それぞれの仕事
朝の一仕事が終わったカミルは馴染みの酒場に入った。この酒場は食堂も兼ねているので朝から開いているのだ。まだ昼時には早い時間なので人影は少ない。
二杯分のエールの代金をカウンターに置くとカミルは黙ったまま席に座る。店の主人は硬貨をたぐり寄せると、手早く木製のジョッキを二つ差し出した。
そのうちの一つを手にするとカミルは一気に呷る。
「っはぁぁ」
腹の底から息を吐き出したカミルは空になったジョッキを突き出し、新たなジョッキを手にした。そうしてすぐに口を付ける。
ようやく仕官できた先で忠実に働いた末に、都合が悪くなって切り捨てられた。
それが前の仕官先での総括だった。カミルはそう受け止めている。
もちろん、任務に失敗したということは理解していたが、濡れ衣を着せられて投獄されるような覚えはなかった。
更に、平民女に剣で負けたこともカミルの精神に暗い影を落としている。いまだに負けたことが受け入れられない。
「くそ、なんで俺がこんな目に」
投獄されてから何ヵ月後かにウッツに助けられ、今では非合法組織で借金取りをしている。力尽くになるような件ばかりがカミルに回ってきた。
一人で取り立てることもあれば複数人のときもあるが、カミルにとっては大差ない。殴って金を返させるだけだからだ。日頃の憂さ晴らしとしてもちょうど良い。
そうして借金を取り立てては酒を飲む日々を今では送っている。ウッツによると助けた目的は別にあるらしいが、カミルにはどうでも良かった。
今のカミルにとっては酒を飲んでいるときが一番落ち着けた。
「ひひひ、カミルじゃないか。朝からお酒かい?」
「自分で稼いだ金で飲んで何が悪い」
「別に怒ってなんていないよ。いつもここで見かけるときは必ず飲んでるからね、キミは」
「おい、隣に座るのかよ」
右隣の席で料理を注文するヨーゼフを睨んだカミルだったが、すぐにジョッキへと視線を戻した。そして呷る。
たまに店内でお互いを発見することは今まであったが、その隣に座ることはなかった。なのに今朝はヨーゼフの方が寄ってきたのでカミルは訝る。
「昼前にお前が来るなんて珍しいじゃないか。クビにでもなったのか?」
「まさか! 徹夜明けだよ。ずっと仕事をしていたから、寝る前に腹ごしらえをしようと思ってね」
「ふ~ん。ってお前、寝る前にそれ全部食うのかよ? 以前ウッツのおごりだったときと同じ量じゃねぇか」
「ひひひ、昨日の夜は特に頑張ったからね。特別にお腹が空いているんだよ」
鶏、豚、牛、羊の肉が大量にやって来たのを見て、カミルは顔をしかめた。ジョッキの中身を飲み干すと店主に注文する。
目の前にやって来た大量の肉を次々に頬張りながら、今度はヨーゼフが尋ねてくる。
「キミの方はどうなんだい? ウッツは仕事ぶりをかなり褒めてたけど」
「いつもどおりさ。前にも言ったが、殴って金を取り返すだけだよ」
「剣は使わないんだ」
「何度か使ったことはあったな。相手が雇った奴とやりあったときに」
「用心棒を雇う金があるんなら、返済に回せばいいと思うんだけどねぇ」
「人を雇う金がはした金に見えるくらいのでかい額だったんだよ」
「なるほどね。それでみんな殺したと、ひひひ」
食べてはしゃべるを繰り返すヨーゼフは楽しそうだが、カミルの方はつまらなさそうだ。
そんな相手の気分などお構いなしにヨーゼフは話しかける。
「ところで、ウッツの目的って聞いたことあるかい?」
「ああ? さぁな。知ったところで、どうなるわけでもないしな」
投げやりぎみに応えたカミルはジョッキの中身を空にすると店主に注文する。
その間もヨーゼフはひたすら食べ続けていた。
「最初は組織の別の仕事かなって思ってたんだけど、違うみたいなんだよねぇ」
「どうせろくでもないことだろうけどな」
「ひひひ、違いない! それで、だったら一体どこの誰のためかなんだけど、これがどうもこの国の王族のためっぽいんだよね」
ジョッキを傾けていたカミルは、それを口から離してヨーゼフを見た。微妙な表情だ。
面白そうにヨーゼフはその顔を見る。
「ひひひ、組織の中の噂じゃどこかの貴族とつるんでるって話だったけど、実際は王族だったとはねぇ」
「ふん、ルーペルト王子か」
「断言するね。どうしてだい?」
