仕掛けの成果
日が沈む頃になると雨足は弱くなった。荷馬車を叩く雨音も柔らかくなり、ティアナ達の心情も幾分か楽になる。
一行は森の中で野宿することになったわけだが、一晩を過ごすのは荷馬車の中だ。雨露と湿気を防ぐためにも選択の余地はない。
街道はすっかり茶色い雨水に覆われていた。まるで川か細長い池のようだ。荷馬車は泥濘から逃れるために街道から脇に逸れて草地に乗り上げる。
御者の二人はすぐに馬を荷馬車から解放すると近くの木に括り付けた。一日の労働から解放された馬二頭は足下の草を食み始める。
辺りはすっかり暗くなっており、精霊の魔法で視覚を確保しないと何も見えない。幌の垂れ幕を脇にずらして外を見ると、森の木々の濃密な臭いが入り込んできた。
雨音を聞きながらもそもそと干し肉を食べていたリンニーがつぶやく。
「おいしくない~」
「町に着いたら温かい物をたくさん食べましょ」
「わかった~」
小さいため息をついたアルマに諭されたリンニーが、不満そうな表情を浮かべながらも素直に答えた。
一方、ティアナは眉をひそめて火の精霊を呼び出す。
「イグニス、姿を現してください」
呼びかけに応じた火の精霊は半透明な姿を見せた。しかし、いつもよりその勢いは弱い。
半透明な火柱の奥に見えるリンニーにティアナは声をかける。
「リンニー、イグニスに雨のせいで弱っているか聞いてください」
「ティアナはああ言ってるけど、どうかな~? 外に出たくないって言ってるよ~」
「やはりですか。となると、アクアの調子は良くなるわけですよね」
「アクア~? うん、外に出たいって言ってるね~」
精霊達の返答を聞いたティアナはうなずいた。雨の音を聞いていて、邪神討伐隊に参加したときのことを思い出したのだ。
風と土の精霊は雨の影響を受けないことを知っているので、この状況だと火の精霊だけ期待できない。ティアナ達は四人なので全員が精霊に守ってもらえるが不安に思った。
精霊の話が一段落するとトゥーディがティアナに尋ねてくる。
「夜の見張りはどうするのかな?」
「馬車がありますから死角を減らすためにも二人は起きておくべきですが」
「私とエーミールは歩哨に立ちますよ。インゴルフ達は隠れておく必要がありますが」
「ちょいと気が引けるが、連中が襲ってきたらその分働くぜ」
ティアナがベンヤミンとインゴルフに視線を向けると、二人はそれぞれ答えた。伏兵である以上、そのときが来るまで姿を隠さなければならないのだ。
仕方がないのでどんな順番にしようか六人で話し始めた。するとすぐにリンニーが水の精霊を見ながら口を開く。
「アクアがたくさんの誰かが近づいてるって言ってるよ~? 十人くらい~?」
「こんなところで知り合いと会うわけありませんよね。そうなりますと、敵ですか。よく気づきましたね」
「大きな水たまりがいっぱいあるからすぐにわかるんだよ~」
環境によって精霊の調子が良くなるだけでなく、周囲に利用できるものも増えることをティアナ達は知った。
こうなるともう全員で戦うしかない。ティアナが全員に告げる。
「馬車の中にいては何もできません。外へ出ましょう」
「へへ、待たなくてもいいってのは嬉しいぜ!」
すぐに決断したティアナ達は車外に出た。足下で派手な水音がする。
精霊の魔法で明瞭な視界には、馬車の左後方から頭巾付き外套の一団が慎重に近づいて来るのが見える。五人一組が二集団だ。明かりは持っていないようだが、四人は弓を手にしていた。
同じく馬車から出てきたリンニーが相手の様子を見て警告する。
「十人以外にも森の奥に五人いて、みんな敵意があるってアクアが言ってるよ~」
「こんな状態で近づいてくるのですから当然ですね。インゴルフ、ベンヤミンさん、暗いですが周囲は見えますか?」
「駄目だな。ほとんど見えねぇ。月が出てりゃな」
「こちらも同じです。夜間戦闘の経験はあるので、わずかな光があればなんとか」
「イグニスはインゴルフ達四人の上にいて、敵が近づいて来たらその姿が見えるよう火の玉で周囲を照らして。テッラはリンニーを、アクアはアルマを、ウェントスはトゥーディを守って」
