仕掛けの当日

 港町にティアナ達が戻って来て二日後の朝は雨だった。この時季この地方では珍しく雨足が強い。旅人は一日移動を見合わせ、急ぎの行商人はずぶ濡れ覚悟で出発している。


 雨音で目覚めたティアナ達は窓の外へ目をやりつつ身支度を調えていた。


 荷物を確認しているアルマが白い息を吐く。


「寒い上にこんな土砂降りの中を行くなんて、ついてないわね」


「濡れるのは嫌だから、一日くらい待ちたいな~って思うんだけどな~」


 まなじりを下げたリンニーがつぶやいた。靴の中に雨水が染み込む感覚を思い出したティアナが苦笑いする。


「気持ちはわかりますけど、今回は私達だけではないので、馬車に乗るまでの間だけ我慢してください」


「は~い」


 宿に併設されている食堂で朝食を済ませると、ティアナ達は頭巾と外套で身を固めて宿を出た。


 四人は倉庫街へと向かう。立ち並ぶ倉庫に挟まれるようにして延びている道には、荷馬車がいつも通り頻繁に往来していた。


 行き交う商人や倉庫業者、それに人足などの間を縫って進む。間もなく四人は鉱石を預かってもらっている倉庫にたどり着いた。


 いつもならここからはアルマの出番だが、今日はティアナがそのまま先頭切って歩く。そして、倉庫の前に停車している幌付き荷馬車の横で立ち止まった。


 雨よけの頭巾を目深に被って外套で身を包んで立っている者にティアナは話しかける。


「おはようございます。これから荷物の積み込みですか?」


「いや、積み込みはもう終わったんだ。もうしばらくしたら出発するところだよ」


 意外に若い声でティアナは内心驚いた。勝手に中年だと思い込んでいたのだ。


「これから南の方に行くのでしょうか?」


「いや、西だよ。ザントブルグまで荷物を運ぶんだ」


「でしたら、そこまで乗せていってもらえませんか? この目の前の倉庫に鉱石を置いてあるので、それも一緒に運んでいただきたいのですが」


「そこの三人もかい?」


「はい。もちろん、お代はお支払いしますよ」


「わかった。いいよ」


「ありがとうございます」


 仲間三人の元へティアナが戻って来た。そして、アルマへと顔を向ける。


「倉庫から鉱石をあの荷馬車へ運んでください」


「あの荷馬車でいいの? 確かに幌付きだけど」


「インゴルフと事前に決めた合い言葉が一致しましたから大丈夫です」


「わかったわ。トゥーディ、人足に運んでもらうから小銭を用意して。あたしは倉庫番に話をつけてくるわ」


「いいよ。きみについて行ったらいいのかな?」


 アルマがうなずくとトゥーディは一緒に倉庫へと向かった。


 残ったリンニーにティアナが声をかける。


「リンニー、先に荷馬車に乗り込んでおきましょう。雨に濡れたままでいることはありませんから。寒いでしょう?」


「うん! もう足が冷えて大変なのよ~」


「早く乗ってイグニスに温めてもらいましょうか」


 寒そうにしていたリンニーが笑顔でうなずいた。


 幌付きの荷馬車はティアナ達が思っていたよりも大きく、荷台の位置は少し高い。荷馬車の後方へ回ると幌の垂れ幕が下がっていて中が見えなかった。


 垂れ幕を寄せて中に入ると、人が一人入れそうな長方形の木箱が四つとその他いくつかの木箱が並べられている。


「うわ~もうびしょびしょだよ~」


「外套が絞れそうです。荷物は空いてる場所に置いて外套は干しておきましょう」


「わかった~」


 頭巾と外套を脱いだリンニーは荷馬車の外に手だけを出して絞った。その間にティアナは二人分の荷物をまとめて片隅に置く。


 その後すぐに荷馬車の後方が騒がしくなったかと思うと、次々に丈夫な革袋が放り込まれてきた。トゥーディの鉱石である。


 ティアナが邪魔にならないように革袋を荷馬車の隅に移していると、アルマとトゥーディが入ってきた。


 ずぶ濡れのアルマがため息をつく。


「宿を出て大して時間は経ってないのに、もうこんなに濡れるなんて」


「何もなければ、宿で一日やり過ごしていただろうね」


 濡れた頭巾と外套をトゥーディが脱ぐと荷台の床に雨水の染みが大きくなった。その表情は寒そうだ。


 一方、一足先に荷台へと入っていたリンニーは木箱に座って精霊に声をかける。


「イグニス、こっちに来て~」


「ちょっと、荷台の中で火を出すのはやめなさいよ」