「あんな奴とつるむなんて、余程ろくでもないことをするとしか思えない。そして、この国でそんなことをしたがる王族なんて一人しかいないからな」
「さすがだね。その通りだよ」
多少驚いた様子のヨーゼフがカミルの意見を認めた。ブライ王国で王位を求めてルーペルト王子が活動していることは周知の事実だ。カミルはそこから推測したのである。
「けど、直接はつながってないだろ。あんな下賤な奴と王族が直接やり取りするはずがない。となると、ルーペルト王子の側近かその配下が間に入ってるよな」
「これはぼくの予想だけど、たぶんヘルゲって腹心だろうね」
「理由は?」
「ヤバイ件っていうのは、失敗したときにどううまく処理するかでその後が大きく変わるだろう? だったら、一番うまく対処できる部下に任せると思わないかい?」
「確かにな」
何でも部下に丸投げする王子だという噂を思い出したカミルは、とりあえず面倒なことは一番できる奴に仕事を振っているところを想像した。
「あんな王子の下じゃ働きたくないな」
「ひひひ、ぼくもだね。前を思い出しちゃうよ」
その言葉でカミルも半年前のことを思い出して顔をしかめた。
手にしているジョッキの中身を一息に飲み干すとカミルは立ち上がる。
「あれ、もう行くんだ?」
「酔いを覚まさないと仕事にならないからな。しばらく散歩でもするさ」
振り向いたヨーゼフにそう言うとカミルは店の出入り口へと向かう。
ちらりと店内を見ると来たときよりも客が増えていた。
外に出ると、夏特有のむわりとした空気に顔を撫でられる。その不快さに顔をしかめながらもカミルは陰に沿って歩き始めた。
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ヘルプスト王国に犯罪者を収容する施設はいくつかあるが、貴族を投獄するための場所は限られている。特に王族や大貴族に害をなした者の送り先は辺境にある専用の収容所だ。
しかし、普段はほぼ使われていない。王族や大貴族が寛大だからではなく、大抵害をなした者は処刑されるからだ。よって、余程特殊な事情がなければここには収容されない。
そんな人気の少ない施設だが、去年一人の少女が収容された。与えられたのは広くも狭くもない部屋で、日当たりはやや悪い。
最初は狂ったように泣き叫び暴れていた少女だが、しばらくするとおとなしくなる。それどころか、ほぼ無反応になった。
そして、一年近く経ったある夏の日、一人の訪問客がやって来た。浅黒い肌をした目つきの悪い男だ。
本来ならこのような胡散臭い人物は門前払いなのだが、なぜか面会の要請が通った。
目つきの悪い男は少女のいる一室に案内され、中に入る。
格子付きの窓近くに座り、ぼんやりと外を眺めている少女がいた。薄い茶色の髪を肩で切りそろえ、ぱっちりとした青い瞳の愛くるしい少女だ。しかし、随分とやつれている。
そんな少女に近寄った男は声をかけた。
「初めまして。ウッツと言いやす。ユッタ・キルヒナーさんですよね」
挨拶されたユッタはまったく反応しない。完全に抜け殻状態だ。
思ったよりも重症だとわかったウッツは一方的に話すことにした。
「外の景色がそんなに面白いですかね。部屋の中よりもいいかもしれませんが、どうせならもっと色々と見たいと思いませんかい?」
この様子では生半可な言葉では反応しないとウッツは思った。では、どんな言葉なら反応するのかと考える。
「はっきりと言いやすと、ここから出たくないですかい? こんなところでじっとしてても、ユッタさんを陥れた連中は幸せになる一方ですぜ?」
薄ら笑いを浮かべながら話すウッツの言葉にユッタの目元が反応した。やはりこれかと内心うなずいたウッツは更に続ける。
「実はですね。そう遠くない先にこの国で面白いことをする予定なんですよ。それに合わせて、ひとつ復讐なんてやってみたらどうでしょう?」
「ふく、しゅう?」
「そうです。てめぇを陥れた連中がのうのうと生きてるなんて許せねぇでしょう? みんなまとめて地獄へ叩き落としてやりゃぁいいんですよ」
「でも、あたし、は」
「大丈夫ですって。あっし達に協力してもらえれば、そっちもお手伝いしますから。まずはここから出ませんかね?」
