公爵令嬢の気がかり
ヘルプスト王国の王都に戻ってきてから四日後の昼過ぎ、ティアナ達はバッハ公爵邸に赴いた。既に門番には話は通っていたようで、咎められることなく中へ通してもらえる。
屋敷内の様子は一見すると前と変わりなかった。品の良い調度品が品の良さを客人に伝えてくる。見える範囲では静かだ。
遠慮なく周囲を見て回るリンニーが不思議そうに首を傾ける。
「結婚式の準備で忙しいんじゃなかったの~?」
「後でご本人にお伺いすればいいでしょ。おめでたい話なんだから答えてくださるわよ」
「は~い」
静かな廊下でリンニーとアルマが囁き合った。意外に響く声にアルマが少し眉をひそめる。
以前も案内された応接室に入った三人はそこでテレーゼを待った。しばらくすると当人が入室してくる。以前に比べて更に大人に、そしてより気品に溢れていた。
座っていたティアナとリンニーが立ち上がり、アルマも含めて三人で一礼する。
「お久しぶりです。テレーゼ様」
「ごきげんよう。皆さんもお変わりないようで何よりです」
「確か、最後にお伺いしてからもうすぐ三年ですね」
「早いものですわね。そうなりますと、初めてお目にかかってから四年になるわけですか。とても信じられませんわ」
楽しそうにティアナとテレーゼが挨拶を交わした。話をしていてお互い思った以上に会っていないことに驚く。
そうして一通りの挨拶を終えると、テレーゼがティアナとリンニーに席を勧めた。それを機に二人は座り、背後のアルマがティアナの背後に立ち位置をずらす。
屋敷のメイドがお茶の用意をする中、テレーゼがティアナに再び声をかけた。
「まさかこんな時期に会いに来てくださるなんて思いもしませんでした。今の様子ですと、旅は順調なようですね」
「はい、どうにか続けることができています」
「あのね~、聞きたいことがあるんだけど、いいかな~?」
「何でしょうか?」
若干遠慮がちにリンニーがテレーゼに問いかけた。そう言えば聞きたいことがあるなら聞いてみればと言ったことをアルマが内心思い出す。
「お店でみんながテレーゼと王子様が結婚するって言ってたけど、本当なんだよね~?」
「今からお話をしようと思っていたところです。リンニー様のおっしゃるとおり、再来月の九月に婚礼の儀式を行いますのよ」
「うわぁ、そうなんだ~!」
話を聞いたリンニーは満面の笑みを浮かべた。説明したテレーゼもその様子を見て嬉しそうだ。
喜んでいるリンニーの隣からティアナも確認してみる。
「九月一日ですよね。利用した食堂で聞いた話ですが」
「そうです。当日は王都もお祭りになる予定ですから、日が許すのでしたら参加されてはいかがでしょう。王城の方にはお越しいただけないのは残念ですが」
返答を聞いたティアナは苦笑した。さすがに事実上追放した者を式に呼ぶわけにはいかないことは理解できたからである。ティアナの方もテレーゼの結婚式でなければお断りだ。
楽しく笑うテレーゼにリンニーが再び問いかける。
「でも、結婚の準備をしてるのに、お屋敷は静かだよね~?」
「さすがにまだ一月以上ありますから、お屋敷の中は静かですよ。数日前からは慌ただしくなりますけど」
「それじゃ、テレーゼもまだのんびりできるんだ~?」
「残念ながらそうもいかないのですよね。儀式というくらいですから覚えることはたくさんありますし、衣装合わせもこれで忙しいのですよ?」
「へぇ、そうなんだ~」
初めて裏の事情を知ったという様子のリンニーが素直に感心した。
その様子を見ていたティアナがぼそりとつぶやく。
「お祭り騒ぎをするからお酒を飲んで喜び合うくらいにしか思っていませんでしたものね」
「うっ、そんなことないもん。もうちょっとちゃんと考えていたよ~」
「当日は当家の者達にも食事などを振る舞う予定ですから、皆さんもどうですか?」
「やったぁ~!」
「蔵のお酒がすべてなくなってしまいますよ?」
「そんなに飲まないよ~!」
横から冷や水を浴びせかけられたリンニーがティアナに抗議した。二人のやり取りを見ていたテレーゼが笑う。