「大丈夫だよ~。イグニスに温めてもらうだけだから~」


 呼ばれた半透明の火柱がティアナの元からリンニーの元へ移った。そして、少し強く輝く。近づくと温かかった。注意したアルマも安全だとわかるとそれ以上は何も言わない。


 荷台の前からずぶ濡れの男が一人入ってきた。頭巾を取ると精悍な若い男だとわかる。


「皆さん、これで全員ですか?」


「はい。いつ出発してもらっても構いませんよ」


「わかりました。申し遅れましたが、私はベンヤミンです。もう一人、御者台にいるのがエーミール。今回はこの二人で御者を務めます。おい、出していいぞ」


 ティアナと挨拶を終えたベンヤミンは、振り返って垂れ幕を少し開けると御者台に声をかけた。すると、馬に鞭を入れる音がして荷馬車が動き始める。


 荷馬車は車輪の振動を直接荷台に伝えてくるため乗り心地は快適とはほど遠い。しかし、今は雨露がしのげるというのが何よりの利点だ。


 頭巾と外套をそのままにベンヤミンが更に言葉を続ける。


「今回の件は聞いております。これからの話は町を出てからにしましょう」


「誰が聞いているかわかりませんものね」


 笑顔でうなずいたティアナが仲間に振り向いた。他の三人も首を縦に振る。


 雨が降る町の中を馬車はゆっくりと移動し、西の門に着いた。そこで門番の検問を受けてから街道へと出る。防壁と堀を境にあれほどあった喧騒がきれいに消えた。


 荷台の前からちらりと外を見たベンヤミンが四人に伝える。


「もういいですよ。まずはインゴルフ達を外に出しましょう」


 そう言うと長方形の木箱の一つをベンヤミンが開けた。中にはインゴルフが窮屈そうに寝そべっている。衣服のみで完全な丸腰だ。


「あ~やっとかよぉ! 苦しかったぜぇ!」


「あんまり大きな声はまずいんじゃないの?」


「もう町の外なんだろ? なら少しくらい大丈夫だって!」


 アルマの忠告を無視したインゴルフは起き上がり、背筋を伸ばすなどして体をほぐし始めた。その間にトーマス、ローマン、ホルガーの三人も次々と木箱から出てくる。


 それを見ていたティアナは足りない物に思い至った。ベンヤミンへと問いかける。


「インゴルフ達もそうですが、あなたも武器は持っていませんよね? どうするのです?」


「他の木箱の中に隠してあります。町の門番は味方ですから見られても構わないですが、念のために」


 返答しながらベンヤミンは近くの正方形の木箱を開けた。すると、中には武具が一式入っている。これを見て、御者の二人も本当に戦えるのだと納得した。


 傭兵四人と同じくベンヤミンも自分の武具を身につける始めたが、先程からリンニーが暖を取っている火の精霊へちらちらを目を向けている。余程珍しいようだ。


 それに気付いたリンニーがベンヤミンに声をかける。


「どうしたの~?」


「あ、いや、その透明な炎が珍しかったので、つい見ていたのです」


「この子~? この子はね、イグニスっていう火の精霊なんだよ~」


「その精霊はあなたの使い魔なのですか?」


「使い魔っていうより、お友達かな~。精霊を見るのは初めてなの~?」


「はい。子供の頃におとぎ話で聞いただけです」


 鎧を身につけている手を止めたベンヤミンは精霊を珍しそうに見ていた。ティアナ達にとっては当たり前の存在である精霊だが、世間では滅多に見かけるものではないのだ。


 雨の降る中、馬車はオストハンから離れて森へと近づいていく。その間に御者と傭兵が戦う準備を終えた。


 空の木箱に腰を下ろしたインゴルフが口を開く。


「それじゃ最後にお互いに知ってることを話し合おうぜ」


「私達の方はあれから特に何もありませんよ?」


「宿を見張られてたり、出歩いてると後をつけられたりなんかはしてねぇか?」


「私は何も。皆さんはどうです?」


 あったとしてもまったく気付かなかったティアナは他の仲間三人に声をかけた。アルマ、トゥーディ、リンニーの順で答えていく。


「あたしは何も気付かなかったわね」


「僕もだよ。護衛のための道具は持ってたけど、探知の道具はないからなぁ」


「わたしもわからない~。でもテッラがわたし達をずっと追いかけてた人がいたって言ってるよ~」


「それだ!」


 意外な情報をもたらしたリンニーにインゴルフが叫んだ。ティアナ達も驚く。