思惑通りユッタが徐々に反応してきていることにウッツは喜ぶ。ただ、相変わらずその反応が鈍い。
ユッタが破滅したあらましを簡単に説明されていたウッツは、どんな言葉が琴線に触れるのか考える。
「確かユッタさんは、去年舞踏会で次期王妃の公爵令嬢様と対決して負けたんですよね」
「負けた、負けたですって?」
目を見開いたユッタがウッツに顔を向けた。目にだけは暗い感情が浮かび上がる。
「結構いい線まで行ったって聞いていやすが、邪魔が入って駄目になったとか」
「そうよ。あいつさえ、しゃしゃり出てこなければ、今頃あたしは」
「あっしが聞いた範囲ですと、余計なことをしたヤツの名はティアナだったはず」
今まで鈍かったユッタの反応が急に激しくなった。顔に朱が差し、瞳に怒りが燃え上がる。やつれた姿ではあったが不思議と迫力があった。
ようやく交渉できる状態になったと判断したウッツは陽気に語りかける。
「実はですね、あっしもそのティアナってヤツとはちょっとした縁がありやして、ひどい目に遭わされたんですよ。ですから、ユッタさんの気持ちはよ~くわかりますぜ」
「あんたが、あいつを知ってる?」
「舞踏会の件があってから国にいられなくなったみたいで、隣のガイストブルク王国へ来たんですよ。そんときにちょっとね」
信用を得るためにウッツは当時のことをかいつまんで話した。もちろん自分に都合の良いようにだが、それでもウッツから見た当時の事情は理解できる。
話を聞いているうちに感情が落ち着いてきたらしいユッタはウッツを胡散臭そうに見るが、それでも拒みはしなかった。
「最後が曖昧ね。結局ティアナはどうなったのよ?」
「それっきり会ってないんでわかんないんですよ。ガイストブルク王国にも行ってないんで。あっしだって後から生きてるらしいことを知って驚いたくらいですから」
「どこにいるかわからないなら、復讐のしようがないじゃない」
せっかくその気になったのに相手がどこにいるかわからないと知ってユッタは不機嫌になる。高ぶった感情のやり場に困っているように見えた。
その様子を見たウッツはへそを曲げられないように話を進める。
「最初に言った面白いことをするために、あっし達は今人を集めてるところなんですよ。そのついでにティアナの足取りを調べることもできますがね」
「その面白いことに協力するのなら、よね」
「もちろんでさぁな」
悪い笑みを浮かべたウッツがユッタを見る。
まったく信用のできない話だったが、抜け殻状態から正気に戻ったユッタはこれからのことを考えた。一生この場で生かされて終わるか、外に出て新たな目的のために生きるか。
結局のところ、このウッツ、更にはその裏の者達の思惑通りに踊ることになるが、じっとしているよりはましだとユッタには思えた。
「まだあたしにさせたいことを聞いていないわよね。一体何をさせる気なの?」
「時期が来たら、この国の王立学院で一暴れしてほしいんですよ」
「人を集めてるのはそのため?」
「まぁそんなところです。これ以上はあっし達の計画に参加してもらわねぇと話せねぇですが」
「そうね。ここから出してくれるのなら協力してもいいわよ」
「よし、決まりだ! 後からやっぱりやめたってのはなしですぜ?」
「言わないわよ。それより、ここから本当に出られるの?」
「へへ、その辺は任せてください。ここの方々は仕事熱心じゃねぇようですので、やりようがあるんですよ。すぐに出して差し上げますから」
楽しそうにウッツがしゃべる。
尚も胡散臭そうにユッタがその顔を見るが今は何もできない。
「それじゃあっしはこれで。またお会いしましょう」
機嫌良く一礼するとウッツはユッタの反応を見ることなく離れてゆく。入室したとことは違って退室するときの足取りは軽やかだ。
やがてウッツが部屋から去るとユッタは再び一人になる。無反応だった先程までは何とも思わなかったが、今は少し寂しく思えるようになった。
「復讐、か。やってやろうじゃないの」
今まですっかり諦めていたことができるようになるとわかったユッタに生気が蘇る。自分をこんな目に遭わせた者達をユッタは許す気にはなれなかった。
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