しかし、その笑いは長く続かなかった。少し真面目な顔をして漏らす。
「ただ、問題がないわけではないのが、困ったところなのですが」
「何があるのですか?」
「それが、はっきりとはわからないのです」
楽しく笑っていたティアナ達三人はテレーゼの言葉を聞いて怪訝な表情を浮かべた。言いたいことは何となくわかるが、どんな状況なのかがわからない。
さすがにこれだけでは理解されないことをテレーゼも知っているので更に話す。
「借金で身持ちを崩す貴族や騎士がいるのは前からなのですが、その中にいきなり羽振りが良くなる者が最近現れたのです」
「何か一山当てたということですか?」
「でしたらわかりやすいのですが、別段何かをしたという様子もないという話なのです。知り合いの者が聞いてもはぐらかすか、賭け事で勝ったと説明するばかりで」
「中には後ろ暗いことをする方もいらっしゃるでしょうから、そういうことではありませんか?」
「どうでしょう。ただ、その数がこの春頃から急に増えてきているようですので、どうなっているのか気になるのです」
貴族の社交界などそれほど広いわけではないので、誰が何をしてどんな状態なのかなど大体知られていた。そのため、誰かが何かするとその噂はすぐに広まる。
テレーゼがこう話をしているということは、何人かの具体的な話が耳に入っているのだとティアナは想像した。そして、少し様子を探っただけで結構な人数が似たような状況だということもわかったのだろう。しかも急に。
話を聞いたティアナはテレーゼが不安に思っていることは理解できた。しかし、さすがにこれだけでは何が問題なのかはわからない。更に尋ねてみる。
「いきなり理由もはっきりせず羽振りの良くなった者が増えて不安になられているのはわかりました。それでこれが続けば、どのような問題が起きそうだと思っていらっしゃるのですか?」
「後ろ暗いことで手に入れたのでしたら貴族として問題ですし、そのようなことが水面下で広がっているのでしたら由々しきことです。何か対策をしないといけません」
「王家はこの問題をご存じなのでしょうか?」
「わたくしから申し上げたことがありますのでご存じです。ただ、念のためこちらでも様子を探っています」
「テレーゼ様がですか? それは危険では?」
「探ると言っても、そう奥にまで手を伸ばしているわけではありません。ただ、どれだけの者達がこのような状態なのかをまず正確に把握しないことには何もできませんから」
相変わらず真面目なことだとティアナは内心でため息を漏らした。今王家がどの程度動いているのかわからないが、公爵家の者とはいえ一介のご令嬢がすることではない。しかし、あるいはこれが王妃になる者としての責任感なのかもしれないとも感心した。
話を聞きながら相づちを打っているティアナの前で、テレーゼがため息を漏らす。
「しかし、これだけ偉そうなことを言っておいて何ですが、実のところ大したことはできておりません。婚前ということもあって周囲から諫められて思うように動けないのです」
「申し上げにくいことですが、それはさすがに周囲の方のお気持ちを理解できてしまいます。テレーゼ様が単独でなされることではないかと」
「理解はしているのですが、どうにも気になってしまって」
珍しく落ち込んだ様子を見せるテレーゼを見てティアナは困った表情を浮かべた。なまじ正しいことだけに否定できない。
どうやって説得したものかとティアナが口を閉じて考えていると、先程からじっと話を聞いていたリンニーが思わぬ提案をする。
「それだったら、わたし達で調べたらどうかな~?」
「え、私達?」
「だって、テレーゼは調べちゃいけないって言われてるんだからじっとしてて、代わりに私達が調べたら怒られないんじゃないかな~」
笑顔のリンニーから目を離したティアナとテレーゼが顔を見合わせた。確かにその通りだが、果たしてそれほどうまくいくものなのか。
そこへ更にアルマが口を挟んでくる。
「テレーゼ様にお尋ねしたいのですが、この国でのティアナお嬢様の評判はいかがでしょうか?」