「で、そいつらはどうしたんだよ?」


「え? 何もしてこなかったから何もしなかったって言ってる~」


「かぁ!」


 右手で自分の頭を叩いたインゴルフが嘆息した。その様子を見てリンニーが不安そうな表情になる。しかし、さすがにこれでリンニーを責める者はいなかった。


 そんなリンニーにアルマが声をかける。


「仕方ないわよ。あたし達みんな尾行されてることなんて考えてなかったんだから」


「う、うん」


「インゴルフ、どのみち今回の場合は何もしない方が良かったんでしょ?」


「まぁな。下手に刺激して予定外の行動をされるよかはマシだな。けど、気付かず放っておくってぇのは良くないぜ?」


「確かにね」


 単に様子を窺っているだけならともかく、暗殺するつもりだとしたら危なかった。それに気付いたアルマが素直にうなずく。


 気を取り直したインゴルフが表情を明るくした。そして、ティアナに話しかける。


「これからは気を付けることだな。だったら次はオレ達の方だが、おめぇさんを狙ってる連中のことが少しわかったぜ」


「テネブー教徒の何がわかったのですか?」


「あっちも一枚岩じゃねぇことは前から知ってたが、おめぇさんを狙ってるのは中でも二つの派閥らしいな。ヘルゲ派とアルノー派って言うらしい」


「ヘルゲとは、あの邪神討伐隊のときに相手をした信者ですね」


「そうだ。けどよ、そっちは邪神を討伐されたのが効いたのか、落ち目になってるらしい。もう一つの方は邪教団の中じゃ結構でかいって話だ」


 テネブー教徒の内部事情を初めて知ったティアナは仲間と顔を見合わせた。何となく予想はしていたが、やはりヘルゲにとってテネブーの復活失敗は痛手らしいことを知る。


 しかし、気になることがあったティアナは問いかける。


「私達を襲った者達はどこの派閥に属していたのです?」


「アルノー派の方らしいぜ」


「ヘルゲ派に襲われる理由はわかりますが、アルノー派はなぜ私を狙うのですか?」


「そこまではわからねぇんだよなぁ。けどよ、どうも数日前にオストハンへ大物がやって来たみたいなんだ。もしかしたらどっちかが本腰を入れて狙ってんのかもしれねぇぞ」


 話を聞いたティアナ達は微妙な表情になった。ヘルゲはまだ理解できるが、アルノーがそこまで力を入れる理由がわからない。結局、それ以上のことはわからなかった。


 荷馬車はいよいよ森の中に入ったが昼を過ぎても雨足は鈍らなかった。それに対して、馬車の速度は明らかに落ちてきている。泥濘に車輪が取られるからだ。


 そしてついに止まってしまう。今一番起きてほしくないことが起きてしまった。


 かなり嫌そうな顔をしてアルマがつぶやく。


「うわ、最悪。もしかして動けなくなったのかしら?」


「え~こんなところで~?」


 不安そうな顔でリンニーがアルマへと顔を向けた。


 そのとき、エーミールが御者台からティアナ達に声をかけてくる。


「車輪が泥濘にはまったので、ティアナ達だけ車内から出てもらえませんか?」


「わかりました。すぐに出ます」


 返事をしたティアナ達は頭巾と外套を身に付けると車外へと出た。インゴルフ達四人の存在は隠さないといけないので今は荷台から下りられない。


 四人が外に出た途端に雨に打ちつけられる。周囲は細い街道以外は森の木々ばかりだ。


 ベンヤミンから合図を受けたエーミールは馬に鞭を入れた。荷馬車を引いているの二頭の馬が前に進もうとするが動かない。


 荷馬車が動かないと進めないのでティアナ達も手伝うことにする。


「リンニー、土人形を出して馬車を後ろから押してくれませんか?」


「わかった~!」


 頼まれたリンニーが魔法で地面から土人形を二体出現させた。そして、すぐに荷馬車の背に取り付いて前に押す。しばらく動かなかった馬車はどうにか泥濘から脱出できた。


 全員安心して荷馬車に乗り込むと進み始める。しかし、またすぐに車輪が泥濘にはまり込んだ。今度は誰も降りずに土人形を作りだし、馬車を後ろから押させる。以後、これを何度も繰り返す。これには全員が閉口した。


 車輪が泥濘に絡め取られるのは予想外だったが、ともかくその日は森の中で野宿することになる。後はいつテネブー教徒が襲ってくるかだった。

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