隣国の情勢
使節団との会合が終わって三日、ティアナ達は既にエルネの屋敷へ戻っている。実務に関して王女はまったく関与していなかったので本当に顔見せのためだけの出席だった。
朝食後に雑務を手早く片付けたエルネはお茶の時間になるとティアナ達を呼ぶ。
執務室にある応接の場にいつもの五人が集まると、ローザがお茶を三人分用意した。アルマとローザが自分の主人の背後に立つと準備完了である。
「ああ、こうやって毎日ティアナ姉様とお茶ができるなんて、わたくし幸せです!」
「途中王宮にお邪魔しましたけど、もう一週間以上寄せてもらっているのですよね」
「このお屋敷に住まわれるのでしたら、きちんとしたお部屋をご用意いたしますわ!」
「いえ、さすがにそれは」
まだ男になる方法を探している途中なので定住するわけにはいかない。しかも、この周囲には手がかりすらないことがわかっているので尚更だ。
しかし、エルネもそれはわかっているようで提案はしても強く勧めてはこない。
「殿方になった暁には是非ご連絡ください。お部屋をご用意いたしますから!」
「それは無理ではないかしら」
女同士ならともかく、男をずっと住まわせるというのは世間体が悪すぎる。もっとも、エルネが望んでもローザが反対することは誰の目にも明らかだ。
そんなティアナの考えなど知らないエルネは次の話題へと移った。
「ところで、ティアナ姉様は今後どうされるのですか?」
「男になる方法を探すわけですけど、正直、どこから探せばよいのかはさっぱりですね」
精霊の庭で一度は叶えられる機会はあったが、事情があってその機会は逸した。そのため、今のところまったく当てがない。
「この辺りには手がかりすらなさそうですし。また行ったことのない場所、ああそうです、どうせならブライ王国にでも行ってみましょうか」
「もしかして、わたくしのために様子を探りに行ってくださるのですか!?」
「何の伝手もありませんから、街中を見て回る程度のことしかできないと思いますよ」
「それなら、わたくしも参ります! こう見えても変装は得意なんですよ!」
初めて知った事実を確認するため、ティアナはローザへと顔を向けた。すると、即座に首を横に振られる。予想通りの返答だ。
「せめてローザさんの許可をもらってください。周りの方にご迷惑をかけてはいけません」
「うう、仕方ありませんわ。ローザ」
「いけません。そのようなことを許可できないのはご承知のはずです」
エルネが顔を向けて口を開いた途端にローザが切り返した。情け容赦なく一刀両断する。
しかし、ここが踏ん張りどころだとエルネも簡単には引き下がらない。
「主人の命が聞けないのですか?」
「そばでお仕えする者として、ときには主人を諫めるのも私の役目です。ご再考を」
「自分のことなのですから、わたくし自ら様子を窺うのは当然でしょう」
「エルネスティーネ様ほどのお方の場合、配下の者を使うのが当然です。お立場をお考えください。どうしてもお調べになるのでしたら、私が代わりにいたします」
「それでは意味がありませんわ! わたくし、まだティアナ姉様と一度も旅行をしたことがないのですよ! リンニー様やアルマはしているというのに!」
「あたしは仕事なんですけど」
小さくつぶやいたアルマの声はエルネには届かなかったようだ。
できればエルネを助けてやりたいティアナだったが、ちらりと見たローザの視線は先程よりもずっと冷たかった。一の発言に十の言葉が叩き付けられることは避けられない。
しかし、そんなエルネに対して意外なところから助け船が出された。
小首をかしげたリンニーがローザへと話しかける。
「ねぇねぇ、精霊のひとつにエルネを守ってもらったら、連れて行っても」
「守られる状態というのが既にいけないのです。危険に身をさらさなければ、守る必要もありません。そうですよね、リンニー様?」
「は、はい~そうですね~」
出された助け船は早々に沈められてしまった。
そうやって主人と女神を退けたローザは、本命とばかりに眼光を強めてティアナを見た。
「ティアナ、ブライ王国の情勢を調べるというのは本気ですか?」
「男になる方法を探すついでです。調査自体は望んでいらっしゃるのですか?」
「最近不穏な噂もありますので、一度きちんと調べておく必要があるとは思っていました」
「先程も言いましたが、大したことはできませんよ?」
「私の伝手をいくつか紹介いたします。これを使えばましなことができるはずです」
「お待ちください! でしたら、わたくしのお知り合いを紹介しましょう!」
「いえ、今回に限っては面倒なことになってしまいます。エルネスティーネ様のご紹介はまたの機会になさってください。外聞が悪すぎます」
