裏側で進む話

 ヘルプスト王国王都の歓楽街にある火蜥蜴食堂は中堅程度の店である。この中堅というのは、庶民感覚ではやや高めで、小金持ちにはちょうど良いという程度だ。


 この程度となるとやって来るのは庶民でも羽振りが良い者であり、子爵や男爵という下位貴族である。そして、貴族がやって来るということは個室があるということだ。憚られる会話は隠すというのが貴族の常識なのである。


 上位貴族が利用するようなしつらえは期待できないので大声は出せないが、小さな声ならば充分に密談ができる程度の個室、火蜥蜴食堂にはそれがあった。


 その個室の一つに冴えない顔つきの男と枯れた風貌で皺の多い男が向かい合って座っている。冴えない男の方は貴族らしい風貌だが衣服に多少の傷みが見えた。一方で、枯れた風貌の男はきちんとした身なりだが得体が知れない。


 テーブルの上に乗っている料理はすっかり冷めていた。しかし、どちらもそれを手に付けるどころか気にする様子もない。


 雰囲気は非常に暗いが、冴えない顔つきの男が一方的に話をしているため静かではなかった。それを枯れた風貌で皺の多い男が黙って聞いている。


「計画は順調だ。予定通り人集めは進んでいる。九月の婚礼の儀式には間に合うだろう。必ずそちらの期待に添えてみせると、そちらの主人に伝えてもらいたい」


「それは結構なことです。わたくしの主人もお喜びになるでしょう。お話を聞く限りでは、計画の進展については問題ございません」


「では、今回も資金提供をしてもらえるわけだな」


「その前に、こちらからも確認したいことがございます」


 一瞬弛緩させた体を冴えない男が再び緊張させた。枯れた風貌の男の口調は丁寧だが、話す内容に容赦がないことはこの一月半でよく知っている。


「そちらへご提供する資金についてのお話です。わたくしどもの試算では計画の進展以上に資金が使われているように思われます。この点はどうなっているのでしょうか?」


「確かにそう思われるのも無理はない。前から私も心苦しいとは思っていた。しかし、こちらもこれだけ金がかかるとは思わなかったのだ」


「具体的には、どのようなことに使われているのでしょう?」


「一番費用が嵩むのは、なんと言っても借金の返済金だな。こちらの人選の都合上、首の回らない者達を集めているが、それだけに利息の支払いだけでも求められてしまうのだ」


「確かに計画を承認した段階である程度は覚悟の上でしたが、そこまでですか」


「何しろ、中途半端な額ではこちらの話に乗ってこないのでな。それだけこの計画が大事ということでもあるが」


 説明を聞いた枯れた風貌の男は黙った。後ろ暗い話をしているのであまり突っ込みすぎてもいけないが、良い傾向ではないので放っておくわけにもいかない。


 長年の経験から首をかしげたくなる説明だが、見方を変えればそれだけでもある。気のせいという可能性もあった。


 ただ、それでも釘を刺しておく必要はある。


「オットマー殿、こちらの財力にも限りがございます。ご承知の上であえて申し上げますが、できるだけ大切に使っていただきたい」


「もちろんだ。私としてもこの資金のおかげで助けられたのだから、金貨一枚も無駄にはせん。それは約束しようではないか、ギード」


「承知しました。今回の資金をお渡ししましょう」


 表情を変えることなくギードは脇の持ち物籠から大きめの革の袋を手に取ると、テーブル越しにオットマーへと手渡した。


 受け取ったオットマーは安心した笑みを浮かべながら、その重みを感じながら自分の持ち物籠へと置く。


 お互いに今回の面会の用が済んだ。


 迷うことなくギードが席から立つ。


「それでは、わたくしはこれで失礼いたします。こちらの支払いは済ませてありますので、後はお好きなように」


「わかった」


 オットマーが短く答えると、軽く一礼をしてギードが個室から去った。


 今度こそ本当に体の緊張を解いたオットマーは冷めた料理には目もくれず、木製のジョッキに注がれた葡萄酒を一気に呷る。


「毎回綱渡りをしている気分だな。一体何者なんだ、あのジジイは」


 大きなため息を吐いたオットマーはテーブルの脇に置いてある土瓶のコルク栓を抜くと、木製のジョッキに葡萄酒を並々と注いだ。それをまた呷る。