味方の状態を確認したティアナが精霊に次々指示を出していった。その指示を聞いたアルマとリンニーが目を見開く。ティアナにだけ精霊の守りがない。
一方、襲撃者達は途中で動きを止めた。どれだけ視界が利いているのか不明だが、荷馬車からティアナ達が降りたときの水音で異変を察知したらしい。
相手の行動に変化があったことを知ったティアナもそれに合わせて周囲に指示する。
「トゥーディ、ベンヤミンさん、エーミールさん。リンニーを守ってください」
「わかった。こっちは任せて」
「それなら私は正面、エーミールはリンニーの右側を任せる」
「承知しました」
荷馬車の左側面に立つリンニーを中心にトゥーディと御者の二人が身構えた。
守りを固めた後のティアナは続いて攻めの指示を出す。
「リンニーは光の玉で相手を照らし出して」
「わかった~!」
元気よく応じたリンニーが手のひらから光の玉を生み出して襲撃者に向かわせた。その大きさがいつもより小ぶりなのを見て、やはりと納得する。
「インゴルフ、私はアルマと弓矢の四人を相手にします。そちらは剣を持つ方をお願いします」
「一人貸してやろうか?」
「そちらの五人を早く倒してくれたら良いでしょう?」
「その通りだな! よし、おめぇら、行くぞ!」
小ぶりであっても光の玉は周囲を照らすため、弱々しくとも襲撃者十人の姿を浮かび上がらせた。それに向かってティアナとインゴルフ達の四人は駆けてゆく。
奇襲が完全に失敗した襲撃者側は、対抗して弓兵側の奥にいる一人が光の玉をリンニー達に向けて投げつけた。そして、四人が弓をつがえて一斉に放つ。
「矢が来るぞ!」
飛来する矢を視認したトゥーディが叫んだ。
四本の矢は三人に飛来する。トゥーディは小型の魔法の道具で薄い膜の防壁を出現させて矢を防ぎ、ベンヤミンは剣で弾き、リンニーへのものは一本を小さい土人形が受け止め、もう一本はテッラが土壁で防いだ。
その間に、ティアナ達六人は襲撃者へと突き進む。同時に相手の剣を持った五人組が弓兵を守るように前へと出てきた。その中の一人が叫ぶ。
「その女をぶっ殺せ!」
他の四人が蛮声を上げてティアナに襲いかかってきた。
襲いかかってくる四人に対してインゴルフ達が立ち向かう。初撃を受けると激しい剣戟の音が鳴り始めた。その頭上には火の精霊が出した火の玉が辺りを照らしている。
乱戦の中を通り過ぎたティアナとアルマは、矢を放っていた弓兵へと近づいた。弓を手にしているのならそのまま倒してしまおうとしていた二人だったが、既に剣へと武器を持ち替えている。
「うまくいきませんね!」
「ティアナ、来るわよ!」
迎撃態勢を整えていた相手が二人とぶつかった。一人がアルマと、三人がティアナと剣を交える。最後の一人は、少し離れて光の矢を構えた。そして、ティアナへと撃つ。
「死になさい!」
「その声は、ユッタ!?」
顔が見えなかったので今まで相手の正体は不明だったが、聞こえた声で何者か気付けた。そうなると、他の五人組の指導者も誰か見当がついてくる。
「インゴルフ達と戦っている組はウッツで、森の中にいる組はヘルゲが指揮してるのでしょうね」
「さぁどうかしら?」
ユッタからの返答を聞きながらティアナは自分を囲んでいる三人と剣戟を交わし続けた。やはりいつもよりも調子が良い。これならばこのまま押し切れると考える。
そしてユッタの動きを気にしていたティアナだったが、馬車の後方から喚声があがるのを耳にした。思わず振り向くと、リンニー達に向かって新たな襲撃者が迫っている。
「増援!? まさか!」
最初に水の精霊が敵察知してくれたときにはいなかった新手にティアナは驚愕した。連携を取るのなら近場に隠れていたはずだが、今まで発見できなかった理由がわからない。
ただ、このままだとリンニー達四人が危なかった。新たな襲撃者は十人程度いるからだ。
即座の決断を迫られたティアナが強引にアルマの戦いへと割って入る。
「どうしたのよ!?」
「今すぐインゴルフ達と一緒にリンニーのところへ戻りますよ! 敵の新手です!」
「うそ!?」
急報を聞いたアルマが思わず振り向いた。既にリンニー達四人が襲撃者と戦う寸前だ。
