二兎は追えない

 包囲網から抜け出そうとするティアナだったが、合計八人の敵に阻まれて思うようにいかなかった。戦う分には互角でも位置取りが自由にできるわけではない。


 嬉しそうにウッツがティアナに語りかけてくる。


「もうちょい待ってな。すぐに今までの借りを全部返してやるからなぁ!」


「あなたに何かを貸した覚えなんてありません!」


「そっちにはなくてもこっちにはあるんだよ!」


 前に出てきたウッツが突き出した金属の棒を受け流しながら、ティアナは左横から切り込んできた男の斬撃を右後方に下がって避けた。しかし、直後に右側から剣で突かれる。相手は休みなくティアナを攻め立てた。息をつく暇もない。


 もう少し状況を見てからと考えていたティアナだったが一向に埒が開かなかった。仕方なく、不安を抱えながらも自分に憑依している魂から力を引き出す。


 一瞬、目の前が真っ暗となりすぐに視界が明瞭となった。同時にティアナの体に力がみなぎる。自分の奥底からは激情が湧き出るように、周囲からは湿気がまとわりつくように体へと何かが行き渡る。


 体に何かが行き渡るにつれて真っ黒い感情が沸き立った。周囲にあるものをすべて静かに沈殿させたい。生きている者やその織りなすものがすべて目障りだ。


 だから、周りでちょこまかと動いている連中にたまらなく腹が立つ。


「ああもうお前ら、鬱陶しいぞ!」


 突然今までにない怒りの形相を浮かべたティアナが、言葉遣いも乱暴に繰り出された剣を荒々しく跳ね飛ばした。あまりの力強さに剣を手にしていた襲撃者が体勢を崩す。更にその大きく空いた胴にティアナが長剣を一閃させた。


 傷口から大量の血を流す襲撃者が臓物を抱えながら崩れ落ちる。その頭を長剣でかち割ったティアナがウッツを睨んだ。


「私に借りを返すって言ってたよなぁ、あなた」


 丁寧だが雑な言葉遣いで、かつ女の声で男のように粗雑な口調でティアナが唸った。今までとは明らかに様子が違う。まるで別人のようだ。


 抑えきれない敵意を真正面からぶつけられたウッツが顔を引きつらせる。


「てめぇ、本当にティアナなのかよ?」


「ええ、もちろんティアナですよ? 他の誰に見えるのですか?」


 すっかり変貌したティアナだったが、こちらはこちらで内心自分の感情を制御するのに四苦八苦していた。思うがままに周りへと当たり散らそうとする体をどうにか押さえる。


 その隙にウッツは他の五人にティアナを任せて下がったが、一体何が起きているのかわからない。


 近くで動揺しているユッタが問いかけてくる。


「あれ、いきなりどうしたっていうのよ!?」


「知らねぇよ! こっちが知りてぇくらいだ!」


 まさかティアナにテネブーが憑依しているとは知らないウッツが怒鳴り返した。


 相手の傭兵四人がいきなり退いてたときはティアナ殺害に成功したと思ったウッツとユッタだったが、その認識が間違っていたことを思い知る。明らかに以前とは段違いな実力に二人とも震え上がった。


 一人、また一人と手下を殺されていくのを見ながらウッツが提案する。


「ダメだ、まるで相手になんねぇ! こりゃ逃げた方がいいぜ!」


「そうね。今のあたし達じゃ相手にならないわ。ヘルゲのところへ戻りましょう」


 逃げることを即座に決めたユッタはうなずくと、踵を返して走った。ウッツも続く。天秤が完全に傾く前に危険な場所から遠ざかるべきだ。


 二人が逃げていく中、ティアナは残っていた襲撃者をすべて切り伏せた。先程まで埒が開かなかった状況がテネブーの力を引き出したことで簡単に解決する。


 一息ついたティアナが長剣の血糊を振り払った。周囲を見ると丸一日激しく降っていた雨はようやく上がったようだ。周囲には湿気が充満して息苦しい。


 荷馬車のある方へと目を向けると、そこでは乱戦が繰り広げられていた。敵味方の数はほぼ拮抗しているようでほぼ一対一で戦っている。


 ただ、魔法を使って戦いに参加しているのは水の精霊だけのようだ。土の精霊が小さな土人形を動かしているようだが、リンニー共々新たに土人形を作っている様子はない。


「アルマ達を返したのは正解でしたね」


 敵の新手を察知したときにすぐ決断できてティアナは安堵した。あちらの戦いは拮抗しているようなので、ここで精霊が魔法を使えるようになると形勢は大きく動くだろう。


 そうなると、自分達の魔法を阻害している者達を倒さなければならない。新手の襲撃者の方はそもそも妨害している魔法使いがいるのか、いたとしてどこに隠れているのかわからなかった。しかし、最初に襲撃してきたウッツ達の方ならばわかる。