「それは」
「そのご様子ですと、以前ほどではなくとも、良くもないと」
「そうですね。さすがに普段の会話ではもう耳にすることはないので、徐々に風化してきているとは思いますが」
「では、テレーゼ様の名代という形でないと、皆様に面会することもまだ難しいわけですね」
「つまり、どういうことなの~?」
「あまりお役に立てそうにない、ということです」
「え~」
結論を聞いたリンニーは不満そうに口を尖らせた。
裏技でリンニーがテレーゼの名代として貴族と面会するという方法があるが、そうなると結局テレーゼが動いているのと変わりがないので提案の意味がなくなってしまう。アルマが一緒について行けばある程度は有効そうなだけに結構残念だ。
ともかく、せっかく提案したリンニーは自分の案が否定されて肩を落とした。ティアナとしてはテレーゼの力になりたいとも思えるだけに、どうにかならないか考える。
「アルマ、ブライ王国でやった方法は使えませんか?」
「はい? ブライ王国でって、あー搦め手からですか」
「あー、あれね~!」
「何か方法があるのですか?」
突然ティアナ達三人が何かを思い出したのを見て、テレーゼは身を乗り出した。そろそろ手詰まりになってきていたところだったので、新たな手段があるのなら知りたかったのだ。
前のめりになっているテレーゼを見てティアナは苦笑した。思っていた以上に困っていたことを知る。
「それほど突飛なことではありませんよ。貴族に仕える使用人やメイドと知り合いになって、色々と聞き出すのです」
「簡単に聞き出せることなのですか?」
「まさか。さすがに最初は口が堅いですよ。ただ、下には下の苦労というものがありますから、色々と尋ね方というものがあるのです」
説明を聞いたテレーゼは目を見開いた。予想外の方法だったらしくしばらく声も出ない。
一方、ティアナの方はちらりとアルマを見た。何しろ受け売りをそのまましゃべっただけなのだ。しかし、当の本人は苦笑いしているだけである。
ようやく立ち直ったテレーゼがティアナに問いかけた。
「具体的な方法は問いませんが、その、当家の使用人やメイドにも有効なのでしょうか?」
「どうでしょう。待遇や環境、それに接し方で変わってきますので何とも。ただ、借金で身持ちを崩した方々の元で働いている者達は、いずれも劣悪な条件であることが多いので」
「なるほど、そうですか。当家も一度振り返ってみる必要がありそうですわね」
「そのようにおっしゃってる間はあまり心配なさらずとも良いかと思います」
不安げなテレーゼに対してティアナが微笑みながら返答した。それから背後に目をやる。アルマも笑顔でうなずいた。
ようやく落ち着いたテレーゼが口を開く。
「その件はもう良いでしょう。話を本筋に戻しますが、使用人やメイドから話を聞き出すことが可能ですのね?」
「はい。どの程度かは運にもよりますが、少なくとも貴族の方々からとは別のお話が聞ける可能性は高いですよ」
「でしたら、是非お願いします。できることはなるべくやっておくべきですから」
表情を改めて真剣な様子でテレーゼがティアナ達に頼んだ。こうなるともう断れない。
「承知しました。では、テレーゼ様は何もしていないという体裁のため、一旦活動は止めていただきます。そして、私達はそちらとは無関係を装って調査しますね」
「お願いします。ああ、でしたら入り用になりますわね。わたくし個人で、いくらか資金をご用意しましょう」
「ありがとうございます。一週間ごとにご連絡するというのはいかがですか?」
「そのくらいの時間が必要ということでしたら是非もないでしょう」
大まかな条件から始まった話が次第に具体的になっていく。たまにアルマが口を挟むことがあったが、ほぼティアナとテレーゼの二人だけで話は進んだ。
こうしてそれほど時間はかからずに話はまとまる。ティアナ達は結局新たな仕事を引き受けた。
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