「まぁいい。これが終われば、私もきれいな身になれる。そうすれば、真っ当な貴族に戻れるんだ」


 つぶやきながらもオットマーは何度か葡萄酒を注いでは木製のジョッキを傾けた。そして気が済むと立ち上がり、個室から出て行く。


 結局、どちらもテーブル上の料理にはまったく手を付けないままだった。


-----


 一国の王都はその国で最も大きな町だ。都市の大きさは国の大きさに比例するわけだが、同時に良いことも悪いことも規模が大きくなる。


 ヘルプスト王国の王都も例外ではなく、城壁内の下町は結構広い。住んでいる人々も多様なのだが、経済的な格差で住む場所がある程度決まっていた。


 その中でも下から数えた方が早いような場所に目立たない一軒家が建っている。あちこちが傷み、長らく修繕されていない廃屋だ。こういう所には大抵後ろ暗い者たちが住んでいる。


 この一軒家の一室から弱々しい明かりが漏れていた。明け放れた窓から見ると一本の蝋燭で照らされており、二つの陰が揺らめいている。


 一人は男で、浅黒い肌に筋肉質な体躯で目つきが悪い。もう一人は女で、薄い茶色の髪を肩で切りそろえ、ぱっちりとした青い瞳の愛くるしい女だ。


 その女の方が面白くなさそうに不平を漏らす。


「あっついわね。せめて冷たい水でも欲しいわ」


「冷たいモンってのは同感ですが、オレなら酒でさぁね。ま、あいつの話を聞き終わったら、どこかで一杯やりましょうや」


 答えた男は若干疲れたように言葉を吐き出した。顔には既に汗が滲み出ている。


 そのとき、廃屋の玄関に人の気配がしたかと思うと、何者かが中に入ってくる物音が聞こえた。一瞬に体を緊張させた二人は部屋の扉に鋭い視線を向ける。


 武器を手にした二人がそれとなく構えていると扉が無造作に開いた。廊下から入ってきたのは、大きめの革袋を手にした冴えない顔つきの男、オットマーだ。


 侵入者の正体がわかると男女共に緊張を解いて小さく息を吐いた。


 そんな様子に気付くこともなく、オットマーは近くにあった傷んだ机に革袋を置くと愛くるしい女に笑顔を向ける。


「ジルケ、遅くなってすまない。しかし、きちんと務めは果たしてきたよ」


「ありがとう、オットマー。これで計画が進められるわね」


 先程までの不機嫌さが嘘のような笑顔をジルケはオットマーに向けた。男などは若干呆れているがジルケは無視する。


 しばらく親しげな挨拶をオットマーとの間で交わすが、その間にジルケは視界の端に寄せた各ウィンドウ画面を確認した。各パラメータは以前と変化なしで、状況は良好だ。


 相変わらず完全に籠絡できていることを知ったジルケが本題に入る。


「それで、相手のギードっていう人にはまだ悟られていないのよね?」


「もちろんだ。私の演技は完璧だからな。そこの革袋がその証拠だよ」


「どのくらいあるのかしら?」


「中はまだ見てないんだ」


「ハンス、お願いできるかしら?」


「へいへい、お任せをっと」


 蚊帳の外のハンスは滲み出る汗を手の甲で拭いながら立ち上がった。そして、傷んだ机の上にある大きめの革袋を紐解いて中身を確認し始める。中から小袋が複数出てきた。


 そんなハンスを尻目にジルケがオットマーとの会話を再開する。


「この資金を提供してくれる相手は誰かっていうのは、今回もわからなかったの?」


「すまない、何しろ相手は最低限のことしかしゃべらなくてね。こちらの正体がばれないように会話をするとなると、どうしても思い切った質問ができないんだ」


「残念ね。けど、これだけの資金を簡単に用意できるとなると、相応の身分の方よね」


「私もそう思う。かなり裕福な伯爵家か侯爵家といったところだろう」


「大商人という可能性はないのかしら?」


「それはないと思う。ギードの物腰は高位の貴族に使えている者のそれだからな。いくら私でもそこを見間違えることはない」


 発言に自信のあるオットマーが断言した。説明を聞いたジルケも異存はない。


 何かあったときのため、そして可能なら直接取引するためにギードの主人を探っているジルケだったが、今のところ目論見はすべて空振りである。しかし、計画そのものは順調なので焦りはない。