 森の奥へと進む前にティアナは周囲を見渡した。ある意味よく見知った敵がいないことにティアナは眉をひそめる。


「ウッツとユッタがいない? ああ、あそこね」


 先程まで戦っていた相手二人の居場所を知ってティアナは目を細めた。森の中で固まっている五人組に合流したようである。


 一瞬、先にリンニー達を助けてから向かおうかと迷ったティアナだったが、すぐに頭を横に振った。今なら自分一人で七人を相手にできるので、逃げられる前に倒すべきと考え直したのだ。


 一度体を動かしかけて止めたティアナは今度こそ森の奥へと駆けた。


 足を泥に取られることをものともせずにティアナは進む。森の中は街道以上に暗いが、今のティアナには昼より明るく見える。草木で隠れたその奥でさえも明瞭に感じ取れた。


 その感覚によると、ウッツとユッタは元から森に隠れていた五人のうちの一人と口論しているようだ。今のティアナであれば多少離れたところからでも声が聞こえる。


「だからヤバイんですって! 今すぐ逃げねぇと死んじまいますよ!」


「何を言うか! あいつらの魔法を押さえ込んでいる今ならどうにかなるだろう!」


「ティアナが途中からおかしくなったんすよ! あれ絶対ヤバイのが取り憑いてますぜ! あっという間にゴロツキどもが殺されたんですから!」


「八人もいてティアナ一人殺せんわけがない! 差し違えれば殺せるはずだ!」


 魔法で周囲よりいくらか明るくしているらしく、そちらへと近づくとウッツとヘルゲの声がはっきりと聞こえてきた。逃げるよう勧めるウッツにヘルゲが反対している。どちらも必死だ。


 そこへユッタも口を挟んでくる。


「あれを見ていないから信じられない気持ちはわかるけど、途中からあたし達の知ってるティアナじゃなくなったのは確かよ。たちの悪い悪霊を憑依させてるのかもしれないわ」


「しかしそんなことを言っていると、ティアナは永遠に殺せぬではないか!」


「何を憑依しているか次第なら、次にもっとましなものを憑依させているときに狙えばいいじゃない。焦ると元も子もなくなるわよ」


 テネブーを悪霊呼ばわりしていることにティアナは苦笑したが、ユッタの言っていることは正しかった。今回テネブーを憑依させていなければヘルゲ達の思惑通りになっていたからだ。


 ともかく、これ以上相手の口論を聞く必要はないと判断したティアナは仕掛ける。一気にヘルゲ達の前へと躍り出た。


「はっ!」


「ぎゃっ!」


 尊き主の像に祈りを捧げていた襲撃者が首筋に剣を叩き込まれて呻いた。ティアナが剣を引き抜くと崩れ落ちる。


 その悲鳴を聞いたヘルゲ達六人が一斉にティアナへと顔を向けた。そして目を見開く。


「お前は、ティアナ!」


「こんばんは!」


 剣を振るって血糊を振り払ったティアナはヘルゲに斬りかかった。しかし、とっさに地面に転がったヘルゲにかろうじて避けられてしまう。


 これを合図に周囲にいるヘルゲ達は散開した。


 直後にティアナは周囲から体に湿気のようにまとわりついてくる何かが薄くなったことを感じる。これである程度動きが鈍ると直感したが、同時にリンニーや精霊の魔法は威力を回復することも理解した。


 一方、難を逃れたヘルゲはすぐに立ち上がった。泥だらけになり顔を強張らせながらも命じる。


「ウッツ、ユッタ、ティアナは殺せ!」


「無茶ですぜ!?」


 叫んだヘルゲは生き残った部下三人に囲まれるようにして身構えた。その部下三人はいずれも武器を持っていないことから魔法使いであることがわかる。そしてティアナを挟んで反対側には、逃げる機を逃したウッツとユッタが武器を構えて対峙していた。