体を固まらせたアルマにティアナが叫ぶ。
「あなたは先に行って! 私はインゴルフ達と戻ります!」
「わかったわ!」
声をかけられて我に返ったアルマがうなずき、すぐに踵を返した。
もちろん、今相手にしている敵がティアナを簡単に逃すはずはない。剣を持った四人と光の矢で牽制してくるユッタが足止めしようとする。
「こんな機会、逃すはずないでしょ?」
「そう都合良くなんていかせませんよ!」
ここで倒れるわけにはいかないとティアナは剣を振るった。左側から突き込まれた長剣を剣で受け流し、返す剣で右側から突き出される短剣を弾きながら体を前に押し出す。
驚いたことに先程よりも更に体の調子が良くなっていた。以前オストハンの路地裏の広場で襲われたとき以上だ。
「新手にも魔法使いがいる?」
四人を相手にしながらまったく引けを取らず、更には周囲を見る余裕すらあることにティアナは驚いた。
ともかく、四人の包囲網から抜け出したティアナが叫ぶ。
「インゴルフ、リンニー達のところへ戻ります! 別方向から新手が来ました!」
「おっしゃ、一人倒したぁ! って、敵の増援だぁ!? しゃぁねぇ、てめぇら戻るぞ!」
敵一人を倒したところで急変を告げられたインゴルフが驚いた。しかし、さすがは乱戦に慣れたものですぐに仲間と共に敵と距離を取る。
自分も急いで続こうとしたティアナだったが、こちらはインゴルフ達のようにはうまくいかなかった。というより、襲撃者はティアナへと的を絞る。
「ザコには構うな! てめぇら、ティアナに集中しろ!」
二人倒された五人組の一人が号令をかけた。ウッツの声だ。
状況が流れ、ティアナは六人の襲撃者に囲まれる。更に背後にはウッツとユッタが控えていた。一度に攻撃できる人数は限られるが、重層的に包囲されるという圧迫感はきつい。
これに気付いたインゴルフが叫ぶ。
「おい、ティアナ!」
「こっちは構いません! 先に行ってください! オストハンでの乱戦がまぐれではないことを証明してみせますよ!」
「はっ、くたばんじゃねぇぞ!」
啖呵を切られたインゴルフは短く笑うと再び背を向けた。
すぐに戦いが再開される。入れ替わり立ち替わり攻撃されるのを巧みに躱しながらティアナは小刻みに反撃していった。しかし、決定打はない。
雨足は次第に弱くなってきたが足場は最悪だった。もはや水たまりではなく湖畔の浅瀬で戦っているようなものだ。おかげで相手の動きがわずかに鈍くなって助かっているものの、ティアナも厄介ではある。
「さすがに、まずいですね!」
完全に膠着した状態にティアナは不安が募った。嫌なことを思いついたのだ。
相手が何らかの理由で魔法を妨害する攻撃をやめてしまうことだ。そうなると動きの鈍くなるティアナは一気にやられてしまう。
しかし、インゴルフ達を救援に向かわせなければリンニー達が危険だ。ティアナの調子が更に良くなったということは新手の襲撃者も尊き主の像でこちらの魔法を妨害している可能性が高い。そうなると、リンニーや精霊はほとんど魔法を使えないはずだった。
どんな選択をしてもどちらか片方が危うくなる状態にティアナは顔をしかめる。
今のティアナが体力切れを起こすことはないし、リンニー達もこのままだと一人ずつ敵を倒してくれるだろう。ただし、それは相手がこのまま何の打開策も講じない場合だが、その保証はない。
もしここでティアナが勝負に出るとするのなら、その方法は一つだけだ。憑依しているテネブーの魂の力を引き出すしかない。今なら相手が気付いていない失策を利用して大きな力を発揮するだろう。
問題は、本当にそれをやって大丈夫なのかということだ。ティアナ自身は恐らく平気だろう。危険だと判断すれば強制解除すれば良い。
ただ、引き出す力に比例して性格も影響してしまうため、当たり前のように周囲の被害が大きくなるようなことをやりかねなかった。まかり間違えば仲間も傷つけてしまう。
ティアナは思わず歯噛みする。しかし、時間も選択肢も既に残されていなかった。
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