「うう~、せっかくティアナ姉様のお役に立てると思いましたのにぃ」
自らの侍女に否定されたエルネが涙目になった。
しかし、ローザの判断は正しい。王女が自分の相手を品定めしているという悪評が簡単に広がってしまうからだ。
何となく話の流れが決まったようなのでティアナがローザに確認する。
「では、私がローザさんの伝手を使って、ブライ王国の様子を探るということでよろしいですね? 特に王位継承争いのお話なんかを詳しく聞き出してくると」
「そうですね。ただ、私の伝手はいずれもラルフ王子側ばかりですので、ルーペルト王子の話についてはどこまで聞き出せるかは怪しいですが」
対立する側から反対側の話を聞くときは、ある程度割引いてというのは常識だ。さすがにティアナもその辺りはわきまえている。
場の雰囲気が若干弛緩したところでリンニーが口を開いた。
「ティアナ、お話はまとまったのかな~?」
「ええ、一応決まりましたよ」
「結局エルネはどうなったの~?」
「残念ですけど、またの機会ということになりました」
「本当に残念ですわ! せっかくティアナ姉様と共に旅行ができると思いましたのに!」
一度くらい一緒に旅をしても良いとはティアナも思うが、さすがに危険がついて回るようなところにまで連れ出すわけにはいかない。
「いつかエルネと一緒にちょっとした旅行を計画しても良いですね。ローザさん、危険な旅でなければ良いのですよね?」
「それでしたらお止めする理由はありません」
「では、今回の調査から戻られたら旅行に参りましょう! 早速手配を!」
「まずはご政務の調整からですね。最近は王宮から回ってくるお茶会や舞踏会が増えてきていますから、再調整となるとなかなか厄介ですが」
「そこを何とか、ローザの力で!」
「私は神ではありませんので、やれることには限りがあります」
「リンニー様、わたくしに奇跡を!」
「むり~」
芝居がかった仕草でエルネから話しかけられたリンニーが即座に返す。
それを見ながらティアナはため息をつく。そして、自分のティーカップを口に付けた。
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方針が決まってからの行動は速かった。話し合った翌日にはラムペ商会に用意してもらった馬車で出発し、六日後にはブライ王国の王都に到着していた。
馬車が向かった先はアンゾルゲ伯爵の邸宅だ。事前に早馬を使って既にティアナ達のことは伝えられていたので話は早い。ティアナのみが伯爵家の当主と面会することになった。
案内されてティアナが応接室に入ると、既にアンゾルゲ伯爵が待っていた。色白の肥満体と聞いていたが本当に大きいので一瞬驚く。
「初めまして。ティアナと申します。この度はお目にかかれて光栄です」
「儂はギード・アンゾルゲだ。珍しい客人をお迎えできて驚いているよ。ローザ嬢の紹介状にはエルネスティーネ王女のご友人とあったが」
「はい。エルネスティーネ王女がご幼少のみぎり、我が領内の修道院にいらっしゃったときに目をかけていただきました」
「ああ、なるほど。それは失礼した」
どうもエルネの話はある程度知っているらしく、今の説明でアンゾルゲ伯爵は納得してくれた。幾分か警戒心も解けたのが見ていてもわかる。
「それで、観光しに来たと紹介状にはあったが、額面通り受け取って良いのかね?」
「エルネスティーネ王女に求婚されているルーペルト王子についてお伺いできればと」
「やはりそういう用向きか」
エルネの友人が王女配下の侍女の紹介状を携えてやってきたのだから、わかる者にはすぐ気付くことである。白羽の矢を立てられて嬉しいかどうかはともかくてしてだ。
何度かうなずいたアンゾルゲ伯爵が続けて問いかける。
「今年に入って随分熱心にルーペルト王子が求婚していることは、こちらでは公然の秘密となっている。そちらとしてはこれをどう思っているのだろうか?」
「シャルフェンベルク王家のご意向については存じませんが、エルネスティーネ王女は望まれていらっしゃらないようです」
「そうだろう。梨のつぶてらしいからな」
事の
「私はガイストブルク王国とブライ王国の習慣はよく存じませんが、殿方がこれ程までに求婚し続けることは常識的なのでしょうか?」
「それは難しい質問だな。場合によるとしか。ただ、聞くところによると、ルーペルト王子はガイストブルク王国の新年会に使者として赴かれたときに一目惚れしたらしい」
「それは私も伺っております」
「ははっ! そちらでも噂になっているか。だが、それだけであそこまで熱心に求婚はなさらないだろう」