 挟まれる形となったティアナは前後ではなく左右で二方向の襲撃者達と対峙する。


「お前のせいで、私は散々な目に遭ったのだ。絶対に許さんぞ!」


「悪者が困ることは良いことですから嬉しいですよ。それに、すべて自業自得でしょう」


「やかましい! やれ!」


 目を剥いたヘルゲが叫ぶと、魔法使い三人が一斉に魔法を撃ってきた。二人が火の玉、一人が風の刃だ。


 三人の魔法使いは連携攻撃ができるらしく、ティアナが初回の攻撃を避けるとまるで誘導するように魔法を撃ってくる。


「微妙に鬱陶しいですね!」


 いい加減苛立ってきたので一旦ある木の裏側に隠れたティアナだったが、今度はウッツが切り込んできた。


「オラァ!」


 全力で打ち込まれてきた金属の棒を長剣で受け流したティアナは、転がるようにして避けた。しかし、続いてユッタが短剣で切り込んでくる。


「死になさい!」


「あーもう!」


 今度こそ本当に転がって避けたティアナは悪態をついた。細かい石ころなどが鎧のない部分から体を刺して痛い。


 立ち上がって周囲を見ると、ティアナの前にウッツとユッタが武器を構えている。


「憑依体質だってのは聞いてたが、一体何が取り憑いてやがんだよ」


「まったくね。よほどたちの悪い悪霊に取り憑かれているに違いないわ」


「あなた達の信奉する神様じゃないですか。神様に逆らうと罰が当たりますよ?」


「けっ、悪い冗談だぜ!」


「そんな神なんていらないわ」


「何であれ、殺しますけどね!」


 暗い笑みを浮かべるティアナが正面のウッツに斬りかかった。反撃を考えない大きな避け方をされたためにその刃先は空を切る。


 一瞬遅れて今度はユッタが短剣を突き出してきた。ティアナはウッツが避けたことによって大きく空いた左前方へ転がるようにして避ける。


 体勢を立て直して剣を構えたティアナは周囲を見た。お互いの立ち位置が変わっただけで状況は変わっていない。一瞬で相手を葬り去るような魔法が使えないのがもどかしく思えた。これも憑依しているテネブーの魂が不完全だからだろうかと脳裏によぎる。


 そこまで考えてティアナは気付いた。自分の近くにいるのはウッツとユッタだけである。感覚を研ぎ澄ませて注意深く周囲を探ると、この場から離れる四人の存在を捉えた。


 ヘルゲ達がいないことに目の前の二人も気付いたようだ。ウッツが悪態をつく。


「くそっ、あいつ自分だけ逃げやがった!」


 その様子にこの状況が相手も望んだものではないことをティアナは理解した。


 ここでどうするべきかティアナは迷う。ウッツとユッタを倒すのは恐らく時間がかかり、ヘルゲを逃がしてしまう可能性が高い。逆に、この二人を放り出してしまえば今ならヘルゲに追いつける。


 遠ざかる足音を聞きながらティアナも長剣を構えた。ここで時間をかけてはいられない。


 どうすべきかティアナが考えている間にウッツが動いた。金属製の棒で殴り込んでくる。


「オラァ!」


「そんなもの!」


 テネブーの力を引き出して普段以上の実力を発揮できるティアナは、恐れることなくその攻撃を受け流した。そのまま体を半回転させてウッツの背中を斬りつけようとしたが、脇からユッタに攻撃されて強引に後退する。


 ちょうど二人の襲撃者を正面に据えることになったティアナは、構え直そうとするウッツへと大きく踏み込んで上げた長剣を振り下ろそうとした。しかし、泥を蹴り上げられて一瞬視界を遮られてしまう。


「小細工を!」


「ユッタ、逃げるぞ!」


「ええ!」


 腕で泥を防いだティアナはすぐに声のする方へと目を向けた。そこには森の奥へと走り去っていくウッツとユッタの後ろ姿が見える。


「ちっ、あなたも同じじゃないですか」


 悪態をついたティアナが顔をしかめた。ヘルゲとは反対側に逃げていく二人の気配に殺意のこもった視線を一瞬だけ向ける。


 顔をしかめたティアナはすぐに周囲の気配を探った。テネブーの魂のおかげで闇の中では広範囲の状況がわかる。二つの集団が別の方向へ遠ざかっていくのが感じ取れた。討ち取れるのはどちらか一方だけである。


「はぁ、仕方ないですね」


 いつまでも迷っているとどちらも逃がしてしまう。ティアナは片方に足を向けて走り出した。

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