「わかったわ。ありがとう。今夜はもう帰ってもらって結構よ」


「そうか。名残惜しいよ、ジルケ」


「私もよ、オットマー」


 別れの挨拶を交わしたオットマーは、大きな革袋を手に取ると後ろ髪引かれるような態度を見せながら室外へと去った。そして廃屋から気配が遠ざかっていく。


「ということで、今回も収穫はお金だけっていうわけね」


「このまま何事もなく計画が進むんでしたら、別にこのままでもいいと思いますがね」


「余計な邪魔が入らないのなら、ね」


「何か心当たりでもあるんですかい?」


「ちょっとめんどくさい奴が嗅ぎ始めたって聞いたのよね」


「勘弁して欲しいモンですねぇ」


 金貨の入った小袋一つを片手で弄びながらハンスがため息をついた。こうなると必ず自分が動き回ることになるからだ。


 その後、ジルケから話を聞いたハンスはがっくりと肩を落とした。


-----


 王都内にある貴族の邸宅区域は居住者の数に比べて広大だ。身分が高い貴族ほど広い屋敷に住んでいるのだから当然とも言える。


 そんな邸宅区域の一角にバルシュミーデ侯爵邸はあった。王家であるクロイツァー家とも姻戚関係にあるため、その権勢はなかなかのものだ。


 世間から見るとバルシュミーデ侯は富と権力を手にする恵まれた貴族だが、その二つを当たり前のものと思う本人は自分がそこまで幸せだとは思っていない。むしろ不足していると思っていた。


 若い頃は美男子だったと思わせるが現在は肥満気味のカールハインツは、夕食後に私室で気だるげにソファへと座っていた。葡萄酒を湛えたグラスをつまらなさそうに動かす。


「ゲルルフ、ラルフはまだ戻らんのか?」


「はっ、未だ戻ったという報告は聞いておりません。戻り次第、すぐに連絡があるかと」


 主人からの問いかけにゲルルフはすぐに返答した。鎧こそ身につけていないが逞しい体と帯剣していることから、カールハインツの護衛か家臣であることがわかる。


 会話はそれきりで当主の私室には再び沈黙が訪れるが、それはすぐに破られた。静かに室内へと入ってきた侍従がカールハインツに近寄り、そして耳打つ。


「やっと帰ってきたか」


 退室する侍従を見つめながらカールハインツはつぶやいた。先代の頃から長く家令をしている老骨に特別な仕事を任せているので、早くその報告を聞きたかったのだ。


 やがて再び私室の扉が開くとラルフが入室する。


「お待たせして申し訳ありません」


「構わん。で、首尾は?」


「問題ありません。いささか資金を多めに使っているようですが、計画自体は順調です」


「他には漏れていないだろうな?」


「もちろんでございます」


 問答を繰り返すラルフは主人へ丁寧に言葉を返した。別段目立った問題がないので、それ以上報告することはない。


 ただ、脇に控えているゲルルフは不満があったようだ。カールハインツの言葉が切れたのを見計らって口を開く。


「本当に大丈夫なのか? 前から思っているのだが、そのオットマーという下級貴族がもう一つ信用できなさそうだぞ」


「疑えばきりがございません。密かに事を運ぶ以上、信用に関しては自ずと限界があります」


「金の使いすぎについても気に入らん。お館様の財を何だと思っているのか」


「集める人材に難があるのは最初から承知の上でした。借金漬けの者達を使う以上、ある程度は我慢する必要がございます」


「もう良い」


 毎回似たような問答を繰り返しているということもあって、カールハインツは早々に二人の会話を打ち切った。資金の話は今回が初めてだが、早速いつも通りになる気配がしたのだ。


「計画が順調ならば、多少資金が多くかかろうが構わん。続けさせろ」


「ありがとうございます」


「このまま計画を進めれば、九月の婚礼の儀式で我が家の権勢は更に高まるわけだな」


「おっしゃるとおりにございます」


「このまま準備はラルフに任せる。ゲルルフ、そなたは儀式当日に我が家の武威を王家と世間に見せつけるのだ。よいな」


「はっ! 必ずやご期待に応えてみせます!」


 主人の言葉にラルフは深い一礼で、ゲルルフは直立不動で答えた。


 二人の様子を見たカールハインツは軽くうなずいてグラスの中身を飲み干すと立ち上がる。そして、下がれと短く命じると、寝台へと向かった。

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