「他に理由があるのですか?」
雑談が終わり、いよいよ本題に入る。ティアナは知らず緊張した。
「あるとも。王女という貴種、魔法使いとしての破格な才覚、そしてシャルフェンベルク王家の支援が目当てだ」
「ルーペルト王子がそのようなことを望んで何をなさるおつもりなのですか? いえ、まさかエルネスティーネ王女を巻き込んで王位継承争いをなさるおつもりで?」
「その通り。実際は、ルーペルト王子が一方的に騒ぎ立てているだけだがな。それはともかく、ルーペルト王子がエルネスティーネ王女にこだわるのはそんなところだろう」
アンゾルゲ伯爵はラルフ王子派ということは知っていたので、ティアナとしては多少割引いて聞く必要があった。しかし、より詳しくブライ王国の内情を聞く機会でもある。
「ルーペルト王子がエルネスティーネ王女にこだわる理由はわかりましたが、ラルフ王子も有力者のご令嬢をお迎えしてしまえば、あまり意味がなくなる気もします」
「ラルフ王子もその辺りはご承知である。よって、去年の春に国内の有力諸侯のご令嬢を迎えられたのだ」
「ご自身の派閥の方と絆を深められたのですね」
「正妻の方とは一昨年に既に結婚されておる。去年の春は側室を迎えられたのだ。中立派の侯爵家からな」
夢も何もない話を聞かされてティアナは内心でうんざりした。これぞ政略結婚なわけだが、そうなると次第にルーペルト王子側の事情が見えてくる。
「中立の有力侯爵家がラルフ王子側に立たれたわけですね。そうなると、ルーペルト王子はそれだけ追い詰められてしまうと」
「元々ラルフ王子は特に失政もなかったので優位だったが、この一件で中立派の諸侯がこちらの陣営に加わるようになり、ルーペルト王子側は動揺しておる」
「勢力を盛り返すためにも、エルネスティーネ王女を簡単に諦められないわけですか」
「こちらとしては特に何かをするということは考えていなかったが、エルネスティーネ王女のご意向を伺えて安心したぞ」
気の重い話を聞いてティアナの心労は増したが、ブライ王国側の事情はある程度わかった。後はエルネの実家次第ということになるが、さすがにこれはどうにもならない。
聞きたいことは大体聞けたティアナはそろそろ話を切り上げようかと考えた。しかし、アンゾルゲ伯爵は何かを思い出したかのように再び話しかけてくる。
「そうだ。ひとつ大切なことを言い忘れていたぞ。ルーペルト王子には優秀な側近が一人おる。ヘルゲという男だ」
「どのような方なのでしょうか?」
「去年の春から夏頃にルーペルト王子に仕え始めた新参者なのだが、実務、魔法、剣技、どれをとっても非常に優秀な男なのだよ」
「それほどまでにですか」
「敵ながら大した奴だ。あやつのおかげでルーペルト王子は今の立場を維持できている」
「実際にお目にかかったことがあるのですか?」
「儂はないが、知り合いの何人かが会っているのだ。性格がかなり暗いらしい」
以前ガイストブルク王国の王宮で声をかけられたときのことをティアナは思い出す。敵対陣営の貴族がその能力をここまで称賛するのだから相当なのだろうと予想した。
「しかし、それほど優秀な方がいらしても、ルーペルト王子は不利なままなのですね」
「さすがにこれだけ差があればな。個人の才気でどうにもならんのだろう」
自分の言葉に何度もうなずいているアンゾルゲ伯爵を見ながらティアナは考える。
直接対決するとなると厄介な人物なのかもしれないが、今のティアナやエルネには関係ないように思われた。
「貴重なお話をしてくださり、ありがとうございます」
「なに、構わん。こちらも王女のご意思がわかったのだからな。シャルフェンベルク家のご意向がわかれば言うことはないが、これは仕方あるまい」
「さすがに王家のご意向までは計りかねます」
「わかってる。ところで、しばらくこちらで滞在するということでよいのだな?」
「他の方にもお話を伺ったり、街に出てみたりしようかと考えております」
「恐らく今以上の話を聞けるとも思えんが、好きなようにするといい。王都に滞在中はこの屋敷の客室を使ってくれて構わん」
「ありがとうございます」
「さて、それでは儂は失礼する。良い暇潰しになったぞ」
機嫌良くアンゾルゲ伯爵は笑うと立ち上がり、一礼するティアナの脇を通り過ぎて応接室を去る。
扉の閉まる音を聞いたティアナはため息をひとつついた。そして何気なく目の前の応接机を見るとティーカップがあるのを知る。
今になってティアナは自分が思っていた以上に緊張していたことに気付いた。
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