ていたティアナの元にアルマとリンニーが歩み寄ってくる。


「成功した、のよね?」


「ええ。まったく反応がないので驚きましたが」


「今は意識も何もないんじゃないかな~。もう本当に核の部分しかないみたいだし~」


「そんなぎりぎりまで削り取られているのですか、これは?」


「ルーメンの光で結構危ないところまで斬られたんだと思うよ~」


 説明されてもわからなかったのでティアナは何となくうなずくしかない。それでも、おとなしくしてくれているのだったら、それはそれで都合が良かった。


 ようやく大きな問題を片付けたと思えば再び面倒なことを引き受けてしまったティアナだったが、精神的にすっきりとしたので心が軽い。


 さてこれからどうしようかとティアナ達が考えていると、インゴルフを伴ったアレックスがやってくる。


「ティアナ、さっきはありがとう! よくあの化け物を引きつけてくれたね!」


「白い司教の服を着た人と戦っていたときにあのサイもどき、いえ、邪神に目を付けられてしまっただけです」


「邪教徒の司教だね。まさか自分から出てくるとは思わなかったよ。インゴルフも言ってたけど、あれが邪神だったのかい?」


「あの邪神が復活したときに、その司教が言ってましたから」


 そこからはアレックスに尋ねられて霧の丘であったことを説明した。生き延びたはずの傭兵をそのままにしたことも伝えると、救助隊を向かわせることを約束してくれる。


 一通りの話が終わると、話題はティアナ達へと向けられた。


「それにしても、あの馬みたいなのはすごかったね! ティアナが召喚したのかい?」


「いえ、こちらのリンニーに作ってもらいました」


「え? あ、あはは~」


「他にも、いきなりアルマからきみの伝言を聞かされたときは驚いたよ。アルマも魔法が使えたんだ」


「いえいえ! あたしは使えませんよ。あれはティアナの魔法です」


「きみだったのか! そういえば、この討伐隊に参加していたんだってね。知らなかったよ。ちゃんと名簿を見ておけば良かったな」


 アレックスの話題にのぼる度に皆が微妙に居心地悪そうだ。三人とも何となく勇者に苦手意識があった。


 そうやって自分が話題になる度に三人が他の仲間へと話を逸らそうとしていると、インゴルフも入ってくる。


「しかしよぉ、あれだけ探すのに苦労してた邪神がこうもあっさりと倒されるたぁなぁ。さすがアレックス隊長ってところっすね!」


「はっはっはっ! みんなが協力してくれたおかげだよ! これで胸を張って本部に帰れるってものさ!」


「討伐隊に反対していた連中の鼻を明かしてやれるなぁ!」


「まぁね。それよりも、ようやく大任を果たせたっていう安心感の方が大きいかな」


「とりあえずは、味方の救助と邪教徒の捜索をしばらくやってからですな。本部に帰ってからは祝勝会! 実は期待してるんっすよね!」


「邪神を倒したんだから派手になるだろうな。それはそれで楽しみだね」


 すっかりテネブーを殺したと思い込んでいるアレックスとインゴルフからティアナ達がそっと目を逸らす。実際はティアナの中にいるのだがさすがに話せない。


 どうやって話題を逸らそうかと三人が考えていると、アレックスがティアナに顔を向けてくる。


「そうだ、もちろんきみの協力もちゃんと報告するよ。功績は正しく評価されるべきだからね。俺を助けたから褒美も期待できるだろうし」


「私なんて逃げ回っていただけですから、別にそこまでしていただかなくても」


「そういうわけにはいかないよ。邪神を倒した経緯は細かく報告するんだから、誰が何をしたのか正確に説明しないといけないんだ」


「アレックス隊長、オレのことも報告してもらえるんすよね!?」


「ああもちろんだとも」


「っしゃぁ! 聖教団の記録に載ったら将来は安泰だぜ!」


「なるほどね。確かに。だったら、そのうち芝居にもなるから、インゴルフも出てくるんじゃないかな」


「マジか!? すげぇ! これで女にモテモテだぜ!」


 勇者の話を聞いて明るい未来を想像したインゴルフがはしゃいでいた。


 一方、正面で話を聞いていたティアナは顔を引きつらせる。街中で同じ名前だと指差される将来を想像して目眩を覚えた。


 何とか名前の記載を阻止しようとティアナがアレックスに訴える。


「あの、今後の旅のことも考えますと、お芝居などで名前を広められるのは困るので、私の名前は伏せて報告してもらえませんか?」


「その必要はないと思う。少なくとも芝居では、ティアナの名前は別の名前に置き換えられるだろうから」


「なぜですか?」


「こう言っては悪いけど、聖教徒じゃないからだよ。活躍したのは全部聖教徒であってほしいだろうからね、本部は」


 功績を独り占めにしたいという思惑の他にも色々と察したティアナは微妙な表情でうなずいた。自分達の功績を広めるためにも聖教団は芝居を広めようとするはずなので、最初から対策をしておくわけだ。


 そういうことならば大きな懸念事項はもうない。今後のことをティアナはアレックスに伝える。


「ここでの事後処理が終わりましたら、最初の街で除隊しますね」


「え、どうして?」


「やるべきことが終わったからです。聖教団からの褒美には興味ありませんから、本部まで行く理由は私達にはありませんし」


「ええ? 珍しい傭兵だね」


「はっはっは! だったらおめぇの分の褒美もオレがもらっておいてやるぜ!」


「いやさすがにそういうわけにはいかないよ」


 ティアナの言葉に戸惑うアレックスは、インゴルフの主張に呆れて突っ込みを入れた。


 褒美は不要と格好の良いことをティアナは言ったが、実際はそれだけが理由ではない。万が一邪神を内包していると知られたら討伐対象に認定されかねないからだ。


 その後もしばらくはアレックスからの誘いを受けたがティアナ達はすべて固辞する。こればかりはどうしても辞退しなければ自分達の身が危ない。


 最終的にはどうにか意見を貫くことができた。ティアナ達が邪神討伐隊から離れたのは初夏に入ってからだった。

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